自分で書いたのに、手元を離れた文章は他人顔をしていて、あらためて読み返すと気恥ずかしかった。
「俺、ひどく落ち込むことがあって、自分と重なったんだ。勝手に励まされた」
 読む人なんてほとんどいないと思ってた。直接感想をもらえる機会はさらに少ないだろう。僕の言葉が役に立てたのなら嬉しいが、まるで実感が湧かない。
 七威を傷つけたのは、たぶん橘先輩だ。僕の知らない、ふたりの過去。書き換えられたらいいのに。また嫉妬で胸がうずいた。
「言葉の力ってすごいよ。心が動くんだからさ」
「誰が読むか考えもせず好き勝手書いたんだ。綺麗ごとだったかな。悔しくて報われないことばかりだったら、やさぐれるし、絶望するよ」
「だから夢見るんだよ。明日はいいことがあるだろうって」
 自分で自分を励まさなきゃ、それこそ這い出せないから。
「行きの飛行機であらためて読んで、考えた。父親は死のほうに振り分けられて、俺は生のほうにいる。何を意味するんだろうってね。結局、わかんないままだよ」
「難しいね。命のことは」
「意味があってもなくても、毎日が過ぎていくんだ」
 七威がキーホルダーに視線を落とした。
「結都ちゃん。生徒会、続けるんだよね。その他の選択肢はないよね」
 念を押され、迷わず頷いてる自分がいた。
「できればテニスも続けて欲しい」
「んー……そうだなぁ」
「すごく生き生きしてたよ。水を得た魚みたいだった。もっと見ていたかった」
 僕が園田にテニスを続けて欲しいと思ったのと同じだ。純粋な気持ちで願ってくれてる。
「もちろん、結都ちゃん次第。生徒会続けてくれるだけで嬉しい。また企画書の面倒見てよ」
「あきらめてなかったんだ」
「いまうざったいとか思ったでしょ」
「だってまた指導の日々が始まるのかと」
 それはそれで、幸せなんだ。七威に言うと調子に乗りそうだから黙っておこう。
「結都ちゃんが掛け持ちできるやつにする。カフェ同好会とか。俺は甘いの食べられるし、結都ちゃんは本が読める」
「いい案だね」
 生徒会室を閉め、僕たちは教室に向かった。昼食を済ませた生徒の往来が徐々に増えてきた。
「橘先輩が試合楽しかったって言ってた。また誘われるかもね」
「え……あんまり嬉しくない」
 1セットマッチであれだけ体力消耗するんだ。全力でぶつかってくる橘先輩との試合は、軟弱な体を鍛え直さないと無理だ。その前に取り決めを破った刑でボコられるかな。
「俺にテニス教えてよ」
「橘先輩は?」
「スパルタだからやだ」
 七威相手でも手加減なしなのか。試合の時、嬉々としてたのを思い出す。
「じゃあ代わりに英会話教えて」
「ん…Sure, I'll teach you thoroughly in my bed.(いいよ、ベッドの中でじっくり教えるよ)」
「いまなんて?」
「喜んで」
「ベッドって聞こえた」
「一緒に頑張ろうって言ったんだよ」
「絶対嘘」
 文句を言うと、七威が僕の耳に顔を寄せ、「しっかりヒアリングできるように頑張ろうね」と囁いた。ぞく、として頬が熱くなる。
「なんかやらしい」
「結都ちゃんとテニス楽しみだなー」
 またこんな風にテニスの話をする日が来るとは思いもしなかった。橘先輩との出会いは必然だったのかもしれない。園田との再会も。自分の弱さと向き合うための、嵐だったんだ。
「FFAのチケット抽選、来週始まるよ」
「2DAYSだったね。七威は土日どっちがいい?」
「両方行こ」
「予算オーバーだよ」
 いつの間にか魔女の鍋は、混沌の代わりに透明な水をたたえていた。
 受け入れてくれる人達がいる。許してくれる人達がいる。
 七威がいて、僕がいて。彩られる世界はこんなにも尊く、少しだけ切ない。
 朝が来て夜が来る。季節が終わり、また始まる。取り立てて特別なことじゃない。無関心てことでもない。
 当たり前に時は過ぎ、大きな喜びも、深い悲しみも、いつかなだらかになる。
 未完成で途切れた文字だとか、言えば変わったかもしれない言葉の行方なんて知らなくていい。
 つまづいても顔を上げて。昨日の自分を越えて行け。

【了】