試合が明日に迫った。園田との練習を重ね、プレーの感覚を思い出した。肩に違和感はあるが調子は悪くない。実戦で力をどこまで発揮できるかだ。
 今日は園田が部活で一緒に練習できない。いったん家に戻ってオートテニスの打ちっ放しに行く予定だった。
 少しでも長くボールに触れていたくて、六時限目のチャイムが鳴るとすぐ教室を出た。
 エントランスへ向かう途中、廊下の端に七威を見つけた。こちらに歩いてくる。通路には帰り支度や部活に行く生徒が何人もいるのに、たったひとり鮮明に映った。
 会いたかった。いや、会いたくなかった。相反する気持ちが交互に浮かんでは消える。
 逆方向に戻るわけにいかず、直進した。足を踏み出すたび、距離が近づく。わずかに体がこわばる。
 無言でやり過ごそうとして、すれ違いざま名前を呼ばれた。
「結都ちゃん、ちょっといいかな」
 足を止めた。振り向くと、七威も踵を返した。
「急いでて」
「五分だけ」
「……わかった」
 僕たちは階段裏のデッドスペースに移動した。ここなら誰も通らず、邪魔される心配はない。壁を背にして七威と向き合った。
「橘先輩、何か企んでるよね。結都ちゃんも関係ある?」
「それは……」
 大いに一枚噛んでる。もうひとりは、工藤先輩だ。
「秘密にしなきゃいけないこと?」
 七威を賭けた試合だ。同意も得ず、トロフィーとして扱われているのを知ったら気分が悪いだろう。
「俺が頼んだら、結都ちゃんやめてくれる?」
「え……」
「嫌なんだ。隠し事されるの」
「橘先輩がそのうち情報解禁するよ。それまで待ってもらうしか」
「勝手だよ、ふたりとも!」
 その通りだ。七威が怒るのは当然だった。周りは知っていて自分だけのけ者にされたら、僕だって腹が立つ。
 七威が誰を好きか。ここでわかれば、橘先輩と勝負せず決着する。まわりくどいことなしで、いますぐ。
「望まないことに結都ちゃんが巻き込まれてるなら、俺が何とかしてやりたい。なのに、誰も彼も口を堅く閉ざしてる」
「不快にさせてごめん。明日で、全部終わらせるから」
「だから、何があるの」
 僕はそらしていた視線を七威に向けた。
「七威は、橘先輩が好き……?」
 息を呑み、七威が目を瞠った。
「結都ちゃん……いまはそういう話してるんじゃないよ」
 不意に両肩を掴まれ、ふわりと壁に押しつけられた。背中に硬いコンクリートの感触が伝わる。
「な……七威?」
「思った通りになれば、悩まないのに」
 絞り出すような声。距離が近い。胸の奥が痛い。
「やめないよ。やめたくないんだ。七威の頼みでも、聞けない。僕自身のけじめでもあるから」
「そこまでして、何をやり遂げようとしてるの。結都ちゃんが傷だらけに見える。そのひとつは、僕がつけた」
「違うよ、七威」
「力になりたいんだ。俺が結都ちゃんにしてあげられること。あるよね?」
「……何も」
 ないよ。声がかすれる。静かな絶望に浸される。僕が自分の力でやり遂げなければ、決着させなければ、終わらないんだ。
「七威を困らせるつもりはなくて。でも結局、僕は自分のやり方でしか――」
 肩に置かれた手が離れ、代わりにうなだれた七威の額が、こつんと僕の額に当たった。
 息が止まる。キス、されるのかと思った。
 そんなはずはない。七威は僕のこと、好きじゃないんだから。
 僕の前髪に額をすり寄せた後、七威がすっと体を離した。刹那、七威の背が遠ざかる。引き止めたいのに、動けなかった。
 七威が触れた額に手を当てた。体温が上がる。心臓がうるさい。
「もう……嫌だ……」
 どうしてこんなにつらいんだろう。それ以上に、今にも泣きだしそうな七威を繋ぎとめる言葉を持たない自分が、ひどく愚かで役立たずに思えた。