翌日、スーツに着替え鏡の前に立っていた。
 ピシッとしている姿も、見納めかもしれないな……。

「キュウッ!」

 すると後ろからおもちが、ぽんぽんと羽根を当ててくる。
 まるで、『お疲れ様でした』と言われている気分だ。

 しゃがみ込んで、おもちの頭を撫でる。

「ありがとよ。それじゃあ、行ってきます」

 朝七時、深呼吸して家を出た。

 ◇

 会社に到着すると、ある異変が起きていた。
 オフィスの奥、社長室からご機嫌な声が聞こえる。

 そんなことありえない。いつも怒鳴り散らすか、愚痴をこぼしているからだ。

 後輩に訊ねてみると、どうやらかなり大手の企業さんが取引で来ているとのことだった。
 詳しくはわからないが、声からすると好条件な仕事なのだろう。ただ——。

「なんでこんな時期に?」
「さあ……。けど、随分と羽振りのいい話っぽいです」

 そういえば彼女の姿はない。いや、もしかして……。

「御崎は?」
「ああ、先輩なら社長室に呼ばれました」
「呼ばれた?」
「はい、なんかダンジョ——」

 俺は後輩の最後の言葉を聞かずに、急いで社長室に向かう。
 あいつ……もしかして酔ってたから覚えてないのか?

 扉を開こうとすると、社長《あいつ》の笑い声が聞こえてきた。

「いやあ! まさかですよ! そこまで会社《うち》を買っていただけていたとは!」
「いえ、こちらこそ。御社の広告は目を見張るものがあります」

(……どういうことだ?)

 少しだけ様子を見ようと、小窓から覗き込む。
 立っているのは、うちの社長、取引先のであろうスーツ姿の年配者二人、その間にいるのは——御崎だ。

「がはは! うちの御崎を好きに使ってくださいよ! 何でもしますから!」

 社長が、御崎の肩をぬちゃぬちゃと触っている。表情が物語っているが、めちゃくちゃ怒ってるな。

「しかし一堂さんはダンジョンはまだということなので、あまり無理させたくはないのですが……こちらとしては広告を手伝ってもらうだけでもと思ってますよ」
「大丈夫ですよ! こき使ってやってください! なんだったら休憩なしでもいいですよ! なあ、ミサキ!」
「は、はあ……」

 どうやら取引先の人たちは御崎を気遣ってくれている。なるほど、社長《あいつ》が一人で興奮しているだけだ。
 よし……。

 俺は胸ポケットに入っている封筒をスーツの上からぽんぽんと叩いたあと、扉を勢いよく開く。

「失礼します」

「ん? なんだ阿鳥? 何で入ってきた?」

 俺が入室するなり、社長が眉を潜めた。御崎はただただ驚いていた。

「すみません、突然かもしれませんが、今回の仕事を承ることはできません」
「何言ってんだお前? 勝手に入ってくるな。関係ないだろう、失せろ!」
「関係あります。御崎は僕のパートナーなので」
「はあ? 何いってんだ?」

 昨日、俺は御崎のことを誘った。これから二人、いや、おもちと3人で配信者としてやっていこうと。
 その時は頷いていたが、もしかしたら冗談だと思われていたのかもしれない。
 再度確認しなかった俺のミスだ。

「阿鳥……もしかして、昨日の話本気なの?」
「ああ、そうだ」

 気持ちがようやく伝わったのか、御崎は訝し気な表情で訊ねてきた。
 取引先の人には悪いが、今このタイミングで叩きつけてやる。

「すみません。すぐ終わるのでいいですか? ——社長、話があります」
「おい 阿鳥! 今すぐここからでていけ!」

 相変わらず粗暴な口調だ。取引先がいるにもかかわらず、まともな敬語すら使えない。
 それだけでは飽き足らず、俺の胸ぐらを掴んできた。

 ……最後だ。もう我慢しなくていいだろう。

「お前、いい加減にしろよ」
「……ふえ?」

 今まで言ったことのない口調で凄み、乱暴に腕を弾き飛ぶすと、社長《こいつ》は情けない声を出す。
 
「今までずっと我慢してきた。お前の無茶な仕事にも、セクハラにも、モラハラにも。けどそれはお前のためでも、会社のためでもない。ここで働いていた、働いている皆のためだ」
「な、な、な、な! 俺に向かって、な、ななんて口を——」
「だがもう限界だ。御崎は俺の大切な同僚で、お前の駒じゃない。休憩なしで働かせるだと? ふざけるなよ。——御崎は俺がもらっていく」
「は、はあ!? 何を言ってる貴様!」
 
 社長の叫びを無視して、御崎に手を伸ばす。

「御崎、昨日の話は本気だ。おもちと一緒に配信しよう。それでも足りなかったら、俺はダンジョンに行く。社長《こいつ》と違って、危険な目には絶対に合わせない」
「……本気?」
「ああ、本気だ。俺にはお前が必要だ」

 全ての気持ちを御崎に伝えた。
 しかし社長《バカ》が、間を割って入ってくる。

「お前、ふざけるな! 御崎は俺のもんだ! 俺の部下だ! てめえなんかに——」
「……阿鳥、わかった。じゃあ私も、我慢しなくていいや。——おい、この糞野郎」
「糞や……ふえ!? お、俺のことか!?」

 御崎は思い切り社長の胸ぐらを掴んで、あろうことか片手で持ち上げる。
 ……その細い腕にどこにそんな力が?

「毎日毎日、口が臭せえんだよ! きやすくぽんぽん肩に触れやがって! 何が俺のものだ? てめえ、殺すぞ!」
「み、御崎、落ち着くんだ。な、な!?」
「ひ、ひいやあああ!?」

 社長を殺さんとばかりの勢いで詰め寄る御崎。社長《バカ》は怯えて情けない声を出している。

「もし、道端で見つけたらぶち殺すからな! わかったああ!?」

 その瞬間、御崎は『動かしてあげる』のスキルを発動。ありとあらゆる物が空中に浮かび、社長に対して鋭い矛先を向ける。
 これには取引先、果ては社長はもはや怯えて声も出ない状況。

「あ、あ、あ、あひ、あひ、あひ、あひ」

 もうこうなってくると、社長《バカ》のことはどうでもいい。
 むしろここにいると取引先の人たちに申し訳ない。すいません、全く無関係なのにすいません。
 僕が代表して謝ります。

「ったく、ぼけが! ——じゃあ、阿鳥、いこっか?」
「あ、ああ……」

 おそろしい。おそろしすぎる。俺、御崎と本当にやっていけるのかな?

 そして俺たちは辞表を叩きつける。てか、御崎も持ってたのか。

 しかし社長《バカ》は、それを見て我に返ったのか、未練がましく文句をいいはじめた。

「あ、あほどもが! 消えろ消えろ! 辞めちまえ! お前らなんていなくてもなあ、うちには働き手がいっぱいいるんだよ! ゴミが!」

 その瞬間、扉が開く。
 現れたのは、同僚、そして後輩たちだった。

「俺もやめます」「私も」「俺もです」「私もやめます。こんな会社」

 それには流石の社長も呼び止めて懇願しはじめた。

「お、おいお前たち!? なんでだよ、おい!?」
「阿鳥先輩、御崎先輩、今までありがとうございました。二人がいないなら、俺たちも働く必要がないです」

 俺が面倒を見て来た後輩たちが、そう言った。社長は泣きべそをかきながら女々しくすがっているが、誰も話を聞かない。
 こいつが一人で出来ることはない。会社は明日にでも大変なことになるだろうが、俺たちにはもう関係ない話だ。

「それじゃ、二度と会う事はないと思いますが。——すみません、せっかく取引にきてもらったのに、……申し訳ない」
「あ、ああ。大丈夫だが……」

 最後に、取引先の人達に頭を下げた。本当の被害者は彼らだ。
 こればかりは申し訳ない。

 ◇

 晴れ晴れした気持ちで御崎と会社を出る。後輩たちとも、後日打ち上げの約束をした。
 思う存分愚痴を言える会は、想像するだけでも楽しそうだ。

「御崎、すまなかったな。俺の勢いでこんな」
「私も我慢してたからね。あー、スッキリしたー。気持ちよかった!」

 天高く手を伸ばしながら、嬉しそうに伸びをする御崎。
 確かに気持ちよかっただろうなと納得してしまう。

「俺が何かやらかしても、あそこまで詰め寄らないでくれよ」
「さあ、どうでしょう? ——というか、ダンジョンの件、本当なの?」
「ああ、配信が上手くいかなかったらだけどな。一人でも素材集めはできるって聞くし。その辺はなんとか考えるよ」
「ふうん、ま、その時は私も手伝ってあげる」
「いや、それは話が違うだろ!?」
「パートナー、でしょ? それに、私のスキルの方が強いよ」
「ま、まあそれはそうだけど……」

 大変なことになった。とはいえ、ダンジョンの攻略にはそれなりのお金が必要ともきく。
 配信の機材も増やさないといけないな。
 貯金はそんなにないし、当面は我慢の日々か……。

「あの、すいません」
「はい?」

 後ろから声をかけてきたのは、先ほどの取引先の人たちだ。
 ……なんだろう?

「ダンジョンに行かれるんですか?」
「え? ああ、まだ確定ではないですが」

 俺の答えを聞いたあと、彼らは笑顔になる。

「実は私たち、あなたと御崎さんと契約したかったんです。そして、おもちさんと」
「はい?」「え?」

 聞き間違いか? 俺と御崎? え、おもちも!?

「実は私たち、こういうもので」
「はい。……え、大和会社って……あのペットアイテムとかで有名な?」

 差し出された名刺には、超大手会社、大和の名前が書かれていた。

「ええ、そうです! 実はあなたの配信を見たんですよ!」
「配信って、え? 俺と御崎とおもちのですか?」
「はい! いやーとても面白くて、そして可愛くてびっくりしました。上司を説得し、契約をしたいなと思ってきたんですが、もうこの会社とは無関係なんですよね?」
「そう……ですね」
「良ければ、配信のスポンサーは必要ではありませんか? もちろん、契約金も弾みます」

 手渡された契約書には、見たこともない桁の数が記載されていたのだった。