試合は十日後の日曜に決まった。都営のテニスコートを予約したと工藤先輩から連絡が入った。
全天候型のオムニコート。砂入り人工芝だ。当日は晴れるだろうか。シューズとラケット買わないと。ついでにウェアも。出費だな。こんなことならラケットくらい捨てずにとっておけばよかった。
ひとりで買い出しに行くのも心許なく、園田にメッセージを入れた。微妙な別れ方をした後だ。どう切り出そうか。
テニスの試合云々で呼び出すのも唐突な気がして、単に話があるんだとぼやかした。
一日経っても、返信がない。待ちきれず思い切って電話すると、通じなかった。まさかの着拒。あの後何のフォローもしなかったから、怒ってるんだ。後悔がじわじわと湧いてくる。
いろいろあってぐちゃぐちゃで。いっぱいいっぱいだった。それを差し引いても、配慮が足りなかった。謝らなきゃな。
親友なら事情を知ってるだろうと木村さんにメッセージを送ると、速攻電話がかかってきた。驚いてスマホを落としそうになった。
『沓沢くん、口止めされてたんだけど。力を貸して』
切羽詰まった声だった。理由を聞いて後悔が倍増した。
『美香りん、テニスやめるって言うの。部活もしばらく休んでる』
僕のせいだ。僕が追いつめた。園田がやめるなんて。直接会って、話したい。思い直してもらうには、どうすればいい。
*
木村さんにおおよその下校時間を聞いて、正門で待つことにした。女子校ゆえ悪目立ちしそうだが、ひるんでいられない。
放課後、二十分ほどかけてK女に到着した。門前で木村さんにメッセージを送る。待ってましたとばかり既読がついた。十分後には教室を出るらしい。
幸い帰宅する生徒はばらけていた。居心地の悪さは変わらないが、一度に大勢の視線を集めないだけましだった。
カフェやアイスショップでの待ち合わせは、会うこと自体断られそうでやめた。学校の出口を押さえれば、確実につかまえられる。
「沓沢……」
FFAを聴きながら気をまぎらせていると、園田が僕を見つけてくれた。木村さんもいる。ワイヤレスイヤホンを外し、ポケットに入れた。
「ごめん、突然。ちょっと時間もらえる?」
「え……うん」
気乗りしない返事だったが、ひとまず承諾は取れた。顔も見たくないと罵られなくてホッとした。
「あ、私、教室に忘れ物。美香りんたち先に帰って」
木村さんが気を利かせ僕たちの前から消えた。セリフは棒読みだった。園田も木村さんがわざと席を外したことは気づいただろう。
「沓沢、ここじゃ話しにくいし、場所変えよ」
好奇の視線から逃れるため、近くの公園まで移動することになった。時折、鳥のさえずりが聞こえる。学校周辺は住宅街で車通りも少なく静かだ。
園田は黙々と、僕の前を歩いてる。同じ駅の向こうとこっち側。あるものは大して変わらないが、見慣れぬ景色はやっぱりアウェー感が漂う。
他人顔の景色を眺めながら歩くこと数分、藤棚のある公園に到着した。子供たちがブランコや滑り台で思い思いに遊んでいる。
「座ろうか?」
藤棚の下に並んだベンチを指し訊ねると、園田が小さく頷いた。
「ねえ、門の前で待つとか、やめてくれる。めちゃ恥ずかしいよ」
「ほかに思いつかなくて」
移動中、口を閉ざしていた園田が滔々としゃべり出した。
「教室騒然よ。龍嶺の制服着たカッコいい男子が正門にいるって」
「僕のこと?」
「ほかに誰がいるのよ! 一緒に野次馬になって覗いたら沓沢だし。超驚いたわ。みんな男子に飢えてて目ざといんだから」
教室から見えてたのか。こそっと訪ねたつもりが全然裏目だった。
「悪かった、迷惑かけて」
「別に……ちょっとびっくりしただけ。でも、あれでしょ。青山くんと璃子がつき合ってないのバレたのよね?」
「つき合ってない?」
確かそんな話もあったなと思い出した。橘先輩の登場が強烈すぎて、すっかり忘却の彼方だった。
「ふたりがくっつけば、沓沢も私とつき合う気になるかなって意地悪言ったの。わかるよ、私こんな性格だし……『お試し』やめるって言いに来たんでしょ。沓沢優しいから断れなかったんだよね。強引だったのは反省してる。でもこんなわざわざ……電話かメッセージで良かったのに」
七威と木村さんはつき合ってなかった。疑問が晴れた。園田の嘘は可愛いレベルで、怒る気にもならなかった。
「今日来た理由は前もってメッセージ入れただろ。返事がなくて電話したら着拒だったんで、会って話そうと思ったんだよ」
「着拒って? やだ、してないよ。この前、おじいちゃん家に忘れて丸二日手元になかったの。それで電源オフにしてもらってたんだよね。メッセージもくれた? ごめん、履歴にない」
園田がスマホをスクロールして確認している。着拒じゃなかったんだ。
「園田に絶交されたんだと思ってた」
「なんで。絶交したかったのは、沓沢のほうでしょ? 沓沢からテニス奪ったの、私だもん」
「違うよ」
「違わないよ、私のせいだよ」
「園田は悪くないんだって」
今にも泣きそうな顔で、園田が「私のせいだよ」と繰り返す。
「本当に……ごめんなさい。もっと上に進めたかも知れないのに、可能性を奪ってごめんね。私だけテニス続けてごめんね」
咲き終わりの藤が風に吹かれ、園田の制服に花びらを落とした。
「どれだけ謝っても、許されないのはわかってる。だから、テニスやめようって……私の世界から、テニスを消そうって決めたの……」
目の縁にたまっていた涙が、頬を伝った。テニスをやめた僕も、続けた園田もつらかった。片方だけが傷ついたわけじゃない。
「僕が子供だったんだ。ずっと嫌な思いさせて、ごめん。頼むから、園田までテニスやめるなんて言うなよ」
「でも……私だけ、続けるっておかしいよ」
園田がしゃくり上げながら僕を見た。これから話す内容に園田が動揺しないよう祈る気持ちで続けた。
「十日後、ある人と試合することになったんだ」
「……沓沢が、プレーするの。できるの?」
園田が目を瞠った。呆然と。狐につままれたような顔だ。
「やめて以来初だし、以前と同じパフォーマンスは無理だけど」
また園田の目から、ぱたぱたと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「テニス、できるんだね? コートに戻るんだね。沓沢ぁ……嬉しいよ」
「だまされてたって、怒らない?」
「怒らない。嬉しいだけだよ。ほんとにほんとに、嬉しい。生きてて良かった。ありがとう沓沢。ありがとう神様……」
「大げさだって」
自分だけがつらいと思ってた。自分だけが苦しいと思ってた。園田を、こんなに追いつめていたんだと、あらためて知った。
素直に喜ぶ姿が、後悔と負い目の泥沼から僕を救い上げてくれる。
馬鹿だった。遠回りした。ようやくここまで、たどり着いた。
「園田がテニス続けてくれて良かったと思ってる。これからも、続けてくれなきゃだめなんだ。都合のいい話だけど、僕が園田のテニスを奪うことになる。自分がやめる以上に、つらいんだ」
「沓沢……」
「続けるって言って。いまここで」
約束を取りつけるつもりで会いに来た。言質を取るまで帰れない。園田が悩んで出した答えを覆せるのは僕だけなんだ。僕が、発端だから。原因が変われば、結果も変わると信じてる。
園田が黙り込む。しばらくして、ためらいながら頷いた。
「うん……わかったよ。やめない。続ける」
「ありがとう、園田」
詰めていた息を吐き出した。少しだけ、気が楽になった。
「故障してブランクもある。でも一試合なら、いけると思う。園田にコーチ頼みたいんだ」
「私? ムリムリ、もっと上手い人じゃなきゃ。前に所属してたテニスクラブの人は?」
「園田がいいんだ」
つまづいた場所からやり直すなら。
「……わかった。いいよ、引き受ける。勝とう、沓沢。練習つき合うよ」
止まっていた時が、音を立て動き始める。出発の紙吹雪みたいに、僕たちの上を薄紫の花びらが舞った。
全天候型のオムニコート。砂入り人工芝だ。当日は晴れるだろうか。シューズとラケット買わないと。ついでにウェアも。出費だな。こんなことならラケットくらい捨てずにとっておけばよかった。
ひとりで買い出しに行くのも心許なく、園田にメッセージを入れた。微妙な別れ方をした後だ。どう切り出そうか。
テニスの試合云々で呼び出すのも唐突な気がして、単に話があるんだとぼやかした。
一日経っても、返信がない。待ちきれず思い切って電話すると、通じなかった。まさかの着拒。あの後何のフォローもしなかったから、怒ってるんだ。後悔がじわじわと湧いてくる。
いろいろあってぐちゃぐちゃで。いっぱいいっぱいだった。それを差し引いても、配慮が足りなかった。謝らなきゃな。
親友なら事情を知ってるだろうと木村さんにメッセージを送ると、速攻電話がかかってきた。驚いてスマホを落としそうになった。
『沓沢くん、口止めされてたんだけど。力を貸して』
切羽詰まった声だった。理由を聞いて後悔が倍増した。
『美香りん、テニスやめるって言うの。部活もしばらく休んでる』
僕のせいだ。僕が追いつめた。園田がやめるなんて。直接会って、話したい。思い直してもらうには、どうすればいい。
*
木村さんにおおよその下校時間を聞いて、正門で待つことにした。女子校ゆえ悪目立ちしそうだが、ひるんでいられない。
放課後、二十分ほどかけてK女に到着した。門前で木村さんにメッセージを送る。待ってましたとばかり既読がついた。十分後には教室を出るらしい。
幸い帰宅する生徒はばらけていた。居心地の悪さは変わらないが、一度に大勢の視線を集めないだけましだった。
カフェやアイスショップでの待ち合わせは、会うこと自体断られそうでやめた。学校の出口を押さえれば、確実につかまえられる。
「沓沢……」
FFAを聴きながら気をまぎらせていると、園田が僕を見つけてくれた。木村さんもいる。ワイヤレスイヤホンを外し、ポケットに入れた。
「ごめん、突然。ちょっと時間もらえる?」
「え……うん」
気乗りしない返事だったが、ひとまず承諾は取れた。顔も見たくないと罵られなくてホッとした。
「あ、私、教室に忘れ物。美香りんたち先に帰って」
木村さんが気を利かせ僕たちの前から消えた。セリフは棒読みだった。園田も木村さんがわざと席を外したことは気づいただろう。
「沓沢、ここじゃ話しにくいし、場所変えよ」
好奇の視線から逃れるため、近くの公園まで移動することになった。時折、鳥のさえずりが聞こえる。学校周辺は住宅街で車通りも少なく静かだ。
園田は黙々と、僕の前を歩いてる。同じ駅の向こうとこっち側。あるものは大して変わらないが、見慣れぬ景色はやっぱりアウェー感が漂う。
他人顔の景色を眺めながら歩くこと数分、藤棚のある公園に到着した。子供たちがブランコや滑り台で思い思いに遊んでいる。
「座ろうか?」
藤棚の下に並んだベンチを指し訊ねると、園田が小さく頷いた。
「ねえ、門の前で待つとか、やめてくれる。めちゃ恥ずかしいよ」
「ほかに思いつかなくて」
移動中、口を閉ざしていた園田が滔々としゃべり出した。
「教室騒然よ。龍嶺の制服着たカッコいい男子が正門にいるって」
「僕のこと?」
「ほかに誰がいるのよ! 一緒に野次馬になって覗いたら沓沢だし。超驚いたわ。みんな男子に飢えてて目ざといんだから」
教室から見えてたのか。こそっと訪ねたつもりが全然裏目だった。
「悪かった、迷惑かけて」
「別に……ちょっとびっくりしただけ。でも、あれでしょ。青山くんと璃子がつき合ってないのバレたのよね?」
「つき合ってない?」
確かそんな話もあったなと思い出した。橘先輩の登場が強烈すぎて、すっかり忘却の彼方だった。
「ふたりがくっつけば、沓沢も私とつき合う気になるかなって意地悪言ったの。わかるよ、私こんな性格だし……『お試し』やめるって言いに来たんでしょ。沓沢優しいから断れなかったんだよね。強引だったのは反省してる。でもこんなわざわざ……電話かメッセージで良かったのに」
七威と木村さんはつき合ってなかった。疑問が晴れた。園田の嘘は可愛いレベルで、怒る気にもならなかった。
「今日来た理由は前もってメッセージ入れただろ。返事がなくて電話したら着拒だったんで、会って話そうと思ったんだよ」
「着拒って? やだ、してないよ。この前、おじいちゃん家に忘れて丸二日手元になかったの。それで電源オフにしてもらってたんだよね。メッセージもくれた? ごめん、履歴にない」
園田がスマホをスクロールして確認している。着拒じゃなかったんだ。
「園田に絶交されたんだと思ってた」
「なんで。絶交したかったのは、沓沢のほうでしょ? 沓沢からテニス奪ったの、私だもん」
「違うよ」
「違わないよ、私のせいだよ」
「園田は悪くないんだって」
今にも泣きそうな顔で、園田が「私のせいだよ」と繰り返す。
「本当に……ごめんなさい。もっと上に進めたかも知れないのに、可能性を奪ってごめんね。私だけテニス続けてごめんね」
咲き終わりの藤が風に吹かれ、園田の制服に花びらを落とした。
「どれだけ謝っても、許されないのはわかってる。だから、テニスやめようって……私の世界から、テニスを消そうって決めたの……」
目の縁にたまっていた涙が、頬を伝った。テニスをやめた僕も、続けた園田もつらかった。片方だけが傷ついたわけじゃない。
「僕が子供だったんだ。ずっと嫌な思いさせて、ごめん。頼むから、園田までテニスやめるなんて言うなよ」
「でも……私だけ、続けるっておかしいよ」
園田がしゃくり上げながら僕を見た。これから話す内容に園田が動揺しないよう祈る気持ちで続けた。
「十日後、ある人と試合することになったんだ」
「……沓沢が、プレーするの。できるの?」
園田が目を瞠った。呆然と。狐につままれたような顔だ。
「やめて以来初だし、以前と同じパフォーマンスは無理だけど」
また園田の目から、ぱたぱたと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「テニス、できるんだね? コートに戻るんだね。沓沢ぁ……嬉しいよ」
「だまされてたって、怒らない?」
「怒らない。嬉しいだけだよ。ほんとにほんとに、嬉しい。生きてて良かった。ありがとう沓沢。ありがとう神様……」
「大げさだって」
自分だけがつらいと思ってた。自分だけが苦しいと思ってた。園田を、こんなに追いつめていたんだと、あらためて知った。
素直に喜ぶ姿が、後悔と負い目の泥沼から僕を救い上げてくれる。
馬鹿だった。遠回りした。ようやくここまで、たどり着いた。
「園田がテニス続けてくれて良かったと思ってる。これからも、続けてくれなきゃだめなんだ。都合のいい話だけど、僕が園田のテニスを奪うことになる。自分がやめる以上に、つらいんだ」
「沓沢……」
「続けるって言って。いまここで」
約束を取りつけるつもりで会いに来た。言質を取るまで帰れない。園田が悩んで出した答えを覆せるのは僕だけなんだ。僕が、発端だから。原因が変われば、結果も変わると信じてる。
園田が黙り込む。しばらくして、ためらいながら頷いた。
「うん……わかったよ。やめない。続ける」
「ありがとう、園田」
詰めていた息を吐き出した。少しだけ、気が楽になった。
「故障してブランクもある。でも一試合なら、いけると思う。園田にコーチ頼みたいんだ」
「私? ムリムリ、もっと上手い人じゃなきゃ。前に所属してたテニスクラブの人は?」
「園田がいいんだ」
つまづいた場所からやり直すなら。
「……わかった。いいよ、引き受ける。勝とう、沓沢。練習つき合うよ」
止まっていた時が、音を立て動き始める。出発の紙吹雪みたいに、僕たちの上を薄紫の花びらが舞った。