「シャッフルしてよ、見たい」
「いいよ」
 僕は箱を開けカードを出した。右手でデッキを弾き半分のところでふたつにわける。左手と右手に持ち、交互にカードを落としたら、カードを湾曲させ、ふわりとひとつにまとめる。
「すげ」
 もっとと何度もせがまれて、十回は繰り返した。
「飽きない?」
「永遠に見てられる」
「それじゃゲームにならないよ」
 僕は苦笑いした。
「器用だね。なんでそんなに上手いの」
「一時期ハマってたんだ。たまたま動画見て、自分でもできるかなって」
 テニスをやめたあと、穴を埋めるようにひたすら練習していた。お陰で人前で披露できる程度にはなった。なんの役にも立たないけど。
「俺に教えて」
「いいよ」
 ゲームするはずが、リフルシャッフルの講義になった。初心者は台があったほうがやりやすいだろうと、ローテーブルの前に並んで座る。七威のセンスは悪くなかった。カードの混ざり具合はいまいちだが、練習すれば偏らなくなるだろう。
「むっず」
「すぐには無理だよ」
 七威がカードを投げ出し床に寝そべった。ふと、カーテンの下に横たわる小さな犬のぬいぐるみが目に入った。
「そのぬいぐるみ、何かのキャラ?」
「んー……わかんない」
「僕どこかで見たことあるんだよなぁ」
「クソ犬だよ」
 七威が腕を伸ばしつまみ上げると、寝転がったまま壁に向かって投げた。ぬいぐるみは壁に当たり、すとんとゴミ箱にインした。
「捨てるなよ」
「いらないし」
「思い出のものだろ?」
「別に。なんとなく捨てそびれてた」
「かわいそうだよ」
 僕はゴミ箱から拾い上げ、ほこりを払うと出窓に座らせた。
「結都ちゃん乙女だね」
「違うわ!」
 ぬいぐるみは片手におさまるくらいの大きさだ。耳が垂れてて愛嬌のある顔をしてる。

「俺さ、同級生とあんま話が合わないんだよね」
 そういえば普段学校でどう過ごしてるか、知らないな。
「木村さんとは楽しそうだったけど?」
「そりゃ盛り下げない努力はしたよ」
「ほんとはつまらなかった?」
「そうじゃないけど……女の子は気を遣うよね」
「慣れてそうなのに」
「えー。俺、遊び人と思われてる? 一途に結都ちゃんを想ってるんだけどな」
 また軽々しくそういうことを……と反発しながら、わずかに心がうずいた。
「連絡先交換したよね。また誘われたらどうするの」
「断ったよ」
 七威が体を起こし、胡坐をかいた。
「付き合えないって断った」
「そう、だったんだ……」
 考えてもみなかった。自分でさえ園田に『お試し』を提案されたんだ。七威が木村さんと、“そうなる”可能性は十分あった。
「俺、付き合ってもよかった?」
 問われて言葉に詰まった。もしふたりが付き合い始めたら、僕はどうするつもりだった? 喜ぶのか、怒るのか。想像したら、胃のあたりが痛んだ。
「それは……七威の自由で」
「じゃあ、付き合うよ」
 かぶせ気味に返された答えに、僕は茫然とした。たぶんかなり間の抜けた顔だったんだろう。七威が僕を見て笑った。
「冗談だよ、結都ちゃんが模範解答するから意地悪したくなった」
 感情が乱高下する。七威が木村さんと付き合う気がないとわかって、ほっとしてる。
「俺、中学のとき恋愛がらみでグループ内でもめたことあって。それ以来、女の子がちょっと苦手」
「最初に教えてよ、そういうの。無理させてごめん」
「行くって決めたの俺だよ。結都ちゃんは悪くない」
 七威は軽そうでいて、重みがある。いい加減そうで律儀だ。
「トラブルで人付き合い苦手になるの、わかるな」
「俺の場合、人付き合いっていうより、女の子が苦手っていうか……いいのは最初だけなんだよね。いつの間にか俺の知らないところでドロドロし始めて、女の子同士、仲悪くなっちゃうんだ」
 それは、モテるゆえの悩みなのでは。否応なく誰かの嫉妬に巻き込まれれば消耗する。苦手意識が育つこともあるだろう。
「母親はヒステリーだったし。いい思い出があんまりない」
「僕の姉さんは、デリカシー皆無だよ。勝手に部屋に入って来る」
「それは……うかつにエロサイト見れないね?」
 七威が吹き出した。否定はしないけどさ。僕はテーブルに散らかったカードを集めた。
 女子が苦手なら、男子と一緒にいるほうが楽だよな。だから男子校なのかな。だから、僕……? ふと、カードをそろえる手が止まる。
「結都ちゃんは優しいね。俺のこと馬鹿にしないもんね」
「馬鹿にする要素一個もないだろ」
 七威が頬杖をつき僕を見た。何も言わず、あいたほうの手でカードを一枚拾い上げる。七威に差し出され、僕は手を伸ばした。不意に指先を掴まれ体が固まる。
「七威……?」
 見つめられて動けなくなった。鼓動が速い。触れた場所から一気に熱が駆け上がった。
「結都ちゃん」
 七威が囁く。抱きしめられて、揃えたデッキが崩れ床に落ちた。今朝よりもっと強い力だった。伝わってくる体温が熱い。
「結都ちゃん、帰んないで。ずっとここにいてよ」
「どうしたんだよ……ずっとは……無理だよ」
 七威が泣きそうな気がして、振りほどけなかった。七威の抱えるものはなんだろう。寂しさか。孤独か。実際のところはわからない。ただ、所在をなくした心の荷物を持ってあげたくなった。それはあまりに不遜で、傲慢だとも思う。
 何ができるって言うんだ。自分のことすら中途半端なままで、荷物を持った後の責任なんて取れないくせに。勢いに流されるな。
「七……」
 気づけば床に押し倒されていた。七威が僕を見下ろす。視線がぶつかる。心音が騒がしい。フローリングの冷たさが背中に、七威の体温が胸にしみ込んでくる。僕は体を押しのけようとした。七威の吐息が頬にかかる。抗えない。
「待……七威……」
 唇が重なる寸前、七威のスマホが鳴った。
 息が止まる。僕を見つめる目の熱が翳った。七威が、ゆっくり体を離す。
 淡い色のライトを放ち、テーブルの上でスマホが鳴り続ける。おもむろに手を伸ばした七威が、画面を見て、着信を切った。
「駅まで送るね」
 電話に救われたのか、邪魔されたのか。かけてきた相手が誰なのか、知りたいのは好奇心ではなく、嫉妬だったんじゃないだろうか。