指先で回していたシャーペンが勢い余って転がり、テーブルに落ちた。
七威とはカフェでの一件以来、会ってない。企画書の進展もない。校内ですれ違いもしない。七威を好きだと自覚した瞬間に玉砕した。僕は馬鹿だ。
鬱々と過ごすはめになったのは、自分が原因だ。身から出た錆とはいえ、人生最大のダークバレーを抜け出せないでいる。
週明けの学校は、ひたすらだるいだけだった。生徒会の集まりは腹痛を理由に休んだ。もちろん仮病だ。
後ろめたい。まっすぐ帰るのも気が重かった。こんな時はゲーセンか。ひとりで行ってもな……と迷った末、結局カフェに落ち着いた。
七威と行った店は候補から外そうとしたのに、無意識に足が向いていた。我ながら未練がましい。せめて同じテーブルには座らないようにと、窓側のひとり掛け用スツールに座った。店内は客もまばら。誰も誰かに気に留めない。本を読んだり連れとおしゃべりしたり、思い思いのことをして過ごしてる。世界は僕に無関心だ。それが逆に心地よかった。
イヤホンで音楽を聴きながら、新書を開く。しばらく文字を追うものの気が散って集中できず、窓の外に目を向けた。
眼下に線路が幾本も延びている。発着を繰り返す電車を眺めながら、氷で薄まったコーヒーを飲んだ。
終わらせたいな。終わらせて楽になりたい。七威と同じ場所にいるのをやめたら、楽になれるだろうか。
「沓沢ぁ」
「わ、びっくりした」
突然、ひとりの時間が途切れた。僕を覗き込むように立っていたのは、園田だった。僕はイヤホンを外す。
「超偶然! 一緒にお茶しようよ。ここいい?」
「あんまりゆっくりする時間なくて」
持て余してたくせに取り繕ってどうする。つい逃げ腰になったのは、無期限だった返答の猶予が「たった今」に書き換えられたからだった。
「わかった。ICEばりにちょっぱやで飲んで帰ろ」
「たとえがマニアックなんだよ」
「沓沢はわかってくれたじゃん」
ICEはドイツの新幹線だ。園田のお父さんが出張で乗るのだと、中学の頃に聞いたことがある。
「青山くんと待ち合わせ?」
「いや。園田は? 木村さん待ち?」
「璃子は部活。私は休み。ほかの運動部とグラウンド共有だから」
「部活違うんだ」
「あの色白の子がテニス部なわけないでしょ。そういえば聞いた? 璃子情報によると、青山くんといい感じになったんだって」
胸に差し込むような痛みがあった。七威と木村さんが……? 変だな。じゃあ橘先輩は? よりを戻すんじゃなかったのか?
「最近進展あったらしくて。おめでたいわぁ。青山くんは何か言ってた?」
「別に」
「そっか、嬉々としてのろけるタイプじゃなさそうだもんね。青山くんて明るいけど、ちょっと秘めたものがある感じ」
「そんな風に見える?」
「雰囲気がね。全力で楽しんでないっていうか、壁があるっていうか。うまく言えない。でもそこが魅力でもあるのかな」
男子より、女子のほうが察し力高そうだ。七威が誰と付き合おうと、僕にはもう関係なくて。ただ、悪夢が続くだけだ。もし、ほかの誰かを好きになるまで胸が痛むのだとしたら……地獄だな。
園田が「その本見せて」と、テーブルに置いた本をパラパラとめくった。植物同士も会話物質を発しコミュニケーションを取っている、そんな科学の本だ。
「難しそうね。眠くならない?」
「面白いよ」
読書部で借りた本だった。期限までには読み終えたいが、この調子だと難しそうだな。
「私、しばらく教科書以外の活字読んでないなぁ。あ、璃子に借りた漫画は読んだ。それが超胸キュンで」
園田はあえて軽めの話題を選んでるみたいだった。お試しの返答は気にしてないのか。それとも話自体、なかったことになったのか。はたまた全部をすっ飛ばすくらい、僕が疲れた顔をしてたのか。
「元気ないわね。何かあったの?」
園田の問いはあまりに自然で、僕はここしばらく抱えていた本音をぽろりと口走っていた。
「生徒会、やめようと思って」
「やだ、どうしたの。会長目前のあなたが」
「目指してるとかひと言も言ってないだろ」
テニスの代わりが欲しかっただけだ。忙しければ、余計なことを考えずに済むだろうと安易な気持ちで立候補した。動機がいい加減だったせいで、しわ寄せが来たんだ。ひとつつまづくと、全部間違いに思えてくる。任期満了を待たずして、続けるモチベを失った。
会話を盗み聞きした挙句、七威を傷つけた。生徒会に入らなければ、七威と親しくなることもなかった。体育祭で七威に声をかけなければ、こんな結果にならなかった。過去の自分がどうにもいたたまれなくて、苦しかった。
七威は僕以外の人が好きなんだ。その事実がどん底に突き落とす。橘先輩とのわだかまりは消えたのか。女の子が苦手なのは勘違いだったのか。
どちらにしても、笑える。七威の抱える荷物を持てたらなんて、どれだけ傲慢だったんだ。僕なんかいなくたって、七威は痛くも痒くもないじゃないか。
「私でよければ、相談に乗るよ。役に立つかはわかんないけど。話せばすっきりするかも」
客同士の雑談と有線のJ-POPが、沈黙の角を丸くする。叫びたい気持ちを押さえ息をついた。
「……なんかいろいろ面倒になったんだ。執行部のみんなには迷惑かけるし、気が引けるけど」
園田はアイスミルクティーのグラスをコースターに戻し、小さく頷いた。
「私はさ、無理するより、自分の心を大事にしたほうがいいと思うよ」
「心?」
「迷惑がどうのって気にするより、本当の気持ちを優先させて、自分を大事にして欲しい」
園田は問題から逃げずやり遂げろとは言わなかった。わがままを許されたようで、少し気持ちが軽くなる。
「テニス部にいた時、すごく無理してたでしょ。苦しかったでしょ。だからもうそっちを選ばなくていいんだよ。もっと自分に優しくしてあげようよ」
園田の目じりには、うっすらと涙が浮かんでいた。中学時代を思い出し、胸に苦いものが込み上げる。
「僕が楽になることで、誰かが苦しむかな」
「そんなのどうだっていい。沓沢が幸せなら、それでいいよ」
卒業まで距離を置けば、七威を煩わせることもない。全部終わらせて、別の道を選べばいいんだ。
「園田、この間の『お試し』の返事だけど――」
出した答えがたとえ間違いだったとしても、いまの僕には、必要な決断だった。
「僕たち、付き合ってみようか」
七威とはカフェでの一件以来、会ってない。企画書の進展もない。校内ですれ違いもしない。七威を好きだと自覚した瞬間に玉砕した。僕は馬鹿だ。
鬱々と過ごすはめになったのは、自分が原因だ。身から出た錆とはいえ、人生最大のダークバレーを抜け出せないでいる。
週明けの学校は、ひたすらだるいだけだった。生徒会の集まりは腹痛を理由に休んだ。もちろん仮病だ。
後ろめたい。まっすぐ帰るのも気が重かった。こんな時はゲーセンか。ひとりで行ってもな……と迷った末、結局カフェに落ち着いた。
七威と行った店は候補から外そうとしたのに、無意識に足が向いていた。我ながら未練がましい。せめて同じテーブルには座らないようにと、窓側のひとり掛け用スツールに座った。店内は客もまばら。誰も誰かに気に留めない。本を読んだり連れとおしゃべりしたり、思い思いのことをして過ごしてる。世界は僕に無関心だ。それが逆に心地よかった。
イヤホンで音楽を聴きながら、新書を開く。しばらく文字を追うものの気が散って集中できず、窓の外に目を向けた。
眼下に線路が幾本も延びている。発着を繰り返す電車を眺めながら、氷で薄まったコーヒーを飲んだ。
終わらせたいな。終わらせて楽になりたい。七威と同じ場所にいるのをやめたら、楽になれるだろうか。
「沓沢ぁ」
「わ、びっくりした」
突然、ひとりの時間が途切れた。僕を覗き込むように立っていたのは、園田だった。僕はイヤホンを外す。
「超偶然! 一緒にお茶しようよ。ここいい?」
「あんまりゆっくりする時間なくて」
持て余してたくせに取り繕ってどうする。つい逃げ腰になったのは、無期限だった返答の猶予が「たった今」に書き換えられたからだった。
「わかった。ICEばりにちょっぱやで飲んで帰ろ」
「たとえがマニアックなんだよ」
「沓沢はわかってくれたじゃん」
ICEはドイツの新幹線だ。園田のお父さんが出張で乗るのだと、中学の頃に聞いたことがある。
「青山くんと待ち合わせ?」
「いや。園田は? 木村さん待ち?」
「璃子は部活。私は休み。ほかの運動部とグラウンド共有だから」
「部活違うんだ」
「あの色白の子がテニス部なわけないでしょ。そういえば聞いた? 璃子情報によると、青山くんといい感じになったんだって」
胸に差し込むような痛みがあった。七威と木村さんが……? 変だな。じゃあ橘先輩は? よりを戻すんじゃなかったのか?
「最近進展あったらしくて。おめでたいわぁ。青山くんは何か言ってた?」
「別に」
「そっか、嬉々としてのろけるタイプじゃなさそうだもんね。青山くんて明るいけど、ちょっと秘めたものがある感じ」
「そんな風に見える?」
「雰囲気がね。全力で楽しんでないっていうか、壁があるっていうか。うまく言えない。でもそこが魅力でもあるのかな」
男子より、女子のほうが察し力高そうだ。七威が誰と付き合おうと、僕にはもう関係なくて。ただ、悪夢が続くだけだ。もし、ほかの誰かを好きになるまで胸が痛むのだとしたら……地獄だな。
園田が「その本見せて」と、テーブルに置いた本をパラパラとめくった。植物同士も会話物質を発しコミュニケーションを取っている、そんな科学の本だ。
「難しそうね。眠くならない?」
「面白いよ」
読書部で借りた本だった。期限までには読み終えたいが、この調子だと難しそうだな。
「私、しばらく教科書以外の活字読んでないなぁ。あ、璃子に借りた漫画は読んだ。それが超胸キュンで」
園田はあえて軽めの話題を選んでるみたいだった。お試しの返答は気にしてないのか。それとも話自体、なかったことになったのか。はたまた全部をすっ飛ばすくらい、僕が疲れた顔をしてたのか。
「元気ないわね。何かあったの?」
園田の問いはあまりに自然で、僕はここしばらく抱えていた本音をぽろりと口走っていた。
「生徒会、やめようと思って」
「やだ、どうしたの。会長目前のあなたが」
「目指してるとかひと言も言ってないだろ」
テニスの代わりが欲しかっただけだ。忙しければ、余計なことを考えずに済むだろうと安易な気持ちで立候補した。動機がいい加減だったせいで、しわ寄せが来たんだ。ひとつつまづくと、全部間違いに思えてくる。任期満了を待たずして、続けるモチベを失った。
会話を盗み聞きした挙句、七威を傷つけた。生徒会に入らなければ、七威と親しくなることもなかった。体育祭で七威に声をかけなければ、こんな結果にならなかった。過去の自分がどうにもいたたまれなくて、苦しかった。
七威は僕以外の人が好きなんだ。その事実がどん底に突き落とす。橘先輩とのわだかまりは消えたのか。女の子が苦手なのは勘違いだったのか。
どちらにしても、笑える。七威の抱える荷物を持てたらなんて、どれだけ傲慢だったんだ。僕なんかいなくたって、七威は痛くも痒くもないじゃないか。
「私でよければ、相談に乗るよ。役に立つかはわかんないけど。話せばすっきりするかも」
客同士の雑談と有線のJ-POPが、沈黙の角を丸くする。叫びたい気持ちを押さえ息をついた。
「……なんかいろいろ面倒になったんだ。執行部のみんなには迷惑かけるし、気が引けるけど」
園田はアイスミルクティーのグラスをコースターに戻し、小さく頷いた。
「私はさ、無理するより、自分の心を大事にしたほうがいいと思うよ」
「心?」
「迷惑がどうのって気にするより、本当の気持ちを優先させて、自分を大事にして欲しい」
園田は問題から逃げずやり遂げろとは言わなかった。わがままを許されたようで、少し気持ちが軽くなる。
「テニス部にいた時、すごく無理してたでしょ。苦しかったでしょ。だからもうそっちを選ばなくていいんだよ。もっと自分に優しくしてあげようよ」
園田の目じりには、うっすらと涙が浮かんでいた。中学時代を思い出し、胸に苦いものが込み上げる。
「僕が楽になることで、誰かが苦しむかな」
「そんなのどうだっていい。沓沢が幸せなら、それでいいよ」
卒業まで距離を置けば、七威を煩わせることもない。全部終わらせて、別の道を選べばいいんだ。
「園田、この間の『お試し』の返事だけど――」
出した答えがたとえ間違いだったとしても、いまの僕には、必要な決断だった。
「僕たち、付き合ってみようか」