いける。流れに乗って追い上げろ。橘先輩のサーブをリターンし、カウントが5対4に変わった。
「おまえ、しぶといな」
「橘先輩こそ」
「いい加減潰れろよ。疲れんだろ」
「こっちの台詞です」
 お互い肩で息をしながら悪態をつく。だが、心の中では称えていた。
 いけ好かないのは変わらないが、プレーに関しては敬意を表している。たぶん、橘先輩も。テニスに対する姿勢は、真摯だ。
「青山、続けて」
 工藤先輩の声がかかった。ボールを二度地面につき、サーブの態勢に入る。力を右腕に乗せ、トスアップしたボールめがけラケットを振り抜いた。
 橘先輩の迷いのないリターン。僕はコートを横断し打ち返す。  
 拾え。見送るな。食らいつけ。ラリーのボールを追いかけながら、自分を鼓舞した。
 早く解放されたい。こんなに苦しいのに、終わらなければいいとも思う。
「5-5(ファイブ・オール)」
 僕は、やっぱりテニスが好きなんだ。

 たとえば――テニスをやめなければ。続けていたら。今とは別の未来が待っていて、僕はここではない、別の場所に立っていただろう。
 テニス部のある高校に入って、インターハイに出ていたかもしれない。
 七威や工藤先輩、橘先輩とも出会わなかった。
 僕にとって、どの道を選ぶのがベストだったのか。改めて考えれば、テニスをやめて正解だったと思う。強がりじゃなく。
 S先輩を憎んだ。怪我でレギュラー落ちした自分と、テニスを憎んだ。弱い自分を認めたくなくて、好きなものすら嫌いになった。全部捨てなきゃ、息ができなかった。
 だからテニスから離れる必要があった。ほかの世界を経験する必要があった。好きだから憎んでいたんだと知る必要があった。
 そして、本当に好きなら、またコートに戻って来られるんだと気づく必要があった。
「オン・ザ・ライン。6-5、橘」
 橘先輩がまたリードした。後がない。次は僕がレシーバーだ。よどみのない綺麗なフォームで打ち下ろされたサーブが飛び込んでくる。
 ダッシュで拾った。ネットを越えボールが返る。橘先輩の正確なリターン。一歩踏み込みバックハンドで叩いた。瞬間、肩に痛みが走る。わずかに体勢が崩れた。
 浮いたボールを橘先輩が見逃すはずもなかった。強烈なショットがダウンザラインに放たれる。
 決めさせるか。必死に軌跡を追いかけた。伸ばしたラケットがボールを捉える。リターン成功。だが、これでもかとクロスショットが返ってくる。
 走れ。諦めるな。肩が壊れてもいいから、拾え。
 インパクトは小気味いいほどだった。僕が打ち返したボールは鋭い矢のように空を切り裂き、相手コートに突き刺さった。
「アウト。7-5。ゲーム&セット」
 勝者、橘暁季。苦しかった戦いに、ピリオドが打たれた。