街歩きにはちょうどいい日だった。

 11月9日、日曜日。
 僕は先輩と撮影をするために近くの中心市街地にまで来ていた。

 いつもなら日曜日はりんご飴の方の白雪のバイトをしている。休日に出かけるなんてずいぶんと久しぶりだ。
 先輩が僕のネット上の名前を「白雪」なんかにしたせいで、僕はいつも脳内で「りんご飴の白雪のバイト」と「動画の白雪のバイト」とやけに長ったらしい使い分けをする羽目になった。給料をもらってる身で言うのもなんだけど、ややこしいことこのうえない。そんなわけで、今日は動画の方の白雪のバイトなのだ。
 
 なんとなくソワソワしながら駅で待っていると、先輩が改札口から出てくるのが見えた。
 小さく頭を下げて会釈すると先輩は「よ、気づいた?」とかけていたサングラスを少し下げる。
 いや、気づくよ。その高身長と足の長さはサングラスで隠し切れないっての。
 
 初めて昼休みにダンス動画を撮ったあとも、数本同じような動画を撮っていた。どれも短いものだけど、おおむね好評だったらしい。その動画のおかげでポピーの腎臓療法食も買えた。ポピーの通院代、薬代、餌代、毎月の出費は跳ね上がり、とてもじゃないけどりんご飴の白雪だけでは間に合わない。動画を撮る恥ずかしさや嫌悪感はあるけど、先輩には感謝している。

 今までの動画はどれも高校の中で撮影していたから、外で撮影するのは今日が初めてだ。学校で踊るのもずいぶんと恥ずかしかったけれど、街中で踊るとしたらもっと恥ずかしいだろう。そう思っていたけれど、先輩が言うには今日は一緒に遊んだり、買い物したり、食事をしたり、そんな日常的なシーンをいくつか繋ぎ合わせた動画を作るための素材づくりとのことだった。

「それじゃあ、まずはどこに行きますか?」

 僕がそう言うと、先輩はずいっと顔を近づけていった。

「とりあえず服屋。お前、センスなさすぎ」
「え、ええ⁉ これでも一番いいの着てきたんですよ!」
「中学生かと思ったわ! それはそれで可愛いけど、俺と一緒に映るにはアンバランスすぎ!」

 そういや中学以来服を買った記憶がない。今日の服装は毛羽が気になる白いパーカーと、本当の意味でのダメージジーンズ(ボロボロになるまで履き続けている)。これでも一張羅なんだよ。情けなくもあるし言い返したい気持ちもあるけど、先輩の言ってることは正論なので我慢する。

「あの、高いところは勘弁してください」
「高い服なんて着させねーよ。高すぎる服着ると同世代の視聴者が嫉妬してうっせーから。あと、金は心配すんな、経費として計上すっから」
「は、はぁ……」

 先輩ってなんというか雑に人を扱うように見えるけど、他人がどう自分を見るのか、どんな文句が出るのかはよくわかっている気がする。僕は先輩の後ろをついていくようにして、駅近くのショッピングモールに向かった。

 先輩の今日の服装は白シャツの上に黒いジャケットを羽織っていて、下はチノパンというシンプルな感じ。高校ではつけていないピアスまで片耳につけていて、大人っぽい。がっしりとした体形と高身長なのもあって外国のモデルみたいにも見えた。オシャレすぎる。そして、やっぱり身長って不公平を生むんだ。なんて心の中で毒づいていると、並んだ服屋のひとつに入った先輩から「白雪」と呼ばれた。

「これと……これかな。着てみて」

 服を一式渡されると試着室に押し込まれる。渡されたもの確認すると、ゆったりしたサイズのグレーのカーディガンと真っ白なシャツ。それと太めのデニムパンツだった。少しルーズな感じに見えるかな……と思ったけど、着てみると予想外にいい感じ。清潔感を感じるファッションだった。

「着れたか?」

 試着室の外から先輩の声がする。慌てて「はいっ」と返事をすると、試着室のカーテンが勢いよく開けられた。先輩はスマホを構えている。

「似合ってんじゃん」
「ちょ、急に撮らないでくださいよ!」

 どんな顔をしたらいいのかわからず、とりあえず笑ってごまかしてみる。
 先輩はスマホをポケットにしまうと「いい画が撮れた」と喜んでいた。急に撮影されたのはムカつくけど、今日はこういう撮影なんだということを思い出す。

「うん、やっぱ俺センスいいな。白雪、可愛い」
「自分を褒めてるのか僕を褒めてるのわかんないです」
「どっちもだよ」

 くくっと先輩が笑う。思わず僕もつられて笑ってしまった。
 先輩は店員さんを呼んで、そのまま服の会計をする。
 先輩は「安物」だとか言っていたけど、僕からしたら大金だ。丁寧にお礼を言って、お店を出た。

 そのあとはほかのお店も見ながら、ショッピングモールを出て市街地に戻った。
 この市街地は遊歩道があって、その道を歩いているだけで商店街や歴史的な建築物を見てまわれる。観光にうってうけの場所だ。近いけれど、こんなにゆっくりと色々な店を見てまわるのは初めてのことだった。僕だけが映っている動画ばかりじゃダメなので、先輩に撮り方のコツを教えてもらい、僕も撮影をする。

 先輩は「撮られ方」もわかっているのか、僕みたいな素人の撮影でもかっこよく撮られている。少し歩き疲れたところで、先輩のすすめで喫茶店に入ることになった。

 喫茶店のドアを開けるとカランカラン……とどこか懐かしさを感じる音がした。なんというか、レトロな雰囲気。席に座ると、先輩は「白雪、甘いもの飲める?」と聞いてきた。「はい、好きです」と答えると「イメージ通りで助かる」と先輩は言う。どんなイメージだよ。先輩は店員を呼び「ホットコーヒー、それと塩キャラメルフラペチーノください」と注文をしてくれた。

 注文を終えると、先輩はすぐにさっき撮った写真や動画をチェックしている。ちらりと見た画面にはたくさんの通知が届いていて、それのチェックもしているようだ。
 インフルエンサーとは忙しいものだな、と思う。一緒にいる僕なんて、スマホの電源さえ切ってしまっている。僕のスマホの機種が古すぎて、先輩を撮ろうにもなんの役にも立たないことがわかったからだった。それならつけておく必要もないってものだ。ギガ節約。スマホ代節約。
  
「疲れたか?」
「いえ、不慣れなことばかりなので緊張はしますが大丈夫です」

 時間はまだ14時過ぎ。撮影は夕方までする予定だ。

 ホットコーヒーと塩キャラメルなんとかがテーブルに運ばれ、湯気が出てる間に写真や動画を撮る。
 そうして、ようやっと一息がつけた。
 僕はグラスにたんまりと盛られた生クリームをスプーンですくい、口に入れる。
 やっぱり緊張して疲れていたのだろうか、甘さがじんわりと体に染みていく。

「おいしっ」

 思わず口に出てしまった。恥ずかしくて、口を押さえる。
 先輩はニヤニヤしながらこちらを見ていた。

「惜しかった。その表情、撮っておきたかったな」

 この人といると、調子が狂う。「可愛い」とか「顔がいい」なんて言葉を恥ずかしげもなく連発するから、僕の感覚がおかしいのかと思っちゃうくらいだ。先輩はゆったりとコーヒーを味わっている。なんだかこの間は手持ちぶさたで、なにか話さないといけないような気がする。だけど、今思えば先輩とは動画とお金の話しかしていない。何を話せばいいんだろう。考えても話題は出てこず、僕は先輩がコーヒーを飲み終えるよりだいぶ先に塩キャラメルなんとかを飲み干してしまった。

「……おかわりするか?」
「いや、いいです。インフルエンサーの活動は順調ですか?」
「ああ、白雪のおかげで新規ファンもついてる。白雪のファンも増えてるぞぉ」
「僕のことはどうでもいいです。このバイトが続けられるならなんでも良いんですから」

 自分で言いながら、ずいぶんとつっけんどんに返事してしまうな、と思う。この言い方のせいでずいぶんと損をしてきたけれど、これは僕が僕を守るための防御策のようなもので、体に染みついてしまった喋り方だった。
 嫌な思いをさせてないかと少し心配になったけど、先輩の表情は予想に反して微笑んでいた。

「俺さ、白雪のそういうところが気に入ってる」
「すみません。口悪いですよね」
「人によってはそう感じるかもな。でも俺は楽だよ」
「はあ……」

 この人マゾヒストなのか? と思っていると先輩の長い指が僕の額をデコピンした。

「いたっ」
「なんか変な妄想してただろ」

 図星だから何も言えない。額を擦っていると、先輩は視線をコーヒーに落として喋り始めた。

「――あのさ、俺ってイケメンだし、スタイルもいいだろ?」
「ふざけてます?」
「本当だから仕方ないだろ。だからさ、インフルエンサーを名乗る前からそりゃあ周りは騒いでたわけ。特に中学になってからはすごかった。小学校のときとは比べ物にならないくらいに、みんな承認欲求がすごくなるんだよ。俺と友達だったら自慢できる。彼女になったら自慢できる。一緒に写真撮って。動画撮って。まわりの人間全員、そういう魂胆で俺に近づいてくるようになった。そのうち、俺の友達は誰だとか親友は誰だとかで勝手にケンカまで始めちまう。女子は女子でファンクラブとか抜け駆け禁止とか俺抜きで勝手にルールを作って、またそっちも争ったりするわけ。で、最後には俺の責任転嫁してくるんだから、手に負えたもんじゃない」

 先輩はそこまで言い切るとコーヒーを一口飲む。この整った顔と恵まれたスタイルのせいで、この人はこの人なりに苦労しているんだな、と初めて気づいた。何かも揃ってて、お金持ちで、僕とは違って何の苦労もしていない人だと思っていた自分が、恥ずかしくなるくらいに。

「容姿に恵まれていても、人間関係でトラブルがあるんですね」
「ったりめーよ。嫉妬、差別、偏見、嫌がらせ、なんでもされるぜ。遊んだらインスタ載せろだとか言われて、載せないと文句と言われたりさ。SNSに載せて、SNSに私のこと書いて、みんな声を揃えて言うんだよ。SNSに載せないなら友達じゃないし、遊んだ証拠にならないんだとよ。だからもう、友達付き合いなんて嫌になっちまった」
「なんだかSNSが嫌いみたいな言い方ですね」
「……昔は嫌いだったけど、今は楽しいときもあるぞ。ただ、あくまでも俺にとってはSNSもインフルエンサーも手段でしかないけど」

 そうはっきり言う先輩の目はしっかりと何かを捉えている。
 僕なんかが簡単に触れてはいけないなにかが、そこに宿っている気がした。
 
「白雪はSNSしてないだろ。俺を自分の承認欲求のために使おうとしないし、気持ちが楽だわ」
「その人たちが先輩を承認欲求のために利用しているとして、僕は先輩からお金をもらうために利用しているとも言えますが。僕とその人たちはなにか違うんですか?」  
「金なんてものは、些末な問題なわけ。それに、どちらかという俺が白雪を一方的に利用しているとも言える。利用されるのは慣れてるけど、こういうの初めてだ」
「……先輩ってよくわからないです」

 正直に伝えると先輩はまたニヤリと微笑んだ。

「わかんなくていい。だけど、白雪のことは気に入ってる」
「はぁ」

 僕もこの人のこと、嫌いじゃないかも。だけどそれを言うのはまだ、躊躇われた。

「さて、そろそろ次行こう。この近くにアサイーボウルの専門店ができたから、そこに行く」
「アサイー? なんですかそれ」
「お前、本当に高校生か?」

 先輩はさっとレジに向かうと会計を済ませ、喫茶店のドアを開けて僕を先に出してくれる。
 なんだかエスコートされているようで、ちょっとだけドキっとする。
 先輩のまわりで先輩を取り合って争う人たちがいることも、きっと真実だろう。
 それがわかるほどに、この人は魅力で溢れている。