池垣南高校の中庭は広い。今は咲いていないけど桜の木も植えられているし、花壇もある。その周辺に点々とベンチやテーブルが置かれていて、ちょっとした休憩スペースになっている。
今日はちょうど過ごしやすい気温で、外で昼食を食べている生徒もいた。
僕と北条先輩は空いているベンチに横並びに座る。
「で、さっそくだけど」
北条先輩は体を前に向けたまま、視線だけを僕の方に向ける。
「動画のバイトしてくれる気になったの?」
「はい。だけど、条件があります」
「……なんだ?」
「今日バイトできますか? ちょっと急ぎでお金が必要なんです」
こんなことを言うのは、正直恥ずかしかった。動画撮影だって本当は恥ずかしいし、嫌だ。
だけどポピーのことを考えると、自分が惨めになる方がマシだった。
「だいぶ急じゃね? まぁ、そんなこともあるか。ちょっと動画のネタ探すから待ってろ」
「はい」
先輩は慣れた手つきで、真剣にスマホを触っている。そして「これするぞ」と僕に画面を見せてくれた。
見れば自分たちと同い年くらいの男子高校生のふたりが、軽快な音楽に合わせてダンスをしていた。
ダンスと言っても動画に映っているのは上半身のみで、振り付けも簡単に見えた。
これなら僕にもなんとかできる……?
不安そうに画面を見る僕に、先輩は「大丈夫。俺が教えるから」と言う。なぜか自信たっぷりに言う先輩は頼もしくて、少しだけ安堵する。
「……よろしくお願いします」
頭を下げると、先輩はぽんっと僕の頭に手を置いた。
「よし、それじゃ今から練習して撮るぞ」
「い、今からですか!?」
「ああ、こんなの30分もあれば撮れるだろ。それにお前、金急いでるんでしょ?」
「は、はい。早いほどありがたいです」
ポピーを早く動物病院に連れていきたい。先輩が乗り気なら、頑張らなきゃ。
「それじゃ、よろしくね白雪くん」
「さっきも言ってましたけど、僕の名前は白雪じゃないですよ」
「ごめんごめん、白雪くん」
この人、名前覚えるつもりないな。だけど今の立場は圧倒的に僕が下だ。雇用主に文句も言うわけにもいかず、僕は先輩のダンスのレクチャーを黙々と受けた。
ダンスの練習は見ているよりもずっと難しく、結局昼休みの大半を練習と撮影に使うことになったのだった。
「これいい感じだ」
先輩が僕に画面を見せてくれる。知らない英語の曲に合わせて僕らは銃を構えるようなポーズをしたり、ピースしたりする。先輩は表情や動きからも余裕なのが見てとれる。一方僕はというと必死なのが嫌でも伝わってくる……一番よく撮れたものでも動作がもたつているのがよくわかった。
「……本当にこんなので大丈夫なんですか?」
見てるだけで胃がきゅっとしてきたけど、先輩は鼻歌混じりにスマホをいじっている。
「白雪の可愛さがめっちゃ出てる。お前、インスタでも評判だったけど俺と真逆のタイプだから絶対相性いいと思ったんだよな」
「可愛いってなに言ってるんですか」
「……お前、自覚ないの?」
「少なくとも先輩みたいな高身長イケメンじゃないです」
「身長、165cmくらいか? でもそんなの関係ないだろ。くりくりした二重の目に、柔らかそうな髪の毛、色白で線も細いし、ビジュいいんだって」
出た。またこの言葉だ。
「北条先輩、さっきクラスメイトも言ってたんですけど、〝ビジュいい〟ってなんですか?」
「は? お前さ、やっぱ珍しいやつだな。見た目がいいとか、イケメンって意味。ていうか人並み以上じゃないと一緒に撮影しないし」
先輩は僕の方に体を向けて、呆れたように話した。僕がイケメン? 同じアパートのおばあちゃんはよく言ってくれるけどさ。こんなにまっすぐに容姿を褒められることなんてまずないので小っ恥ずかしくなってしまう。でも、よくよく考えればメリットがないと高額なバイト料なんか払わないはず。そう考えると、この言葉も嘘じゃないのかもしれない。
「なに、照れてんの?」
先輩がニヤリと笑う。いたずらっ子のようなその笑みまで、かっこよくて、整っていて、悔しささえ覚える。
「照れてないです」
「照れてるくせに。お前素直じゃーのな。そういやさ、連絡先教えてよ。さすがにメッセージアプリは入れてるよな?」
「僕をなんだと思っているんですか。今どきメッセージアプリ入れてない高校生いないでしょ」
「クロックロックも知らないやつが言うな。まあ、アプリについては追々教えていくから」
僕は先輩とメッセージアプリのIDを交換する。高校の先輩とIDを交換するなんて初めてだ。
「それじゃ、これバイト料な。俺は昼飯食いたいし、もう行くわ」
先輩は僕の制服のポケットにお金をねじこむ。
「動画公開するときも、名前は白國じゃなくて白雪にするから。本名はまずいだろ。じゃーな」
「え、あ……はい。ありがとうございました」
先輩、僕の名字知ってたんだ。
去っていく先輩を見送ってから、ポケットに入ったお金を確かめる。
そこには2万円も入っていた。先輩、まさか渡し間違ってるんじゃ――。
メッセージアプリで連絡しようとスマホを見ると、すでに先輩からメッセージが届いていた。
[ちゃんと踊れたのとNGカットの2本投稿する。だから給料は2本分]
僕は[ありがとうございます]と返信する。
学校が終わるのは15時ごろ。これで、急いで帰ったらポピーを動物病院に連れていける……。
空を仰ぐようにベンチに背を預ける。こんなに濃い昼休みを過ごすのは初めてだ。
だけど、たった50分ぐらいのことで2万円なんて。大金がポケットに入っているのが、なんだか怖くさえ思えてくる。もうすぐチャイムが鳴るだろう。僕の複雑な気持ちなんて知らずに、秋の空はムカつくくらいに澄み渡っていた。
今日はちょうど過ごしやすい気温で、外で昼食を食べている生徒もいた。
僕と北条先輩は空いているベンチに横並びに座る。
「で、さっそくだけど」
北条先輩は体を前に向けたまま、視線だけを僕の方に向ける。
「動画のバイトしてくれる気になったの?」
「はい。だけど、条件があります」
「……なんだ?」
「今日バイトできますか? ちょっと急ぎでお金が必要なんです」
こんなことを言うのは、正直恥ずかしかった。動画撮影だって本当は恥ずかしいし、嫌だ。
だけどポピーのことを考えると、自分が惨めになる方がマシだった。
「だいぶ急じゃね? まぁ、そんなこともあるか。ちょっと動画のネタ探すから待ってろ」
「はい」
先輩は慣れた手つきで、真剣にスマホを触っている。そして「これするぞ」と僕に画面を見せてくれた。
見れば自分たちと同い年くらいの男子高校生のふたりが、軽快な音楽に合わせてダンスをしていた。
ダンスと言っても動画に映っているのは上半身のみで、振り付けも簡単に見えた。
これなら僕にもなんとかできる……?
不安そうに画面を見る僕に、先輩は「大丈夫。俺が教えるから」と言う。なぜか自信たっぷりに言う先輩は頼もしくて、少しだけ安堵する。
「……よろしくお願いします」
頭を下げると、先輩はぽんっと僕の頭に手を置いた。
「よし、それじゃ今から練習して撮るぞ」
「い、今からですか!?」
「ああ、こんなの30分もあれば撮れるだろ。それにお前、金急いでるんでしょ?」
「は、はい。早いほどありがたいです」
ポピーを早く動物病院に連れていきたい。先輩が乗り気なら、頑張らなきゃ。
「それじゃ、よろしくね白雪くん」
「さっきも言ってましたけど、僕の名前は白雪じゃないですよ」
「ごめんごめん、白雪くん」
この人、名前覚えるつもりないな。だけど今の立場は圧倒的に僕が下だ。雇用主に文句も言うわけにもいかず、僕は先輩のダンスのレクチャーを黙々と受けた。
ダンスの練習は見ているよりもずっと難しく、結局昼休みの大半を練習と撮影に使うことになったのだった。
「これいい感じだ」
先輩が僕に画面を見せてくれる。知らない英語の曲に合わせて僕らは銃を構えるようなポーズをしたり、ピースしたりする。先輩は表情や動きからも余裕なのが見てとれる。一方僕はというと必死なのが嫌でも伝わってくる……一番よく撮れたものでも動作がもたつているのがよくわかった。
「……本当にこんなので大丈夫なんですか?」
見てるだけで胃がきゅっとしてきたけど、先輩は鼻歌混じりにスマホをいじっている。
「白雪の可愛さがめっちゃ出てる。お前、インスタでも評判だったけど俺と真逆のタイプだから絶対相性いいと思ったんだよな」
「可愛いってなに言ってるんですか」
「……お前、自覚ないの?」
「少なくとも先輩みたいな高身長イケメンじゃないです」
「身長、165cmくらいか? でもそんなの関係ないだろ。くりくりした二重の目に、柔らかそうな髪の毛、色白で線も細いし、ビジュいいんだって」
出た。またこの言葉だ。
「北条先輩、さっきクラスメイトも言ってたんですけど、〝ビジュいい〟ってなんですか?」
「は? お前さ、やっぱ珍しいやつだな。見た目がいいとか、イケメンって意味。ていうか人並み以上じゃないと一緒に撮影しないし」
先輩は僕の方に体を向けて、呆れたように話した。僕がイケメン? 同じアパートのおばあちゃんはよく言ってくれるけどさ。こんなにまっすぐに容姿を褒められることなんてまずないので小っ恥ずかしくなってしまう。でも、よくよく考えればメリットがないと高額なバイト料なんか払わないはず。そう考えると、この言葉も嘘じゃないのかもしれない。
「なに、照れてんの?」
先輩がニヤリと笑う。いたずらっ子のようなその笑みまで、かっこよくて、整っていて、悔しささえ覚える。
「照れてないです」
「照れてるくせに。お前素直じゃーのな。そういやさ、連絡先教えてよ。さすがにメッセージアプリは入れてるよな?」
「僕をなんだと思っているんですか。今どきメッセージアプリ入れてない高校生いないでしょ」
「クロックロックも知らないやつが言うな。まあ、アプリについては追々教えていくから」
僕は先輩とメッセージアプリのIDを交換する。高校の先輩とIDを交換するなんて初めてだ。
「それじゃ、これバイト料な。俺は昼飯食いたいし、もう行くわ」
先輩は僕の制服のポケットにお金をねじこむ。
「動画公開するときも、名前は白國じゃなくて白雪にするから。本名はまずいだろ。じゃーな」
「え、あ……はい。ありがとうございました」
先輩、僕の名字知ってたんだ。
去っていく先輩を見送ってから、ポケットに入ったお金を確かめる。
そこには2万円も入っていた。先輩、まさか渡し間違ってるんじゃ――。
メッセージアプリで連絡しようとスマホを見ると、すでに先輩からメッセージが届いていた。
[ちゃんと踊れたのとNGカットの2本投稿する。だから給料は2本分]
僕は[ありがとうございます]と返信する。
学校が終わるのは15時ごろ。これで、急いで帰ったらポピーを動物病院に連れていける……。
空を仰ぐようにベンチに背を預ける。こんなに濃い昼休みを過ごすのは初めてだ。
だけど、たった50分ぐらいのことで2万円なんて。大金がポケットに入っているのが、なんだか怖くさえ思えてくる。もうすぐチャイムが鳴るだろう。僕の複雑な気持ちなんて知らずに、秋の空はムカつくくらいに澄み渡っていた。