学校に着くと、教室に荷物だけを置き、体育館へ向かう。

今日は先週にあった文化祭の後片付けを朝のロングホームルームを使ってすることになっており、なかでも軽音学部に所属している僕は、文化祭で使用したステージを片付けるため、体育館へと足を運んだのだった。


「えーと、」

「サラマンダーです」

「……そうそう、サラマンダーは、床のテープ剥がしをお願い!」

片付けの受け持ちはバンド単位で割り振られる。

軽音部顧問の江頭先生から指示を仰ぐと、僕たちは体育館の床に貼り付けられた座席指定用のテープを剥がす作業に取り掛かかった。

「ぜってー、せんせ、俺たちのグループ名覚えてなかったよな笑」

加藤が笑って言った。

加藤は、僕と同じクラスで、帰宅部を貫いていた僕を軽音学部へ誘った張本人だ。

黒髪メガネという落ち着いた容姿とは裏腹に、口を開けば冗談ばかりの明るいおちゃらけ屋。

加藤いわく、意外性No. 1の男とは俺のことよ!……らしい。

ちなみにサラマンダーというバンド名も、加藤の「なんか、こう、かっこいいだろ!! 強そうだし」というよくわからない理由で決まったという経緯を持つ。

「バンド数多いから、よっぽど印象的じゃないと覚えてもらえないのかもね」

僕の言葉に、加藤は言った。

「んー、次ライブやる時は俺らも飴玉とか配ってみっか? 直人先輩みたいに!」

直人先輩は、今年の文化祭ライブで、間奏時に飴玉を客席に配って歩くというパフォーマンスをしていた。

飴玉を受け取った人__主に女子生徒は卒倒しそうな勢いだったのを覚えている。

「あれは、直人先輩だから許されたんじゃないか? 僕らから飴玉をもらっても……」

すると、加藤は僕の肩をぐっと引き寄せた。

「んだよ、そんな悲しいこと言うなよな〜! 俺って結構女子に人気あるし? いけるだろ!」

加藤は空いた方の手を、自身の顔の下に当て、イケメンムーブをしてみせると、にかっと笑った。

「……ハイハイ」

僕はいつもの通り苦笑いで頷く。

確かに加藤は、学年問わず顔が広い。

初対面の人とでもすぐに打ち解けるコミュニケーション能力の高さは、バンドのボーカル、顔として十分に機能してくれていた。

僕らのバンドを見に来てくれた観客はほぼ加藤の知り合いという感じだったし、あながちポスト直人先輩も夢じゃないのかもしれない、なんて……もし先輩のファンの人たちに聞かれでもしたら怒られそうだ。

「落合も、まぁまぁ女子から人気あんだからさ、媚び売って、俺たちのバンド有名にしてこーぜ!」

何を言い出すかと思えば、僕が女子に人気あるだって?……全く。本当に加藤は調子がいい。

ここに僕以外のバンドメンバーがいないからって、僕を持ち上げても何も出ないぞ。


「……ゴミ捨ててくる。加藤のも、ほら」

「お、さんきゅ」

僕は話を切り上げその場を離れると、中央ステージにあるゴミ袋に、テープ類を捨てに行った。

その帰り道、椅子を運び出す生徒とすれ違う。

あれを教室まで運ぶのはなかなか骨が折れそうな作業だ。

そんなことを考えていると、また前から椅子運びの生徒がやってきて、僕は退いて彼らを避けた。そのとき、何かに後ろ足が触れるのを感じる。

「!」

あ、と思った時には、カシャンと金属が床に叩きつけられる音がして、振り返ると、雨漏りを凌いでいたバケツが倒れており、見事に中の汚水を辺り一体ぶちまけていた。


「……やっちゃった」

僕はとりあえずひっくり返ったバケツを元の通り起こすと、仕方がないので、本部の方に雑巾を借りに走った。

もちろんバケツに躓いた自分が一番悪いと分かってはいるが、僕は雨漏りしている体育館を放置している学校側の管理体制に苦言を呈したくなった。

ため息一つ、借りてきた布切れで床を拭く。

床に反射する自分の顔を拭うようにゴシゴシと雑巾を擦り付けると、ふと近くに影が落ちた。

「……手伝う」

「! すみません、ありがとうございます」

「あぁ、」

礼を言う為顔を上げれば、僕は思わず、自分の真横でしゃがみこみ、作業を手伝ってくれている人物を二度見した。

 

だって、その人物は__


嘘だろ、……福岡直人先輩?!?!

ほ、本物???

何度瞬きしてみても、その人は間違いなく福岡直人先輩本人で、僕は目と鼻の距離に彼の顔があるこの状況を飲み込むのに数秒かかった。

いつも遠くから見ていただけのあの人がこんなに近くに……

息している、動いてる、本当に実在してる……!

それだけのことに妙に感動してしまう自分がいる。

僕は作業の傍ら、ちらっと先輩を盗み見る目を辞められなかった。

ていうか、キラキラしてるだけじゃなくて、率先してこう言う汚れ仕事も手伝ってくれるところ、人間出来過ぎだろう!!

解釈一致すぎて、めちゃくちゃ好き。

憧れの人を前に、僕は完全にのぼせ上がった。

だから、あの後、自分が先輩に何を言ったのかなんて微塵も覚えていなかった。