「おはよう」

 翌朝、1年1組の教室に入ると明らかにいつもと違う。
 みんなが僕が来るのを待ってたかのように、目を輝かせて挨拶を返してくる。

「海斗くん、おはよう!」
「おはよ~! 昨日クロックロック見たよ! 北条先輩と仲良いの?」
「動画めっちゃバズってたじゃん!」

 いつもはちょうどいい距離感だったはずのクラスメイトが、ぐいぐいと近づいてくる。
 決して悪意ではない。だけど、急に距離を詰められているようで違和感を覚える。

「あ、ああ。その、なんか成り行き? で一緒に動画撮って……」

 色々聞きたそうにしているクラスメイトをなだめながら、自分の席に向かう。
 蓮もすでに僕の前の席に座っていた。そこは本来、田所くんの席だろ。
 こいつだけは変わらない。いつもと同じ笑顔だった。
 
「海斗、おは!」
「おはよう」

 僕が席に座るって蓮と向かい合うと、他のクラスメイトは渋々といった様子で自分の席に戻っていく。

「オレも動画見たぜ。昼休みいないと思ったら、北条先輩と動画撮ってたんだなー」
「う、うん。ちょっとした成り行きでさ」

 成り行きなのは間違いないし、嘘はついていない。だけど、お金をもらって一緒に撮ってるとはやっぱり言えない。

「もうめちゃくちゃ羨ましいってか、海斗も有名人じゃん」
「なわけない。先輩の動画にちょろっと出ただけで……」
「昨日も思ったけど、海斗マジでわかってなくね?」

 蓮が少し呆れたように話す。

「北条先輩ってマジですごい人だよ。インスタもクロックロックもフォロワーは60万人超えてる。昨日投稿した動画なんてすでに45万再生。なんでこんな田舎の高校に通っているのかもわかんないレベル」
「数がすごすぎて、逆に現実味がない」
「海斗、SNSなにもしてないからわかんないんだよ。北条先輩、そこらへんの芸能人より全然フォロワー多いんだぞ」
「そうなんだ……」

 蓮は僕なんかよりよっぽど北条先輩のことを知っていて、その口調からも先輩を尊敬し、憧れているのがわかる。僕だって昨日、先輩についてちょっとは調べてみたりしたんだけど、蓮に比べたら全然だ。
 先輩がしているインスタは写真や動画を投稿するSNSで、クロックロックはショート動画っていう短めの動画を投稿するのに特化したものらしい。北条先輩は主にこの2つのサービスをメインに活動しているインフルエンサーだとも書いてあった。

「なぁなぁ、また機会あったらオレのことも北条先輩に紹介してちょ」

 他のクラスメイトなら「無理だよ」って即答した。だけど蓮は入学初日からこんな僕にも話しかけてくれるし……なんていうか悪い奴ではないと知っている。蓮が北条先輩に憧れているのも知っていたから、無碍にはできないと思ってしまった。
  
「――どうなんだろ。できるかはわかんないけど、聞いてはみる」
「マジ!? 嬉し~! オレらズッ友だよね!」
「高校卒業したら終わりの友達だよ」
「どんだけ冷たいのこの子は!!」

 蓮の騒がしさに周りにいる生徒達も笑った。
 しつこく詮索されるかと心配したけれど、今のところは大丈夫そうだ。そこで気づいた。本当は先輩と一緒に撮った動画はバイトで、先輩からお金をもらっていること――それがどうにも後ろめたく、人に言ってはいけない、バレてはいけないのだと自分が感じていることに。
 スマホを見ると先輩からメッセージが入っている。その奥に、待ち受けにしているポピーの写真が見えている。

 [今日の昼、中庭集合な]
 [OKです]

 返事をしてスマホの電源を落とす。
 僕は昼食を食べないから昼休みには時間がたっぷりある。
 いつの間にか、田所くんがもう教室に来ていた。恨めしそうな顔で蓮を見つめている。
 僕は蓮を追い払って、田所くんに「ごめんね」と伝えた。


 昼休み、僕はすぐに中庭に向かう。
 その途中で、いくつかの生徒に見られているのに気づいた。
 中にはあからさまに指を差している生徒もいて、不快な気分になる。
 たったひとつの動画に出るだけでこんなことになるんだ。インフルエンサーという立場から見たこの学校というものは、どんな世界なんだろう。
 中庭のベンチに座って先輩を待つ。先輩は五分程してからやってきた。

「わり、待たせた?」
「いえ、大丈夫です」

 先輩の後ろにはいくつか生徒たちがついてきていて、遠巻きに僕たちを見ている。
 僕がそっちをじろりと見ると「きゃー!」という高い声をあげた。

「昨日の動画ちゃんとバズったな。ほら、お前のファンもしっかりできてる。嬉しいか?」
「嬉しくないですね」
「白雪ってほんと淡泊というかなんというか……ま、いいや。とりあえず飯食おうぜ」
「……僕、昼ごはん食べないんです」

 中学と違って高校の昼食は面倒だ。弁当だったり学食だったり購買だったり様々だけど、そのどれも金がかかる。家の懐具合で食事を抜いたりしている僕からすると、一度食事を食べるとややこしくなることが目に見えていた。毎日購買に行っているやつが行かなかったらおかしい。お金がないときに食べなければきっと体調も心配される。学食なんてとんでもない無駄遣い。弁当も中身から自分の家の状況を知られるのが鬱陶しい。だから最初から決めていた。高校では、一切昼食を食べない、と。

「そんなの腹減るだろ。お前、だからそんな細いんじゃねーの?」
「ずっとこの体型です。夜しっかり食べてるので問題ありません」

 本当の理由なんて言うのはみっともない。貧乏はバカにされるなんてことは充分に知っている。それに、北条先輩にこの理由を言っても理解できないだろう。
  
「ふーん。それなら、まぁいいけど」
「先に食べてきてもいいですよ。待ってますから」
「いや、いい。それよりだな……」

 先輩は僕の横に座ると、これからの動画撮影について話し始めた。初回の動画もバズったし、定期的に僕との動画を出したいらしい。昨日撮ったダンス動画みたいなものや、日常的な食事や遊びのものも撮りたいそうだ。とにかく、僕と北条先輩が「仲良し」であることをアピールできる動画を発信していきたい、と。

「僕はバイトできるから嬉しいんですけど、それって僕じゃないとだめなんですか?」
「前にも言っただろ。俺との相性を考えてるって。俺みたいなタイプと少しでも被っているやつとコラボしたら、せっかくのフォロワーがそっちにも流れる可能性もある。向こうのフォロワーを取るぶんにはコラボしてもいいけど、今のところ身近に俺くらいフォロワーいるやつもいないからな。うまみがない」
「はぁ……色々と戦略? みたいなものあるんですね」
「当たり前だろ。その分お前はいい。俺とは正反対のイケメンだし、新規層が見込めそうだ。白雪でキャッチしてから、俺の沼に落とす」

 少し鼻歌混じりに、先輩は自分のフォロワーをチェックしている。北条先輩ってなんでこんなにフォロワーを増やしたいんだろう。色々な人とコラボした方がいいんじゃないか? と思ったところで、蓮の存在を思い出す。

「あ、そういえば僕の友達も先輩と動画を撮りたいって言ってました。あの、バイトとかじゃなくて。紹介してほしいって」

 先輩はスマホから目を離さずに「それは無理」と即答する。

「そういうやつって多いんだけど、俺の存在って〝Jun〟ってブランドみたいなものなんだよ。誰でもかれでもコラボしたら、俺の価値を下げる。うまいこと断っといて」
「は、はい」

 ダメ元だったけど、やっぱりダメだったか。蓮には悪いけど、仕方ないよな。

 それから先輩といくつか撮る動画の案を日程を決めて、昼休みを使った話し合いは終わった。

「それじゃ、そんな感じで」
「はい。よろしくお願いします」
「おー、それとこれ」

 先輩はブレザーのポケットから個包装のお菓子を出した。
 クッキーやら飴やらチョコやらが雑多に握られている。

「これやる。少しぐらい食わないと倒れるぞ」
「え、でもそんな、悪いですよ」
「俺ぐらいになるとそこらへん歩くだけで勝手にお菓子渡されるんだよ。全部食ってたら太るからやる」
「は、はぁ……」
「お前は、もうちょっと太った方がいいぐらいだもん」

 そう言うと、先輩は校舎に戻っていった。
 校舎に戻る途中に、こちらを見ていた生徒に手を振ってサービスもしている。
 インフルエンサーとしての先輩、外面のいい先輩、計算高い先輩、なんだかお兄ちゃんみたいな先輩。
 やっぱり僕はまだ、この人のことを全然知らない。