レモネードはよく冷やして

 そんなことを口に出したら、気分を害してしまうだろうから、言わなかったけれど。

 まぁ、言うにしても、夜、改めて会ってからだ。

 今、言うことではない。

「何時でもいいよ。じゃ、終わったら連絡くれ」

「ああ」

 それで玲望はさっさとレジで会計をして、「じゃ」とだけ言って、先に出ていった。

 たった数分のやり取り。

 なのに幸運なことにも、夜、会えることになってしまった。

 降って湧いた幸運ともいえる。

 楽しみが待っていると思えば急にやる気まで出てきた。

 俺も頑張って夜までにレポート、仕上げないとな。

 半端なまま向かうなんて情けない。

 やることはきっちり終わらせなければ。

 思って、アイスを早く選んで帰ろうとしたのだけど。

 ちょっと違うことが思い浮かんだ。

 数秒だけ迷って、瑞希が掴んだのは、ふたつのアイスであった。
 バイトから帰ってきた玲望は汗だくであった。

 瑞希が時間を合わせて部屋を訪ねると、ちょうど帰ってきたところで「ちょっと先に風呂、入る」と、さっさとシャワーを浴びに行ってしまったのだ。

「あー、涼し」

 シャワーでさっぱりしてきて、どっかり座ってクーラーの真下に陣取った玲望。

 夏の暑さのほかに、風呂で火照ったのもあるだろう。

「おい、そんな冷やすと風邪引くぞ」

 いくら今は暑くても、クーラーの真下など。

 瑞希は用意してきた『夕食』をちゃぶ台に並べながら、苦言を呈した。

 それに目にも悪い。

 部屋着のハーフパンツに薄いTシャツだけの、湯上り姿など。

 これは瑞樹のただのよこしまな思考であるが。

「いいだろ、冷めるまでだって」

 玲望はクーラーの真下に座ったままで、ちょっと不満そうな顔になって瑞希を見上げた。

 でも瑞希はきっぱり言い放つ。

「そんなとこだとソッコーで冷え切るだろ」

 なにしろ玲望の家はボロアパート。

 ついているクーラーもなかなか古い。

 流石にアパートが建てられてから何回か取り換えられているはずだが、どう見ても新品とはほど遠いのである。

 つまり性能もあまり良くないし、温度設定も極端なのだ。

 温度を下げると冷え過ぎることも多々。

 玲望はクーラーに関しては、使うのを惜しまなかった。

 普段は電気代に対して非常に厳しいのに。

 その理由は「熱中症になったほうが医療費がかかるから」だったのだが。

 結局合理的なのであった。
「ほら、メシの支度、もうできるから」

 これは意識を別に持って行かせるしかない。

 瑞希はそう思って、玲望の気を引くようなことを言った。

 玲望もそれに乗ってくれたようで、顔をこちらへ向けた。

 ちゃぶ台にご飯が並べられつつあるのを見て、「おおっ!」と顔を輝かせた。

「瑞希が作ってくれるなんて、雪が降るな」

 でも辛辣なことを言うので、瑞希は玲望を睨んでおいた。

「降るかよ。ゴハンはあるんだろ」

「ああ、冷凍がある。持ってくるわ」

 ゴハン、つまり白ご飯。

 玲望はいつも独り暮らしなのに、炊飯器いっぱいにご飯を炊く。

 そのとき一食分だけ食べたら、あとは小分けにして冷凍しておくのだ。

「そのほうが炊く電気代が抑えられるからな」だそうで。

 ちなみに冷凍庫に関してもぬかりはなかった。

「熱々を入れると、それを冷まそうと電気代を食うから、しばらく置いておいて冷ましてから入れて凍らせるのがポイントだ」なんて自慢気に言ってきたものだ。

 まぁ、そのような理由で、玲望の冷凍庫には大抵、何食分かの白ご飯が常備されているのだった。

 そのご飯をレンジであっためて、丁寧に茶碗に移して綺麗に盛って、持ってきてくれた玲望。

 瑞希がタッパーから皿に移していったおかずもあっためた。

 それで少し遅い時間ながら、二人の夕ご飯となったのである。

「いただきまーす。……これ、野菜炒め?」

「ああ」

 箸を持って、律儀にいただきますを言って、玲望はひとつの皿から野菜を摘まんだ。
 ざくぎりのキャベツだ。

 タレと絡めて炒めたもの。

 どう見ても立派な野菜炒めだけど、と瑞希は思った。

「なんか見慣れないもんが入ってる」

 ああ、なるほど。

 確かにちょっと変わったものを使った、と瑞希は『見慣れないもん』を摘まみあげて正解を言った。

「ああ、かまぼこ。肉がなかったから」

 細く切った、白いかまぼこ。

 そのままの形から切った上に、タレと絡んで色もわかりづらかったから、そりゃあ『見慣れないもん』でも不思議はない。

「ふーん。……ん、甘辛いな」

 ぱくりとキャベツを口に入れて、もぐもぐと噛む。

 噛み締めて、感想を言った。

「なかなか上手くできただろ」

 火もちゃんと通ったことを確認した。

 逆に焦げてもいない。

 普段、ほとんど料理をしない瑞希にとっては立派に上出来な料理だったけれど。

 玲望はもうひとつ摘まんだ。

 今度はそのにんじんをそのまま食べるのではなく、ご飯の上に乗せて、それから白ご飯と一緒に持ち上げた。

「まぁ、悪くはないけど、ちょっと味が濃いな」

 褒められたのか、否定されたのか。

 どっちとも取れずに瑞希は「そうか?」と曖昧に返してしまった。
「売ってるタレ、使ったんだけど、濃いのか……」

 でもじわじわと染み込んできて、ちょっと気落ちした。

 間違いがないようにと、味付けは市販のタレを使ったのだ。

『一回分』と小分けにされて、食材と和えるだけでいいという、アレだ。

 上手くできたと思ったのだが、料理上手な玲望からしたらまだまだのようだ。

 瑞希のテンションが落ちたのを感じたのか、玲望はご飯と一緒に口に入れた野菜炒めを頬張りながら、こちらを見る。

「悪かないぜ。ゴハンと食うならちょっと濃いほうがいいし」

「そ、そうか!」

 フォローかもしれないが、とりあえず『悪くはない』と言ってもらえた。

 瑞希は単純なことに、それだけでぱっと気持ちは持ち上がった。

「ああいうのってな、万人ウケするようにちょっと濃い目に配合してんだよ。だから、指定の量よりちょっと控えめに入れるようにしたらちょうどいい」

「ふーん……そういうもんなの」

 玲望の知恵を聞きながらご飯は進んでいく。

 次に玲望が手を伸ばしたのはサラダであった。

 きゅうりを切って、レタスをちぎって、上にはサラダチキンもちぎって置いた。

 ついでに端っこにプチトマトを乗せた。

 彩りも栄養も良いと思う。

 だが玲望には笑われてしまった。

「盛っただけじゃん。味、ついてないだろ」

「……あっ」

 言われてやっと思い当たった。

 普段、家でサラダを食べるときは、ボトルに入っている市販のドレッシングをどばどばかけて食べるので、気付かなかった。
 やらかした、という声を出した瑞希に、玲望は声をあげて笑った。

「相変わらず瑞希の料理は雑だなぁ」

 でもそのあと、立ち上がって、言った。

「わかった、なんかドレッシング作るわ」

 それでキッチンへ向かう。

 玲望の家にはドレッシングというものがないのだ。

「すぐできるし」と、醬油やみりん、あと油となんだかを混ぜて、パパッと自分でブレンドしてしまう。

 それは市販のものよりずっと美味しいのであった。

 今日もそのとおり、ものの三分ほどで小さな深皿に入れたドレッシングがやってきた。

 今日は洋風に、マヨネーズがメインのようだ。

 シーザードレッシングに似ている、と瑞希は思った。

 それでサラダもやっと完成形になり、食事も進んでいった。

 ほかには瑞希の母が、家の夕食に作っていたひじきの煮物を少し分けてもらってきたものと、あとは冷蔵庫にあった煮卵のパックを頂戴してきたりしたものが並んでいた。

 玲望は遠慮なくそれらに箸を伸ばして、どんどん平らげていった。

「しかし、誰かの作ってくれたメシってのはいいもんだ」

 玲望はあれこれ言ってきた割には、嬉しそうにもりもり食べてくれる。

 その中でそう言った。
「そっか! そりゃ良かった」

 瑞希は最初、それを言葉通りに受け取った。

 けれど、数秒してはっとする。

『誰かの作ってくれたメシ』。

 玲望は滅多に、食べられないのである。

 瑞希がお邪魔するときも、ご飯は大抵玲望が作ってくれる。

 こんな、奇妙な点やミスだらけの自分のご飯ですら、玲望は普段、食べることがないのだ。

 だからきっと、わざわざ口に出して言ってくれるほど、喜んでくれた……。

 その事実は瑞希の胸をちょっと痛ませた。

 前には、毎食、独りでご飯を食べる玲望に胸が痛んだことがあった。

 それと同じたぐいのことである。

 玲望が一緒にご飯を食べられるような相手が、居たらいいのに、と思う。

 そしてその相手が自分であったらいいのに、とも思う。

 いつかはそうなりたいと、思うけど。

 とりあえずすぐには叶わない。

 もどかしい、と思ってしまいながら、瑞希は野菜炒めの最後のひとくちを摘まんだ。

 切り方も火の通りも、勿論、味付けも完璧な、玲望の野菜炒めとは程遠いもの。

 自作のその野菜炒めはやっぱりちょっと甘辛い味が強くて、瑞希の心にじわりと染みた気がしたのだった。
「へー、気が利くじゃん」

 ぺりぺりとアイスの蓋を開けつつ、玲望の目はきらきらしている。

 瑞希が「バイトお疲れさん」と差し出したアイスである。

「さんきゅー」なんて軽くお礼を言って、玲望はアイスがなんなのかを確かめたあと、蓋を開けはじめたのだ。

 昼間、玲望と出くわしたコンビニで買ったもの。

 の、うちのひとつ。

 アイスはコレと、もうひとつ買った。

 そのもうひとつはとっくに瑞希が家で食べてしまったけれど。

 そりゃあそうだ、アイスを買いに、わざわざ暑い中コンビニへ行ったのだから。

 すぐに食べたかったに決まっている。

 だけどせっかくあそこで会ったのだ。

 ついでに差し入れにすることを思いついたのである。

「でもなんか悪いな、夕飯までご馳走になったのに」

 あんな欠点だらけの料理だったというのに、玲望はご馳走になった、なんて言ってくれる。

 それが玲望の優しいところ。

「いいや。それに半分は俺が食うし」

 瑞希はそれを流して言った。

 そう、このアイスは二人でシェアして食べられるもの。

 丸い餅のようなものが、ふたつ入っているのだ。

 ぎゅうひでバニラアイスをくるんだもの。

 もちもちとした食感が美味しくて、玲望はこれが好きなのだ。

 贅沢をしないので、自分ではめったに買わないけれど。

「え、そうなのか。てっきり俺が全部食っていいのかと」

 なのに、玲望は付属のピックをひとつに刺しつつしれっと言った。

 瑞希はそれに慌てる。

「おい!? 図々しいな!?」
 しかし玲望はまた笑ってくる。

 さっき、ドレッシングのとき笑ってきたのとまったく同じ笑い方だった。

「冗談に決まってんだろ」

 からかわれた。

 瑞希は理解して、憮然とした。

 まったく、せっかく買ってきてやったというのにからかうなど。

 でも、すぐに「まぁいいか」なんて思ってしまった。

 普段ツンとしがちな玲望が、冗談を言うほど上機嫌なのだ。

 それは瑞希が夕食を作ってきたことも、アイスを差し入れたことも、嬉しく思ってくれたからに決まっていて。

 そんな様子を見せてくれるなら、機嫌を悪くすることではない。

 むしろ逆であるともいえる。

「ん! 美味い。夏に食っても美味いな」

 はむっと噛みついて、玲望は顔をほころばせた。

 今度は『美味しいものを食べた幸せ』というのが全開の笑顔。

 無邪気ともいえるものだ。

「アイスだからな」

 瑞希もそれにほっとしつつ、もうひとつのピックを取って、刺した。

 落とさないよう気を付けつつ持ち上げる。

 玲望が『夏に食っても』と言った通り、このアイスは何故か冬に人気があるらしい。

 テレビなんかのCMも冬のほうが多いのだ。

 まぁ、白くてもちもちしていて餅のようだし、白い粉が上にかかっているので、雪のように見えるからだろう。

 噛めばもちっとした表面の心地良い嚙み心地が伝わってきて、瑞希の顔もほころばせた。

 その中にはひんやりした、甘いアイスがくるまれている。

 二人とも食べるのに夢中になって、数秒その場は無言であった。

 けれど小さいのだ。

 すぐになくなってしまって、「ごちそうさま」となった。

 ちょっと物足りない気がしなくもないけれど、夕食で腹は膨れているのだ。

 デザートにはちょうどいい。