出向いた先は駅の北口にある大人仕様のカフェだった。店内の照明は明るくも暗くもなく、落ち着いた明度に抑えられている。ブレンドコーヒー六百円、カフェオレ七百円。リーズナブルさとは縁遠い。レジ横のショーケースに並んだパンやスイーツもいい値段だった。出費が痛すぎるのと緊張で食欲もないので見送りだ。
「どこに座るんです?」
オーダーの列に並びながら、工藤先輩に話しかけた。
「空いてればとなり」
「偵察に来たってバレますよ」
「スパイ活動は堂々と」
密会現場をなぜ知ってるのか、工藤先輩に聞いたがはぐらかされた。
「ちょっとわかんないんですけど、七威と橘先輩が会ったらだめなんですか」
「だめというより、おれが嫌」
ふたりに仲良くされたくない理由があるんだろうか。工藤先輩は青山のこと毛嫌いしてるしな。だとしても。
「人の交友に干渉するのはよろしくないのでは」
ここまで来て僕が言うのもおかしいが。
「沓沢は好きな相手が自分以外のやつといて平気なほど神経太いのか」
それって……? ようやく僕は、これまでの言動の意味を理解した。
「工藤先輩は、橘先輩が好きなんですか」
「やっと気づいたか。鈍感だな」
「今まで匂わせもしなかったじゃないですか。中学の時、彼女いたんですよね?」
「カモフラ」
「ひど!」
元カノが聞いたら怒るぞ。そうだったんだ。今の今まで、考えたこともなかった。好きな人のために免許取るって、橘先輩のことだったんだ。確かに、“彼女”とは言ってなかった。
七威と工藤先輩は橘先輩の後輩だ。工藤先輩は橘先輩が好きで、後を追って生徒会に入った。七威はいったいどういった立ち位置なんだ。頭を悩ませていると、席を確保した工藤先輩が戻って来た。
「沓沢、植栽挟んだ向こうに橘先輩と青山がいる」
その隣に座るのか。命知らずにもほどがある。
コーヒーカップを受け取り、恐る恐る奥に進んだ。絶妙な場所に陣取ったな。席の合間に観葉植物が置かれ、立ち上がらない限り隣席は見えない。足音を忍ばせ席に着いた。緊張する。ああ、何やってるんだろう、僕は。
「おい、ナナ。よそ見してんな。聞いてねえだろ、人の話」
「聞いてますよ」
どきりとした。急にスイッチが入ったみたいに、ふたりの声が耳に届いた。ナナ、と橘先輩が愛称で呼んだ。親密さを感じてざわざわする。名前くらいで……どう呼ぼうと自由なのに。
「どうせなら焼肉食いたくね?」
「俺はこのターキー&トマトモッツァレラで充分です」
「相変わらず食細いな。なぜか背は伸びてるけど」
「エネルギー配分が効率的なんです」
「まだソレイユでバイトしてんのか」
「時々」
七威ってバイトしてたんだ。ソレイユって何の店だろう。
「もう会わないって伝えましたよね」
「工藤に何か言われたのかよ。あいつほんと面倒くせえ」
「俺の意思です」
「前は俺の言うことなんでも聞いて、可愛かったのに。あの頃のナナはどこ行っちゃったんだろうね。荒れてたほうが素直だったかもな?」
荒れてたって、中学時代のこと? 素行が悪いって噂はあったけど……僕の知る限り、七威は外見が目立つだけで普通だ。でも。普通ってなんだ。誰のスタンダードなんだ。僕だって、普通かと問われたら全然違う棚に並んでそうだ。
「大学生になって、橘先輩も変わったでしょう」
「暁季って呼べ」
「呼び方なんて」
「あ、つ、き」
「わがまま暁季」
「修飾語は余計だっつうの。ツンケンすんなよ。会えたらときめくもんだろ、愛だわって」
「ラブレスです」
「ひっで」
遠慮のない七威に橘先輩が気にせず笑う。お互い気心の知れた相手なんだ。それに比べ、七威は僕といる時すごく気を遣っていた。あれでも。そうだ、あれでも。僕たちは完全に打ち解けていたわけじゃなかった。
「これ食べたら帰りますね。一応、俺忙しいんで」
「俺もこう見えて忙しい」
「だったらどうして俺にかまうんですか」
「好きだからに決まってんじゃん」
僕は工藤先輩を見た。好きな相手がほかの誰かを想ってる。そんな会話聞きたくないだろうに。でも工藤先輩はすでに承知してるとでもいうように眉ひとつ動かさない。
「そういうこと言うの、やめてください。ずっと音信不通だったくせに」
「自分の気持ちを口にして何が悪い」
じりじりと、フライパンの上で炙られてるみたいな気分だった。
これ以上ここにいるのは不毛だ。店を出ようと工藤先輩に合図したとき、メッセージアプリの受信音が鳴った。僕たちのじゃない。七威のスマホだった。
「誰だよ」
「さあ。クラスメイトかな」
「見せろ」
「勝手にやめ――」
「木村璃子? 誰だ、この女」
橘先輩が苛立った。僕は少し驚いたものの、友達としてならメッセのやり取りくらいするだろうと思い直す。僕だって園田と話してる。特別なことじゃない。わかっているのに、七威と木村さんの繋がりを想像すると、愉快な気分にはなれなかった。
「つき合ってんのか」
「一緒に水族館に行っただけです」
「デートじゃねえかよ」
「違いますってば。数合わせで誘われたんです。俺を責めるのはお門違いですよ。自分だってつき合ってる人いたでしょう」
「あれは誤解だって」
「信じません。約束破られて傷つかないとでも思ってるんですか」
「ずいぶん前の話だろ。あの頃は俺もテンパってて。優先順位も、何が大事かもわかってなかったんだよ」
橘先輩が畳み掛ける。
「ナナと、やり直したい」
「やり直すも何も、つき合った覚えはありません」
「キスしたじゃん」
息が止まりかけた。急激に心拍数が上がる。工藤先輩は相変わらず無表情だ。どうして平気なんだよ。
「まだ俺のこと好きだろ。それで迷ってる」
「相変わらず自信過剰ですね。そういう強引なところ苦手です」
「言うようになったな。成長の証として許してやるけど」
「上から目線なのは変わってませんね」
「認めろよ、俺が好きだって」
もう無理だ。これ以上、盗み聞きできない。僕は勢い席を立った。
すると、あろうことか七威も同時に席を立ち、僕たちの存在がバレた。
「どこに座るんです?」
オーダーの列に並びながら、工藤先輩に話しかけた。
「空いてればとなり」
「偵察に来たってバレますよ」
「スパイ活動は堂々と」
密会現場をなぜ知ってるのか、工藤先輩に聞いたがはぐらかされた。
「ちょっとわかんないんですけど、七威と橘先輩が会ったらだめなんですか」
「だめというより、おれが嫌」
ふたりに仲良くされたくない理由があるんだろうか。工藤先輩は青山のこと毛嫌いしてるしな。だとしても。
「人の交友に干渉するのはよろしくないのでは」
ここまで来て僕が言うのもおかしいが。
「沓沢は好きな相手が自分以外のやつといて平気なほど神経太いのか」
それって……? ようやく僕は、これまでの言動の意味を理解した。
「工藤先輩は、橘先輩が好きなんですか」
「やっと気づいたか。鈍感だな」
「今まで匂わせもしなかったじゃないですか。中学の時、彼女いたんですよね?」
「カモフラ」
「ひど!」
元カノが聞いたら怒るぞ。そうだったんだ。今の今まで、考えたこともなかった。好きな人のために免許取るって、橘先輩のことだったんだ。確かに、“彼女”とは言ってなかった。
七威と工藤先輩は橘先輩の後輩だ。工藤先輩は橘先輩が好きで、後を追って生徒会に入った。七威はいったいどういった立ち位置なんだ。頭を悩ませていると、席を確保した工藤先輩が戻って来た。
「沓沢、植栽挟んだ向こうに橘先輩と青山がいる」
その隣に座るのか。命知らずにもほどがある。
コーヒーカップを受け取り、恐る恐る奥に進んだ。絶妙な場所に陣取ったな。席の合間に観葉植物が置かれ、立ち上がらない限り隣席は見えない。足音を忍ばせ席に着いた。緊張する。ああ、何やってるんだろう、僕は。
「おい、ナナ。よそ見してんな。聞いてねえだろ、人の話」
「聞いてますよ」
どきりとした。急にスイッチが入ったみたいに、ふたりの声が耳に届いた。ナナ、と橘先輩が愛称で呼んだ。親密さを感じてざわざわする。名前くらいで……どう呼ぼうと自由なのに。
「どうせなら焼肉食いたくね?」
「俺はこのターキー&トマトモッツァレラで充分です」
「相変わらず食細いな。なぜか背は伸びてるけど」
「エネルギー配分が効率的なんです」
「まだソレイユでバイトしてんのか」
「時々」
七威ってバイトしてたんだ。ソレイユって何の店だろう。
「もう会わないって伝えましたよね」
「工藤に何か言われたのかよ。あいつほんと面倒くせえ」
「俺の意思です」
「前は俺の言うことなんでも聞いて、可愛かったのに。あの頃のナナはどこ行っちゃったんだろうね。荒れてたほうが素直だったかもな?」
荒れてたって、中学時代のこと? 素行が悪いって噂はあったけど……僕の知る限り、七威は外見が目立つだけで普通だ。でも。普通ってなんだ。誰のスタンダードなんだ。僕だって、普通かと問われたら全然違う棚に並んでそうだ。
「大学生になって、橘先輩も変わったでしょう」
「暁季って呼べ」
「呼び方なんて」
「あ、つ、き」
「わがまま暁季」
「修飾語は余計だっつうの。ツンケンすんなよ。会えたらときめくもんだろ、愛だわって」
「ラブレスです」
「ひっで」
遠慮のない七威に橘先輩が気にせず笑う。お互い気心の知れた相手なんだ。それに比べ、七威は僕といる時すごく気を遣っていた。あれでも。そうだ、あれでも。僕たちは完全に打ち解けていたわけじゃなかった。
「これ食べたら帰りますね。一応、俺忙しいんで」
「俺もこう見えて忙しい」
「だったらどうして俺にかまうんですか」
「好きだからに決まってんじゃん」
僕は工藤先輩を見た。好きな相手がほかの誰かを想ってる。そんな会話聞きたくないだろうに。でも工藤先輩はすでに承知してるとでもいうように眉ひとつ動かさない。
「そういうこと言うの、やめてください。ずっと音信不通だったくせに」
「自分の気持ちを口にして何が悪い」
じりじりと、フライパンの上で炙られてるみたいな気分だった。
これ以上ここにいるのは不毛だ。店を出ようと工藤先輩に合図したとき、メッセージアプリの受信音が鳴った。僕たちのじゃない。七威のスマホだった。
「誰だよ」
「さあ。クラスメイトかな」
「見せろ」
「勝手にやめ――」
「木村璃子? 誰だ、この女」
橘先輩が苛立った。僕は少し驚いたものの、友達としてならメッセのやり取りくらいするだろうと思い直す。僕だって園田と話してる。特別なことじゃない。わかっているのに、七威と木村さんの繋がりを想像すると、愉快な気分にはなれなかった。
「つき合ってんのか」
「一緒に水族館に行っただけです」
「デートじゃねえかよ」
「違いますってば。数合わせで誘われたんです。俺を責めるのはお門違いですよ。自分だってつき合ってる人いたでしょう」
「あれは誤解だって」
「信じません。約束破られて傷つかないとでも思ってるんですか」
「ずいぶん前の話だろ。あの頃は俺もテンパってて。優先順位も、何が大事かもわかってなかったんだよ」
橘先輩が畳み掛ける。
「ナナと、やり直したい」
「やり直すも何も、つき合った覚えはありません」
「キスしたじゃん」
息が止まりかけた。急激に心拍数が上がる。工藤先輩は相変わらず無表情だ。どうして平気なんだよ。
「まだ俺のこと好きだろ。それで迷ってる」
「相変わらず自信過剰ですね。そういう強引なところ苦手です」
「言うようになったな。成長の証として許してやるけど」
「上から目線なのは変わってませんね」
「認めろよ、俺が好きだって」
もう無理だ。これ以上、盗み聞きできない。僕は勢い席を立った。
すると、あろうことか七威も同時に席を立ち、僕たちの存在がバレた。