ある冬の朝、真雪(ジェンシュェ)は朝早く目覚めると、こっそりと部屋を出て金剛の部屋に入りそのまま彼の布団に入り込む。真雪は金剛が大好きだ。小柄な幼女である彼女からすれば一九二センチもある巨躯の彼は恐ろしいだろうが、そうは思わない。むしろその巨体が心底安心するのだ。
「ん……真雪……?ん゛ん……また来たのか?」
「うん……!起こしちゃった?」
「いいや。おはよう、真雪。」
「おはよう、パパ……!」
 無邪気に笑う真雪の頭を優しく撫でる。彼女は金剛の腹に乗る。
「今日はパパお休み?」
「そうだな……夜お仕事があるかもな。」
「っ……!そっか……」
 さっきまでの笑顔は消え、悲しそうな顔を見せる。
「どうした?」
「……わがままダメでしょ?」
「何言ってるんだ?真雪のわがままは俺は嬉しい。言ってごらん。」
 真雪は少し躊躇ったが、ポツポツと雪が降る様な声で言った。
「あのね……?紅飛さんが言ってたの。駅の前でイルミネーションっていうのやるって。それにパパと行きたかったの。」
(だから夜仕事があると聞いて悲しそうだったのか……失敗した……)
 金剛は猛省した。そして、イルミネーションと聞いて思い出す。今日はクリスマスイブだ。だが、プレゼントもご馳走も用意していない。ただ、真雪に寂しい思いはさせまいと決めていた。
「真雪、明日行こう。明日は俺も仕事はないから。」
 暗い顔がパァっと晴れる。
「ほんと?!」
「本当だ。明日は二人でお出かけしようか。好きな物買ってやる。」
「わぁーい!約束だよ!」
 真雪はまた歯を見せて笑った。

 その日、金剛はパンケーキを作ってやり、一緒に本を読んだり外で遊んだりした後、夜仕事に出かけた。

 ドスドスと響く完全防音の拷問室。金剛は拳を拘束された男に向ける。
「もうのびてますよ、金剛様。」
「ちっ……!」
 ここは事務所下の拷問室。珠家に逆らった卸屋を絞めていた。男はその卸屋の若者、親父が留守でいないことをいいことに珠家に高額交渉してきた。親父はいい人で高品質を安く大量に、という考えの人だった。親父に聞くと、ろくな奴じゃないから好きにしていい、とのことだった。
「のびてんじゃねぇぞぉお!!」
 殺す勢いで顔面を殴りつける。いや、殺すのが金剛の目的だ。痛々しい肉を打つ音と、血しぶき。
 日付が変わる頃には、若者の顔面が跡形もなく、冷たくなってた。
 金剛の本性は、殴殺狂いのフィジカルファイター。頑丈で屈強な巨躯は他人をものともせず、付いた異名は「不変の殺戮人形(マーダードール)
「彼女に伝えますね。」
 隠し階段の扉を開け、一階にいる水海を呼ぶ。
「すみません、水海様、業者の手配を拷問室にお願いした」
「すみません……!それどころじゃないのです……!金剛さんいらっしゃいますか……?!」
 薄ら聞こえる水海の焦る声に金剛が一階に上がる。
「どうした?」
「仕事終わりにすみません。ですが、緊急事態なのです……!」
「分かった、分かったから。何があった?」
「落ち着いて聞いて下さい……」
 彼女の言葉に生唾を飲んだ。妙に静かな部屋がどうも不安を煽る。
「……真雪が攫われました。」
「はぁ……?真夜中だぞ?!」
「はい、ですが真雪の部屋の窓が割られていて、見に行った時にはもう……」
「はっ……!」
 真雪の部屋は向いの廃ビルと細い道一本分の距離しかない。おまけにベランダ付きともなれば、廃ビルから飛び移ることなど容易いだろう。
「ベッドに手紙がありました。『返してほしかったら、二億円を金剛に持ってこさせろ』と。」
 スマホを持つ手が震えて、状況整理も上手くできない。だが、そんなことをする奴らに心当たりがあった。
「分かった。行こう。」
「危険ですから、作戦を練ってから」
「いや、もうすぐ行く。二億の用意頼めるか?」
「ですから、作戦を!」
 冷静じゃない自分が恐ろしい。真雪が心配で仕方ない。
「今にも真雪が危険な目に遭っているかもしれない!怖い思いをして泣いてるかもしれないんだ!そんな状況で放って置けるか!!」
 水海に向かって怒鳴った。
「金剛さん……」
「金剛、お前の言いたいことはよく分かった。」
 自室から鳩王が出てきた。
「もう二億用意してある。ドライバーもいる。早くいけ。真雪がお前を待ってるんだ。」
「鳩王……痛みいます。」
 金剛は勢いよく玄関を出て、車に乗り込んだ。

 真夜中の高速道路を走る車の中、金剛の頭の中は真雪でいっぱいだ。出会ったのは丁度一年前ほどで、会う度に泣かれたのを覚えている。ただ彼女の境遇は少し自分に似ている気がした。
 親の顔を知らずに孤児として育ち、スラム街で今日を生きるがために悪に手を染めた金剛。
 幼くして親に売られ、悪質なオークションに出品されていた真雪。
 か弱い彼女を見て、寂しかった少年時代を思い出した。同時に彼女の父親代わりになると誓った。いつしか金剛を「パパ」と呼んでくれた時には涙を流した。
「着きました。ここです、金剛さん。」
「ありがとう。」
 一時間半も車を回して着いたのは、山奥の廃工場。二億円が入ったトランクケースも持ち、錆びた扉を開ける。
「来たぞ!!俺だ!!金剛だ!!」
 グワングワンと場内に響く金剛の声に、反応はない。
「ちゃんと二億持ってきたぞ!とっとと真雪を返せ!!」
 トランクケースを投げ、床に落ちた衝撃で開いた。
「フッフッフッ!!いやぁ、こんなに早く来るとは思わなかったよ。」
「やはりお前か……漱石(シュシー)!!」
 漱石は真雪が売られていた闇オークションのオークショナーだった。なぜその闇オークションが珠家の逆鱗に触れたのか。理由は主に二つ。一つ、子供の売買が主に行われていたから。そして、そのオークションが珠家のシマで無断で行われていたから。
 珠家は表家業では孤児支援などを行っており、悪の道へならざるおえない子がいなくなるように、と活動している。それは悪に染まってしまった子の末路を知っている彼らだからこそだ。
「約束の二億だ。俺も来たんだ。早く真雪を返せ。」
「そんなにかつかつしないでおくれよ。俺らの目的はこれからなんだから。」
 漱石が指を鳴らすと、ゾロゾロと構成員が出てくる。ざっと一〇〇人、内の一人が真雪を拘束していた。首に刃物を向け、変な真似したらどうなるか分かってるよな、とでも言っているようだ。
「殺れ!」
「ぅおぉぉぉぉぉおおおお!!!!」
 一対一〇〇なんて卑怯だ、なんて言ってる暇はなく、持ち前のフィジカルで次々と倒していく。それでも。
「おらっ!!!」
「っ……!?あ゛がっ!!」
 後方に注意が向かず、後頭部を思いっきり鉄パイプで殴られる。その衝撃で地に膝を着くと、こぞって金剛を袋叩きにする。頭だろうが背中だろうが足だろうが関係ない。踏みつけ蹴飛ばし殴りつける。身動きの取れない金剛はされるがままだ。
(だ……めだ……いし……き……が……)
 だんだん遠のく意識の中に、真雪が頭に浮かぶ。
(じぇ……んしゅ……え……)
「んぅ……ん……?ぱ、ぱ……?」
 一粒、柔らかい六つの花が咲く。
「はけろ。真雪、よく見るんだ。」
 漱石の命令に構成員がはけ、瀕死状態の金剛が現れる。
「ぱぱ……?パパ!パパ!しっかりして!」
「お前が仲良くした奴みんなああなるんだ。」
「ひぃっ……!」
「どうすればいいか……お前なら分かるだろう?」
 強引に頬を掴み力なく倒れる金剛の方へ視線を向けさせる。つぶらな瞳から大粒の涙が流れ落ちる。
「パパ……!パパ……!!」
「違う!あいつはお前のパパじゃない。お前は家族ごっこの玩具に過ぎない!!!でも!俺はお前がどうしようもなく欲しい。」
 漱石の眼力に気圧される。
「私が……欲しいの……?」
「そうだ。俺はお前が欲しい。その純白の髪も色違いの美しい瞳も、良い値が付く。」
 幼いながらも真雪は分かっていた。真雪は金のために親に売られた。苦しい生活の中で出来た自分。その容姿は普通とは違った。家から去る時、薄いドアの向こうから聞こえた両親の声は一生忘れない。
『これで一生遊んで暮らせるな!』
『ほんと!あの子を売って正解だったわ!』
 商品である孤独な自分を見つけてくれた金剛。ずっと欲しかった「家族の愛」をくれた人。
「私のこと……どうしてもいいから……パパを……金剛さんを……助けてください……」
「あぁ、約束しよう。」
 金剛を助けるためなら別れも惜しまない。幼気な彼女には大きな決断だった。
「少しだけ、離してください……」
「いいだろう。お別れの挨拶でもしてくるといい。」
 構成員は手を緩め、真雪を自由にする。彼女は金剛に駆け寄り、そっと手を握る。まだ、真雪の手よりずっと大きく硬い手は温かく脈も感じる。
「金剛さん、水族館に連れてってくれてありがとう。絵本読んでくれて……ありがとう……」
 雪解け水が手を濡らす。
「公園で遊んでくれて……ありがとう……私のパパに……なってくれて……ありがとう……私……絶対……金剛さんのこと……忘れないよ……大好き……大好きだよ……!パパ……バイバイ……!」
 頬についた煤をサッと払い、キスする。
「戻ってこい、真雪。」
「うん……っ?!」
 漱石の元へ戻ろうと金剛の手を離そうとした時、優しく包むように握られた。
「随分……悲しいこと言ってくれるじゃねぇか、真雪。」
「ぱ……ぱ……?」
「こんなに泣いて……怖かったな。遅くなってごめんな。」
「っ?貴様いつから!」
 ゆっくり立ち上がり、首を二、三度鳴らす。
「いつから……真雪が金剛さんなんてよそよそしい呼び方したらだな。ときかかな。」
「こいつ……!!おい、お前ら!殺っちまえ!!」
「真雪、俺がいいよって言うまであそこで目瞑って耳塞いでろ。いいな?」
「うん……!」
 真雪を工場の角に避難させ、次々になぎ倒していく。先ほどまでのダメージを感じさせないパワーとスピードであっという間に全滅させた。
「おい、漱石……?」
「ひ、ひぃっ!!」
「歯、食いしばれ!!」

 真雪は何も知らない。

 工場には金剛の吐く息だけが響いた。そっと真雪に近づき肩を叩く。
「真雪、いいよ。帰ろうか。」
「金剛さん……」
「やめろ、そんな呼び名。いつも通り呼んでくれ。」
 真雪の可愛らしい瞳いっぱいに涙を溜めた。
「パパ……パパぁぁぁ……!!」
「怖かったろ?もう大丈夫だからな。帰ろうな。」
 金剛の胸で泣き叫ぶ彼女を抱き上げ、車に乗り込む。ドライバーに水海への連絡を頼み、真雪の頭を撫でる。
「いいか?真雪。どんなときでも俺の娘だってことを忘れないでくれ。」
「娘……?」
「ああ、俺の大好きな子供っていうこと。真雪は俺の娘、俺は真雪の父親。愛してるよ。」
「私はパパの娘……パパは私の父親……愛してる……?」
 金剛は大きく頷く。
「大好きよりも好きってこと。だから、もう……『バイバイ』なんて……言わないでくれ……」
 金剛の瞳から一筋の涙が流れた。
「本当に……無事で良かった……」
「パパ……何か怖いの……?怪我痛い……?」
 真雪は金剛の涙を拭った。
「違うよ……真雪が帰ってきてくれてすごく安心してるんだ。明日、イルミネーション楽しみだな。」
「イルミネーション……!うん!楽しみ!!」
 すっかり真雪も笑顔を取り戻し、事務所に着く頃には二人とも気持ちよさ気に眠っていた。
 その日から真雪は金剛の部屋で寝るようになった。

 朝、日が昇ると金剛の身体中の傷が顕になる。
「パパ、大丈夫……?すごい痛そう……」
「痛いが、大丈夫だ。このくらいすぐ治る。」
 そう言っているものの実際は左腕と肋骨の何本かを骨折し、何一〇、いや何一〇〇針と縫う重傷だ。
「今日、イルミネーション行かない……」
「っ!?パパなら大丈夫だぞ。真雪、楽しみにしてたじゃないか。」
 真雪は金剛の方を向いて、無垢な笑みを浮かべた。
「だって来年も見れるもん!来年の冬も、その次の冬も、パパが元気な時に一緒に見に行こう?」
「真雪……あぁ、ありがとうな。」

 結果的に翠花たちが気を利かせて、事務所の駐車場に小さなイルミネーションを作ってくれた。真雪は二階からそれを見て、とても嬉しそうだった。

「私、パパとずっと一緒にいる!パパ、だぁい好き!!」
「ありがとう、真雪。俺も大好きだよ。」