月曜日の昼休み。今日は撮影の方の白雪のバイトはないので、特に予定はない。
近頃は昼休みに北条先輩に呼び出されることが多かったので、なんだか手持ちぶさたにも感じる。
昨日の長時間撮影のおかげで、動画3本くらいの素材はできたとのことだった。
これで今月分のポピーの通院費はクリアできた。
だけど、本当にあんな短い動画のためにお金を払ったり服を買ってくれたり、赤字になってないのかな?
下世話な心配をしていると、いつも挨拶程度しかしないクラスメイトたちが僕の席にやってきた。
このクラスでは一軍と言われている男子と女子が混在しているグループだ。
「なぁなぁ海斗、最近クロックロックめっちゃ調子いいじゃん」
「……先輩のアカウントで投稿されているだけで、僕に人気はないって」
「そんなことないって~! みんな海斗すごいねって話してたんだよ」
「海斗は個人のアカウント持ってねーの? フォローさせてよ」
マッシュルームカットで今風男子の牧宮。
スカートが短いだとか制服を着崩しているとかでよく教師から注意されている環貫。
前まで僕のことなんか呼び捨てじゃなかったのに、やけに慣れ慣れしい。
「いや、北条先輩とは成り行きで動画撮ってるだけで、僕は自分のアカウント持ってないんだよね。動画見るだけならアカウント作らなくても見れるし」
「え、もったいな~! なんでJun先輩が海斗をメンションしないのかと思ってたけどそういうことなんだ~」
「メシ……? わからないけど、たぶんそう」
だるい。喫茶店で先輩が言ってたことが頭を過った。
こいつらが〝なにかの機会〟を伺っているのがわかる。
「……ねぇ、海斗今日はさ、ウチらと一緒にクロックロック撮ろうよ」
言われてしまった。動画を撮るなんて正直楽しくてやっているわけじゃない。あくまでもお金……ポピーのためにやっているだけ。先輩からは給料をもらって仕事として撮影をしているわけだし。だからこそ、ここで「いいよ」というのは違う気がする。先輩に対して不誠実だと思った。
「ごめん、今日はちょっと用事あるんだよね」
「えー、そっかぁ。残念。じゃあまた今度撮ろうね」
返事はしない。約束はできないから。
そのまま席を立って教室から出る寸前、後ろから舌打ちが聞こえた。
僕は別に用事もないのに図書室に向かい、先輩にメッセージを打った。
[クラスメイトから一緒にクロックロックを撮ってほしいと言われました。今回は断りましたが、今後はどうすればいいですか?]
すぐに既読がついたことに安心してる自分がいる。返事もすぐに返ってきた。
[俺の動画以外は出るな]
[わかりました]
断って正解だったな、とほっとする。
元々クラスでは蓮以外まともに話すこともなかったのだから、断ったからって何かが起きるわけでもないだろう。
クラスメイトからの誘いを断るよりも、先輩との関係が絶たれてしまうことの方がよっぽど怖かった。
午後の授業が終わって帰ろうとするとき、また牧宮たちのグループが寄ってきた。
「海斗〜、放課後ヒマ?」
「いや、これからバイトだけど」
嘘じゃない。
話を聞いているのかいないのか、牧宮たちは全員スマホを片手に僕の席にやってくる。
「何時から? クロックロック撮ろうよ」
「ごめん、急いでるから」
「んだよ。ちょっとくらいいいじゃん」
牧宮が僕の肩を掴む。
ぞわっとしてその手をはたくと、あからさまに不機嫌な顔をした。
「んだよ。ちょっと人気が出たからって調子乗ってんの?」
「……悪い。びっくりしちゃって」
「まあまあ、お詫びにクロックロック撮らせてもらおうよ。今人気の白雪と撮れたら絶対バズるって」
……断ってるのにどれだけしつこいんだよ。どう切り抜けようか悩んでいると、異変に気づいたのか蓮がきてくれた。
「マッキーもカンカンも気持ちはわかるけどさー、お前ら海斗に無理さすなって。海斗、バイト急ぎなんだろ」
牧宮のことをマッキー、環貫のことをカンカンと呼ぶ蓮のコミニュケーション能力には驚かされる。
蓮も一軍だしここのグループともよく絡んでるんだけど、それでも僕をかばってくれたことに胸のあたりがじんとする。
「うん、16時入り。ありがとうな」
「バイトファイト〜」
ひらひらと手を振る蓮の後ろで、不機嫌そうにしている牧宮たち。面倒なことにならないといいなと願いつつ、バイトの時間が迫ってるのは確かなので僕は急いで白雪へと向かった。
白雪に着くと、店員専用のエプロンと帽子をつけて身だしなみを整える。
鏡の前でエプロンの長さを調整していると、店長が入ってきた。
「海斗くん、おはよー」
「おはようございます」
「さっそくで悪いんだけど、すでに海斗くんの〝入待ち〟いるのよ。忙しくさせるけど、ごめんね」
また。。最近白雪で働いているときに「動画見てます」と言ってくるお客さんが増えてきていた。僕がシフトに入っていないときに訪ねてくる人もいるそうだ。先輩の動画に出ている効果も、しばらくしたら収まるだろうと思っていたけれど、日に日にその数は増えてきている。
「いえ、僕は大丈夫です。お店に迷惑をかけていたらすみません」
深く頭を下げると「全然!」と僕の謝罪に覆いかぶさるように店長が言った。
「むしろ感謝してるくらいよ。宣伝にもなってるし、売り上げも伸びてるからね。そういうわけで、今月から時給も上げたから頑張ってね」
「ええ、いいんですか! ありがとうございます!」
「頼りにしてるわよ! もう白雪の看板アイドルなんだから♪」
「ア、アイドル……?」
店長は上機嫌で店内に戻っていく。僕はもう一度だけ鏡を見て、見慣れた自分の頬をつねった。
僕は何も変わっていないはずのに、周囲の反応がどんどんと変わっていく。
キャップをいつもより深めにかぶり、タイムカードを打刻して店長のあとに続いた。
「いらっしゃいませ」
「いつもJunの動画で見てます!」
二十代半ばくらいのその女性は、注文よりも先に動画の感想を伝えてくれた。
「……ありがとうございます。ご注文お決まりでしたらどうぞ」
「えと……白雪くんのおすすめとかありますか?」
待っててくれたのに注文は決めてないのかよ! と心の中で突っ込みながらもにこやかに答える。
「そうですね。ミルク感が苦手でなければベリー&ホワイトチョコがおすすめです。りんごの甘さと相性も良くって、パフェを食べているような味わいですよ」
接客スマイルをするとその女性は嬉しそうに頷く。
「じゃあ、それで! カットでください!」
「ありがとうございます」
店長が素早く準備してくれるので、僕はレジにまわる。
僕はこの白雪のバイトで一番好きな作業がある。
それは、りんご飴をカットする作業。
お客さんにとってカットは100円も値上がりする金持ち専用サービスだけど、この作業は気持ちいいのだ。
飴がコーティングされたりんご飴は切るとザクザクと音がなる。その奥に微かに聞こえるパリパリ音。
溢れてくる林檎の蜜。どうにもその感触が好きで、できるだけ裏方の作業をしていたいのが本音だけど、今の状況はそうも言ってられない。
店長が接客したら「白雪くんにお願いできますか?」なんて言い出すお客さんもいるくらいだ。
カップに詰められたベリー&ホワイトチョコのりんご飴を渡す。お客さんはカップを受け取ると素早く僕の手を取り、握手してくる。
「また動画楽しみにしてます! Junも好きだけど白雪くんのファンでもあるんです!」
「……ありがとうございます。先輩にも伝えておきます」
動画のバイトも自分なりに精一杯しているつもりだったけど、勘違いしていたかもしれない。
このバイトは、撮影の準備や動画に映るだけが仕事内容じゃない。
プライベートにまで侵食してくる、そういう仕事なんだ。
だからこそ、たった30秒の動画で1万円なんて破格の金額を先輩は出しているのかも……。
今更そんなことに気づいたってもう遅い。
レジには何人ものお客さんが並んでいる。その奥のお客さんがひとり、僕の方にスマホを向けていた。
――隠し撮りされている? いや、りんご飴の写真を撮ってるだけだ。落ち着け。落ち着け。
仕事は体が覚えている。だから、どうにか動けているようなものだった。
知らない人に注目されてる、自分の存在を知られているのって……怖い。
急にその実感が湧いてきて、レジを打つ指が震えた。
忙しいバイトが終わって、やっと家に帰ることができた。
ただいま、と静かに呟くとポピーが玄関まで迎えに来てくれる。
そうして、僕のスネにほっぺたをすりすりしてくれた。
「ポピー、ありがとな」
疲れ果ててとげとげしくなった心身が、それだけで柔らかさを取り戻す。
朝学校に行って家に帰れるのは夜の22時近く。
高校生は暇だと言われることも多いけど、実際けっこう忙しいよなぁ。
母さんの部屋のドアはもう閉まっているし、すでに寝ているみたいだ。
僕はできるだけ静かに手を洗い、ポピーのトイレを掃除したり、エサの準備をする。
おしっこの量はまた増えてきた。エサもちゃんと食べてる。
さて、次は自分のご飯の用意もしないと……。
今日は台所に食事は置かれていなかった。母さんは寝ているみたいだし、調子が悪いのかもしれない。
ポピーのエサの準備をするのはいいけど、自分のエサの準備をするのはなんだか面倒だった。
冷凍してあったパンを焼いて、ツナ缶を半分ほど乗せたものを夜ご飯にした。
さっさとシャワーを浴びて寝ないと、明日も高校があるんだから。
そう思うのに、すぐに寝る気分になれない。僕は今日ずっと気になっていたことがあった。
朝の牧宮たちの態度や、バイト中にお客さんにスマホを向けられたこと、鳴っていたシャッター音がチラつく。僕はクロックロックを開いて「#白雪」で検索してみた。
そのタグで表示された動画には、北条先輩と一緒に撮った動画が切り抜かれたものや、いくつかの動画を繋ぎ合わせたようなものがあった。先輩が投稿した動画が素材として使われているんだろう。
でも、それだけじゃない。このハッシュタグの検索結果には、僕が学校で授業を受けているときの写真や、アルバイト中の写真まで投稿されていた。
画面をスクロールする指先が震える。バイト中のものは誰が撮影したのかわからない。きっとお客さんだと思う。投稿文には[今人気の白雪くんのバイト先行ってきた~動画で見るより可愛かった♡]などと書かれている。ほかの投稿にも[白雪くん、うちの後輩なんだよね! みんなも応援してあげて~]なんて、まるで知り合いかのように投稿しているものまである。投稿しているアカウントのプロフィールを見てみるが、まるで誰かわからない。だいたい、僕は北条先輩以外に親しくしてる先輩なんていないのに。
ため息が出てくるが、ちゃんと確認しておかないといけない。特に学校でのことは。
意を決して、高校で授業を受けているのを盗撮されていた投稿を確認する。
[てかオレ、白雪と同じクラス笑笑。普通に仲良いけど笑笑。いつか一緒に動画撮るかもね?]
投稿主はmakki*777。
こいつ絶対牧宮だろ……! 今日の態度を思い出して二重に腹が立つ。
盗撮されて勝手に動画投稿サイトにアップされたうえに、仲良しだって?
この投稿に♡つけたり[羨ましい]だとか[動画楽しみ]とかコメントしてる奴らもなんなんだ。
とにかく、事実でないことが広まっていくのは嫌だし、勘違いもされたくない。
盗撮されるのだってまっぴらごめんだ。
明日、牧宮たちに直接注意しよう。
この日はムカムカしてきた胃がなかなか静まらなくて、寝るのにずいぶんと時間がかかってしまったのだった。
近頃は昼休みに北条先輩に呼び出されることが多かったので、なんだか手持ちぶさたにも感じる。
昨日の長時間撮影のおかげで、動画3本くらいの素材はできたとのことだった。
これで今月分のポピーの通院費はクリアできた。
だけど、本当にあんな短い動画のためにお金を払ったり服を買ってくれたり、赤字になってないのかな?
下世話な心配をしていると、いつも挨拶程度しかしないクラスメイトたちが僕の席にやってきた。
このクラスでは一軍と言われている男子と女子が混在しているグループだ。
「なぁなぁ海斗、最近クロックロックめっちゃ調子いいじゃん」
「……先輩のアカウントで投稿されているだけで、僕に人気はないって」
「そんなことないって~! みんな海斗すごいねって話してたんだよ」
「海斗は個人のアカウント持ってねーの? フォローさせてよ」
マッシュルームカットで今風男子の牧宮。
スカートが短いだとか制服を着崩しているとかでよく教師から注意されている環貫。
前まで僕のことなんか呼び捨てじゃなかったのに、やけに慣れ慣れしい。
「いや、北条先輩とは成り行きで動画撮ってるだけで、僕は自分のアカウント持ってないんだよね。動画見るだけならアカウント作らなくても見れるし」
「え、もったいな~! なんでJun先輩が海斗をメンションしないのかと思ってたけどそういうことなんだ~」
「メシ……? わからないけど、たぶんそう」
だるい。喫茶店で先輩が言ってたことが頭を過った。
こいつらが〝なにかの機会〟を伺っているのがわかる。
「……ねぇ、海斗今日はさ、ウチらと一緒にクロックロック撮ろうよ」
言われてしまった。動画を撮るなんて正直楽しくてやっているわけじゃない。あくまでもお金……ポピーのためにやっているだけ。先輩からは給料をもらって仕事として撮影をしているわけだし。だからこそ、ここで「いいよ」というのは違う気がする。先輩に対して不誠実だと思った。
「ごめん、今日はちょっと用事あるんだよね」
「えー、そっかぁ。残念。じゃあまた今度撮ろうね」
返事はしない。約束はできないから。
そのまま席を立って教室から出る寸前、後ろから舌打ちが聞こえた。
僕は別に用事もないのに図書室に向かい、先輩にメッセージを打った。
[クラスメイトから一緒にクロックロックを撮ってほしいと言われました。今回は断りましたが、今後はどうすればいいですか?]
すぐに既読がついたことに安心してる自分がいる。返事もすぐに返ってきた。
[俺の動画以外は出るな]
[わかりました]
断って正解だったな、とほっとする。
元々クラスでは蓮以外まともに話すこともなかったのだから、断ったからって何かが起きるわけでもないだろう。
クラスメイトからの誘いを断るよりも、先輩との関係が絶たれてしまうことの方がよっぽど怖かった。
午後の授業が終わって帰ろうとするとき、また牧宮たちのグループが寄ってきた。
「海斗〜、放課後ヒマ?」
「いや、これからバイトだけど」
嘘じゃない。
話を聞いているのかいないのか、牧宮たちは全員スマホを片手に僕の席にやってくる。
「何時から? クロックロック撮ろうよ」
「ごめん、急いでるから」
「んだよ。ちょっとくらいいいじゃん」
牧宮が僕の肩を掴む。
ぞわっとしてその手をはたくと、あからさまに不機嫌な顔をした。
「んだよ。ちょっと人気が出たからって調子乗ってんの?」
「……悪い。びっくりしちゃって」
「まあまあ、お詫びにクロックロック撮らせてもらおうよ。今人気の白雪と撮れたら絶対バズるって」
……断ってるのにどれだけしつこいんだよ。どう切り抜けようか悩んでいると、異変に気づいたのか蓮がきてくれた。
「マッキーもカンカンも気持ちはわかるけどさー、お前ら海斗に無理さすなって。海斗、バイト急ぎなんだろ」
牧宮のことをマッキー、環貫のことをカンカンと呼ぶ蓮のコミニュケーション能力には驚かされる。
蓮も一軍だしここのグループともよく絡んでるんだけど、それでも僕をかばってくれたことに胸のあたりがじんとする。
「うん、16時入り。ありがとうな」
「バイトファイト〜」
ひらひらと手を振る蓮の後ろで、不機嫌そうにしている牧宮たち。面倒なことにならないといいなと願いつつ、バイトの時間が迫ってるのは確かなので僕は急いで白雪へと向かった。
白雪に着くと、店員専用のエプロンと帽子をつけて身だしなみを整える。
鏡の前でエプロンの長さを調整していると、店長が入ってきた。
「海斗くん、おはよー」
「おはようございます」
「さっそくで悪いんだけど、すでに海斗くんの〝入待ち〟いるのよ。忙しくさせるけど、ごめんね」
また。。最近白雪で働いているときに「動画見てます」と言ってくるお客さんが増えてきていた。僕がシフトに入っていないときに訪ねてくる人もいるそうだ。先輩の動画に出ている効果も、しばらくしたら収まるだろうと思っていたけれど、日に日にその数は増えてきている。
「いえ、僕は大丈夫です。お店に迷惑をかけていたらすみません」
深く頭を下げると「全然!」と僕の謝罪に覆いかぶさるように店長が言った。
「むしろ感謝してるくらいよ。宣伝にもなってるし、売り上げも伸びてるからね。そういうわけで、今月から時給も上げたから頑張ってね」
「ええ、いいんですか! ありがとうございます!」
「頼りにしてるわよ! もう白雪の看板アイドルなんだから♪」
「ア、アイドル……?」
店長は上機嫌で店内に戻っていく。僕はもう一度だけ鏡を見て、見慣れた自分の頬をつねった。
僕は何も変わっていないはずのに、周囲の反応がどんどんと変わっていく。
キャップをいつもより深めにかぶり、タイムカードを打刻して店長のあとに続いた。
「いらっしゃいませ」
「いつもJunの動画で見てます!」
二十代半ばくらいのその女性は、注文よりも先に動画の感想を伝えてくれた。
「……ありがとうございます。ご注文お決まりでしたらどうぞ」
「えと……白雪くんのおすすめとかありますか?」
待っててくれたのに注文は決めてないのかよ! と心の中で突っ込みながらもにこやかに答える。
「そうですね。ミルク感が苦手でなければベリー&ホワイトチョコがおすすめです。りんごの甘さと相性も良くって、パフェを食べているような味わいですよ」
接客スマイルをするとその女性は嬉しそうに頷く。
「じゃあ、それで! カットでください!」
「ありがとうございます」
店長が素早く準備してくれるので、僕はレジにまわる。
僕はこの白雪のバイトで一番好きな作業がある。
それは、りんご飴をカットする作業。
お客さんにとってカットは100円も値上がりする金持ち専用サービスだけど、この作業は気持ちいいのだ。
飴がコーティングされたりんご飴は切るとザクザクと音がなる。その奥に微かに聞こえるパリパリ音。
溢れてくる林檎の蜜。どうにもその感触が好きで、できるだけ裏方の作業をしていたいのが本音だけど、今の状況はそうも言ってられない。
店長が接客したら「白雪くんにお願いできますか?」なんて言い出すお客さんもいるくらいだ。
カップに詰められたベリー&ホワイトチョコのりんご飴を渡す。お客さんはカップを受け取ると素早く僕の手を取り、握手してくる。
「また動画楽しみにしてます! Junも好きだけど白雪くんのファンでもあるんです!」
「……ありがとうございます。先輩にも伝えておきます」
動画のバイトも自分なりに精一杯しているつもりだったけど、勘違いしていたかもしれない。
このバイトは、撮影の準備や動画に映るだけが仕事内容じゃない。
プライベートにまで侵食してくる、そういう仕事なんだ。
だからこそ、たった30秒の動画で1万円なんて破格の金額を先輩は出しているのかも……。
今更そんなことに気づいたってもう遅い。
レジには何人ものお客さんが並んでいる。その奥のお客さんがひとり、僕の方にスマホを向けていた。
――隠し撮りされている? いや、りんご飴の写真を撮ってるだけだ。落ち着け。落ち着け。
仕事は体が覚えている。だから、どうにか動けているようなものだった。
知らない人に注目されてる、自分の存在を知られているのって……怖い。
急にその実感が湧いてきて、レジを打つ指が震えた。
忙しいバイトが終わって、やっと家に帰ることができた。
ただいま、と静かに呟くとポピーが玄関まで迎えに来てくれる。
そうして、僕のスネにほっぺたをすりすりしてくれた。
「ポピー、ありがとな」
疲れ果ててとげとげしくなった心身が、それだけで柔らかさを取り戻す。
朝学校に行って家に帰れるのは夜の22時近く。
高校生は暇だと言われることも多いけど、実際けっこう忙しいよなぁ。
母さんの部屋のドアはもう閉まっているし、すでに寝ているみたいだ。
僕はできるだけ静かに手を洗い、ポピーのトイレを掃除したり、エサの準備をする。
おしっこの量はまた増えてきた。エサもちゃんと食べてる。
さて、次は自分のご飯の用意もしないと……。
今日は台所に食事は置かれていなかった。母さんは寝ているみたいだし、調子が悪いのかもしれない。
ポピーのエサの準備をするのはいいけど、自分のエサの準備をするのはなんだか面倒だった。
冷凍してあったパンを焼いて、ツナ缶を半分ほど乗せたものを夜ご飯にした。
さっさとシャワーを浴びて寝ないと、明日も高校があるんだから。
そう思うのに、すぐに寝る気分になれない。僕は今日ずっと気になっていたことがあった。
朝の牧宮たちの態度や、バイト中にお客さんにスマホを向けられたこと、鳴っていたシャッター音がチラつく。僕はクロックロックを開いて「#白雪」で検索してみた。
そのタグで表示された動画には、北条先輩と一緒に撮った動画が切り抜かれたものや、いくつかの動画を繋ぎ合わせたようなものがあった。先輩が投稿した動画が素材として使われているんだろう。
でも、それだけじゃない。このハッシュタグの検索結果には、僕が学校で授業を受けているときの写真や、アルバイト中の写真まで投稿されていた。
画面をスクロールする指先が震える。バイト中のものは誰が撮影したのかわからない。きっとお客さんだと思う。投稿文には[今人気の白雪くんのバイト先行ってきた~動画で見るより可愛かった♡]などと書かれている。ほかの投稿にも[白雪くん、うちの後輩なんだよね! みんなも応援してあげて~]なんて、まるで知り合いかのように投稿しているものまである。投稿しているアカウントのプロフィールを見てみるが、まるで誰かわからない。だいたい、僕は北条先輩以外に親しくしてる先輩なんていないのに。
ため息が出てくるが、ちゃんと確認しておかないといけない。特に学校でのことは。
意を決して、高校で授業を受けているのを盗撮されていた投稿を確認する。
[てかオレ、白雪と同じクラス笑笑。普通に仲良いけど笑笑。いつか一緒に動画撮るかもね?]
投稿主はmakki*777。
こいつ絶対牧宮だろ……! 今日の態度を思い出して二重に腹が立つ。
盗撮されて勝手に動画投稿サイトにアップされたうえに、仲良しだって?
この投稿に♡つけたり[羨ましい]だとか[動画楽しみ]とかコメントしてる奴らもなんなんだ。
とにかく、事実でないことが広まっていくのは嫌だし、勘違いもされたくない。
盗撮されるのだってまっぴらごめんだ。
明日、牧宮たちに直接注意しよう。
この日はムカムカしてきた胃がなかなか静まらなくて、寝るのにずいぶんと時間がかかってしまったのだった。