水族館へ行き、ランチを食べて、お茶して。一日の予定をつつがなく終え、園田たちと別れた。
夕焼けの時刻。地下鉄の窓は何も映さずモノクロだ。車内は朝の何倍も混んでいる。
園田とつき合うか、答えは保留だ。次に会ったとき、返事が欲しいと言われた。待ち合わせはしてない。約束せず会うという偶然が、すぐ来るかもしれないし、永遠に来ないかもしれないのだ。
園田はそれでいいんだろうか。「お試し」なら僕でなくても良かったろうに。猶予を与えられた分、考える時間が増えて逆にプレッシャーだった。
「結都ちゃんのつむじ」
「どこ見てんの」
「密着してるゆえ」
僕の立つ位置に吊革がない。カーブで揺れた時、七威が支えてくれた。混雑をいいことに、僕の背にはまだその手が添えられていた。迷惑じゃないから、離せとも言えない。僕はどこか変だ。
「一日あっという間だったね。疲れたー」
「僕も。少しは楽しめた?」
「ランチのシーフードピザが美味かった」
「そこ?」
なんだか「お試し」の話以降、後ろめたくて落ち着かない。悪いことしたわけでもないのに、胸のあたりが重い。
「結都ちゃんは楽しかった?」
「んー……そうだね」
「魚ってさ、どうしてああいう顔なんだろうね。ナポレオンフィッシュとかマンボウとかさ。タコは宇宙人ぽいし」
「人間と同じ顔してたら食べられないからじゃないの」
「真理。結都ちゃんの発想にツボる」
「タコはチンパンジー並みの知性があるらしいよ」
「マジで。食べちゃだめじゃん。俺たこ焼き好きなのに」
「人間は他者の命を摘んで生きてるんだ」
「業、深」
あと二つで七威の最寄り駅だ。僕はそのもうひとつ先。園田とはたくさん話したけど、七威とはあんまり話してない。電車に揺られながら、ここでお開きは味気ないなと思っていた。
「結都ちゃん、うち来る? 一緒に夜ごはん食べようよ。パスタならすぐ作れるよ。ここでお別れって寂しいし」
僕がぼんやり考えていたことを、七威が明確な言葉として組み上げた。パズルのピースがぴたりとハマるような腹落ち感だった。
「突然行ったら迷惑だろ」
「大丈夫。俺の親、離婚してんの。母親は再婚して出て行った。父親はたぶん外国」
たぶん外国って、なんなんだ。
*
結局、夜ごはんは僕が作ることになった。毎日自炊してるのか訊いたら、
「だいたいコンビニ。たまに、近所のばあちゃん家で食べる」と言われたのだ。
すぐ作れるっていうのは、ゆでた麺にレトルトソースをかけるパスタのことだった。確かに早いし、悪くないけど。
「僕が作ろうか」
「結都ちゃんの手料理!」
作る前に喜ばれたら、期待に応えるしかないだろう。
「だったらさ、俺、肉料理がいいな」
「お米ある? 調味料は?」
「パックご飯がある。調味料は一階のおばさんに借りる」
そういう調達法もあるのか。
「じゃあ焼き鳥丼にしようか」
「それ絶対美味いやつ」
帰り道にスーパーで鶏肉とネギを買い、七威のアパートに到着した。駅から徒歩五分の場所だった。アパートは父方の祖母の所有で家賃はゼロ。駅近で2DKは好物件だ。
「七威って、ミニマリスト?」
「なにそれ」
「必要最低限のものしか持たない人のことだよ」
二階の角部屋に足を踏み入れて、その殺風景さに驚いた。部屋にあるのはローテーブルとクッション、窓辺にカーテン。キッチンには冷蔵庫、その上に電子レンジ。あとはひょろりと伸びた観葉植物と犬のぬいぐるみが無造作に転がってる。テレビはなかった。
服はたぶん全部クローゼットに入ってる。制服すら見当たらない。全然、生活感がなかった。
「父親の荷物片っ端から捨てたらこうなった」
「自分のすらないじゃん」
「使わない物あっても邪魔なだけだし」
やりすぎもここまでくると、あきれるより感心する。
「そうだ、FFA聴こ」
七威がスマホをブルートゥースの小型スピーカーにつなぐと、アップテンポの曲が、がらんとした部屋に響いた。メロディーに合わせ七威が口ずさむ。好きな歌に気分が上がる。
一階のおばさんに借りた調味料が揃ったところで作り始めた。鶏肉をひと口大に切って、塩コショウ。片栗粉をまぶしてフライパンで焼く。味付けは醤油や酒のほか、みりんと砂糖で甘めに。隠し味はにんにくと鶏がらスープの素。焼き色を付けたネギを投入して完成だ。
「お待たせ」
三十分ほどで出来上がった焼き鳥丼と、即席の味噌汁をテーブルに並べた。お椀がなくてマグカップなのが新鮮だった。
七威が「家庭料理……」といたく感激している。味噌があれば味噌汁も作れたけど、一階のおばさんに頼りすぎるのはよくない。
「いただきます! ……うっま。めっちゃうま! 柔らかー、熱っ」
感想がせわしなくだだ漏れてる。作った甲斐があった。
「結都ちゃん手慣れてるね」
「母さんが習い事でいないとき、姉さんと交代で作るんだ」
「習い事……?」
「コーラスで第九歌ってる」
「ベートーヴェンも草葉の陰で喜んでるよ」
「どういう感想」
たぶん十五分も経ってないと思う。あっという間に食べ終わった。牛丼屋みたいだなとふたりで笑った。早々に片づけ開始だ。僕が洗って、七威が拭いていく。
「僕は四人家族。両親と、」
「文具好きのお姉ちゃん」
「実は文具よりイケメンが好き」
「ふは。結都ちゃんて淡々と俺のツボつくよね」
英奈に七威の写真を転送したことは黙っておこう。
「最初弟か妹がいるんだと思ってた。俺みたいなのの面倒見がいいから」
「わんこみたいで放っておけないのかも」
「扱いが犬」と七威がなぜかウケている。
「そういえば結都ちゃん家、猫飼ってるんだよね」
生徒会新聞のミニエッセイで触れたのを覚えててくれたらしい。
「俺も飼いたい。そんでモフりたい」
「毛だらけになるよ。コロコロは必需品」
もし猫がいたら、殺風景なこの部屋も少しは生活感が増しそうだな。
「旅行とかは?」
「あー、行くかも。父さんも母さんも温泉が好きで」
「いいね、仲良し家族」
拭き終えた皿を七威がシンクの引き出しにしまっていく。もちろん戸棚はない。
「七威って帰国子女?」
「うーん……そういうのとは違うかな」
「英語ほぼネイティブじゃない」
「留学経験はないんだ。夏休みとか、外国放浪する父親について回ってたから、自然と」
日本育ちの僕と若干ズレが生じるのはその辺が影響してるんだな。
夕焼けの時刻。地下鉄の窓は何も映さずモノクロだ。車内は朝の何倍も混んでいる。
園田とつき合うか、答えは保留だ。次に会ったとき、返事が欲しいと言われた。待ち合わせはしてない。約束せず会うという偶然が、すぐ来るかもしれないし、永遠に来ないかもしれないのだ。
園田はそれでいいんだろうか。「お試し」なら僕でなくても良かったろうに。猶予を与えられた分、考える時間が増えて逆にプレッシャーだった。
「結都ちゃんのつむじ」
「どこ見てんの」
「密着してるゆえ」
僕の立つ位置に吊革がない。カーブで揺れた時、七威が支えてくれた。混雑をいいことに、僕の背にはまだその手が添えられていた。迷惑じゃないから、離せとも言えない。僕はどこか変だ。
「一日あっという間だったね。疲れたー」
「僕も。少しは楽しめた?」
「ランチのシーフードピザが美味かった」
「そこ?」
なんだか「お試し」の話以降、後ろめたくて落ち着かない。悪いことしたわけでもないのに、胸のあたりが重い。
「結都ちゃんは楽しかった?」
「んー……そうだね」
「魚ってさ、どうしてああいう顔なんだろうね。ナポレオンフィッシュとかマンボウとかさ。タコは宇宙人ぽいし」
「人間と同じ顔してたら食べられないからじゃないの」
「真理。結都ちゃんの発想にツボる」
「タコはチンパンジー並みの知性があるらしいよ」
「マジで。食べちゃだめじゃん。俺たこ焼き好きなのに」
「人間は他者の命を摘んで生きてるんだ」
「業、深」
あと二つで七威の最寄り駅だ。僕はそのもうひとつ先。園田とはたくさん話したけど、七威とはあんまり話してない。電車に揺られながら、ここでお開きは味気ないなと思っていた。
「結都ちゃん、うち来る? 一緒に夜ごはん食べようよ。パスタならすぐ作れるよ。ここでお別れって寂しいし」
僕がぼんやり考えていたことを、七威が明確な言葉として組み上げた。パズルのピースがぴたりとハマるような腹落ち感だった。
「突然行ったら迷惑だろ」
「大丈夫。俺の親、離婚してんの。母親は再婚して出て行った。父親はたぶん外国」
たぶん外国って、なんなんだ。
*
結局、夜ごはんは僕が作ることになった。毎日自炊してるのか訊いたら、
「だいたいコンビニ。たまに、近所のばあちゃん家で食べる」と言われたのだ。
すぐ作れるっていうのは、ゆでた麺にレトルトソースをかけるパスタのことだった。確かに早いし、悪くないけど。
「僕が作ろうか」
「結都ちゃんの手料理!」
作る前に喜ばれたら、期待に応えるしかないだろう。
「だったらさ、俺、肉料理がいいな」
「お米ある? 調味料は?」
「パックご飯がある。調味料は一階のおばさんに借りる」
そういう調達法もあるのか。
「じゃあ焼き鳥丼にしようか」
「それ絶対美味いやつ」
帰り道にスーパーで鶏肉とネギを買い、七威のアパートに到着した。駅から徒歩五分の場所だった。アパートは父方の祖母の所有で家賃はゼロ。駅近で2DKは好物件だ。
「七威って、ミニマリスト?」
「なにそれ」
「必要最低限のものしか持たない人のことだよ」
二階の角部屋に足を踏み入れて、その殺風景さに驚いた。部屋にあるのはローテーブルとクッション、窓辺にカーテン。キッチンには冷蔵庫、その上に電子レンジ。あとはひょろりと伸びた観葉植物と犬のぬいぐるみが無造作に転がってる。テレビはなかった。
服はたぶん全部クローゼットに入ってる。制服すら見当たらない。全然、生活感がなかった。
「父親の荷物片っ端から捨てたらこうなった」
「自分のすらないじゃん」
「使わない物あっても邪魔なだけだし」
やりすぎもここまでくると、あきれるより感心する。
「そうだ、FFA聴こ」
七威がスマホをブルートゥースの小型スピーカーにつなぐと、アップテンポの曲が、がらんとした部屋に響いた。メロディーに合わせ七威が口ずさむ。好きな歌に気分が上がる。
一階のおばさんに借りた調味料が揃ったところで作り始めた。鶏肉をひと口大に切って、塩コショウ。片栗粉をまぶしてフライパンで焼く。味付けは醤油や酒のほか、みりんと砂糖で甘めに。隠し味はにんにくと鶏がらスープの素。焼き色を付けたネギを投入して完成だ。
「お待たせ」
三十分ほどで出来上がった焼き鳥丼と、即席の味噌汁をテーブルに並べた。お椀がなくてマグカップなのが新鮮だった。
七威が「家庭料理……」といたく感激している。味噌があれば味噌汁も作れたけど、一階のおばさんに頼りすぎるのはよくない。
「いただきます! ……うっま。めっちゃうま! 柔らかー、熱っ」
感想がせわしなくだだ漏れてる。作った甲斐があった。
「結都ちゃん手慣れてるね」
「母さんが習い事でいないとき、姉さんと交代で作るんだ」
「習い事……?」
「コーラスで第九歌ってる」
「ベートーヴェンも草葉の陰で喜んでるよ」
「どういう感想」
たぶん十五分も経ってないと思う。あっという間に食べ終わった。牛丼屋みたいだなとふたりで笑った。早々に片づけ開始だ。僕が洗って、七威が拭いていく。
「僕は四人家族。両親と、」
「文具好きのお姉ちゃん」
「実は文具よりイケメンが好き」
「ふは。結都ちゃんて淡々と俺のツボつくよね」
英奈に七威の写真を転送したことは黙っておこう。
「最初弟か妹がいるんだと思ってた。俺みたいなのの面倒見がいいから」
「わんこみたいで放っておけないのかも」
「扱いが犬」と七威がなぜかウケている。
「そういえば結都ちゃん家、猫飼ってるんだよね」
生徒会新聞のミニエッセイで触れたのを覚えててくれたらしい。
「俺も飼いたい。そんでモフりたい」
「毛だらけになるよ。コロコロは必需品」
もし猫がいたら、殺風景なこの部屋も少しは生活感が増しそうだな。
「旅行とかは?」
「あー、行くかも。父さんも母さんも温泉が好きで」
「いいね、仲良し家族」
拭き終えた皿を七威がシンクの引き出しにしまっていく。もちろん戸棚はない。
「七威って帰国子女?」
「うーん……そういうのとは違うかな」
「英語ほぼネイティブじゃない」
「留学経験はないんだ。夏休みとか、外国放浪する父親について回ってたから、自然と」
日本育ちの僕と若干ズレが生じるのはその辺が影響してるんだな。