電車に乗ってる間、気が気じゃなかった。イヤホンのFFAも全然耳に入ってこない。焦燥が募る。乗り換え駅で「第三ターミナルにいる」とメッセが入った。第三て、国際線……? スマホで検索すると、やっぱり国際線だった。
 モノレールを降り、第三ターミナルの搭乗口に走った。間に合え。間に合ってくれ。
「結都ちゃん」
 保安検査場前で七威が僕に気づき手を振った。会えた。良かった、会えた。間に合った。
「七威、どこ行くんだよ」
「ちょっとドイツまで」
 まるで国内旅行みたいな軽い言い方だった。持ち物は少し大きめのリュックだけ。さっき電話で話した時のような暗さは和らいでいても、表情は硬い。
「クレバスに落ちたから引き取る遺体はないんだ。好奇心が強くて、なんでもやりたがる。最期はやっぱただの馬鹿だった」
 七威が唐突に死因を説明した。山で亡くなったんだ。二次遭難の可能性が高い場合や生存の見込みがない場合は、捜索が打ち切られるらしかった。遺体は永遠に山で眠り続ける。
「それでも行くの」
「現地の死亡証明書がないと、戸籍の記録が変えられないんだってさ」
「お母さんは?」
「行きたくないって。そりゃそうだよな。ばあちゃんは年だし長時間のフライトはきつい。で、俺が行くことになった」
 七威はまたひとりで背負うんだ。こんなにも大きな荷物を。
「郵便で送ってもらえないの」
「どうだろ。できるかもだけど、遺品預かってくれてるマークって人が、俺に会いたいってチケット送ってくれたんだ。英語話せるみたいだし、多少気が楽かな。俺、全部親父の荷物捨てちゃっただろ。何かあったほうがいいのかなって、あの部屋に。ガラクタだったらまた捨てるけどね」
 ドイツ行きの搭乗手続きを促すアナウンスが流れる。混雑していた保安検査場の列が短くなっていく。
「俺さ。死ねばいいって、早く死ねばいいのにって、ずっと思ってた。何度も。希望通りになった。ポストを眺めて虚しくなることもない。俺はもっと喜んでいいのに。喜べばいいのに。もう終わったのに。なんで、苦しいんだろ。どうして……」
 期待して、裏切られて。あきらめて、また振り向いて、胸が痛んで。何度も繰り返して、自分を保ってきた。
 僕と似ている。七威は、僕と似ていた。でも、違うところもある。だから、愛しい。
「また、一緒に夕日を見たかったからじゃない……?」
 夜と夕方の境界を。時が巻き戻るような不思議な空を。
「嫌いだよ、あんなやつ」
「うん……」
 好きだけど嫌いで。嫌いだけど好きで。ぐちゃぐちゃになって、元の色さえわからない。
 時には誰かと笑いあって、怒って泣いて。その景色にいるべき人が、いてほしい時にいなかったのならば。ひとりで朝を待たなければならなかったその孤独を耐えて、乗り越えて、七威はここまで来た。
「頑張ったね、七威。泣いてもいいよ」
「涙なんか出ないよ」
 繰り返し搭乗案内のアナウンスが流れる。もう時間だ。七威を送り出さないと。
「気をつけて。待ってるから」
「……いってきます」
 僕は七威をハグした。倍の力で七威が抱きしめ返す。僕のほうが、泣きそうだった。

*
 七威の飛行機はもう出発しただろうか。帰りのモノレールに揺られ、窓の外に広がる景色を見ているとメッセージが届いた。
 ――結都ちゃん、テニスのことで傷つけてごめん。俺が無神経だった。ずっと謝りたかった。
 僕はすぐさま返信した。
 ――僕のほうこそ悪かったんだ。後悔してた。嫌な思いさせたこと。もっと早く伝えればよかった。伝えるべきだった。そうすれば、七威に煩わしい思いをさせることもなかった。
 ――結都ちゃんは悪くないよ。
 ――七威も……悪くないよ。何も。

 潮が満ち、時とともに荒い波が引いて、足元に道ができた。七威へと続いてる。
 境界線は消えたかに思えた。一歩踏み出すだけだ。元いた場所に戻れる。
 否、サンクチュアリは僕が勝手に作り上げた幻想で、始めから存在しなかったとしたら。
 存在したとして、七威の心はもう、その場所にないとしたら――。
 七威が好きだ。だからこそ、臆病になる。
 これ以上踏み込んで、拒否されたら。
 考えれば考えるほど、身動きが取れなくなる。恋は実らなくても、友情は残るだろうか。