レモネードはよく冷やして

「ま、大体、上手く分けるんだけどな。弟は青で、妹はピンクだとか」

 玲望の声は懐かしそうで、そしてなんだか寂しそうにも聞こえた。

 今は一人暮らしをしている玲望。

 中学生までは実家で暮らしていたのだ。

 玲望の住める部屋がなくなるくらいに家族が多いので、一人で暮らせと追い出される、といったら人聞きが悪いが、とにかく一人で放り出されたも同然の玲望。

 まだ高校生なのだ。

 一人暮らしなんて寂しいに決まっている。

 家族仲が悪いわけではないなら、その気持ちはもっと大きいだろう。

 瑞希は割合頻繁に訪ねてきているとはいえ、ここに住んでいるわけではない。

 家でご飯を食べるときは両親と大体一緒である自分のことを、瑞希は考えた。

 その日あった何気ない話をしながら食べる夕食。

 たまに鬱陶しいと感じてしまうこともあるけれど、無いと寂しいだろうな、と思う。

 なのに玲望は食事のほとんどを一人で食べているのだ。

 それは、どんなに。

「どうした、取っていいんだぞ」

 瑞希がそんなことを考えていたからか、促されてしまった。

 ちょっと不思議そうな顔をされている。

 本人は気にしていないらしい。

 それは玲望の強いところだ。

「あ、ああ……ツユ、美味いな。どうやって作るの?」

 誤魔化すようにもうひとすくいそうめんを取って、ツユの話なんて話題に持っていく。

 玲望はいつも通りに「カツオから出汁を取って……」と説明してくれた。

 食べながら話すのは、学校のこと、玲望のバイトのこと、それから瑞希のボラ研のこと。

 そこから、ボラ研で夏休みの活動の計画を立てているという話になった。
「へぇ、バザーねぇ」

 玲望は興味を持ってくれたようだ。

 煮物の鶏肉を摘まみながら、今度は玲望のほうから質問してくれる。

「なに出すの?」

「いやー、それはまだ……リサイクル品とか、あとは作るなら手軽にできるもの、っていうか、みんなで作れば負担が少ないものにしたいんだけど」

 詳細はまだ決まっていないのだ。

 大体まだ候補のひとつでしかないし。

「ふーん……手作りもいいかもな」

 そこでふと、瑞希は思い当たった。

 手作り、というところから、そして今、食べているそうめんやら煮物やらから。

「色々許可が下りたら食べ物を出せるところもあるんだってさ。食べ物だったらなにがいいと思う?」

 料理なら玲望の得意分野。

 参考になるかもしれないと質問してみる。

「え? そうだなぁ……簡単にできて、失敗しにくくて、素人でも売り物レベルにできるんだったら……クッキーとか焼き菓子とかどうかな」

 確かに学園祭などでも焼き菓子はよく売られている。

「それ、いいな。袋詰めしといたら売るのもラクそうだ」

 そのときはそんな軽い話で済んでしまった。

 詳細が決まっていないので先走ったことは言えないけれど、と思ったので瑞希はその先は言わなかった。

 もしなにか食べ物を作るのであれば、玲望に手伝ってほしいな、などは。

 依頼すれば玲望は口では文句を言いつつも、力になってくれるだろう。

 だから、もしそう決まるなら。

 頭の中で考えて、瑞希はそうめんとおかずをぺろりと平らげた。

 ごちそうさまを二人で言って、後片付けは瑞希の役目。

 皿を洗って、拭いて、片付けて。

 作ってもらったのだから片付けくらいはさせてほしいし、それにこういう作業も好きなのだ。
 食休みをしたあとは、風呂を借りた。

 玲望の家の風呂は、こんな家なのだから当たり前のようにボロい。

 シャワーのお湯がいきなり水になったりすることもあるから、油断できないくらいだ。

 けれど小さいながら、一応浴槽もある。

 都会のマンションではユニットバスなどで、シャワーしか使えないところも多いらしいので、そういう点はここもいいなと思うのだった。

 冬はその小さい浴槽にお湯を溜めて浸からせてもらうこともあったけれど、今は夏である。

 サッと済ませていいだろうと、シャワーだけにすることにした。

「風呂、さんきゅー」

 髪を拭きながら部屋に戻ると、玲望はさっきのポップ作りの続きをしていたようだけれど、瑞希を見て顔をしかめた。

「おい、ちゃんと髪、拭いてから部屋入れよ。畳が濡れる」

 文句を言われたけれど一応理由はあるのだ。

「ドライヤー、この部屋にあるんだから仕方ないだろ」

 けれど玲望には許してもらえなかった。

「だからってな……せめて水気くらいは落としてこい」

「はいはいすみませんでしたよ」

 掃除は嫌いであるけれど、家主なのだ。

 部屋のことに関してはきっちりしていた。

 瑞希はおとなしく謝っておく。

 ドライヤーを手に取って、コンセントに突っ込んだ。

 風呂も、次は玲望の番である。

 タオルや着替えを取って、玲望は「じゃ、入ってくる」と行ってしまった。

 ごおお、と音を立てるドライヤーがうるさかったけれど、瑞希は「おー」と一応の返事をした。

 このドライヤーは家に似合わずなかなか高性能。

 ナノイーとかはよくわからないけれど、そういうシールが貼ってあるしハイパワーだ。

 もっとも、定価ではなくリサイクルショップで買ったと玲望は言っていた。

「なかなかの掘り出し物だった」と満足げだった。

 そういうところがかわいらしい、と瑞希は思う。

 風呂のほうからはシャワーの水音がする。

 勿論、玲望がシャワーを浴びている音だ。

 それを聞きながら、妙にドキドキしてきてしまった。

 なにしろ泊まりである。

 恋人同士の泊まりである。

 こういう……なんというか、色っぽい雰囲気を連想させてしまうシーンに遭遇してしまえば、緊張してしまう。

 ピュアか、と自分に突っ込む瑞希なのだった。

 実際はまったくピュアなどではないのだが。

 そんな気持ちを抱えつつ、髪を整え終えて、布団でも用意しようかと思ったがまだ寝る時間には早い。

 ちょっと考えて、やめておいた。
 手持ち無沙汰になったので、座布団の上に寝転んでスマホを弄っているうちに、玲望が風呂から上がったようだ。

 自分で言ったように、きっちり髪を拭いたようで、タオルは首にかかっていた。

 しかしそれを見て、瑞希はもっとどきりとしてしまう。

 長めの金髪が濡れていて艶めかしい。

 石鹸の清潔な良い香りもする。

 それにこれが一番であるが、シャワーを浴びてあたたまって、上気した玲望の様子がとても色っぽい。

 ああ、もう。

 やっぱりこんなの、何回も見てるじゃないか。

 瑞希は自分に呆れてしまうのだったが、玲望はそんなことまったく気付いていない様子。

「ドライヤー使うから」

 さっさとドライヤーを手にした。

 けれど、瑞希はそのドライヤーを玲望の手から取ってしまう。

「乾かしてやる」

 言ったことは、たまにしていることだった。

 玲望はあっさり受け入れて「まぁ、それなら」と座布団に座った。

 スイッチを入れて、今度は玲望の髪を乾かしていく。

 ちょっと長めの金髪はまだ水気をだいぶ含んでいた。

 その髪を持ち上げるように風を通していって。

 髪からだんだん水気が飛んでいって、手触りがサラサラしていく。

 瑞希はこの感触が好きだった。

 自分のただの短髪にはないものだから。

 短髪は、ざっと風を当てるだけで済んでしまうのだ。

 手入れが大変なのではないかと思ったけれど、前に聞いたとき、玲望は「別に」とさらっと言った。

 昔からこのくらいなので、もう慣れたのだという。

 中学生から伸ばしているのだとか、長いときは結べるくらいあったのだとか、聞いた。

 特にこだわって長めにしているわけではなさそうだけど、なんとなく思い当たる理由はある。

 多分、散髪の間隔が多少空いたとしても良いように、だろう。

 流石に失礼かもしれないので、口に出したことはないが。

 その通りで、あまり頻繁には切っていないようだったけれど、玲望の髪はトリートメントのおかげかいつもつやつやしているのだ。

 清潔感がないなんてとんでもない。

 逆に学校で女子にも「基宮くん髪、綺麗だねー」なんて褒められているくらいだ。

 自分がそうなりたいとは思わないけれど、褒められるくらい容姿がいいのはちょっといいな、と思う瑞希だった。

 それでもロングヘアというほどはないので、比較的早くドライヤーは終わる。

 最後にぽんと玲望の肩を叩いて終わりを告げた。
「ほい。おしまい」

「ああ、ありがと」

 玲望は振り向いて、自分の髪を触った。

「瑞希が乾かしてくれると、なかなか綺麗に仕上がるな」

「おい、なかなかレベルかよ」

 褒め言葉なのに微妙だったので、瑞希は苦笑してしまう。

 けれど、この素直になり切らないところが玲望らしい。

「なんでだろな。自分でも下手じゃないと思うのに」

 玲望は不思議そうだったけれど、理由なんて決まっているではないか。

 すっと、玲望の金髪を手に取る。

 ひとすくいしても、よく乾いた髪はするっと落ちそうになるので、その前に顔を近付けた。

 髪に軽くくちづける。

「そんなの」

 玲望からは直接見えなかっただろうけれど、髪にキスされたことくらいは察せただろう。

 ぴくりと肩が揺れた。

「お前の髪なんだから、丁寧にして当たり前だろ」

 本当のことを言ったのに。

 ぱっと瑞希の手が振り払われた。

 けれどそれは嫌悪からではない。

 その証拠に玲望の頬はほんのり染まっていたのだから。

 風呂からあがってもうだいぶするのだから、火照っているわけではないに決まっていた。

「またお前はそういうことを」

 顔をしかめられたけれど、そんなに頬を染めていてはなにも意味がない。

 照れ隠しのセリフでしかない。

「いけないのか?」

 わざとしょげたように言うと玲望は、う、と詰まった。

 自分の言葉や態度が素直でないのは自覚しているのだから。

「そ、そうは……言ってないだろ」

 言い繕う言葉まで素直でない。

 瑞希はそれがかわいいやらちょっとおかしいやらで、ふっと笑ってしまう。

 玲望の眉間にもっとしわが寄った。
 
 それを封じるように、手を伸ばして肩に触れる。

 力を入れて、ぐっと自分に引き寄せた。

 抱き込むと、目の前に来た髪からふわっとシャンプーの良い香りが漂った。

 つい、誘われるように鼻先をうずめてしまう。

 ドラッグストアで売っている安いシャンプーだけれど、香りは悪くない。

 爽やかな柑橘系の香り。

 レモンではないようだけど、近くはある。

 爽やかで少し酸っぱいような香りだ。

「おい、ちょっと」

 いきなり抱き込まれて髪に顔を埋められて、玲望がちょっともがく。

 抵抗するという意志ではなさそうだけど、大人しくされるがままにはなりたくない、というところだろう。

「玲望の匂いがする」

 ちょっと苛めるようなことを言ってしまったけれど、本当だ。

 ただのシャンプーからだというのに『彼』を感じられるのはとても嬉しいから。

 つい顔を擦り寄せてしまう。
 夜も更けたので、そろそろ寝ようということになる。

「明日はバイトあんの?」

 訊いてみたところ、玲望は「昼過ぎから」と答えたのだ。

 少しは朝寝坊してもいいだろうが、あまり夜更かしをするとバイトに障るだろう。

 よって、二人でもっと遊んだりしたい気持ちはあったものの、大人しく寝ることにした。

 さっき「まだ早いか」と思った布団を敷いて、二人で潜り込む。

 玲望の布団は薄っぺらくて、シングルサイズなので男二人には随分狭い。

 だけどそのぶん密着できるので、瑞希は嫌いではなかった。

 布団からはみでないように、玲望をしっかり腕の中に抱くことができる。

 普段素直でない玲望も「布団からはみでるから」と言えば、最初こそぶつぶつ言うことがあっても、最終的に大人しく収まってくれるから。

「明日は玲望の朝飯が食いたいな」

 ちょっと甘えるようなことを言ってしまったのも、そんな気持ちから。

 きみの味噌汁が飲みたい、ではないが、恋人の朝ご飯を食べられるなんて、幸せなことではないか。

 玲望は想像したように「たまにはお前がやってもいいんだが」とぶつぶつ言ったけれど、一応呑んでくれたらしい。

 今日もバイトがあって、疲れていたのもあっただろう。

 なにしろ立ち仕事だ。

 早くもうとうとしはじめたのが感じられた。

 瑞希は玲望を眠りに誘うように、髪に触れる。

 さっき、ドライヤーで乾かしていたときよりも、優しく梳いた。

「オヤスミ」

 瑞希の言ったことにはやはり「んー……」しか返ってこなかった。

 おやすみを言う前に玲望は眠りに落ちてしまったようだから。

 すやすや寝息を立てはじめた玲望を腕に抱きつつ、瑞希は自分の目がとても優しくなっていることを自覚する。

 今日もとても幸せな日だった。

 こういう幸せな日をくれる玲望のことを愛しく思う。

 そういう存在でいてくれることに、いくら感謝しても足りない。

 いつか。

 いつか、もう少し先のこと……。

 自分と玲望が高校を卒業したとか。

 そのくらい先の未来。

 訪ねてきて、一緒に過ごすのもいいけれど、もっと一緒にいたい。

 同じ時間を過ごしたい。

 つまり、一緒に暮らしたい。

 それは高校を卒業したあと、大学生の身でも高望み過ぎるかもしれないけれど、叶えられないなんて思わない。

 高校卒業後では無理だとしても、社会人になったらとか、いくらでも時間はある。

 それまでの間、玲望と一緒に過ごしたいと思っていたし、玲望のほうもいくらかはそう思ってくれているのではないかと感じていた。

 明日の朝ご飯はきっと、その日を迎えるための一歩になってくれる。

 そんなふうに感じながら、瑞希は玲望を抱えて金髪に顔を埋めて、目を閉じた。
 ボラ研の夏の活動は一週間ほどあとに決まった。

 週明けに鈴木教諭に先日の会議の内容を相談した瑞希。

「いいんじゃないか」といつも穏やかな笑みの中年男性・鈴木教諭はノートの内容を読んで、言ってくれた。

「ただ、ラージサイト開催のはやっぱり間に合わないみたいなんです。三ヵ月くらい前に申し込みなんだとか」

「そうか、そりゃ大規模イベントならそうかもな」

 それは残念であったが、逆に取れば次回の大型活動のときにはじゅうぶん余裕をもって申し込みを検討できるというわけだ。

 瑞希の代では無理かもしれないけれど、来年などに活動候補の参考になるだろう。

「でもこれは今からでも間に合うんだろう」

 鈴木教諭が指差したのは、今からでも申し込みができるいくつかのバザー出展イベントであった。

 駅前でのもの、夏休み中の小学校でのもの……規模は比べ物にならない。

 けれどなにしろ初めての試みなのだ。

 こういう小さいところからはじめるのも、ある意味安心といえた。

「はい。早いのは今週末が締切だそうで」

「そうか。じゃ、それに決めるなら早いことしないとだな」

 そのように打ち合わせは着々と進んでいって、駅前のバザー出展と、小さな合宿での奉仕活動をメインにすることに決まった。

 そのほか夏休みの学校や近隣の清掃活動や整備、そんなものも請け負う。

 夏休みとはいえ、活動はなかなか多くなりそうであった。

 しかし瑞希はなにしろ三年生である。

 本格的な受験勉強はまだ早いが、夏休みの間もそれなりに勉強しておかなければいけない。

 忙しくなりそうだな、と思う。

 でもそれは瑞希にとって、楽しい忙しさだ。
「よーし、みんな、準備はいいか」

 ある放課後、瑞希はボラ研部員を家庭科室に招集していた。

 今日はバザーで出す焼き菓子の試作をするのだ。

 バザーは無事に申し込めて、受理された。

 再度会議をして、出すものはリサイクル品と、手作りの焼き菓子に決まった。

 売り物はバザー直前に作るのだが、一度試作してみたほうがいいと思って。

 ぶっつけ本番より安心できるだろう。

 瑞希が教壇でかけた声には「はい!」「オッケーっす!」という元気のいい声が返ってくる。

 瑞希は家庭科室の中を見回して頷いた。

「今日は講師を呼んである。俺の友達の基宮。料理が得意で、菓子作りも得意なんだ。こいつに習おうと思う」

 隣を示す。

 そこにはしっかりエプロンをして、金髪をピンで留めた玲望が立っている。

 部員たちに向かって一礼した。

「基宮 玲望といいます。どうぞよろしく」

 玲望の挨拶にはぱちぱちと軽い拍手がかけられた。

 それで早速実習となる。

「まず、これを読んで。材料の計測や調理手順が書いてあるから」

 玲望はプリントを部員たちに配っていった。

 それは玲望の作ってくれたものだ。

 レシピはネットで調べたものだと玲望は言っていた。

 でもオーブンによって焼き具合などの調整が必要になってくるからと、わざわざ自分で一回試してくれたらしい。

 瑞希が「手伝ってくれないかな」と頼んだとはいえ、律儀である。

 そういうところが好きなんだな、と瑞希は横で自分もプリントに目を通しながら思ってしまった。
「さ、じゃあそろそろはじめるか。A班はクッキー。B班はパウンドケーキ。C班はマドレーヌだ」

 部員をみっつの班に分けて、それぞれ違う菓子を受け持たせる。

 瑞希と玲望は特にどこの班にも所属せずに、あちこちを回って進行を確認する役に回った。

「調理実習みたいだねー」

「こういうのも楽しいな」

 おしゃべりは禁止でないので、わいわいと楽し気な会話が交わされる。

 まずしっかり手を洗って、次に材料計測から、と進めていく。

「あ、これね、もっとざくっと荒く刻んで。あんまり細かく切ると、食感が楽しめなくなっちゃうんだ」

 玲望が一人の女子生徒に声をかけるのを、瑞希はちょっと離れたところから見た。

 それはクルミを刻んでいる子だった。

 確かに、クルミの食感を生かすには少し荒めのほうがいいのだろう。

「あ、はい! ……このくらいでしょうか」

 女子生徒は玲望に声をかけられて、ちょっと顔を赤くしてクルミにもう一度向き直った。

 玲望はそれを見て僅かに笑みを浮かべた。

「そう、このくらい」

 玲望はちょっとぶっきらぼうなところがあるので、答えたのはそれだけだった。

 でもじゅうぶんに優しい指導だ。

 彼女はちょっと照れた様子で「そうします!」と玲望にお礼を言った。

 瑞希はそれを見て、微笑ましく思ってしまう。

 自分の大切なひとである玲望が、ひとにものを教えて、それを感謝してもらっている。

 なんだか自分まで嬉しくなってしまったのだ。