陽が落ちた西の空に、一番星が輝いていた。僕と七威は園田が泣き止むのを待って、地下ホームへ降りた。
 心の中はぐちゃぐちゃで、園田を慰めてやる余裕はなかった。「気をつけて」と当たり障りない言葉をかけるのが精一杯だった。
 園田を乗せた電車を見送った後、反対側のホームへ渡った。案内表示を見ると、次の電車は三分後。帰社時間とかぶり、スーツを着た会社員が目立つ。
「先輩の企みを知ってて園田の提案に乗ったんだ。性格悪いだろ。返り討ちにする気満々だった。僕を陥れようなんて百年早い。テニスの実力は僕が上だ、身の程を知れって。挑んだ結果がこれだよ。僕は肩の脱臼、先輩は足首の捻挫。体を張った割に先輩は大したことなくて笑えた」
 足元の黄色い点字ブロックに視線を落とす。電車到着を知らせるアナウンスが流れた。
「周囲には肩壊してテニスやめたと思われてるけど、違うんだ。やろうと思えばできる。でも、再開したら先輩と園田はホッとするだろ。あの頃は誰が許してやるかって、楽にしてやるもんかって、めちゃくちゃやさぐれてた。僕がテニスやめることで、罪の重さに気づけって。人に怪我させておいよく平気でテニス続けられるなとも思ってた。先輩にも園田にも」
 僕は息をついた。
「とばっちりだよ、園田は。先輩の存在は絶対で、逆らえるわけない。女の子だし、可哀想なことした」
 電車がホームに滑り込み、風圧に押された。車両は定位置で止まり、左右に扉が開く。僕と七威は手前の隙間に乗り込んだ。
「園田さんには、伝えないの」
「テニスができるって? 知ったら園田は楽になるかな。逆にだまされてたって怒るんじゃない?」
 パンドラの箱を開かなければ、誰も嫌な思いをしなくて済んだ。大人になるまで待って、もっと時間をかけて開けたら、傷は跡形もなく消えていただろうか。
「肩は百パーセント元通りってわけじゃないんだ。感覚が違う。以前と同じプレーは難しい」
 小五で始めた地元のテニスクラブをやめて、ラケットもシューズも捨てた。視界に入れたくなかった。思い出も自分も、すべて抹殺したかった。
「テニスと自分が嫌いになった。ずっと苦しくて、ありとあらゆるものが重かった。憎むことで、テニスをしない自分を保ってた。先輩のこと死ねばいいとはもう思わないけど、一生許さないだろうな」
「結都ちゃん――」
「幻滅した? 言っただろ。性格悪いんだよ。だから、無理しないで。何もいらない。慰めもフォローも、ましてや叱咤とかされたら立ち直れなくなる」
 発車音が短く流れた。会話のBGMにそぐわない陽気で軽快なメロディーだ。
「結都ちゃん、少しでいい。俺の話を聞いて」
「決心が揺らぐから何も言わないで。工藤先輩に聞いてると思うけど、僕、生徒会辞めるんだ。同好会立ち上げる気ならもっと本気で頑張りなよ」
 扉が閉まる寸前、車両を飛び下りた。七威がガラス越しに僕の名前を呼んだのがわかった。
 電車が発車する。全部過去になる。一緒に過ごした時間も交わした言葉も。
 二度と名前を呼ばれることもないんだな。そう思った途端、泣けてきた。