牧宮たちとトラブルになってから一週間が経った。
 僕は高校から帰ってすぐにポピーのトイレの片付けをし、床に寝転ぶ。
 いつも忙しかったから、なんだか時間を持て余してしまう。

 今日、担任から聞いた話はこうだった。牧宮は二週間の停学。あの場にいた環貫達も一週間の停学処分。もっと処分を重くすることもできたんだけれど、あまりにも事を大きくしすぎたら牧宮たちが先輩の行動に対して強く言ってくる可能性もある。僕はあいつらの謝罪を受け入れる代わりに、先輩に対して処分を求めないという約束を取り付けることにした。先輩自身はそれに反対していたけど、ね。

 結果、先輩は僕を助けたという事実がほかの生徒の証言からも認められて、行き過ぎた部分はあれど厳重注意という処分で済んだ。
 インフルエンサーが停学になったら話題になるだろうし、変なネットニュースに書かれるかもと不安だったから、先輩からその報告を聞けたときには心底ほっとした。

 問題はりんご飴の方の白雪のバイトをしばらく休まなければいけないことだった。病院でもらった診断書には全治2週間と書かれていて、あれから一度も白雪には行けてない。これだけ大きなトラブルになったから、もちろん教師から母さんにも説明があった。母さんも「バイトはしばらく休みなさい」と言ったけど……。

「それじゃ、ポピーはどうすんだよ」

 僕の独り言に、ポピーが「んみゃ」と返事をする。僕はポピーの額を撫でながら、ため息を吐く。このままじゃ、ポピーの通院代や薬代の捻出ができない。というか生活費すら危うい。

 こうなったのは牧宮が原因だからアルバイトで稼げていたはずのお金を請求してもいいのだけど。請求してもお金が手に入るまでにはタイムラグがあるだろうな。生活費を切り詰めるしかないけど、今減らすとしたら自分の食事くらいか……。食事のことを考えたら、成長期の体は食事を求めてお腹を鳴らしてしまう。

 動画の方の、白雪のバイトは……。
 僕はインストールしたクロックロックのアプリを開く。北条先輩のアカウントに飛んで、トップに固定してある動画を開いた。
 先輩は、あの日見たリビングでソファーに座っている。そして、静かに画面の中で喋り始めた。

『いつも動画を見てくれる皆さん、ありがとうございます。Junです。今日は皆さんにお願いがあって動画を回しています。少し前から、仲がいい後輩の白雪と一緒に撮った動画を投稿しています。そのおかげで色々な人に俺や白雪のことを知ってもらって、応援してもらって、本当に嬉しいです。ただ、気を付けてほしいことがあります。最近、俺らを勝手に盗撮してインスタやクロックロックに投稿する人が増えてきました。俺はまだしも、白雪のプライベートに迷惑がかかる行動は絶対にやめてください。正直に話しますが、盗撮された写真が原因で大きなトラブルがありました。応援する気持ちがあるなら、マナーのない行動や、心ない発言は控えて下さい。お願いします。……Junでした』

 先輩はカメラに向かって一礼する。そこで動画は終わった。

 コメント欄はでは様々な意見が飛び交っている。今までの行動を謝る人もいれば「トラブルがあっても有名税だ」なんて動画を非難する人もいた。先輩をずっと応援しているファンの人は概ね肯定的にこの動画を見ていて、先輩や僕をねぎらうコメントも多い。

 先輩が動画で伝えてくれたおかげか『#白雪』で検索すると無断転載された動画や盗撮された写真はずいぶんと減っていた。まだ残っている投稿には、先輩や僕のファンを名乗るアカウントが代わりに注意してくれているものもあった。その事実に、心が軽くなる。

 僕はそのまま動画をスワイプする。
 先輩が踊っている動画、髪の毛をセットしている動画、冬に向けた服のコーディネートの動画。先輩はやっぱりどこまでもイケメンで、余裕があって、かっこいい。

 もう一度スワイプすると、僕と遊んでいるときの動画が表示された。
 あんまり意識して見たこともなかった、自分の笑顔が映っている。
 先輩と並んで歩くとき、眩しそうにしている僕の顔、それを嬉しそうに見ている先輩。
 塩キャラメルなんとか。先輩に選んでもらった服。
 つい最近のことなのに、ずいぶんと昔の出来事のようにも思えた。

「と、いけない。こんなの見てたらギガ消費しちゃうのに」

 それでも、なぜか先輩のアカウントを見てしまう。
 この前「好き」だなんて言われたからだろうか。
 それとも、次の「撮影のバイト」を待っているからだろうか。

 なんだか複雑な気持ちで画面を見つめていると、先輩からメッセージが届いた。
 まるで先輩の動画を見ていたのがバレたようなタイミングだったのでドキッとする。

 [白雪、今日時間ある? 時間あるなら話したいことがあるんだけど]
 [バイトもないので大丈夫です。どうしました?]
 [んー、会って話すわ。迎えに行くから、住所教えて]

 いや、あんな豪華なマンションに住んでいる人にこんなアパート見られたくないって!
 僕は[いいです! 僕が先輩の家に行きます!]とメッセージを打つ。
 急いで準備をして家を出て、自転車に飛び乗った。

 移動中に先輩からメッセージが来てたのはわかったけど、あえて開かなかった。
 先輩のマンションの前についてからメッセージを開く。
 
 [全治二週間だろ。大人しくしとけ]
 [迎えに行く]
 [おい]
 [読めよ]
 
 この人、ちょっと過保護なところがあるんだよな。言葉荒いんだけど。
 
 [もう着きました]
 
 そう送るとすぐに既読がついて、マンションのエントランスから先輩が歩いてくるのが見えた。

「迎えに行くつったのに」
「いやいや、申し訳ないんで」

 先輩の家に入る。一週間ぶりに入る先輩の家は、当たり前だけど変わっていなかった。
 先輩は前と同じようにココアを淹れてくれた。前と同じように、ふたり並んでソファーに座る。

「で、話ってなんでした?」
「ああ、俺のチャンネルの動画の話なんだけど――」

 先輩はちょっとだけ言いにくそう、続けた。
  
「――もう、やめるか?」

 もしかしたら、とうすうす勘付いていた。
 先輩は僕を大事に思ってくれている。
 それはもう、十分すぎるほどにわかっていたから。

「でも、僕が動画に出たら先輩のインフルエンサー活動の役に立つんですよね?」
「それはそうだ。だから頼んだし、実際うまくいった。いや、うまくいきすぎだ」
「だったら、まだ僕には利用価値が……」
「利用できる、できないの問題じゃない。動画のせいで俺じゃなくて白雪を妬む奴も出てきて、トラブルが起こった。俺の目標のために、白雪を巻き込む方が無理だ。有名になるのは、また別の方法を考えるさ」
「そう……ですか」

 僕は正直目立つのは嫌だ。SNSにも、フォロワーの数にも興味はない。
 でも、動画撮影のバイトをしないとポピーの治療費が払えない。
 先輩が僕のことを想って言ってくれてるのに、こんなときにも頭の中でお金の勘定をしている自分に嫌気が差してきた。それに、一緒に動画を撮る機会がなくなったら、今以上に先輩と会う時間は減るんじゃないだろうか。

「悪かったな。無理させた。白雪、動画撮るの楽しくなかっただろ」

 返事ができない。 
 仕事と思って割り切っていたのは事実だし、動画に映ることが楽しいと言えば嘘になる。

「……先輩は、動画撮ったり投稿するのは楽しいですか?」
「質問を質問で返すなよ。そうだな……動画撮影自体は楽しいことばかりじゃないな。それよりも流行を研究してバズったり、自分をどうプロモーションすればファンが増えるのかを考えて、それを実践して、結果が出た時に喜びを感じるかもしれない。自分の目標に近づいてく感覚が、嬉しい」

 先輩はスマホを手に取って、自分のクロックロックのプロフィールを見る。一見キラキラとしているだけに見えるインフルエンサー・Junの存在。僕は何百件と投稿された動画が、先輩の努力と研究の積み重ねなんだな、と思った。顔やスタイルに恵まれただけでは、きっとたどり着けない場所なんだ。

 ずっと聞いてこなかった、先輩がなんでインフルエンサーをしているのかを。
 
 なんでフォロワーを増やしたいのか。
 先輩が熱い瞳で見ているスマホの画面、その奥にある理由を知りたい。

「嫌だったら言わなくてもいいんですが、先輩はなんで今以上にフォロワーを増やしたいんですか? 今でも十分なほどにフォロワーもいて、インフルエンサーとして活動できているのに」

「俺なんかまだまだっての。……白雪には話してもいいけど、引くなよ」
「はい」

 先輩はスマホを操作して、僕にインスタの画面を見せる。
 それは先輩のプロフィール画面ではなかったけど、よく知っている顔だった。

「この人って……住良木佑?」
「こいつ、俺の父親なの」
「……住良木佑って、超有名俳優ですよ。活動も日本じゃだけじゃなくて海外でも人気で……」
「やっぱり俺のこと知らなかった白雪でも、こいつのことは知ってるかー。普通に悔しい」

 住良木佑のフォロワー数は550万人を超えている。先輩の10倍近いフォロワー数で、文字通り〝桁違い〟だ。
 よくよく考えれば、先輩は両親が芸能人でもおかしくない。先輩の恵まれた容姿を思えばむしろ納得できる。住良木佑も日本人離れした高身長だし。

「それで、父親が住良木佑……さんだとして、なんで先輩はインフルエンサーに?」
「こいつに俺の存在を、無視できなくさせてやるため」

 先輩はスマホの画面に表示されていた住良木佑のページをスワイプで消す。
 そして「ふぅ」と息を吐いた。

「住良木佑に子どもはいない設定。俺は認知されていない子どもなわけ。一般人だった母さんはずっとそれを気にしててさ、病んじゃったわけ。とても普通の生活を送れる状態じゃなくなってな、今は病院にいる。……このマンションも口止め料で渡されたらしいよ。おかしいよな。普通の家庭より遥かに裕福な暮らしをしてんのにさ、人間って不幸になれるんだよ」

 興味本位で質問した自分がバカだった。
 先輩の顔は今まで見たこともないくらいに悔しそうで。
 ずっとこの広いマンションで、ひとりで、先輩は……。

「だからさ、俺は住良木佑が無視できない存在になってやろうと思ったんだ。芸能界なら、父親の権力で消されるかもしれない。母さんや俺の存在が、世間に広まってない時点でそういう世界だってわかる。だから、俳優でもモデルでもない……それでもたくさんの人が知っている存在になろうと考えたわけだ」
「それで……インフルエンサーに」
「ああ、今の時代ならSNSと動画がいいと思ってな。結果が出るのも早いメリットもある……って思ってた。でも、そう簡単じゃなかった。母さんが入院してもう二年が経つ。それなのに、あいつのフォロワー数にはまだ全然及ばないのが情けねー」
「先輩は充分すごいのに。普通は60万人もフォロワーがいるなんて――」

 フォローをするつもりだったけど、そこまで言って口をつぐんだ。
 違う。軽はずみなセリフを言うな。
 フォロワーがどれだけいようと、先輩は自分の存在を住良木佑に認めさせなければ意味がないんだ。
 たったひとりに認めさせるために、先輩はインフルエンサーになったんだ。
 
「すみません。変なフォロー入れようとしちゃいました」
「いいよ。正直に謝る白雪、やっぱ好きだわ」

 くくっと笑う先輩。重くなっていく空気を軽くしてくれようとしているのがわかる。

「端的に言って復讐だな。その中に面白みを感じることもあるけど、基本にあるのはそれ。父親が俺のことを無視できなくなって、世間にバレたらやばいと焦らせてやる。そんで、母さんに土下座させてやる。俺はその頭を足で踏んづけてやるわけ。……ってここ笑うとこだぞ?」
「笑えないですって」
「なんで泣いてんだよ」

 だって、先輩があまりにも悲しい顔をしてるから。

 先輩は僕の涙を大きな掌でそっと触れる。

「ありがとな。だから、こんなくだらない復讐のために、白雪が傷つく必要はもうない。金ちらつかせて、無理させて悪かったな」
「……僕、動画のバイトをやめるつもりありませんよ」
 
 今、決めた。
 先輩は目を見開いて驚いている。

「おい、またあのきのこ頭みたいなやつが出てくるかもしれないんだぞ」  
「はい、覚悟してます。自分は撮られたりすることは楽しいとは正直思いません。……でも、その、先輩と遊んだり、一緒になにかするのは……楽しかったです。先輩との動画を見て気づきました。僕、先輩と出会う前は全然笑ってなかった。先輩と出会えたおかげで、笑えるようになったんです」
「おまっ……急にそんな可愛いこと言うな」
 先輩はその大きな手で自分の顔を隠す。先輩っていつも余裕があるように見えるから、その反応がなんだか可愛かった。

「それに僕、お金が必要なんです。先輩の役に立てて、僕にお金を払う価値があるのなら、まだバイトさせてください」

 先輩は、唸りながら何か考えている。

「わかった。その代わり、白雪は俺が全力で守る」
「はい、僕もお金のために頑張ります」

 お金だってもちろんほしい。
 でも、本当はこの人の力になりたいって思っている自分もいる。

 行動の理由はひとつとは限らない。
 たくさんの想いが積み重なって、今、僕は先輩といたいって思えたんだ。