今日こそは、婚約破棄をしよう。
そう思い、僕は婚約者のいる馬車に乗り込む。
いつもと変わらない学院までの道のり。一緒の馬車に乗って、今日のスケジュールを話し合う。時々近況を話す。
その時の彼女は完璧超人とはほど遠く、普通の女の子だ。ミルクティーのような艶やかな長い髪、蜂蜜みたいな瞳、普段は凜として美しいけれど、僕の前だととっても可愛らしく笑う。普段からそのままで良いのに……。
お互いの立場のせいで、君はいつも笑顔の武装する。ああ、もうすぐ学院に着いてしまう。その前に、今日こそ関係を終わらせるべきだ。
それが彼女、次期女王となるエリザベート・アルムグレーンのため。細目で、猫背で、前髪を隠して影の薄い公爵家三男よりも……もっと堂々と隣を歩く人のほうが良いはずだ。
それに急がないと、来月には帝国から使節団が来る。
その対応はエリーと僕が担う。正装も、背筋を伸ばすこともできるけれど、前髪を切るかオールバックにするのは無理だ。顔を見せたらそれこそ使節団が卒倒して、国際問題になる。
この額の傷はエリーにとってもトラウマで、僕がエリーと婚約するキッカケになった忌まわしき痕だ。あの事件がなければ、僕とエリーは婚約者にはならなかった。そう僕がエリーの婚約者に居座っているのが場違いだと思うほど、僕とエリーは釣り合っていない。
パッとしない僕よりも、エリーを幸せにしてくれる人のほうがきっと……。本音を言うと別れたくない。エリーとずっと一緒に居たい……けど、エリーの幸せを考えたら──。
「エリー。あのさ……」
「どうしたの、ルビーノ? 最近やけに口数が少ないじゃない。あ、もしかして新しい問題集を見つけて徹夜したとか?」
「そうなんだよ! 数学で一番面白いものは『存在問題』、つまりは解があるかないか。解があれば時間があれば絶対に解き明かせるというところなんだ。何を当たり前に──みたいに思うかもしれないけれど、そこが面白いところで僕はその中でも『数学上の未解決問題』が気になってしまって──って、そうじゃない!」
「そうなの? 私、ルビーノの話好きよ。それにこの間も経済部計算式大会で優勝していたし、お父様も財務課の臨時要員としてルビーノがいて助かって言っていたわ」
隣に座っているエリーは目をキラキラさせて僕を見る。僕はこの無自覚上目遣いが堪らなく好きだ。可愛い。控えめに言っても超絶可愛い。え、これが僕の婚約者? ヒャッフーー!
「エリーが可愛すぎる……」
「あら、可愛いだけ?」
「大好きです……」
「ふふっ、私も大好きよ」
エリーは嬉しそうに僕の肩に寄り添う。なんて甘い幸福な時間なのだろう──なんか、このまま婚約者でもいいんじゃ?
「(いやいやいや! 帝国の使節団の件は、そう簡単に解決しないだろう!)え、エリー! 一ヵ月後の帝国の使節団に関してなんだけれど……(よし! 滑り出しは良い感じだ!)」
「ああ、ルビーノが心配していた件ね! もちろん覚えているわ。皇帝陛下に使節団が来られる際に、夫となる婚約者はある事情で仮面を付けての応対になると根回し済みよ。もしそれで使節団が何か言ってきたら、皇帝陛下の統率と連携がとられていないと受け取るとも返しておいたわ」
「ええええええええ!? こ、こ、皇帝にそんなこと言って大丈夫なの?」
エリーは昔から誰もが驚くような発想を閃く。昔は幼馴染のイザークと一緒に巻き込まれていたっけ。あー、アイツ、遠方に引っ越してから色々大変だって言っていたけど元気かな……。
今後の休みに手紙でも──。
「あら、皇帝が私たちの幼馴染のイザークだって話してなかったっけ?」
「!??」
「ルビーノと文通しているって聞いたけど?」
「話してない……え、聞いてないけど……? 訳有りで侯爵家の養子になって、魔法学院入学前に遠方に引っ越すって……手紙はだいたい……エリーのことや数学のことだったから」
「そうなのね。でもだからルビーノが不安になることはないわ! 素敵な仮面を用意しているの!」
「そ、そうなんだ……」
結局、僕がいろいろ考えて迷って、考えあぐねて結論を出してもエリーが瞬殺してしまう。いや僕としてはエリーの隣にいられるのは嬉しいのだけれど、これでいいのかな?
***
馬車を降りるとエリーはシャキッと背筋を伸ばして、淑女らしい笑顔を貼り付ける。その姿も凜々しくてとても綺麗だ。好き。
「エリザベート会長、おはようございます」
「リンドホルム副会長、おはよう」
エリーは笑顔を浮かべたまま挨拶して、僕の腕に引っ付いて歩き出した。
金髪で緋色の瞳の青年、ディークフリート・リンドホルム副会長は侯爵家の次男だ。物腰の柔らかな言動と、笑顔で女子生徒は夢中らしい。そんな彼はその辺の令嬢ではなく、エリーに猛アプローチをかけている。
僕に挨拶しないのはいつものことだ。一応僕も生徒会会計なのだけれど。まあいい。
毎日めげずに声かけに、さりげなくボディタッチしようと研鑽を積む姿は、嫉妬を通り越して驚嘆にあたる。僕もこのぐらい豪胆で心臓に毛が生えているほどのメンタルを持っていたら良かったのに。
僕が個人的に雇っている連中に、現在ディークフリート副会長の身辺調査を頼んでいる。その結果次第では僕が婚約者の座を降りても良いと思っている。
もっとも僕よりもエリーを幸せにしてくれる人なら!
誰よりもエリーのことを考えて、笑顔にして、突拍子もない思いつきに笑顔で付き合って、支えられる男! それと見た目も大事だ。
エリーに恥をかかせたくない。
僕は一生前髪をオールバックすることも、前髪を切ることもできないから、やっぱり僕は相応しくないと思う。
「エリザベート会長、今日のお昼ご飯なのだけれど」
「あら、ごめんなさい。今日は新しい新商品のテストで、ルビーノと一緒に食べる予定なの。商会も絡んだ新商品だから遠慮してくださる?」
え、初耳なのだけれど。そう思ったけれど、エリーの嘘を本当にするため、「そうだったね」と話に乗っかる。新商品……うん、次は何を作ったのだろう。
僕、何を食べさせられるんだろう。い、胃薬準備しておいたほうが良いかな?
「そ、そうなのですね。……とても残念です。でしたら、今度は二人っきりで食事に誘っても──」
「婚約者がいるのに何を考えているの?」
「婚約者がいる相手にそれはルール違反だろう」
「うっ……、あ、そうでした。ではまた!」
ディークフリート副会長は、笑顔を強張らせつつ引き下がった。うーん、爽やかな好青年だと思っていたけれど、貴族としてモラルに欠けた発言はマイナスだな。
連中の報告を待ってから判断するようにしたいけど、エリーを任せるには全然足りない。第一にエリーが嫌がることをするなんて論外だ。
「ふふっ、今日はルビーノが指摘してくれて嬉しかったわ」
「当たり前だろう。エリーは大切な婚約者だよ。ぞんざいに扱うのはもちろん、エリーの気持ちを無視するのは好きじゃない。せめて相談から交渉ならわかるけど」
「うん、うん。さすがルビーノ」
上機嫌なエリーを横目に口元が緩む。
嬉しくなってお昼が何になるのか聞きそびれた僕は、やっぱり抜けていると思う。
***
「エリー、鉄板を挟んでほどよい熱量で作って見たけれど、パニーニっていうんだっけ?」
「そうなの! この表面がカリッと焼けた感じが美味しいって、市民の間で評判なのよ。食べ歩きもできるんですって」
「……で、王侯貴族でも手軽に食べられるようにって……作ったんだね」
「うん! 今回は鉄板の形や大きさにも拘ってみたわ。ハートとか、星とか! これならカップルで作りながら食べられるでしょう!」
「なるほど。カップルで共同作業的な感じで作って食べるのか。面白い」
「でしょう。私がサンドイッチを作るから、ルビーノが鉄板で焼く。二人で一緒に食べる。完璧だわ」
これならお茶会にも汎用できるのでは?
相変わらず画期的な発明をする。エリーの発明の八割は実用化して商会経由で販売。その私財は国のために寄付しているとか。
まあ、二割は失敗で大変な目に遭うのだけれど。
今日は平和的な商品だったと、胸をなで下ろす。
「バジルの爽やかな香りがいいわね。モッツァレラチーズもとろとろだし、ベーコンとトマトも美味しい!」
「僕はソーセージと、レタスとちょっとピリ辛の味が好きかも」
作り会いながらエリーと話す時間が好きだ。
今回の昼食はガゼボを貸し切っている。少し離れたところに護衛騎士が待機しているので、さすがにディークフリート副会長も乗り込んでは来なかった。
それで安堵していたら、昼休み終わる直前にディークフリート副会長から「放課後、生徒会室に来て欲しい」と呼び出しをされてしまう。
エリーに呼び出されるのなら喜んでなんだけど、正直良い話じゃないようなぁ。その勘は外れてくれて良いのに、見事に命中した。
***
「生徒会の予算を使い込んだことは分かっている。今なら誰にも言わないから、エリザベート会長との婚約を破棄して欲しい」
放課後の生徒会室に向かうと、ディークフリート副会長はすでに部屋にいた。
前口上なしで言われた言葉に、正直溜息が漏れた。せめてそう言ってくる人物が誠実で、エリーを幸せにしてくれるのなら吝かでもなかったのだけれど、ディークフリート副会長はダメだ。
「え、嫌ですけど」
「そうか婚約破棄してくれる──え?」
「僕は不正もしてなければ予算の使い込みもしてません。それに証拠という領収書は単に生徒会とあるだけで、こんなので予算が下りるわけがないでしょう。そもそも自分たちで立て替えて学校側に申請するのですから、買った物がドレスに宝石って普通に通るわけないじゃないですか」
淡々と答えると、思いのほかディークフリートが狼狽していた。僕は影が薄いし、エリーに対してヘタレで、根暗っぽいけれど不正をなあなあにすることはしない。
「い、今まではそれで通していただろう!?」
「いえ。受け取って侯爵家支払いに封書で送っているよ。ご当主が確認しているはずだけど」
「なっ!?」
たびたび申請して欲しいと押し付けられたけれど、完全に私物だった場合は侯爵家に生徒会の決済申請がおりませんでした、と手紙と領収書を送っている。
今まで何も言われなかったのは両親が肩代わりしていたのかもしれないが、今回は額が違う。一体誰のために?
エリーに贈物? いやいや不正利用した金で買ったプレゼントなんて絶対に嬉しくないだろう。まあ、大方調べて貰った通りなんだろうな。
「今学期に入ってから急にエリー……エリザベート様にアプローチし始めたのは、帝国の婚約者からの指示ですか? 言っておくとエリザベート様と皇帝は僕と同じ幼馴染であって、特別な関係ではないよ。君の婚約者が姉のために色々動いたようだけれど、全部空回りしているから、ここらで手を引かないと首と胴体がお別れすることになると伝えておいて」
「!?」
なんてことはない、全てはディークフリート副会長の婚約者が原因だった。彼女の姉が皇帝に懸想しているとかで、それを知った彼の婚約者が暴走。
エリーがふしだらな女だという証拠が欲しいとかで、彼女にゾッコンだったディークフリートは二つ返事をしたとか。あの領収書も彼女への貢物だと聞いた。
手紙のやり取りで、エリーとイザーク皇帝が親密な仲だと邪推して暴走した結果、下手すれば両国の関係に亀裂が入るところだった──たぶん。
とりあえず諸々の処理は終わったけれど、終わってみてもっとスマートなやり方や最適解があったのではないかと、悶々と考えてしまう。
やっぱりエリーの隣にいて、支える男はどっしりと構えていて、有能じゃないとダメだと実感する。じゃないと女王となるエリーに負担をかけてしまう。
そんなのは嫌だ。
僕がもっと努力して、どうにかできればよかったのに。いやでも前髪は……うう。
***
放課後、図書館に寄ろうと廊下を歩いていると、エリーが立っていた。
「エリー」
「帰りましょう」
「いや、でも………………はい」
笑顔のエリーが悲しそうになった瞬間、あっさり折れる。自他共に認めるヘタレだ。エリーは僕の腕にそっと寄り添う形で歩く。
むせ返りそうなオレンジ色の夕焼けが、闇色に飲まれていく瞬間を見て、自分でも訳が分からないほど胸がグッと苦しくなった。それと同時に、声が漏れる。
「エリーは、……女王として国を導いていく立場だろう。僕なんかが傍にいても、いいの……かな?」
ポツリと呟いた本音。
言ってしまった、言った以上、もう婚約者でいられないかもしれない──。
「え? 私が女王になるのは期間限定よ?」
「へ?」
間抜けな声が出た。
「お父様とお母様が次の世界樹祭に出たいってごねて……、それで妥協案として私が数年だけ、弟のロイスが成人になるまで仕事を引き受けるようにしたのよ。もちろん、宰相や大臣たちも協力してくれるって……聞いてない?」
「……聞いてない」
聞いてないのだけれど!?
ええ、じゃあ。王女になるのは期間限定ってこと?
「期間限定だったとしても、そうじゃなかったとしても、私の隣はルビーノしかいないのだけれど? ずっと私の傍に一緒にいて、私を笑顔にして、支えて、愛してくれているのってルビーノだけよ」
そう微笑むエリーの言葉に、笑顔に胸が苦しくて、でもさっきまでの苦しいのとは違う。心音が速まる。嬉しい、エリー、僕はやっぱりエリーが凄く好き。
ああ、うん。これは参った。
今日も婚約破棄を口にすることは、できなそうだ。
***エリーザベトの視点***
私の婚約者はいつも自分に自信がない「ヘタレ」だと思っている。
いつも優しくて、温かくて、機転も利くし、空気も読める。私のことをいつも見てくれていて、気遣いもできる──私には勿体ないくらいの人なのに、ここ最近、というか毎日、婚約破棄することを考えているらしい!
これは腐れ縁であるイザークからの手紙で発覚した。こじらせが一周回ってアイツらしいと笑っていたが、笑い事じゃない!
どうしてそんな思考になったのか全く分からないので、イザークに探って貰った。皇帝の仕事で忙しいのにごめんね。
でもこの間、激辛カレー用の香辛料詰め合わせを贈ったので、それで許して欲しい。
幼い頃、王侯貴族恒例の狩祭に来賓として参加していた私とルビーノの前に魔物が出現し、ルビーノは私を庇って負傷してしまった。腕と額。その時に庇ったことで私の婚約者になったと思い込んでいるという。
あれはキッカケであって、私は義務や責任とかじゃなくて、ルビーノ自身を好きになった。だから私から告白して、婚約者になったのだ。
うう、それが欠片も伝わってなかったなんて……。
ルビーノ以外好きじゃないのに。
嬉しい情報としては私が嫌いになったからじゃないこと!
私に釣り合う人は超有能な人間で有るべきだって、思っているらしい。
目の前に居るのだけれど。
ルビーノに鏡を見せればいいのかしら?
ううん、それだけじゃダメだわ! ルビーノにちゃんと、私は貴方がとびきり大好きだって分かって貰えるようにしないと!
だから今日もルビーノの婚約破棄する理由を一つずつ潰していくのだ。
そう思い、僕は婚約者のいる馬車に乗り込む。
いつもと変わらない学院までの道のり。一緒の馬車に乗って、今日のスケジュールを話し合う。時々近況を話す。
その時の彼女は完璧超人とはほど遠く、普通の女の子だ。ミルクティーのような艶やかな長い髪、蜂蜜みたいな瞳、普段は凜として美しいけれど、僕の前だととっても可愛らしく笑う。普段からそのままで良いのに……。
お互いの立場のせいで、君はいつも笑顔の武装する。ああ、もうすぐ学院に着いてしまう。その前に、今日こそ関係を終わらせるべきだ。
それが彼女、次期女王となるエリザベート・アルムグレーンのため。細目で、猫背で、前髪を隠して影の薄い公爵家三男よりも……もっと堂々と隣を歩く人のほうが良いはずだ。
それに急がないと、来月には帝国から使節団が来る。
その対応はエリーと僕が担う。正装も、背筋を伸ばすこともできるけれど、前髪を切るかオールバックにするのは無理だ。顔を見せたらそれこそ使節団が卒倒して、国際問題になる。
この額の傷はエリーにとってもトラウマで、僕がエリーと婚約するキッカケになった忌まわしき痕だ。あの事件がなければ、僕とエリーは婚約者にはならなかった。そう僕がエリーの婚約者に居座っているのが場違いだと思うほど、僕とエリーは釣り合っていない。
パッとしない僕よりも、エリーを幸せにしてくれる人のほうがきっと……。本音を言うと別れたくない。エリーとずっと一緒に居たい……けど、エリーの幸せを考えたら──。
「エリー。あのさ……」
「どうしたの、ルビーノ? 最近やけに口数が少ないじゃない。あ、もしかして新しい問題集を見つけて徹夜したとか?」
「そうなんだよ! 数学で一番面白いものは『存在問題』、つまりは解があるかないか。解があれば時間があれば絶対に解き明かせるというところなんだ。何を当たり前に──みたいに思うかもしれないけれど、そこが面白いところで僕はその中でも『数学上の未解決問題』が気になってしまって──って、そうじゃない!」
「そうなの? 私、ルビーノの話好きよ。それにこの間も経済部計算式大会で優勝していたし、お父様も財務課の臨時要員としてルビーノがいて助かって言っていたわ」
隣に座っているエリーは目をキラキラさせて僕を見る。僕はこの無自覚上目遣いが堪らなく好きだ。可愛い。控えめに言っても超絶可愛い。え、これが僕の婚約者? ヒャッフーー!
「エリーが可愛すぎる……」
「あら、可愛いだけ?」
「大好きです……」
「ふふっ、私も大好きよ」
エリーは嬉しそうに僕の肩に寄り添う。なんて甘い幸福な時間なのだろう──なんか、このまま婚約者でもいいんじゃ?
「(いやいやいや! 帝国の使節団の件は、そう簡単に解決しないだろう!)え、エリー! 一ヵ月後の帝国の使節団に関してなんだけれど……(よし! 滑り出しは良い感じだ!)」
「ああ、ルビーノが心配していた件ね! もちろん覚えているわ。皇帝陛下に使節団が来られる際に、夫となる婚約者はある事情で仮面を付けての応対になると根回し済みよ。もしそれで使節団が何か言ってきたら、皇帝陛下の統率と連携がとられていないと受け取るとも返しておいたわ」
「ええええええええ!? こ、こ、皇帝にそんなこと言って大丈夫なの?」
エリーは昔から誰もが驚くような発想を閃く。昔は幼馴染のイザークと一緒に巻き込まれていたっけ。あー、アイツ、遠方に引っ越してから色々大変だって言っていたけど元気かな……。
今後の休みに手紙でも──。
「あら、皇帝が私たちの幼馴染のイザークだって話してなかったっけ?」
「!??」
「ルビーノと文通しているって聞いたけど?」
「話してない……え、聞いてないけど……? 訳有りで侯爵家の養子になって、魔法学院入学前に遠方に引っ越すって……手紙はだいたい……エリーのことや数学のことだったから」
「そうなのね。でもだからルビーノが不安になることはないわ! 素敵な仮面を用意しているの!」
「そ、そうなんだ……」
結局、僕がいろいろ考えて迷って、考えあぐねて結論を出してもエリーが瞬殺してしまう。いや僕としてはエリーの隣にいられるのは嬉しいのだけれど、これでいいのかな?
***
馬車を降りるとエリーはシャキッと背筋を伸ばして、淑女らしい笑顔を貼り付ける。その姿も凜々しくてとても綺麗だ。好き。
「エリザベート会長、おはようございます」
「リンドホルム副会長、おはよう」
エリーは笑顔を浮かべたまま挨拶して、僕の腕に引っ付いて歩き出した。
金髪で緋色の瞳の青年、ディークフリート・リンドホルム副会長は侯爵家の次男だ。物腰の柔らかな言動と、笑顔で女子生徒は夢中らしい。そんな彼はその辺の令嬢ではなく、エリーに猛アプローチをかけている。
僕に挨拶しないのはいつものことだ。一応僕も生徒会会計なのだけれど。まあいい。
毎日めげずに声かけに、さりげなくボディタッチしようと研鑽を積む姿は、嫉妬を通り越して驚嘆にあたる。僕もこのぐらい豪胆で心臓に毛が生えているほどのメンタルを持っていたら良かったのに。
僕が個人的に雇っている連中に、現在ディークフリート副会長の身辺調査を頼んでいる。その結果次第では僕が婚約者の座を降りても良いと思っている。
もっとも僕よりもエリーを幸せにしてくれる人なら!
誰よりもエリーのことを考えて、笑顔にして、突拍子もない思いつきに笑顔で付き合って、支えられる男! それと見た目も大事だ。
エリーに恥をかかせたくない。
僕は一生前髪をオールバックすることも、前髪を切ることもできないから、やっぱり僕は相応しくないと思う。
「エリザベート会長、今日のお昼ご飯なのだけれど」
「あら、ごめんなさい。今日は新しい新商品のテストで、ルビーノと一緒に食べる予定なの。商会も絡んだ新商品だから遠慮してくださる?」
え、初耳なのだけれど。そう思ったけれど、エリーの嘘を本当にするため、「そうだったね」と話に乗っかる。新商品……うん、次は何を作ったのだろう。
僕、何を食べさせられるんだろう。い、胃薬準備しておいたほうが良いかな?
「そ、そうなのですね。……とても残念です。でしたら、今度は二人っきりで食事に誘っても──」
「婚約者がいるのに何を考えているの?」
「婚約者がいる相手にそれはルール違反だろう」
「うっ……、あ、そうでした。ではまた!」
ディークフリート副会長は、笑顔を強張らせつつ引き下がった。うーん、爽やかな好青年だと思っていたけれど、貴族としてモラルに欠けた発言はマイナスだな。
連中の報告を待ってから判断するようにしたいけど、エリーを任せるには全然足りない。第一にエリーが嫌がることをするなんて論外だ。
「ふふっ、今日はルビーノが指摘してくれて嬉しかったわ」
「当たり前だろう。エリーは大切な婚約者だよ。ぞんざいに扱うのはもちろん、エリーの気持ちを無視するのは好きじゃない。せめて相談から交渉ならわかるけど」
「うん、うん。さすがルビーノ」
上機嫌なエリーを横目に口元が緩む。
嬉しくなってお昼が何になるのか聞きそびれた僕は、やっぱり抜けていると思う。
***
「エリー、鉄板を挟んでほどよい熱量で作って見たけれど、パニーニっていうんだっけ?」
「そうなの! この表面がカリッと焼けた感じが美味しいって、市民の間で評判なのよ。食べ歩きもできるんですって」
「……で、王侯貴族でも手軽に食べられるようにって……作ったんだね」
「うん! 今回は鉄板の形や大きさにも拘ってみたわ。ハートとか、星とか! これならカップルで作りながら食べられるでしょう!」
「なるほど。カップルで共同作業的な感じで作って食べるのか。面白い」
「でしょう。私がサンドイッチを作るから、ルビーノが鉄板で焼く。二人で一緒に食べる。完璧だわ」
これならお茶会にも汎用できるのでは?
相変わらず画期的な発明をする。エリーの発明の八割は実用化して商会経由で販売。その私財は国のために寄付しているとか。
まあ、二割は失敗で大変な目に遭うのだけれど。
今日は平和的な商品だったと、胸をなで下ろす。
「バジルの爽やかな香りがいいわね。モッツァレラチーズもとろとろだし、ベーコンとトマトも美味しい!」
「僕はソーセージと、レタスとちょっとピリ辛の味が好きかも」
作り会いながらエリーと話す時間が好きだ。
今回の昼食はガゼボを貸し切っている。少し離れたところに護衛騎士が待機しているので、さすがにディークフリート副会長も乗り込んでは来なかった。
それで安堵していたら、昼休み終わる直前にディークフリート副会長から「放課後、生徒会室に来て欲しい」と呼び出しをされてしまう。
エリーに呼び出されるのなら喜んでなんだけど、正直良い話じゃないようなぁ。その勘は外れてくれて良いのに、見事に命中した。
***
「生徒会の予算を使い込んだことは分かっている。今なら誰にも言わないから、エリザベート会長との婚約を破棄して欲しい」
放課後の生徒会室に向かうと、ディークフリート副会長はすでに部屋にいた。
前口上なしで言われた言葉に、正直溜息が漏れた。せめてそう言ってくる人物が誠実で、エリーを幸せにしてくれるのなら吝かでもなかったのだけれど、ディークフリート副会長はダメだ。
「え、嫌ですけど」
「そうか婚約破棄してくれる──え?」
「僕は不正もしてなければ予算の使い込みもしてません。それに証拠という領収書は単に生徒会とあるだけで、こんなので予算が下りるわけがないでしょう。そもそも自分たちで立て替えて学校側に申請するのですから、買った物がドレスに宝石って普通に通るわけないじゃないですか」
淡々と答えると、思いのほかディークフリートが狼狽していた。僕は影が薄いし、エリーに対してヘタレで、根暗っぽいけれど不正をなあなあにすることはしない。
「い、今まではそれで通していただろう!?」
「いえ。受け取って侯爵家支払いに封書で送っているよ。ご当主が確認しているはずだけど」
「なっ!?」
たびたび申請して欲しいと押し付けられたけれど、完全に私物だった場合は侯爵家に生徒会の決済申請がおりませんでした、と手紙と領収書を送っている。
今まで何も言われなかったのは両親が肩代わりしていたのかもしれないが、今回は額が違う。一体誰のために?
エリーに贈物? いやいや不正利用した金で買ったプレゼントなんて絶対に嬉しくないだろう。まあ、大方調べて貰った通りなんだろうな。
「今学期に入ってから急にエリー……エリザベート様にアプローチし始めたのは、帝国の婚約者からの指示ですか? 言っておくとエリザベート様と皇帝は僕と同じ幼馴染であって、特別な関係ではないよ。君の婚約者が姉のために色々動いたようだけれど、全部空回りしているから、ここらで手を引かないと首と胴体がお別れすることになると伝えておいて」
「!?」
なんてことはない、全てはディークフリート副会長の婚約者が原因だった。彼女の姉が皇帝に懸想しているとかで、それを知った彼の婚約者が暴走。
エリーがふしだらな女だという証拠が欲しいとかで、彼女にゾッコンだったディークフリートは二つ返事をしたとか。あの領収書も彼女への貢物だと聞いた。
手紙のやり取りで、エリーとイザーク皇帝が親密な仲だと邪推して暴走した結果、下手すれば両国の関係に亀裂が入るところだった──たぶん。
とりあえず諸々の処理は終わったけれど、終わってみてもっとスマートなやり方や最適解があったのではないかと、悶々と考えてしまう。
やっぱりエリーの隣にいて、支える男はどっしりと構えていて、有能じゃないとダメだと実感する。じゃないと女王となるエリーに負担をかけてしまう。
そんなのは嫌だ。
僕がもっと努力して、どうにかできればよかったのに。いやでも前髪は……うう。
***
放課後、図書館に寄ろうと廊下を歩いていると、エリーが立っていた。
「エリー」
「帰りましょう」
「いや、でも………………はい」
笑顔のエリーが悲しそうになった瞬間、あっさり折れる。自他共に認めるヘタレだ。エリーは僕の腕にそっと寄り添う形で歩く。
むせ返りそうなオレンジ色の夕焼けが、闇色に飲まれていく瞬間を見て、自分でも訳が分からないほど胸がグッと苦しくなった。それと同時に、声が漏れる。
「エリーは、……女王として国を導いていく立場だろう。僕なんかが傍にいても、いいの……かな?」
ポツリと呟いた本音。
言ってしまった、言った以上、もう婚約者でいられないかもしれない──。
「え? 私が女王になるのは期間限定よ?」
「へ?」
間抜けな声が出た。
「お父様とお母様が次の世界樹祭に出たいってごねて……、それで妥協案として私が数年だけ、弟のロイスが成人になるまで仕事を引き受けるようにしたのよ。もちろん、宰相や大臣たちも協力してくれるって……聞いてない?」
「……聞いてない」
聞いてないのだけれど!?
ええ、じゃあ。王女になるのは期間限定ってこと?
「期間限定だったとしても、そうじゃなかったとしても、私の隣はルビーノしかいないのだけれど? ずっと私の傍に一緒にいて、私を笑顔にして、支えて、愛してくれているのってルビーノだけよ」
そう微笑むエリーの言葉に、笑顔に胸が苦しくて、でもさっきまでの苦しいのとは違う。心音が速まる。嬉しい、エリー、僕はやっぱりエリーが凄く好き。
ああ、うん。これは参った。
今日も婚約破棄を口にすることは、できなそうだ。
***エリーザベトの視点***
私の婚約者はいつも自分に自信がない「ヘタレ」だと思っている。
いつも優しくて、温かくて、機転も利くし、空気も読める。私のことをいつも見てくれていて、気遣いもできる──私には勿体ないくらいの人なのに、ここ最近、というか毎日、婚約破棄することを考えているらしい!
これは腐れ縁であるイザークからの手紙で発覚した。こじらせが一周回ってアイツらしいと笑っていたが、笑い事じゃない!
どうしてそんな思考になったのか全く分からないので、イザークに探って貰った。皇帝の仕事で忙しいのにごめんね。
でもこの間、激辛カレー用の香辛料詰め合わせを贈ったので、それで許して欲しい。
幼い頃、王侯貴族恒例の狩祭に来賓として参加していた私とルビーノの前に魔物が出現し、ルビーノは私を庇って負傷してしまった。腕と額。その時に庇ったことで私の婚約者になったと思い込んでいるという。
あれはキッカケであって、私は義務や責任とかじゃなくて、ルビーノ自身を好きになった。だから私から告白して、婚約者になったのだ。
うう、それが欠片も伝わってなかったなんて……。
ルビーノ以外好きじゃないのに。
嬉しい情報としては私が嫌いになったからじゃないこと!
私に釣り合う人は超有能な人間で有るべきだって、思っているらしい。
目の前に居るのだけれど。
ルビーノに鏡を見せればいいのかしら?
ううん、それだけじゃダメだわ! ルビーノにちゃんと、私は貴方がとびきり大好きだって分かって貰えるようにしないと!
だから今日もルビーノの婚約破棄する理由を一つずつ潰していくのだ。