「シンちゃん、今日こそ会って話をしようよ!」
 12月のある晩、駿(しゅん)は隣家に住む(しん)の家のインターフォンに向かって叫んだ。
『もうすぐ大学の共通テストがあるんだ。お前に構ってる暇はない』
 インターフォンからは、相変わらず冷たい声が返って来た。
「勉強の邪魔してゴメン! でも、だったらせめてなんで急に態度変えたのか教えてよ! 俺たち、幼なじみだろ? 今まで散々遊んできた仲なのに、先月くらいから急に態度おかしくなるし、メッセージも既読マークすらつかなくなったし……。俺、何かした? したなら言ってよ、謝るから!」
『……だから、何もないって言ってるだろ』
 こちらのボルテージが上がれば上がるほど、インターフォンの向こうは熱が冷めていく。この状況も問答も、ゆうに20回は繰り返しているだろうか。『もういいか』と、今日もいつも通り一方的に打ち切ろうとしたので待ったをかけると、ため息が聞こえた。
『どうしても理由が知りたいなら言ってやる』
「え、なに、今日こそ教えてくれんの!?」
『俺と関わらない方がいい。それがお前のためだからだ』
「……は、なにそれ?」
 やっと聞けた答えに納得がいかず、頭のどこかがプチンと切れる音がした。
「……俺、大事なツレから急に壁作られて、この一月ずっとマジへこみしてたんだけど? なのに、関わらない方が俺のためってどういうこと? マジ意味分かんねえんだけど」
『分からなくても、今のが理由だ。忙しいから切るぞ』
「ッ、俺のことが嫌いなら嫌いってはっきり言えよ! シンちゃんなんかもう知らねえ!!」
 ダッと踵を返すと、インターフォンも間髪入れずにブチッと切れる音がした。
(何だよ、何なんだよ、シンちゃんのやつ! 何で急に冷たくなったんだよ!)
 12月の夜の冷たい風が、駿の心に重くのし掛かった。
 駿と真は隣家に住む幼なじみで、物心ついた時からいつもずっと一緒にいた。駿にとってはひとつ年上の兄貴分だが、大事な友達であり、ツレでもあり、憧れの存在でもあった。
 真はとにかくカッコいい。小さい頃から身長が高く、今は180を超えている。性格も優しくて面倒見がよく、誰からも好かれ、頼られる存在だった。
 対して駿は、小さい頃からよくかわいいねと言われてきた。体躯がとにかく小さく、高2になった今でさえ身長は四捨五入してようやく170になる。まだ成長期なのでこれから伸びる可能性はあるかもしれないが、小柄な両親を見るにそれはあまり期待出来そうにない。体質なのかいくら筋トレをしても細身のままだし、顔が母親に似て女顔なせいで文化祭で女装させたい男子ナンバーワンという不名誉な栄光まで手にしたことさえある。性格も、真とは真逆で、落ち着きがなく、すぐに動揺してしまう。
 駿は、そんな自分の外見も中身も大嫌いだったが、ある日真が「駿らしくて俺は好きだよ」と言ってぽんと頭を撫でてくれた。真に言われるまで大嫌いだった自分を、この日以降「あまり好きではない」に格上げすることが出来た。
 駿が今こうして明るく生活出来ているのは、ひとえに真のおかげだ。なのに、その恩人が先月突然態度を急変させた。今まで学校や近所で会っても普通にバカ話のひとつやふたつしていたのに、突然、唐突に、そう、本当に前触れなく態度を硬化させた。具体的には、素っ気ない態度を取り、目を合わさなくなり、登校時間をずらして駿を避けるようになったのである。
 最初は、成績優秀な真でも受験のストレスでピリピリしているのかもしれないと思っていたが、いつもならまめに返って来るメッセージが既読スルーになり、ついには既読マークすらつかなくなった。これはさすがにおかしいと隣家を訪ねると、「ダチじゃないんだから、気安くうちに来るな」とインターフォン越しに冷たくあしらわれた。
「え、ダチじゃないってどういうこと? 今まで散々遊んできたじゃん。先輩たちと遊んでるとこにも混ぜてくれたのに……」
「昔の話だ」
 こう言って、てシンは一方的に話を打ち切りインターフォンを切ってしまった。
「え!? は!? な、何なんだよ、シンちゃん! 顔見て話しようよ! シンちゃーーーん!」
 ドアをバンバン叩くと、真の母親が出てきて「シュンちゃんごめんね、真たら最近様子がおかしいのよ。私も実は困っててね」と、本当に困った顔をした。
 昔からお世話になっているおばさんをこれ以上困らせたくなかったのでこの日は大人しく引き下がったが、おばさんを困らせてまで何がしたいのだという怒りが生まれ、意地でも今までみたいに話してやると心に誓った。
 が、真は「受験生」という便利な言葉を盾に、駿をとにかくかわしまくった。メッセージも、送れども送れども既読はつかない。
 押してダメならなんとやら、しばらくメッセージも存在も消してみようと試みたが、駿が二日ともたなかった。
 ならば理由を言ってくれるまで粘ろうと問答を繰り返してきたのたが、ようやく得た答えが「お前のために俺に関わるな」である。
「マジ意味分かんねえ! ふざけてるよな!?」
 昼食中、同じクラスの俊哉に思い切り愚痴った。怒りに任せ、箸を持った手で天然パーマ気味の髪の毛をかきむしる。俊哉が「汚いぞー」と箸でさしてきた。
「指で人指すなよ、行儀悪いな!」
「てかさあ、そんなに怒ることか? 受験でイライラしてるだけじゃね? シン先輩、確か国立志望だろ。共通テスト近いし、そりゃイライラするって」
「え、何でトシヤがシンちゃんの志望校知ってんの?」
「俺、シン先輩と同じ塾だから。講師室に質問しに行った時、偏差値的には全然問題ないから、落ち着いてそのまま勉強続けろよって言われてるの見たことある」
「さすが、シンちゃん! めっちゃ頭いいからな!」
「何でお前が威張るんだよ」
 俊哉はオレンジジュースを飲みつつ呆れた。
「あー、マジ納得いかねえ。俺のために関わるなってどういうことだよ。マジ納得いかねえ。やっぱさ、俺何かしたのかな? だってよ、今までフツーにしゃべってたんだぜ? なのに、一月くらい前から急に口利かなくなるし、避けられるし、メッセージも既読つかないし……。土日以外毎日行ってるのは、さすがにしつこかったかな」
「そりゃしつこいわ。俺だったらブチ切れてる」
 購買のパンをかじりつつ、俊哉はさらに呆れた。
「なんかさー、聞いてる限りバカップルの痴話ゲンカにしか聞こえないんだけど」
「どこがだよ!」
「だってさー、普通嫌われたかもって思ったら、いくら幼なじみでもそこまで食いつかないと思うんだよね。シン先輩もさ、嫌いなら相手しないだろ。何でわざわざ嫌いな相手と、インターフォン越しとは言え会話するんだろうな」
「……確かに」
「だからさー、痴話ゲンカみたいだって言ったの。……そういや、知ってる? シン先輩の噂」
 俊哉は辺りをキョロキョロ見回したのち、顔を近付け声を潜めた。
「シン先輩って、アッチなんじゃないかって言われてるらしいぜ」
「アッチ? アッチってなに」
「好きの対象が男ってこと」
「は? 誰がそんなこと言ったんだよ!」
「バカ、声落とせ」
 俊哉の渋い顔に、すかさずごめんと言って身を屈めた。
「何でそんな噂が流れてんだよ」
「シン先輩、かっこよくて勉強出来て、おまけに弓道部の元部長だったじゃん。どう考えてもモテる要素しかないのに、女子に告白されても断ってるからそうじゃないのかって言われてるらしい」
「シンちゃんは硬派だからな。てか、それだけで男が好きって短絡的すぎだろ!」
「まあ、俺もただのでまかせだと思うけどさー。でも、フラれた女子が聞いたらしいぜ。好きな人がいるから断ってるんでしょって。そしたら、肯定も否定もしなかったって」
「え、シンちゃんに好きな人が……?」
 駿の胸は何故かざわついた。
「あれだけ告白されてるのに答えないのは、好きな相手がいるからなのは間違いないだろうな」
「相手……」
 ドアの隙間からスーッと冷たい風が入り、駿の首筋を撫でた。
「……え、なにその表情(かお)。お前、もしかして真先輩のことマジなの?」
「へ?」
 急ぎスマホの黒い画面に映る自分を見やる。そこに映る自分は、ものすごく動揺した顔をしていた。
「なんで、こんな顔……」
「ツレに相手がいるかもっつって動揺すんなんて、それ、友情超えてね?」
 トシヤは足掛けに足を置き、椅子を後ろに倒した。ギイッと椅子が小さな悲鳴を上げる。
「もしマジでお前が真先輩好きだったらさー、ちょっとウケる」
「え……」
「男が男を好きだなんて、なんていうか、ちょっとキモチワルイよ」
 俊哉が小さく呟いた言葉は、駿の心に思いの外深く突き刺さった。
(気持ち悪い、か……)
 俊哉の言葉がずっと頭の中を回っている。授業中も回っていたせいで先生に当てられことに気付かず、聞いていなかったのかと怒られ、放課後プリント整理を手伝うよう言われてしまった。
「はぁ、ついてねえなぁ」
 よっ、と一声あげ、プリントを抱える。
 職員室に近付くと、裏手にある弓道場から色んな音が聞こえて来た。
(弓道やってた時のシンちゃん、マジかっこよかったよなぁ)
 的前に立っていた時の真を思い出す。細身の割にがっしりとした体躯に白と黒の胴着が映え、姿勢の良さがさらに彼のカッコよさを際立たせていた。
『お前、ほんと俺の弓道着姿好きだよな』
 そう言って苦笑していたことが懐かしい。
「恋してるみたい、か」
 窓にこつ、と額を当てる。自覚はなかったが、言われてみればそんな風に表現されるほど真に対する熱意は熱いと思う。
『男が好きとかさ、キモチワルイよ』
 俊哉の言葉が、また頭を過ぎった。何故こんなに引っ掛かっているのか自分でも分からない。まるで、自分のことを全否定された感じがして落ち着かなかった。
「……あ」
 職員室近くの窓の外、真向かいの渡り廊下を通る真の姿が見えた。その後を、弓道着を来た男子が追いかけて来た。相手は恐らく後輩なのだろう。親しげに話したのち、真はやわらかく微笑んだ。
「……んで、何で、そいつには笑いかけるわけ?」
 胸が、ズキッと痛んだ。
 その微笑みは、ほんの少し前までは自分にも向けられていた。なのに、今は一ミリも向けてもらえない。それどころか、彼の瞳に自分は映っていない。存在を疎まれている感じさえしていた。
 その時、バチッと目が合った。今まで微笑んでいた顔が一気に険しくなり、真は足早に渡り廊下の向こうへと消えた。
 その晩、まったく寝付けなかった。目を閉じると渡り廊下の出来事が何度も蘇り、胃の辺りを強く締め付けた。
 真夜中、気分が悪くなりトイレに駆け込んだ。吐きそうなほど胃がきゅっとなっているのに、口からはだらりと唾液が流れるだけ。夕飯を殆ど口にしなかったのだから、当然と言えば当然だ。
 トイレから出ると、廊下はひんやりと冷えていてまるで氷の世界に降り立った気分になった。
 薄氷の上を進むようなおぼつかない足取りで自室に戻り、ベッドで膝を抱えた。寒気がスーッと首元をかすめ、肌が少し粟立った。
 あまりに寒くてエアコンの電源を付ける。ピッという軽い音ののち、吹き出し口からはエアコン内にたまった冷たい空気が一気に放射され、ただでさえ寒いのにさらに寒くて身を縮ませた。
「さむ……」
 手足の先が冷たい。冷たいというより血の気が通っていないと言った方がいい。早く温めようとリモコンの室温調整をガンガンに上げる。ついでに風量もマックスにすると、要望に応えたエアコンから容赦なく大量の温風が吹き出し、逆に暑くなった。
「はは、あっつ……」
 寝間着に使っているフリースの上着を脱ぎ、Tシャツ一枚になって窓を開けた。しんと静まり返った住宅街の冷気が心地いい。
 ふと、隣家の二階、真の自室に明かりが灯っていることに気が付いた。
(シンちゃん、こんな時間なのにまだ起きてるんだ)
 学年トップの優秀な成績を収める真でも、こんな風に努力するのだなと思った。いや、寝る間を惜しんでこんな時間まで勉強しているからこそ、彼は学年トップを誇っているのだ。それだけ意志が強いのだ、真という男は。
(テスト前は、よくあの部屋に駆けこんで勉強教えてもらったなぁ)
 どんなにギリギリに泣き付きに行っても、小言こそ言われたが拒絶されることはなかった。
『お前、要領いいからってギリギリに勉強始めるのそろそろ止めろよ』
 額をこつきつつ微笑む真の顔に夕方渡り廊下で見た拒絶顔が重なり、駿は慌てて窓を閉めた。窓を閉めただけなのに、肩で息をするくらい息が上がった。
「……ッ」
 窓辺で膝を抱え、顔を埋める。もう、あの頃のように微笑んでもらえないのかと思うと、悲しくて、切なくて、どうしようもないほど胸が苦しかった。
 あんなに一緒だったのに、突然突き放され、拒絶され、存在を無視された。そうされるようなことをした原因は少なくとも自分の中には見当たらず、このままでは無意識に逆鱗に触れるようなことをしたのだろうかとまた悶々と考えてしまいそうだ。
「俺、もう二度とシンちゃんの側にいられないのかな……」
 膝がじんわり濡れていく。自分が泣いているのだと気が付いた。
「な、何で俺泣いてんの」
 ポロポロと溢れる涙を慌てて袖口で拭ったが、溢れる量はさらに増し鼻水も止まらなくなった。
「っ、うッ、シンちゃんッ……」
 駿は顔がぐちゃぐちゃになるのも構わず、子供のように泣きじゃくった。フリースの膝がべちゃべちゃに濡れてそこから体がじんわり冷えたが、室内が異常に暑いせいですぐに温く感じた。
 ようやく収まった涙に顔を上げると、鼻の奥がツンとして痛かった。スマホを見ると夜の三時になろうとしていた。
「はは、すげぇな、俺の耐久力……」
 耳の奥がキーンとする。泣き過ぎて体中の水分が出てしまったのか、急に喉の渇きを覚えた。
 足音を立てないようキッチンに向かい、マイカップに水を入れ一気に飲み干す。蛇口に残っていた生ぬるい水が体の中をねっとりと伝い落ち、落ち着かなくてもう一杯飲み干した。今度は外気に冷やされた冷たい水が喉を通り越し、体内からシャキッとする感じがした。
 ぽた、と水滴がシンクを叩く音が妙に耳に心地よく感じ、もう少し聞いていたくて水栓レバーをほんの少しだけ上げ、滴り落ちる雫の音を聞いていた。ぐちゃぐちゃだった心が、規則正しく落ちる雫の音で少しずつ落ち着いていく気がした。
「恋してる、キモチワルイ、もう側にいられない……」
 雫が落ちるに合わせ、悲しいキーワードを羅列する。駿の中に、唐突にひとつの答えが浮かび上がった。
「そっか、俺、シンちゃんが好きなんだ……」
 だから、拒絶されても諦め切れなかったのだ。
 だから、男が好きなのは気持ち悪いと言われショックだったのだ。
 だから、側にいられないかもしれないと思うとつらかったのだ。
「自覚した途端、好きな人に嫌われているとかつらすぎだろ……」
 笑えない現実に、その場にずるずると座り込んだ。
 この恋は、絶対叶わない。そう思ったら、また涙が溢れて来た。
 真が噂通り男が好きだとしても、あんなに嫌なものを見る目つきで見られた自分は絶対に対象外だ。真は意志が強い。つまり、頑固だ。頑なに閉ざした心を再び開けるようなことは、天地がひっくり返ってもないだろう。
「俺、シンちゃんに何したんだろ……」
 まだ小さかった頃、真とケンカをして「シンちゃんなんか大キライだ!」と叫んだことがあった。真は唇を噛み締め、声を出さずにポロポロと泣いた。滅多に泣かない彼に驚きすぐに謝ったものの、真は当分泣き止まなかった。そんな彼を見ていると、駿までつらくなって一緒に泣いてしまった。
『キライとか、もういわないで……。おれ、シュンにそんなこといわれたら、かなしい……』
 目を腫らしながらようやく呟いた言葉を、今でもよく覚えている。滅多に泣かない真の涙に誓って、二度と真のことを嫌いと言わないと約束した。そして、その約束は今もずっと守っている。
「シンちゃんのバーカ……。嫌いなら嫌いって言えよ……!」
 涙は次から次へと流れ、いつまで経っても止まることはなかった。起床時間になって覗いた洗面台に映った瞼は、虫にでも刺されたのかというくらいひどく腫れていた。両親もびっくりして何があったか聞いて来たが何とかはぐらかし、一日休めば大丈夫だからと言って学校を休ませてもらうことにした。
 両親を見送り、ベッドに横たわる。寝不足で体はだるいのに、頭はいまだに冴えている。
「今日も眠れねえのかな」
 ふう、と大きく息を吐き、少し目を閉じてみる。ようやくあくびが何度か出た。体が寝たい、休みたいと訴えてくるが、頭はいまだ冴えていてちっとも眠れそうにない。
「シンちゃん……」
 名を呼んだだけで、また泣きそうになった。ぐるぐると色々考えてしまいそうになるのが鬱陶しくて、頭から布団を被った。
 あんなに眠れないと思っていたのに、いつの間にか眠ってしまったらしい。インターフォンのチャイムで目が覚めた時には、辺りはすっかり真っ暗だった。
 スマホを見ると、夜の六時。そういえば、今日は両親ともに送別会か何かで遅くなると言っていたから、インターフォンには自分が出ないといけない。宅配とかでなければ無視しようとだるい体を起こしインターフォンの画面を見ると、そこに映っていたのはなんと真であった。
「シ、シンちゃん!?」
 バタバタと玄関に出ると、真は何故かほっとした顔をした。
「良かった、元気そうだな」
「え?」
「先生から、お前が今日休んだって聞いたから」
「先生?」
「お前にプリント運ばせた先生、弓道部の顧問なんだよ」
「あ、そう、だったね。……てか、どうしたの、急に俺んち来て」
 そう言うと、「ん」と言ってコンビニの袋を渡された。
「見舞い」
 手渡された袋には、スポーツドリンクや栄養補給ゼリーとか、風邪を引いた時に嬉しいものが入っていた。
「ありがと……。勉強で忙しいのに、わざわざ行ってくれたんだ」
 優しさがじんわりと胸に広がると同時に、腹立たしさも込み上げて来た。
「……んで」
「ん?」
「何で、こんなことするんだよ……。俺のこと、避けてたじゃん……」
「お前が調子悪いの珍しいから、気になったんだよ」
「ッ、嫌いだから俺のこと避けてたんだろ!? だったら、こんなことすんなよ!」
 袋を突き返し、真を見上げる。アンバー色の瞳に戸惑いが広がった。
「……ごめん」
「ッ、こっちこそゴメン……」
 俯いた弾みに玄関ポーチが濡れた。涙だった。涙がポタポタと落ちるのに合わせ、真が足を引っ込めるがの見えた。
「……シュン、まじでごめん」
 真はその場にしゃがみこみ、膝に顔を埋めた。
「え、なに、どうしたの?」
「泣いてんの、俺のせいだよな。お前を傷つけるとか、どうかしてる」
 真の耳が何故か真っ赤に染まっている。駿もしゃがみ込み、真の顔を覗いた。
「……シンちゃん、何で俺を避けてたの? 俺、シンちゃんの気に障るようなことした?」
 真は小さな声で「お前が俺にそんなことするわけないだろ」と断定した。
「だったら、ちゃんと理由教えてよ。俺、シンちゃんに無視されてむちゃくちゃへこんだんだから」
「……うん、ごめんな」
 真は上げた顔をくしゅっと歪ませた。
「やっぱ、ダメだ。お前の顔見たら冷静でいられない」
「え、そんなに俺が嫌いってこと?」
「違うよ」
 苦笑すると、真は駿の頭を軽く撫でた。
「お前が好きだからだよ」
「……へ?」
「なのにお前傷付けるとか、俺かっこ悪いよな……」
 真は、大きくため息をついた。
「……あ、あの、好きって、一体どういう……」
「恋愛対象として好きって意味だよ」
「え……」
 心臓がドクンと跳ねた。真は耳まで朱色に染めているが、瞳は真っ直ぐこちらを見据えたままで、そこから彼の本気度が伝わって来た。
「シュン、このまま俺がお前を避けてた理由を懺悔してもいいか?」
「え、うん、いいけど……」
 上がり框に二人して座る。駿は真がすすめるまま栄養ゼリーをすすった。昨夜から何も食べていない体に、冷たくて少し酸っぱいレモン味のゼリーが染み渡った。
「俺が男が好きだって噂、聞いたことあるか?」
「あ、うん、最近聞いた」
「あれさ、実は部分的に当たってるんだ」
「部分的?」
 真は小さく頷いた。
「女子に、誰か好きな人がいるんでしょって言われた時、真っ先にお前の顔が浮かんだんだ。それまでお前のことをそういう風に思ったことはなかったんだけど、あの時初めて俺はお前が好きなんだって自覚してさ。でも、他の男には何も感じないから、ああ、これはお前限定の感情なんだなって」
「それで部分的ってワケね」
 真はまた頷いた。
「だからこそ、お前を巻き込んじゃいけないって思ったんだ。俺のくだらない噂に、お前を巻き込みたくなかった。遠ざけないといけないと思った。でも、自覚して分かったけど、俺、本当にお前が好きでさ」
「う、うん……」
 駿の体は、頭のてっぺんから足の先まで一気に熱が上昇した。このままでは、本当に熱が出てしまいそうだ。
「お前が好きなのに、お前のこと思ったら距離取るしか方法思いつかなくてさ。そうしたら、なんか色々頭の中ごちゃごちゃしちゃって……。好きなのに一緒にいられないとか、地獄の沙汰だろう? でも、俺と一緒にいたら、抑えきれない気持ちがきっとばれるだろうから、お前を煩わしいことに巻き込んでしまうかもしれない」
「それで、あんな態度取って距離を取ろうとしたの?」
 真は小さく頷き、また「ごめん」と謝罪を重ねた。
「ごめん、で済む話じゃないし」
 頭を垂れた後頭部を軽くこつく。
「って」
「シンちゃん、いつもスマートなのに随分カッコわるいじゃん。俺は大変傷付きました」
 口調とは裏腹に、嫌われていたのではない安心感が心に広がり、思わず口元が緩んだ。
「傷付けたことは、本当にごめん。あと、かっこ悪いのは仕方ないだろ。本当の俺は、全然カッコよくなんかない。お前が小さい頃から俺のことかっこいいって言ってくれるから、そうありたいと思ってかっこつけてきただけなんだから」
 真は、はあ、とため息をつきながら「幻滅していいよ」と呟いた。
「するわけないじゃん。どんなシンちゃんだって、俺にとってはシンちゃんだ」
「……そっか。なら、良かった」
 声がわずかに弾んだ。
「……あのさ、シュン」
「なに」
「返事、聞かせて欲しいんだけどさ、もしお前がいいなら、受験が終わってから聞かせて欲しいんだ」
「へ?」
「俺、不器用だから、お前ともし今どうにかなったら、きっと勉強しなくなる。自分勝手で悪いけど、もしよかったらその時聞かせて欲しい」
 鋼のように固い意思を持つ真に限ってそれはないと言いたかったが、己の気持ちをどうすればいいか分からず、結果的に駿を避ける行動を取ったほど不器用な一面もある。
「……ホント、カッコわる」
 小さく笑うと、「悪かったな」と頭をこつかれた。
「仕方ねえから、待ってて(、、、、)やるよ」
「あ、ありがとう」
 真の顔がパッと明るく輝いたのち、「ん、待っててやるってどういう意味だ?」と首を傾げた。
「ほら、勉強しないとだろ? 共通テスト近いんし、家に帰った帰った!」
「あ、おい、今のどういうっ……」
 粘る背中をぐいぐい押して玄関の外に放り出す。今日は少し暖かいのか、玄関から入って来た空気がほわんと駿を包み込んだ。
「シンちゃん、見舞いに来てくれてありがと。嬉しかった。明日は学校行くからさ、久々に一緒に登校しようよ」
「朝勉してるから、早く出ていいならいいよ」
「え、遅くまで起きてるのに、朝も勉強してるの?」
「ああ。てか、何で俺が起きてるの知ってるんだ?」
「昨日、たまたま夜中に目が覚めて窓開けたら、シンちゃんの部屋から光が零れてるのが見えたんだ」
「そっか。……今日はぐっすり眠れるといいな」
 頭をポンポンと叩く。自分より少し大きな手が温かくて、真が好きだという気持ちが溢れそうになった。
「じゃあ、また明日な。朝、起きたらメッセージ送るわ」
「分かった。シンちゃんと登校出来るのあとちょっとだし、頑張って起きるようにするけど、ダメだったらゴメン」
 分かったと柔く笑う顔に、ああこの笑みをまた見られたのだという安堵と喜びに胸が躍った。駿は口元をほころばせ、「勉強ガンバって!」と拳を握った。
 手を振り隣家へ戻る背中を見送る。一人になると突然まわりの空気が冷たく感じられたが、気持ちがぽかぽかと温かいおかげでちっとも気にならなかった。明日からは、待ち侘びたいつもの日常に戻れるのだと思うと嬉しくてしょうがない。
「……でも、もう今までと一緒じゃないんだよな」
 真はまだ知らないが、両想いな状態で共に過ごせるのだ。そんな日々は一体どんな時間なのだろう。駿の胸は、期待でドキドキと高鳴った。



 三月上旬。
 ピンポンとインターフォンが鳴り、リビングで待ち構えていた駿は全速力でドアを開けた。
「シンちゃん、合格おめでとう!」
「ありがとう。めちゃくちゃ早い出迎えだな」
「今から行くって連絡くれたじゃん。俺、早くお祝いしたくって、そこのリビングで待ってたんだ!」
「そっか、ありがとうな」
 笑う彼に両親いないし遠慮なく上がってよと促すと、「シュン」と言ってそっと腕を掴まれた。
「なに」
「ここに座っていいか」
「え、上がればいいのに」
「ここがいいんだ。……十二月の続きを、話したいから」
 どくん、と心臓が跳ねる。
 駿は、真の頼み通り返事を保留にしてきた。最初こそ早く告げてしまいたくて仕方なかったが、抱えているのが日常になって来ると、返事をすることが逆に恥ずかしくなっていた。
「へ、返事、しないと、いけませんか……」
「何で敬語なんだよ」
 ストンと框に座った好きな人を、立った状態で見つめる。
「あ、あの……」
「うん」
 後ろ手で玄関を閉める。パタンという音が退路を断ったそれに聞こえ、駿はタイミングは今だと覚悟した。
「シンちゃん、俺のこと好きって言ってくれてありがとう」
「うん」
「それで、俺、なんだけど……」
「うん」
 返事を告げるより先に顔が真っ赤に染まる。これでは、全身で答えを言ってしまっているようなものだ。だが、受験が終わったら聞かせて欲しいという真との約束だ。言わないなんて選択肢はない。
「シンちゃん、俺っ……」
 意を決し真を見据えた矢先、腕の中に閉じ込められた。
「シ、シンちゃ……」
「好きだ。俺と付き合ってくれ」
 ぎゅう、と一層強く抱き締められ、体の熱が上がっていく。
「……シンちゃん、俺まだ返事してない」
「ごめん、お前がかわいくて我慢出来なかった」
「案外猪突猛進タイプだよね、シンちゃん」
 背中に手を回し、軽く撫でる。
「あーあ、こんなにカッコいいのに、案外内面はイノシシだし、カッコわるいとこもあるシンちゃんなんて、俺くらいしか付き合ってあげられる人いないだろ」
「っ、それって……」
「俺も、シンちゃんのこと好きだよ。だから、付き合おう!」
 胸に頬擦りすると、ジャケットの向こうから早鐘が伝わってきて思わず吹き出した。
「心臓、スゲーバクバクいってる」
「う、うるさいな。……ちなみに確認だけど、その好きって、恋愛成分で合ってるよな」
「成分って。そうだよ、恋愛成分だよ」
 また吹き出しつつ顔を上げると、真は柔く微笑んだ。
「……シュン、ありがとう。一生大事にする」
 プロポーズとも取れる言葉を告げた顔はカッコよくて、駿の心臓は痛いくらいに跳ね上がった。
「……ずりいよ、シンちゃん」
「何が」
「好きな人にカッコいい顔で言われたら、今のがプロポーズじゃなくても、はい、って言っちゃうじゃん」
「プロポーズ? ……あ!」
 真は頭から噴火したのではないかというくらいに紅潮し、あたふたと慌てた。
「シンちゃん、落ち着けって」
「こ、これが落ち着いてられるかよっ」
 はあ、と思いため息をつき、いつかと同じように真はその場にしゃがみ込んでしまった。
「好きすぎてプロポーズとか、完全ガキだろ、俺。まじでかっこ悪……」
「いいじゃん、それが本当のシンちゃんなんだから」
 それに、と続ける。
「俺、シンちゃんとだったら一生一緒にいられる自信しかない」
「お前、なんでそんなイケメンなの……?」
「シンちゃん、遅い! 俺は、昔からイケメンなんですー!」
「そりゃ好きになるしかないな」
 真は立ち上がると、もう一度駿を抱き締めた。
「これからよろしくな、シュン」
「うん、こちらこそ」
「プロポーズを先にしちゃったので言いやすいな」
「なに、急に独り言つぶやいて」
 真は小さく笑うと、駿の肩を抱き顔を覗き込んでこう言った。
「シュン、お前が大学に上がったらさ、一緒に住まないか?」
「え……」
 驚いて目を丸くすると、大きな手が頬を包んだ。
「幼なじみやツレとしてじゃなく、恋人として、お前と同じ朝を迎える生活を送ってみたいんだ」
「え、そ、それって、同棲ってこと……?」
「そうだ」
 にっこり笑う真に、今度は駿の頭が噴火しそうになった。
「つ、付き合い始めたばっかりで同棲とか、スピード速すぎ!」
「俺からしたら、一年も待たないといけないんだけど?」
「仕方ないじゃん、俺の方が後に生まれたんだから!」
「分かってるよ。だから、一年待つって言ったんだ。ああ、でも頼むから浪人は勘弁してくれよ。俺、待つの一年が限界だと思うし」
 頬にあった手が唇をなぞる。
「なんか、シンちゃんエロい……」
「そりゃ、男だからな。好きなやつ目の前にして、エロいことのひとつやふたつしたいって思うのは普通だろ?」
「いや、そこはゆっくりで、ん!?」
 勢いよく顔が近付いてきたかと思えば、勢い余って真の前歯が思い切り当たった。
「ってー!」
「わ、悪い、シュン……」
「もう、シンちゃんマジカッコわる!」
 ごめん、とうなだれる年上の彼氏にひとつ笑うと、駿は彼の襟ぐりを掴み、噛み付くようなファーストキスをしたのだった。



(おわり)