七威と連絡が途絶えて、一週間が経つ。スマホはずっと圏外だ。忌引きが終わった後も滞在するつもりだろうか。ホテルか、知人宅にお世話になってるのか、基本的な情報は皆無だ。ドイツのどの都市に行くかくらい聞いておくんだった。
ひと言連絡してくれればいいのに。薄情だなと思う反面、それどころじゃないよなと思い直す。第三者の僕と違って七威は当事者で、父親の代わりに仕舞い支度してるんだ。余裕があるわけない。
この数日、七威を見習って部屋の片づけをした。引き出しの奥から懐かしいものを見つけた。テニスクラブに通ってた頃、体験入会に来た女の子にもらったマスコットだ。見覚えがあると思ったら、七威が持ってるぬいぐるみと同じクマだった。
市川さんて名前だったな。夏休みの二週間、一緒にテニスをした。結局、体験だけで入会しなかった。元気にしてるかな。
スマホの画面がぱっと明るくなった。名前が表示され、二度見した。
――結都ちゃん、俺が逝く
メッセージを読んで心臓が止まりそうになった。「逝く」……?
あわてて七威に電話すると、電源が入っていないとアナウンスが流れた。相変わらず繋がらない。何してるんだ。何が起きたんだよ。
不安が一気に押し寄せた。居ても立っても居られず、工藤先輩に電話をかけた。
「工藤先輩、七威が……おかしいんです」
『いまさら。ぶっ飛んでるのはいつものことだろう』
「違、そうじゃなくて」
動揺して変な言葉選びになった。上手く伝えられず、余計焦る。
「工藤先輩に連絡は」
『あいつがおれに寄越すはずないだろう』
――暁季さんのほうはどうです?
電話が一瞬遠くなった。橘先輩と一緒にいるんだ。ふたりがどんな仲なのかいまいち疑問だ。週明け問い詰めよう。
『暁季さんにもきてないって。心配しなくてもそのうち帰って来るだろ』
「でも……」
『悪い。いま運転中なんだ。切るぞ』
「え、ちょ、工藤先輩」
もう免許取ったんだ……って、感心してる場合じゃない。後でかけ直そうか。いつも通りの塩対応ってことは、特に変わりなのかな。あればもっとあわてるはずだし。
七威……お父さんのことで、思いつめてるんだ。逝くだなんて。もしネガティブなこと考えてるなら、殴ってやる。
その時、手の中でスマホが鳴った。七威だ。
『良かった、繋がった』
「七威! いまどこ。羽田?」
僕はしょっちゅう居場所を訊ねてる気がする。
「もうすぐ浜松町。結都ちゃん、ちょっと出てこられる? あと三十分くらいで地元に着く」
時計を確認すると、あと数分で十八時だった。
「どこで待ち合わせ?」
「結都ちゃんの最寄り駅……で待……」
声に重なりノイズが入る。電波が悪い。
「僕が七威の駅に行――」
そこまでしゃべった時プツっと通話が切れた。
「え、七威?」
すぐ折り返したものの繋がらなかった。なんで途中で切るんだよ。わざわざこっちに来なくても、僕が七威のところまで行くのに。
僕はポケットにスマホを入れ、リビングに下りた。母さんが夕飯を作ってる。
「あら、結都。もうすぐご飯よ」
「ごめん、急用。帰ったら食べる」
「何時に戻るの」
「あとで連絡する」
たぶんゆっくり歩いても間に合う。でも気持ちが逸って悠長にしていられなかった。
つんのめりながら靴を履き、家を出た。横断歩道の待ち時間が惜しい。青に変わった瞬間走った。胸がざわつく。公園の小径を突っ切り駅へ向かった。
夕闇に点在する街灯、コンビニの明かり。車、通行人。見慣れた景色が夢の中みたいに遠い。
地下鉄の階段を下り、改札に着いた。何本か電車をやり過ごし、七威を待った。
「結都ちゃん、ただいま」
乗降客に交じり七威が手を挙げた。
「おかえり。良かった、無事だった」
「乱気流もなく日本に着いたよ?」
心配させておいて、なぜか七威はきょとんとしてる。
「メッセだよ。逝くって、どういう意味」
反応にズレを感じて、スマホ画面を見せた。覗き込んだ七威が吹き出す。
「思いっきり誤字じゃん。Head forだよ。Go to heavenのほうじゃないよ」
まさかの誤字。人騒がせなオチに、一気に脱力した。
「スマホ調子悪くて、再起動繰り返してんの。浴槽に落としたからかな。時々まともに戻るんだけど、入力中に電源落ちるし。たぶん、これ途中で送信されたんだ」
「ほんとはなんて打とうとしたんだよ」
「“俺が会いに行く”」
七威に起きた出来事はひと言では表せないほど複雑だ。「逝く」の文字から突発的に連想した。七威に不釣り合いな、死を。
「何かよからぬこと考えてるのかと」
「それはいつも考えてるよ。結都ちゃんにキスしたい、とかね」
「茶化すなよ。本当に、心配したんだ」
七威がふっと笑んだ。
「死ぬわけないって。俺に何かあったら全米が泣くよ?」
まんまと話術にはまり、笑いそうになった。
「まじめに話してるのに」
「俺もだけど」
七威はいつも通り七威だった。出発前に感じた翳りは見当たらない。現地へ行って、吹っ切れたんだろうか。
「俺んち来る? ここから意外と近いよ。徒歩でニ十分ちょいくらい」
「そんなに近かった?」
「だってひと駅だし」
僕は友達の家に行くとメッセを打った。既読がつき、速攻返事が返ってきた。
「ママさん、なんて?」
「『遅くならないうちに帰ってきなさいね』だって」
七威が「話のわかるママ最高」と絶賛した。そして歩いて行くと言ったのに、速攻タクシーを拾った。長いフライトで疲れたとこぼす七威に歩けと強制もできない。帰国後すぐに会いに来てくれたんだ。これくらいの贅沢は許そう。
ひと言連絡してくれればいいのに。薄情だなと思う反面、それどころじゃないよなと思い直す。第三者の僕と違って七威は当事者で、父親の代わりに仕舞い支度してるんだ。余裕があるわけない。
この数日、七威を見習って部屋の片づけをした。引き出しの奥から懐かしいものを見つけた。テニスクラブに通ってた頃、体験入会に来た女の子にもらったマスコットだ。見覚えがあると思ったら、七威が持ってるぬいぐるみと同じクマだった。
市川さんて名前だったな。夏休みの二週間、一緒にテニスをした。結局、体験だけで入会しなかった。元気にしてるかな。
スマホの画面がぱっと明るくなった。名前が表示され、二度見した。
――結都ちゃん、俺が逝く
メッセージを読んで心臓が止まりそうになった。「逝く」……?
あわてて七威に電話すると、電源が入っていないとアナウンスが流れた。相変わらず繋がらない。何してるんだ。何が起きたんだよ。
不安が一気に押し寄せた。居ても立っても居られず、工藤先輩に電話をかけた。
「工藤先輩、七威が……おかしいんです」
『いまさら。ぶっ飛んでるのはいつものことだろう』
「違、そうじゃなくて」
動揺して変な言葉選びになった。上手く伝えられず、余計焦る。
「工藤先輩に連絡は」
『あいつがおれに寄越すはずないだろう』
――暁季さんのほうはどうです?
電話が一瞬遠くなった。橘先輩と一緒にいるんだ。ふたりがどんな仲なのかいまいち疑問だ。週明け問い詰めよう。
『暁季さんにもきてないって。心配しなくてもそのうち帰って来るだろ』
「でも……」
『悪い。いま運転中なんだ。切るぞ』
「え、ちょ、工藤先輩」
もう免許取ったんだ……って、感心してる場合じゃない。後でかけ直そうか。いつも通りの塩対応ってことは、特に変わりなのかな。あればもっとあわてるはずだし。
七威……お父さんのことで、思いつめてるんだ。逝くだなんて。もしネガティブなこと考えてるなら、殴ってやる。
その時、手の中でスマホが鳴った。七威だ。
『良かった、繋がった』
「七威! いまどこ。羽田?」
僕はしょっちゅう居場所を訊ねてる気がする。
「もうすぐ浜松町。結都ちゃん、ちょっと出てこられる? あと三十分くらいで地元に着く」
時計を確認すると、あと数分で十八時だった。
「どこで待ち合わせ?」
「結都ちゃんの最寄り駅……で待……」
声に重なりノイズが入る。電波が悪い。
「僕が七威の駅に行――」
そこまでしゃべった時プツっと通話が切れた。
「え、七威?」
すぐ折り返したものの繋がらなかった。なんで途中で切るんだよ。わざわざこっちに来なくても、僕が七威のところまで行くのに。
僕はポケットにスマホを入れ、リビングに下りた。母さんが夕飯を作ってる。
「あら、結都。もうすぐご飯よ」
「ごめん、急用。帰ったら食べる」
「何時に戻るの」
「あとで連絡する」
たぶんゆっくり歩いても間に合う。でも気持ちが逸って悠長にしていられなかった。
つんのめりながら靴を履き、家を出た。横断歩道の待ち時間が惜しい。青に変わった瞬間走った。胸がざわつく。公園の小径を突っ切り駅へ向かった。
夕闇に点在する街灯、コンビニの明かり。車、通行人。見慣れた景色が夢の中みたいに遠い。
地下鉄の階段を下り、改札に着いた。何本か電車をやり過ごし、七威を待った。
「結都ちゃん、ただいま」
乗降客に交じり七威が手を挙げた。
「おかえり。良かった、無事だった」
「乱気流もなく日本に着いたよ?」
心配させておいて、なぜか七威はきょとんとしてる。
「メッセだよ。逝くって、どういう意味」
反応にズレを感じて、スマホ画面を見せた。覗き込んだ七威が吹き出す。
「思いっきり誤字じゃん。Head forだよ。Go to heavenのほうじゃないよ」
まさかの誤字。人騒がせなオチに、一気に脱力した。
「スマホ調子悪くて、再起動繰り返してんの。浴槽に落としたからかな。時々まともに戻るんだけど、入力中に電源落ちるし。たぶん、これ途中で送信されたんだ」
「ほんとはなんて打とうとしたんだよ」
「“俺が会いに行く”」
七威に起きた出来事はひと言では表せないほど複雑だ。「逝く」の文字から突発的に連想した。七威に不釣り合いな、死を。
「何かよからぬこと考えてるのかと」
「それはいつも考えてるよ。結都ちゃんにキスしたい、とかね」
「茶化すなよ。本当に、心配したんだ」
七威がふっと笑んだ。
「死ぬわけないって。俺に何かあったら全米が泣くよ?」
まんまと話術にはまり、笑いそうになった。
「まじめに話してるのに」
「俺もだけど」
七威はいつも通り七威だった。出発前に感じた翳りは見当たらない。現地へ行って、吹っ切れたんだろうか。
「俺んち来る? ここから意外と近いよ。徒歩でニ十分ちょいくらい」
「そんなに近かった?」
「だってひと駅だし」
僕は友達の家に行くとメッセを打った。既読がつき、速攻返事が返ってきた。
「ママさん、なんて?」
「『遅くならないうちに帰ってきなさいね』だって」
七威が「話のわかるママ最高」と絶賛した。そして歩いて行くと言ったのに、速攻タクシーを拾った。長いフライトで疲れたとこぼす七威に歩けと強制もできない。帰国後すぐに会いに来てくれたんだ。これくらいの贅沢は許そう。