「ねぇ、落合くんと直人先輩って付き合ってるの?」
「え?」
昼休み、早めに教室に戻って読書をしていると、同じクラスの藤波さんが僕の机にやってきてそう聞いた。それは僕にとって思いもよらない質問で眉を顰めた。
「付き合うって、僕と、直人先輩が?」
半信半疑で聞き返す僕に、藤波さんは顔を縦に振った。その度に絹のような黒髪がたゆやかに揺れる。
ダンス部に所属し、目立つグループの彼女と話すのは、新学期以来で久しぶりで、緊張からか声が上擦った。
「まさか、……仲良くしてもらってるとは思うけど、ただの先輩、後輩以外の何者でもないよ」
それに、と僕は付け足す。
「僕は男だよ……」
世間では同性同士で付き合うことも珍しくないと知っている。
むしろ社会的にはオープンになってきている今日この頃、
しかし、僕は自分自身がその当事者になるビジョンは想像できなかった。
「そう、そうだよね、変なこと聞いてごめんね」
藤波さんは、申し訳なさそうに僕の目をのぞく。
「……別に」
宝石でも宿っているかのような黒目がちな大きな瞳に見つめられると、僕は妙に落ち着かない心持ちがした。
「あのさ、これね、」
彼女は後ろ手に組んでいた手を前に突き出す。その手の中には、丁寧に封がされた手紙が握られていて、僕はドキりとした。
「え?」
頬を赤らめる藤波さんと、手紙を交互に見る。
これって、もしかして……
ラブレター、なのか?
こんな人の目があるクラスのど真ん中で、なんて大胆なんだ、藤波さん……!
なぜか彼女よりも僕の方が焦ってしまい、高らかに差し出された手紙を僕は周囲から隠すようにひったくった。
「藤波さ__
「渡してほしいの、直人先輩に!」
……なるほど」
たしかに今の話の流れで、先輩の名前が出てくるのは、至極妥当なことかもしれない。
というか可能性はそれ以外考えられないだろう……!
あー、僕のバカ、バカ!
自分の盛大な勘違いに、顔が熱くなる。
流れで受け取ってしまった自分の手の内の手紙を見つめ、いったいどんな顔をして藤波さんの顔を見ればいいのかと悩んでいると、彼女らしからぬ声色に顔を上げた。
「あのねっ、これ私からじゃなくて、私の友達が直人先輩に渡して欲しいって言ってて! その友達っていうのは隣のクラスのユカちゃんって子なんだけど、」
どうやら今この場において、恥ずかしい思いをしているのは彼女も同じらしい。
普段は堂々と、余裕のある話し方をする藤波さんの今はそれどころではない雰囲気が言葉のはしばしから伝わってきた。
「藤波さんのお友達が?」
僕が復唱すると、こくこくと藤波さんは頷く。
じゃあこれは、藤波さんの友達が直人先輩にあてたラブレターということになる。
当人のいないラブレターの受け渡しに、関係のない二人が顔を赤らめてるこの状況はなかなかにカオスだなと僕は思った。
……正直のところ、自分で渡せばいいのに、と思う。
先輩のことだから、どのような返事になるにせよ、きっと誠実に対応してくれるのではないだろうか。
漠然とした確証のない自信を持って僕はそう思った。
しかし、目の前で体を小さくしている、友人のため勇気を出して僕に声をかけてくれたであろう藤波さんのことを思うと、僕が先輩に手紙を引き継ぐくらいしてしかるべきではないかとの思いになった。
それに、僕はただのまぐれで先輩と仲良くしてもらえている。
そうではない人たちが先輩に声をかけるのにどんなに勇気がいることか、僕には痛いほどわかってしまったから、断る気にはなれなかった。
*
「……ということで、これがその手紙です」
僕は学校からの帰り道、先輩に今日会ったことのあらましを話すと、例の手紙を鞄から取り出した。
先輩は手紙を受け取ると、封を開け中身を取り出ししばらく何も言わずに読んでいた。
会話のないまま僕たちは、バス停までの道のりを歩く。
現在が部活動の時間帯であるのと、そもそもバス通学者が少ないこともあって、バス停に向かう間も、着いてからも、そこには僕ら二人以外誰もいなかった。
沈黙が辺りを支配して、僕ら二人を包む。僕はついに痺れを切らしてぽつりと聞いた。
「先輩」
「あ?」
「……どうでした?」
「どう、とは?」
「いや、その」
しかし、僕は聞いた後で後悔した。
なぜなら不躾な質問だったかも知れないと、この段になって思い至ったからだ。
ラブレターを読んだ後の人に感想を求めるなんて常識的に考えれば失礼以外の何者でもなかった。
けれど、それ以上に気になって仕方がなかった。
先輩は人からの好意を受けて、どのような反応をするんだろう。
それは例えば女の子からラブレターをもらった男子高校生の人並みな感情なのか、それとも……
「__わざとやってんのか」
しかし、先輩の答えはそのどれでもなかった。
先輩の深いため息に、まずったと思った時には、時刻表の表示板を背に、ドンっと手をつかれ、僕は先輩と表示板との間に板挟みになる。
今でもすでに息のかかる距離にある先輩の顔がだんだんと僕に近づき、先輩の顔が見えなくなってようやく僕は自分がキスされていることに気がついた。
__!?
何が何だか訳が分からなかった。
ただこれはおかしいと、僕は自分に覆い被さった先輩から逃れるべく彼の体を突き放す。
僕よりも一回りは大きい先輩の体は、決して簡単にとはいかないまでも、男の僕が全力で抵抗すればなんとか引き剥がすことができた。
僕に突き放された先輩は二、三歩ふらっと後退る。
そして先ほどまでつながっていた口元を自身の親指の腹で拭くと、無味乾燥な瞳で僕を見下ろした。
唾を飲む音がいやに大きく響く。先輩の真顔を正面から見るのは、これがはじめてだと思った。
そしていつも僕に話しかけてくれるときは微笑んでくれていたんだと知った。
「……どうしたんですか」
しばし無言で見つめ合うと、先輩はゆっくりと重い口を開いた。
「どうしたは、こっちのセリフだろ」
虚な先輩の瞳が揺れる。
「……あんな手紙、寄越しやがって、お前は俺にどうして欲しいんだよ。お前が好きっていうから、俺のこと好きっていうから、付き合うことにしたのに……お前は何もしてこないし、でも、俺はもうお前を、」
先輩は鬱々とした表情でいつになく滔々と喋り出した。先輩の瞳は潤み、引き攣った笑みは顔を歪ませる。しかし、それでも先輩は美しい。
先輩の手がゆらりとこちらに伸びる。
後ろに逃れようにも僕はピッタリと表示板に背がつき逃げ場はなかった。
話の先行きが見えず、雲行きは怪しい。
僕が先輩を好き?
付き合う?
先輩が言った、突拍子のない言葉の数々を頭で反芻する。
そして、これまでの違和感のピースが自分の中で一つの答えを作ろうとしていた。
「……僕たち、付き合ってたんですか?」
僕の頬に触れそうになった先輩の手が、そのわずか手前でピタッと止まる。
そのことで僕は全てを分かってしまった。
もしかして、
笑顔で手を振ってくれたのも、廊下で会うと親しげに名前を呼んでくれたのも、お昼を一緒にしたのも、あれもこれも全部__
気がつけば僕の口からはとめどない謝罪の言葉がダムが堰をきるように溢れ出ていた。
「すみません、先輩、そんなつもりじゃなかったんです、僕。あの日、先輩と話せてすごく緊張してて、自分が何を言ったか全く覚えてなくてですね、先輩は僕の憧れだからきっとそういうことを言ったと思うんですけど、その好きは付き合いたいとかじゃなく__」
それでもそんなのは先輩にとってはただの言い訳にしか聞こえなかったのか、今更になってあの日に向き合おうとする僕を、先輩は低い声で一蹴した。
「もうそういうのどうでもいいんだよ」
「っ!」
これ以上くだらない弁解を聞きたくないというふうに、ぐっと片手を僕の口に覆い被せると耳元でつぶやいた。
「俺はぜったい、別れてなんかやらないからな」
*
「え?」
昼休み、早めに教室に戻って読書をしていると、同じクラスの藤波さんが僕の机にやってきてそう聞いた。それは僕にとって思いもよらない質問で眉を顰めた。
「付き合うって、僕と、直人先輩が?」
半信半疑で聞き返す僕に、藤波さんは顔を縦に振った。その度に絹のような黒髪がたゆやかに揺れる。
ダンス部に所属し、目立つグループの彼女と話すのは、新学期以来で久しぶりで、緊張からか声が上擦った。
「まさか、……仲良くしてもらってるとは思うけど、ただの先輩、後輩以外の何者でもないよ」
それに、と僕は付け足す。
「僕は男だよ……」
世間では同性同士で付き合うことも珍しくないと知っている。
むしろ社会的にはオープンになってきている今日この頃、
しかし、僕は自分自身がその当事者になるビジョンは想像できなかった。
「そう、そうだよね、変なこと聞いてごめんね」
藤波さんは、申し訳なさそうに僕の目をのぞく。
「……別に」
宝石でも宿っているかのような黒目がちな大きな瞳に見つめられると、僕は妙に落ち着かない心持ちがした。
「あのさ、これね、」
彼女は後ろ手に組んでいた手を前に突き出す。その手の中には、丁寧に封がされた手紙が握られていて、僕はドキりとした。
「え?」
頬を赤らめる藤波さんと、手紙を交互に見る。
これって、もしかして……
ラブレター、なのか?
こんな人の目があるクラスのど真ん中で、なんて大胆なんだ、藤波さん……!
なぜか彼女よりも僕の方が焦ってしまい、高らかに差し出された手紙を僕は周囲から隠すようにひったくった。
「藤波さ__
「渡してほしいの、直人先輩に!」
……なるほど」
たしかに今の話の流れで、先輩の名前が出てくるのは、至極妥当なことかもしれない。
というか可能性はそれ以外考えられないだろう……!
あー、僕のバカ、バカ!
自分の盛大な勘違いに、顔が熱くなる。
流れで受け取ってしまった自分の手の内の手紙を見つめ、いったいどんな顔をして藤波さんの顔を見ればいいのかと悩んでいると、彼女らしからぬ声色に顔を上げた。
「あのねっ、これ私からじゃなくて、私の友達が直人先輩に渡して欲しいって言ってて! その友達っていうのは隣のクラスのユカちゃんって子なんだけど、」
どうやら今この場において、恥ずかしい思いをしているのは彼女も同じらしい。
普段は堂々と、余裕のある話し方をする藤波さんの今はそれどころではない雰囲気が言葉のはしばしから伝わってきた。
「藤波さんのお友達が?」
僕が復唱すると、こくこくと藤波さんは頷く。
じゃあこれは、藤波さんの友達が直人先輩にあてたラブレターということになる。
当人のいないラブレターの受け渡しに、関係のない二人が顔を赤らめてるこの状況はなかなかにカオスだなと僕は思った。
……正直のところ、自分で渡せばいいのに、と思う。
先輩のことだから、どのような返事になるにせよ、きっと誠実に対応してくれるのではないだろうか。
漠然とした確証のない自信を持って僕はそう思った。
しかし、目の前で体を小さくしている、友人のため勇気を出して僕に声をかけてくれたであろう藤波さんのことを思うと、僕が先輩に手紙を引き継ぐくらいしてしかるべきではないかとの思いになった。
それに、僕はただのまぐれで先輩と仲良くしてもらえている。
そうではない人たちが先輩に声をかけるのにどんなに勇気がいることか、僕には痛いほどわかってしまったから、断る気にはなれなかった。
*
「……ということで、これがその手紙です」
僕は学校からの帰り道、先輩に今日会ったことのあらましを話すと、例の手紙を鞄から取り出した。
先輩は手紙を受け取ると、封を開け中身を取り出ししばらく何も言わずに読んでいた。
会話のないまま僕たちは、バス停までの道のりを歩く。
現在が部活動の時間帯であるのと、そもそもバス通学者が少ないこともあって、バス停に向かう間も、着いてからも、そこには僕ら二人以外誰もいなかった。
沈黙が辺りを支配して、僕ら二人を包む。僕はついに痺れを切らしてぽつりと聞いた。
「先輩」
「あ?」
「……どうでした?」
「どう、とは?」
「いや、その」
しかし、僕は聞いた後で後悔した。
なぜなら不躾な質問だったかも知れないと、この段になって思い至ったからだ。
ラブレターを読んだ後の人に感想を求めるなんて常識的に考えれば失礼以外の何者でもなかった。
けれど、それ以上に気になって仕方がなかった。
先輩は人からの好意を受けて、どのような反応をするんだろう。
それは例えば女の子からラブレターをもらった男子高校生の人並みな感情なのか、それとも……
「__わざとやってんのか」
しかし、先輩の答えはそのどれでもなかった。
先輩の深いため息に、まずったと思った時には、時刻表の表示板を背に、ドンっと手をつかれ、僕は先輩と表示板との間に板挟みになる。
今でもすでに息のかかる距離にある先輩の顔がだんだんと僕に近づき、先輩の顔が見えなくなってようやく僕は自分がキスされていることに気がついた。
__!?
何が何だか訳が分からなかった。
ただこれはおかしいと、僕は自分に覆い被さった先輩から逃れるべく彼の体を突き放す。
僕よりも一回りは大きい先輩の体は、決して簡単にとはいかないまでも、男の僕が全力で抵抗すればなんとか引き剥がすことができた。
僕に突き放された先輩は二、三歩ふらっと後退る。
そして先ほどまでつながっていた口元を自身の親指の腹で拭くと、無味乾燥な瞳で僕を見下ろした。
唾を飲む音がいやに大きく響く。先輩の真顔を正面から見るのは、これがはじめてだと思った。
そしていつも僕に話しかけてくれるときは微笑んでくれていたんだと知った。
「……どうしたんですか」
しばし無言で見つめ合うと、先輩はゆっくりと重い口を開いた。
「どうしたは、こっちのセリフだろ」
虚な先輩の瞳が揺れる。
「……あんな手紙、寄越しやがって、お前は俺にどうして欲しいんだよ。お前が好きっていうから、俺のこと好きっていうから、付き合うことにしたのに……お前は何もしてこないし、でも、俺はもうお前を、」
先輩は鬱々とした表情でいつになく滔々と喋り出した。先輩の瞳は潤み、引き攣った笑みは顔を歪ませる。しかし、それでも先輩は美しい。
先輩の手がゆらりとこちらに伸びる。
後ろに逃れようにも僕はピッタリと表示板に背がつき逃げ場はなかった。
話の先行きが見えず、雲行きは怪しい。
僕が先輩を好き?
付き合う?
先輩が言った、突拍子のない言葉の数々を頭で反芻する。
そして、これまでの違和感のピースが自分の中で一つの答えを作ろうとしていた。
「……僕たち、付き合ってたんですか?」
僕の頬に触れそうになった先輩の手が、そのわずか手前でピタッと止まる。
そのことで僕は全てを分かってしまった。
もしかして、
笑顔で手を振ってくれたのも、廊下で会うと親しげに名前を呼んでくれたのも、お昼を一緒にしたのも、あれもこれも全部__
気がつけば僕の口からはとめどない謝罪の言葉がダムが堰をきるように溢れ出ていた。
「すみません、先輩、そんなつもりじゃなかったんです、僕。あの日、先輩と話せてすごく緊張してて、自分が何を言ったか全く覚えてなくてですね、先輩は僕の憧れだからきっとそういうことを言ったと思うんですけど、その好きは付き合いたいとかじゃなく__」
それでもそんなのは先輩にとってはただの言い訳にしか聞こえなかったのか、今更になってあの日に向き合おうとする僕を、先輩は低い声で一蹴した。
「もうそういうのどうでもいいんだよ」
「っ!」
これ以上くだらない弁解を聞きたくないというふうに、ぐっと片手を僕の口に覆い被せると耳元でつぶやいた。
「俺はぜったい、別れてなんかやらないからな」
*