園田と買い込んだテニス用品をベッドの上に並べた。ラケット、グリップテープ、シューズ……。ウェアは手持ちのTシャツと短パンでいい気がして、買うのを保留にした。
 家族にはまだ話してない。そのうち感づかれるだろうな。どう伝えようか。
「結都。あんた、テニス始めるの」
 ノックと同時にドアが開いた。早速来たか。何度言ってもこの姉は、弟のプライベートを軽んじる傾向にある。
「一度だけ、試合することになったんだ」
「……結都ぉ」
「わ、なに、やめ」
 英奈が強引にハグしてきた。予想外のリアクションにたじろぐ。
「私がどれほどこの日を待ちわびたかわかる?」
「いや……」
 テニスは家族の間で禁句だった。気を遣わせてたのもわかってた。テニス番組やニュースが始まると、みんな速攻チャンネル変えるし。思い返せば、相当迷惑をかけていた。
「いつかまたラケット握ってくれると信じてた」
「ボロ負けだよ、たぶん」
「相手強いの?」
「わからない」
「じゃあ、勝てるわよ」
「どういう理屈だよ。ポジティブが過ぎるぞ」
「気持ちの上では勝ってる。私にはわかる。偉いよ、結都」
「まだ何もしてないよ」
「決心しただけで偉いって言ってんのよ」
「結果がすべてだよ。勝負なんだし」
「馬鹿、過程よ。そこに至るすべてよ。結果はどうでもいいのよ。私もすごいやる気出てきた。ありがと、結都。あんたもたまには役に立つわね!」
「無駄に熱いな。なんかあったの」
「コンテストで落ちた」
 英奈はスンと真顔になり肩を落とした。
「あー……英奈こそ偉いよ。諦めずにチャレンジして。継続こそが才能なんだって、誰かが言ってた」
「名言だわ」
「英奈は諦めたくなること、ある?」
「そりゃ毎回よ。でも、諦めない。落選すればめちゃ落ち込むしつらいけど。途中でやめるの、悔しいじゃない」
 やめるのは勇気がいる。これまで費やしてきた時間と努力と、未来の可能性を手放すのだから。
「いつか、私の才能をわかってくれる人に出会えると思うの。途中でやめたら、会えないでしょ。一位を狙ってたけど、違うのかもって最近思ったんだ。私の作品を必要な人に届けられたらいいんじゃないかって。刺さる人にだけ、届けばいいなって。まずそこからかなって。目標を変えてみようと思ったの」
「いいと思う。すごく」
「でしょ。私の作品を必要としてくれる人に、必要なタイミングで届くように、描き続けるよ。結果ばかり重視してたけど、そうじゃないんだよね。自分がやりたいかやりたくないかなんだよ。描いてると、心が満たされるし」
「英奈のイラスト、イケてるよ。良さがわからないやつは、人生損してる」
「やっだ、ありがと!」
 思いきり背中を叩かれ、よろめきそうになった。
「いったいなぁ、馬鹿力」
「愛のエールだってば。あんた、ここんとこ落ち込んでたでしょ」
「普通だよ、別に」
「自覚症状なしとかやめてよ、結都が暗いと家中エネルギーが下がるの。お父さんもお母さんも心配してたよ」
「ん……ごめん」
「テニスの道具、全部揃えたの?」
「ウェアがまだ」
「よっしゃ、お姉さまがプレゼントしたげる。ひれ伏して感謝せよ! お母さーん、結都がね」
 言いたいだけ言って、英奈がリビングに下りて行った。僕の秘密は幼少期から英奈が暴露する流れだ。
 自分がやりたいかやりたくないか。心が満たされるかどうか。
 ずっと逃げ続けてきた僕が、たった一度の試合で何かを変えられるとは思わない。失うもののほうが大きいかもしれないんだ。
 やりたい? やりたくない? それすらわからなかった。でも、逃げたくない。
 橘先輩との一戦だけは。どんな結果が待っていても。