今日はずっと雨の予報だった。重たく叩きつけるような、とまではいかないが、決して軽いとも言えない大きな雨粒が、広範囲に大量に落ち続けている。朝から昼になっても、予報通りにその調子だった。
 悪天候の外を見て、藤野透馬(ふじのとうま)は思わず顔を顰めた。天気など関係なくいつでもテンションの高い友人たちと、透馬も普段通りのテンションで会話を交わしつつも、今日ばかりは、いや、この時期に限っては、いや、もっと言えば、雨の日に限っては、時折眉間に皺が寄ってしまう。何度か友人に気づかれ、顔が険しい、などと突っ込まれてしまったこともあったが、透馬は毎回へらへらと笑って誤魔化していた。顔が険しくなってしまう理由など隠すようなことでもないが、わざわざ口にするようなことでもない。
 平気なふりをして友人と一緒に笑いながら、バレないよう、髪を触るような何気ない仕草で頭を押さえる。ズキズキと痛んでいた。朝からずっとだ。雨が降る前だったり、今みたいに降っている状況だったりする時は、いつも頭痛がするのだった。柄にもなく、透馬は頭痛持ちだった。今に始まったことではないものの、相変わらず悩ましい問題だ。
 雨による頭痛が、基本的に能天気な透馬の唯一の悩みの種だった。しかしながら、最近になってその種が一つ増殖していることに、透馬は気づいてしまった。左隣の席から時々感じる視線だ。透馬を観察するような、酷く目つきの悪い鋭い眼差しを、その席に座る男子生徒から向けられることがあるのだ。いずれ拳で喧嘩をするようになるかもしれないと、透馬は人知れず警戒し、闘争心を燃やしていた。売られた喧嘩は買う主義だった。
 頭を締め付ける痛みをどうにか弾き飛ばそうと深呼吸をする透馬だったが、それをしたとて意味がないことは分かり切っていた。ただの気休めだ。頭痛は全く治まらない。だから雨は嫌いなのだ。透馬は降り注ぐ雨を憎しみを込めて睨んだ。眉間に皺が寄った。
 その時、隣の席から例の視線を感じた。友人同士で話が盛り上がり始める中、透馬はその輪には参加することなく静かに隣を見遣る。黒い瞳と目が合った。睨みつけられていると思った。負けじと睨み返すと、ふいと顔を逸らされてしまう。透馬に横顔を晒す相手は、人一倍端正な顔面を僅かに歪め、それから上を向いて瞼を閉じた。透馬がたまに目にする彼の癖のような動作だった。
 漆原永遠(うるしばらとわ)。それが、透馬の隣の席に座る男子の名だった。永遠とは、理由も分からずに睨み合ってばかりで、特にこれといって話したことはない。何を考えているのか分からない寡黙な一匹狼という見たままの情報しか得られていないのだった。永遠のことを詳しく知る人物など、同じ教室で学んでいるこのクラスにすら誰一人としていないのではないか。そう思ってしまうくらいに誰とも連んでいない永遠から、なぜ自分が、喧嘩を売られているかのように目をつけられているのか、透馬は心底理解に苦しんだ。知らない間に永遠の気に障るようなことをしてしまったのかと考えたが、いくら考えても思い当たる節はない。理由は未だ謎のままだ。
「あー、あたまいた……」
 一人小さく、ほぼ口の中で呟き、永遠の真似をするわけではないが瞼を下ろす。頭痛に悩まされていても、昼は問題なく食べることができたため、正真正銘、これはただの頭痛なのだ。全部天気のせいだった。雨のせいだった。五月から六月にかけては毎年憂鬱な気分になる。そんな日々が多い。梅雨の長期休暇が欲しいくらいだ、などと、透馬は通るはずもない案を頭に思い浮かべた。
 透馬の近くで何やら熱く語り合い続けている友人たちの声をぼんやりと聞き流しながら、透馬は痛くて重たい頭を支えるように頬杖をついた。友人たちは、今話題になっているアニメの話をしているようだ。タイトルは聞かずとも、ワードだったり内容だったりを耳にするだけで何のアニメか容易に想像がつく。透馬もそれを見たことがあるため、決してその輪に入れないわけではないが、現在の気分ははっきりとした濃いブルーだ。気持ちよく話し込めるとは思えなかった。
「ああ、もう、マジふざけんな、頭痛すぎ、うざ、クソだなマジで、クソクソ、毎日毎日クソだな、マジでクソ」
「さっきから全部聞こえてる」
「ああ?」
「暴言吐くくらい頭痛が酷いなら、これやるよ。最後の一錠が残ってるから」
「はあ?」
「飲めば少しは楽になるはず」
「飲む?」
 雨を睨んでぼそぼそと文句を口にしていると、唐突に誰かの声が割り込んできた。透馬は機嫌の悪さを全開にしたまま喧嘩腰で返事をしてしまったが、相手はどこ吹く風で平然と言葉を続け、透馬に何かを差し出してくる。眉間に皺を寄せながら見ると、差し出されたそれは市販の頭痛薬だった。
 一瞬だけ動きが止まり、遅れてハッとなった透馬は、目の前の頭痛薬を見て、それから、指、手首、透馬と同じ制服に通された腕、二の腕、肩、首、顔、と視線を移動させていった。切れ長の目と目が合う。相変わらずこちらを睨んでいる、わけではないように今は見えるが、その顔を瞳に映し、もう一度頭痛薬を見て、またその顔に視線を戻して、再び頭痛薬を見て、そして、透馬は、自分でもなぜか分からないまま飛び退いた。ガタガタと机を倒しそうになり、ガタガタと椅子から落ちそうになる。側で会話を弾ませていた友人が、透馬の突然の奇行に驚愕しつつも、背凭れ代わりになってくれたことで難を逃れた。透馬はいきなり声をかけてきた左隣の席に座る永遠と目を合わせ、喧嘩なら受けて立つぞとばかりに身構えた。
「それ、実は怪しいクスリとかじゃないだろうな」
「いやこれ、普通の頭痛薬」
「喧嘩売ってんのか。やんのか」
「何でそうなるんだよ」
「よくガン飛ばしてきたくせに」
「そんな覚えはない」
「今だって目つき相当悪いからな」
「……心配した俺が馬鹿だった」
 透馬との会話を早々に諦めたようにぽつりと口にした永遠が、差し出していた頭痛薬を静かに引っ込めた。そして、深い溜息を一つ。僅かに歪む顔が、何かに堪えているようなそれだった。片手が額を押さえている。眉間に皺が寄っている。その仕草や表情を見て、あ、と思った。もしかして、と思った。もし本当にそうならば、自分はかなり嫌な奴として映ったに違いない。心配してくれた永遠の厚意を、自分の勘違いと先入観で無下にしてしまったのだから、声をかけた永遠が、声をかけたことを後悔するのも頷ける。透馬が永遠の立場だったら、きっと苛ついていたはずだ。選択を誤った。透馬もまた、溜息を吐いてしまった。
 冷静になると、頭の奥の方がドクドクと脈打っているのを感じた。舌を打ちそうになるくらい頭痛が酷くなっている。先程反射で大袈裟なリアクションをとってしまったせいかもしれない。喧嘩を売られていると勝手に判断して、良質な薬を悪質な薬と猜疑の目を向けた自分の馬鹿さ加減にほとほと呆れる。永遠のことを知らないからといって、あの態度は流石に失礼すぎた。
 自分の非を認めて素直に謝罪しようと思い、口を開きかけたところで、永遠が静かに席を外してしまう。透馬に渡そうとしてくれていた頭痛薬を制服のポケットにしまい、片手に小さいサイズのペットポトルの水を持って教室を出て行く。タイミングを逃した透馬は、立ち去る永遠を呼び止められなかった。
 変に邪推せずに、大人しくその厚意を受け取っていれば、永遠との間に亀裂が入るようなこともなかっただろうし、薬を飲むことでこの頭痛も少しは楽になったのかもしれないと思うと、千載一遇のチャンスを自ら逃してしまったということになる。一匹狼で情報の少ない謎めいた永遠とも仲良くなるきっかけにもなったかもしれない。恐らく、同じ頭痛持ちとして、誰よりも永遠に共感することができたはずなのだ。
 考えれば考えるほど、永遠を疑い、売られてもいなかった喧嘩を買おうとした透馬の方が、圧倒的に頭が足りていなかったことが浮き彫りになっていく。自分は一体何を買っていたのかと、透馬は依然として頭痛に悩まされながら、途方もない虚無を感じてしまった。
 友人の背に凭れたまま、憎き雨を睨むように見つめ続けていると、もぞもぞと身を捩る友人に、いつまで凭れかかってんだ、と透馬は軽く頭を叩かれた。頭痛持ちであることを友人には隠しているため、透馬の頭を痛くない程度に叩くことに友人が抵抗を感じている様子はなかった。重くはない軽い衝撃ではあったが、ズキズキとした痛みが増した。
 適当に謝罪して椅子に座り直し、左隣の空席を見た透馬は、考えるよりも先に腰を持ち上げ、気づけば永遠の席を陣取っていた。再びの奇行。つい魔が差してしまったと言わざるを得ない。しかし透馬は、自席に戻るつもりはなかった。ちょうど永遠の席は窓際だ。椅子に横に座り、壁に背中を、閉めている窓に頭をつけると、透馬は脱力するようにそこに寄り掛かった。
 ここで永遠が、すぐ隣の席に座っている自分の体調を気にしてくれていたのかもしれないと思うと、透馬は何とも言えない面映い気持ちになった。それと同時に、先程の愚行を有耶無耶にはできないとも思う。透馬は永遠が戻ってくるのを、永遠の席に堂々と座って静かに待つことにした。
 視界に広がる多数の情報をひとまず排除しようと、透馬は瞼を閉じる。それで頭痛が治まるわけではないが、雑多な光景を目にしているよりかは闇を見ている方が気は紛れた。
 どこかでこっそり薬を飲みに行ったのかもしれない永遠が教室に戻ってくるのを、約束などしてもいないのにひたすら待っていると、傍らで人の気配と、上から注がれているような視線を感じ、透馬は閉じていた瞼を僅かに開け、目を眇めた。永遠が立っていた。席を奪い占領している透馬を見下ろし、怪訝な表情を浮かべている。
「何してんの」
「何してんだろうな。とりあえず、そこ座れよ」
 声に気怠さの混じっている永遠を、そこ、と空いた自分の席を指差して座るよう促した。まだ透馬の意図が読めていないらしい永遠が、頭痛を引き起こす原因が増したみたいに額を押さえる。続けて、痛みを飛ばすような深い溜息。透馬も酷い頭痛の時にしてしまうことがある動作だった。やはり、間違いなく、永遠は透馬と同じ頭痛に悩まされている。雨が原因か。だとしたら仲間だ。透馬は人知れず親近感が湧いた。
 文句を言うのも面倒で、そもそもそんな気分にもならないのか、何も言わず素直に隣の空席に腰を下ろした永遠を見つめる透馬は、手にしていたペットボトルを机の上に置く永遠の些細な動作もじっと目で追った。ラベルよりも少し下側で、微かに水面が揺れている。その様子を暫し眺めてから深く息を吸い、居住まいを正した透馬は、口数の少ない永遠に目を向け徐に唇を開いた。
「さっきは、怪しいクスリとか言って疑ったり、目つきのことを意地悪く言ったりして、悪かった」
「……それを言うためだけに俺の席を奪った?」
「奪ったっていうか……、うん、まあ……、そう、そうだな。どうしても謝りたくて」
 ごめん。頭を下げて、新たに付け加えた透馬は、永遠のどんなマイナスなリアクションも受け入れるつもりだった。しかし、向かい側にいる永遠は、淡々と疑問を投げかけたきりなかなか口を開いてくれない。
 背後の窓の外では、一切止む気配のない雨がざあざあ降り続けている。心なしか雨音が強くなっているようだ。頭痛も一向に治まらない。それは永遠も同じだろうか。そう思ったが、一度ここを離れた永遠は薬を飲みに行ったはずだ。透馬の予想通り薬を服用したのであれば、即効性があるわけではないにしろ、気持ち的には楽になっているのではないか。
 透馬と永遠以外の数多の声が渦巻いている中、二人の間には沈黙が広がっている。頭を下げたまま上げるタイミングを見失っている透馬は、その姿勢を維持したまま、動きを見せるかどうかも定かではない永遠の言動を待った。そうしている間も、頭は悲鳴を上げていた。永遠の厚意を蔑ろにした罰なのか何なのか、今日は一段と頭痛が酷い。透馬は小さく唸ってしまいながら片手で頭を押さえた。
「薬、持ってないんだったらやるよ。最近買ったばかりの未開封のものがあるから」
 それなら安心できるだろ。ようやく声を上げて反応を示してくれた永遠が、座っている椅子を引きずり透馬との距離を縮めた。疼痛に顔を歪ませ目を眇める透馬は、机の横に引っ掛けてある鞄に手を伸ばす永遠の行動をその目で追った。手にした鞄を膝の上に乗せてチャックを開ける永遠。中に手を入れ目的のものを取り出す永遠。何気ないそれらの丁寧な所作に釘付けになってしまうのは、透馬自身にそれとは真逆のガサツな部分があるからかもしれない。頭を抱えながら永遠を眺める透馬の視線など気にしていないのか、気づいていないのか、透馬がいくら見つめようとも、その間永遠は一瞥もくれなかった。
 永遠とまっすぐ目が合ったのは、言葉通り、未開封の頭痛薬を差し出された時だった。二回目の厚意だ。透馬の勘違いで弾いた一回目とは異なり、二回目はその手を弾く理由などなかった。睨まれていると感じていた永遠の眼差しも、先入観を抱いていたことでそう見えていただけで、思い込みをなくした今となっては、睥睨されているなどとは到底思えなかった。
 雨の日の頭痛の辛さを共感してくれている。偶然隣の席になっただけのただのクラスメートに違いないのに、無視することなく気にかけてくれている。透馬のことなど何も知らないだろうに、薬を渡して手を貸そうとしてくれている。永遠は謎に包まれた人ではあるが、今現在透馬に向けている綺麗な瞳からは純粋な慈悲が感じられた。きっと最初からそうだった。永遠は最初からそうだったのだ。
 永遠との間に壁を作っていたのは紛れもなく自分の方だったのだと、透馬は申し訳なさに視線を落とした。永遠が指先で持っている頭痛薬に、ゆっくりとピントが合わさる。言葉も行動も微妙に怠そうではあるが、他人を思いやることのできる永遠の優しさを知った透馬は、頭ではない別の箇所、胸の奥の辺りが締め付けられていることにふと気づいた。差し出されている新品の頭痛薬に、永遠の指先に触れないよう変に意識して受け取った自分の挙動に、透馬は人知れず身体を熱くさせてしまう。これがどういった類の感情なのか、透馬は知っていた。
「ありがとう。なんか、やばいな。俺、漆原のこと、好きになりそう」
「急展開すぎて意味が分からない。しかもそういうの、好きになってから言うもんじゃないのかよ」
「迷惑?」
「いや別に、迷惑とかではなくて」
「だったら問題ないな。多分俺、漆原のこと本気で好きになると思う。だから、これは告白の予告」
「告白の予告は告白でしかないし、せめて天気の良い日にして」
「その反応は凄く期待できそう」
「……早く飲めよ」
 透馬との会話は頭に響くとばかり顔を顰め吐息を漏らす永遠。雨の日は自分と同じような頭痛に苦しんでいるのだと思うと、透馬は何とも言えない優越感に浸った。きっと誰も知らないことだ。誰も知らなくていいことだ。自分だけが知っていることだ。永遠の端正な顔面を見つめながら、透馬はわくわくとした胸の高鳴りを覚えてしまった。
 透馬自らが作っていた壁が消え去ったことで、隠されていた永遠の魅力が全面に押し出され、あっという間に惹き込まれていくのを実感する。好きになりそう、好きになるといった根拠のない予感や自信は、近いうちに真実となる。外を濡らす雨のせいで体調は万全の状態ではないものの、透馬はそう確信していた。
 受け取った頭痛薬の封を開け、中身を取り出した透馬は、包装シートのプラスチックの部分を親指で押し、アルミを突き破って顔を出した錠剤を手のひらの上に落とした。早速飲もうとしたところで、肝心の水を用意していなかったことに気づき、自然と動きが止まる。手元に水や茶などの薬を流し込める飲み物がない。弁当用に持ってきていた水筒の中身は既に飲み干してしまっている。無理やり飲み込むか、噛み砕いて飲み込むか、暫しの間思考を巡らせるも、結局は水を求めて手洗い場に行くしかないという結論に至り、透馬は席を立とうとした。
「人の飲みかけ気にしないなら、この水使って」
 この場を一時的に離れようとした自分を咄嗟に呼び止めるような永遠の声を耳にした透馬は、その意図を考えて、思わず顔が緩んでしまいそうになるのを必死に堪えた。まだ自分といたい、話したいと思っているからこその無意識の発言なのではないかと、自分の都合の良いように思考をぐるぐると回転させてしまう。また勘違いしてしまうのは避けたい。告白の予告をしたにも拘わらず、顔色の変わっていない永遠が、いきなり透馬を意識するようになるはずもないのだ。自分に対する印象は良さそうだが、口説き落とすには手強い相手かもしれないと、透馬は早速本気になり始めていた。
 手のひらの上に錠剤を乗せたまま、惚けたように永遠を見つめてしまう透馬は、またしても彼の動作を目で追っていた。机の上に置いていたペットボトルのキャップを開けてから、透馬が座っている席の、同じく机の上に、キャップのないペットボトルを静かに置く永遠。開けてと頼んでもいないのにすぐに飲めるように準備してくれた永遠のさりげない気遣いに、透馬の緩み切った心はぐらぐらと大きく揺れ動いた。体調が優れていないせいで、吊り橋効果のような心理現象が起きているのかもしれないが、透馬は永遠に惚れ込む未来しか想像できなかった。
「こんなことまでされたら普通に好きになるし、しかもこれって普通に間接キスじゃん」
「……嫌なら飲むな」
「待て待て待て、嫌じゃない。飲む、飲むから。凄く助かってるから。ありがとうすぎるから」
 早々にペットボトルを回収しようとする永遠よりも先に慌ててそれを掴み取り、その勢いのまま錠剤を口に入れて水で流し込む。一般的なサイズよりも更に小さいサイズのペットボトルだ。永遠が飲んだことで量はラベルよりも下であったために、なかなか図太い透馬は遠慮もせずに全部を飲み干してしまった。温くなりかけていたが、まだ多少は冷えていた水が火照った身体に染み渡っていく。頭も気休め程度に冷えたように感じられた。効果はすぐには表れないだろうが、薬を飲んだという行為自体が透馬を少しばかり落ち着かせたかのようだった。
 空になったペットボトルを机の上に置いた透馬は、三度感謝を告げて頭痛薬を永遠に返した。その際、偶然でも指先などは触れなかった。一錠だけ減った薬を受け取り鞄に戻した永遠が、当然のように飲み干され空っぽになった容器を回収しようとするのを、伸ばされた手の行き先だったり永遠の視線だったりを見て察した透馬は、またしても先を越されまいとすかさず手に取った。
「これは俺が捨てておくから。キャップちょうだい」
 手のひらを永遠の方へ向ける。緩慢な動作で透馬と目を合わせ、それから、ずっと握ったままだったキャップを見て、そしてまた、透馬の顔を見た永遠が、これくらいなら任せてもいいかとばかりに一言お礼を口にして、それを透馬の手のひらの上に乗せた。指というより、整えられた爪の先が、微かに触れたような気がした。ペットボトルよりも、頭痛薬よりも、キャップの方が、体積だったり面積だったりが圧倒的に小さいのだ。直接的な接触があっても何もおかしくはないが、透馬は初めて永遠に、一ミリでも一瞬でも皮膚でもない爪でも触れられたことに、嬉々とした高揚を感じた。永遠の何気ない言動が透馬の何かをぐさりと突き刺し、あっという間に好意に近い感情を抱くと、これくらいの些細なことで一喜一憂してしまうのだった。
 ペットボトルの蓋を閉めた透馬は、意味もなくラベルを触りながら窓の外を振り返った。弱まってもいなければ、これといって強まってもいない雨が降り続けている。永遠と普通に喋ってはいるが、頭痛はずっとしていた。梅雨の時期は頭が痛いことがほとんどのため、変に耐性がついてしまったのかもしれないと、透馬はそう踏んでいる。永遠もそうなのではないか。永遠のテンションが低めなのは、恐らく元々だ。頭痛が原因ではないだろう。声から何から気怠そうなのが永遠なのだ。永遠には人の気を惹く魅力が詰まりすぎている。惚れたことによって生じる欲目かもしれないが。
「雨、止む気配ないな」
「確か明日も雨の予報だった」
「最悪、マジでクソだな」
「クソだけど、そのうち晴れる」
「そうだ、晴れた日に好きだって告白するから、心の準備しとけよ」
「もう言ってるし、その時には冷めてるだろ」
「絶対冷めてないし、絶対告白する」
「そんな変わった方法で告白してくる人、藤野が初めて」
「やった、漆原の何かしらの初めてを奪えて俺は嬉しい」
「そんなことが嬉しいのかよ」
「嬉しい、かなり嬉しい」
「変な奴」
 心底呆れたような声色だった。しかし、そこにはどことなく、温かみのある愛が僅かに含まれているように感じられた。透馬は気分が持ち上がる。今日みたいな天気の悪い日はすこぶる頭が痛く、苛つくほどに憂鬱でしかなかったが、永遠と会話をするきっかけにもなり、永遠との唯一の共通点も見つかり、また近い未来、関係性がプラスに大きく変わるかもしれないことに、透馬は心から期待し、顔を綻ばせてしまいながら、空のペットボトルを緩く握り締めたのだった。空に青が広がるその日が、今からとても待ち遠しい。