雲ひとつない快晴の空の下、僕は得点票を見上げた。
 開会直後は紅組白組の得点が拮抗していたものの中盤から差が開き始めた。残る種目は「借り人競争」と「紅白対抗リレー」のみ。「借り人」で少しでも挽回できなければ、リレー単独での白組逆転は厳しい。
 そして僕はいま、借り人競争に参加していた。物の代わりに人をピックアップする競技で、協力者を短時間で探すのが第一関門、審査員の合格判定が第二関門だ。
 僕が引いたお題は、「英語が話せるイケメン」。「英語」か「イケメン」のどちらかでいいのに、どうして掛け合わせた?
 帰国子女って僕の学年にいたかな。興ざめ覚悟で英語教師を選ぶか。うけ狙いでポンコツを持ってくるのが一番面白いが、紅組にリードされてる。今回は得点のため手堅くいきたい。
 ふと視線を感じて顔を上げると、数メートル先にイケメンを発見した。髪が銀色で、ひときわ目を引く。着てるのは指定の体操服じゃなく、オーバーサイズのTシャツだった。
 見るからに僕と毛色が違う。名前は確か青山。休みがちで素行がちょっと……との噂もあるが、腐っても進学校。落第しない程度の成績は保持してるはずだ。
 僕は人のことをどうこう言えるような聖人君子じゃない。普段どんな学校生活を送っていようと、直接影響がない限りはスルーだ。せっかくだし声をかけてみようか。でもシカトの憂き目にあったらどうしよう。臆病風が吹き、二の足を踏んだ。
「俺、ロックオンされた?」
 固まる僕を見て、青山が先に口を開いた。焦る。
「ええと」
「何探してるの?」
「英語が話せるイケメン」
 言葉を交わしたのは初めてだった。見た目以外の情報は皆無だが、意外と素直そうで普通かも。英語のほうはどうだろう。
「俺少し話せるよ」
「え、ほんと?」
「協力しようか」
「助かる! 僕と来て」
 青山が涼やかな笑みを浮かべ頷いた。拒否されなくて良かった。観客席の隙間を通り、僕の所へ駆けて来る。
「僕は普通科の」
沓沢結都(みずさわゆと)ちゃんでしょ。生徒会広報、文化祭でディーラーやってた。俺は情報科の青山七威。七威って呼んで」
 まさかの「ちゃん」づけに一瞬ひるんだ。仲良くなる前に距離をつめるタイプなのか。いきなり下の名前で呼び合うのはハードルが高い。
「今年も文化祭でブラックジャックやる?」
「ああ、うん。可能性はあるかもね」
 広報の一環で、生徒会を訪問してくれた人に駄菓子を配布することになり、ただ配るだけじゃ面白みがないのでトランプで勝ったら倍にするルールにしたのだ。そのディーラーが僕だった。
 ゲームのおかげで盛況。駄菓子は順調に捌け、広報にも一役買った。校舎の隅でやってた企画を青山が知ってたのが意外だった。
「青……七威も生徒会室来てた?」
「出し物の合間にちょっと寄ったよ。走ろ」
 七威がなかば強引に僕の腕を引いた。え、手繋ぎ? って、どこまでフレンドリーなんだよ。僕の戸惑いなど七威は全然気にしてない。

「結都ちゃんさ、去年は借りられるほうで出てたよね」
 う。覚えてる人がいた。
「忘れてよ」
「なんで。すごく可愛かったよ」
 先輩に騙されて連れて行かれたのだ。お題は『女装』。最初にわかってれば断ってた。“可愛い”は余計だ。
「ロングのウィッグも用意してあって、ビジュアル最高だった。あれは卒アル載るね」
「載せたら卒対全員、地獄に堕とす」
「うける。めっちゃ高評価だったのに」
 似合ってても高評価でも嬉しくないんだよ。話してる間にグラウンド中央に設置された指揮台に到着した。順位は三番目。七威と判定を待つ列に並んだ。
「結都ちゃん、うまくいけば逆転できるかも」
 お題クリアなら順位も加算対象だ。いざというときは僕が助け船出すとして、「Hi, I’m Nanai.」くらいの挨拶ができればいい。 
「俺ね、体育祭実行委員なんだ」
「顔合わせの時いなかったよね」
 体育祭は生徒会と実行委員の共同運営だ。数回打ち合わせがあったのに面識がない。すると七威が、「休んでたんだ」と言った。休みがちなのは噂通りだな。
「今日はちゃんと仕事してるよ。アイスの補充とか。結都ちゃんが導入したんだよね。みんな喜んでる」
「選挙公約だからね」
 僕は熱中症対策として、ひとり2本までアイスバーを食べられるようにしたのだ。箱入りのミニサイズだが好評で、我ながらいい仕事をしたと思う。
「七威って、誰にでもそうなの?」
「そう、って?」
「面識なくても人懐っこさが犬並み」
 七威が吹き出した。
「友好的って言ってよ。俺は一年の頃から結都ちゃんのこと知ってたよ。今日も全然初めてって気がしない」
 生徒会にいるとこういうことがよくある。相手は知ってて、自分は知らない。それでフレンドリーなのか。
 変な感じだった。僕の世界に七威はいなかったけど、七威の世界には僕がいたんだ。
「ほかにも知ってる」と聞いてもいないのに、七威が僕の印象を語り始めた。
「つやつやの黒髪、大きな目。賢そうな顔してるから成績はたぶん良さげ。脚が速くて、今年もリレーの選手でしょ。生徒会新聞のミニエッセイもいいよね。イニシャルしか乗ってないけど、書いてるの結都ちゃんでしょ。あとは」
「ちょ、やめろ」
 情報過多だな。褒め殺す気か、恥ずかしい。むずがゆくなって、七威のおしゃべりを強制停止した。
「照れなくてもいいのに」
「照れてない」
 そうこうしてる間に、判定の順番が回って来た。
「では、一番手の『怖い先生』は合格、二番手の『ものまねの上手い人』は残念! 得点獲得ならず!」
 七威と話し込んでいて、ものまねは見られなかった。審査員全員NGの札を挙げている。相当似てなかったんだな。ねぎらいの拍手と共に去るペアのあと指揮台に上がった。
「三番手は生徒会執行部でおなじみ、沓沢くんです! お題はなんでしょうか! おお……英語が話せるイケメン!」
 司会が意気揚々とお題を読み上げると、あちこちからはやし立てる声が湧いた。
「納得の人選です。名前は? ハイ、二年の青山くん。悔しいですがイケメンです。審査員の先生方、評価はいかがでしょうか」
 五人いる審査員が、全員マルの札を挙げた。イケメンについては堂々のクリアだ。七威が会釈して応える。鼻にかけない控えめな態度で、ちょっと好感が持てた。
「トーク内容は、あらかじめ審査員の先生方に指定をもらってます。英語で“好きな人を語る”。相手は友達でも家族でも恋人でもかまいません。どうぞ!」
 難題じゃないか、これ。七威に視線を向けると、余裕の笑みを返された。緊張してるのは僕のほうだ。スタンドマイクの前で、七威が軽く咳払いした。
「Well……」
 声がマイクに乗りグラウンドに流れる。観客席の生徒は好奇心と無関心、6対4くらいだ。
「You’re a hundred years too early to hear my secret.」
 うわ、マジか。少し話せるどころかネイティブじゃないか。予想外のレベルに鳥肌が立った。
「Do you want to know that badly? Then help me out.」
 観客席を見渡した七威は、最後に僕の肩を抱き寄せ、「'Cause, I love “Yuto”. 」と締めくくった。
「え……?」
 コメントが終わった途端、歓声が上がった。僕の心臓も跳ね上がる。
 ――俺の秘密を知るのは百年早いよ。どうしても聞きたい? それなら協力してよ。俺が好きな人は結都なんだ。
 青山七威。おととい来い。