「お父さん何してる人。冒険家?」
「いや、放浪してる人。たまに絵を描いてる」
「お金持ちなの? 資金ないと難しいよね」
「日本にいるとき絵を売ったり、現地で調達してる。就労ビザがないからポーカーとかカジノとか」
「カジノ」
「遺跡の発掘現場で手伝ってたこともあった。ボランティアは給料の代わりに三食支給されるんだ。それで古墳も面白いかと思って」
飛び出すワードがいろいろ衝撃的だった。想像の斜め上を行く世界観に驚かされる。
「金がなくなると俺だけ日本に帰されたりしてさ」
「ひとりで?」
「何時間も飛行機に乗って帰国すんの。その頃は母親がいて、さすがに空港まで迎えに来たけど」
青山父、破天荒すぎる。
「どうしたの。突然俺に興味湧いた?」
七威が苦笑いした。勢いでずけずけ聞いてることに気づいた。僕はシンクの泡を洗い流し、水を止めた。
「ごめん不躾だった」
「いいよ、気になるよね。俺も友達の父親が行方不明だったら、なんでって思うよ」
「行方不明? 旅してるんだよね」
どっちにしても非日常が大渋滞だけど。
「帰るって言った日に帰らなかったら行方不明なんじゃない」
「しばらく会ってないの?」
「二年ほど」
「連絡は」
「ないね。あ、半年前に絵葉書が届いた。ルアンパバーンから」
「どこ」
「東南アジア」
まるで他人事だった。不安じゃないのかな。放浪の旅なら定住はしてないだろう。父親なのにどれだけ奔放なんだ。
「国内か外国か、どっちかにいるよ。死んでなければ」
ひたひたとやり切れなさが湧いてきた。お父さんがいるのに、七威はひとりだ。この部屋で、ずっと。おばあちゃんが近くに住んでるとはいえ、七威が帰る家はここだ。
平然としてる裏で、待ってるんだろうか、父親が戻るのを。何もないこの部屋で。待ち続けてるんだろうか。想像したら、少し胸が痛んだ。七威の孤独の深さを知るのが怖くて、お父さんや一人暮らしについて本当はどう思っているのか、心の内を訊くことができなかった。
「俺、全然平気だよ。かわいそうとか思わないでね」
「思ってないよ」
「父親の義務果たさない奴なんて、むしろ帰って来なくていいし。会いたくもない」
だから荷物を捨てたのか。またきゅっと胸が痛む。かわいそうとは思わない。ただ、僕が寂しいだけだ。
「俺さ、昨日紙で指切ったんだ。ささくれもだけどさ、体の割合からして大した傷じゃないのに、めっさ痛いじゃん。なんでだろね」
「血が出ないからだって、何かの本に書いてあった。スパッと切れてるようで、実際はギザギザらしいよ。傷口を治すのは血液だけど、紙の怪我だと血が出るほどでもないから治りが遅くて痛い」
七威が指先を見つめた。目に見えない傷は、痛いんだ。
「さすが読書部。ほかにおもしろエピソードある?」
「物理の基本法則によらない複雑な系は、正確に解を導き出すのが難しいこととか」
「結都ちゃん、いきなり本気出さないでよ。それ日本語?」
七威が眉根を寄せて嘆いた。僕は笑い、柔らかい言葉を選んで説明し直す。
「雲がいい例だよ。どれも似てるけど違う。形成と消滅を正確に記述できる方程式はないんだ」
「同じ雲を作ることも、二度と見ることもできないと」
「そう。だから快晴より雲のある空が好きだな」
「だね。俺は夕景が好きかも。マジックアワーの時間帯」
つけっぱなしのスピーカーがバラードを流し始めた。七威がリモコンでシーリングの光量を絞る。
「明るいと思ったら満月だ」
東に月がのぼり、掃き出し窓に青白い光が差す。窓を開けると、夜風が入ってカーテンが揺れた。いま何時だろう。部屋に時計がなくて不便だ。でもスマホを出して確かめる気にはならなかった。
「俺、小さいころ月まで飛んでく夢見たな。三十八万キロあるんだっけ」
「宇宙船だと三日かかるね」
「マジ、そんな?」
「光なら三秒だよ。僕たちが見てるのは三秒前の月」
「近いのか遠いのかわかんなくなってきた」
宇宙のスケールは気が遠くなるねとしみじみしたところで、七威が窓を閉めた。
「結都ちゃん。トランプしよ。ポーカーできる?」
「ブラックジャックしか知らない」
「ディーラーだったのに」
「ただ配ってただけだよ」
「にしては、カードさばきプロ並みでしょ」
七威が引き戸を開けて、隣の部屋に入った。寝室だ。ベッドのほかは、やっぱり何も置いてない。
「あった。捨ててなかった」
七威がクロゼットからトランプを発掘して僕に放った。
「いや、放浪してる人。たまに絵を描いてる」
「お金持ちなの? 資金ないと難しいよね」
「日本にいるとき絵を売ったり、現地で調達してる。就労ビザがないからポーカーとかカジノとか」
「カジノ」
「遺跡の発掘現場で手伝ってたこともあった。ボランティアは給料の代わりに三食支給されるんだ。それで古墳も面白いかと思って」
飛び出すワードがいろいろ衝撃的だった。想像の斜め上を行く世界観に驚かされる。
「金がなくなると俺だけ日本に帰されたりしてさ」
「ひとりで?」
「何時間も飛行機に乗って帰国すんの。その頃は母親がいて、さすがに空港まで迎えに来たけど」
青山父、破天荒すぎる。
「どうしたの。突然俺に興味湧いた?」
七威が苦笑いした。勢いでずけずけ聞いてることに気づいた。僕はシンクの泡を洗い流し、水を止めた。
「ごめん不躾だった」
「いいよ、気になるよね。俺も友達の父親が行方不明だったら、なんでって思うよ」
「行方不明? 旅してるんだよね」
どっちにしても非日常が大渋滞だけど。
「帰るって言った日に帰らなかったら行方不明なんじゃない」
「しばらく会ってないの?」
「二年ほど」
「連絡は」
「ないね。あ、半年前に絵葉書が届いた。ルアンパバーンから」
「どこ」
「東南アジア」
まるで他人事だった。不安じゃないのかな。放浪の旅なら定住はしてないだろう。父親なのにどれだけ奔放なんだ。
「国内か外国か、どっちかにいるよ。死んでなければ」
ひたひたとやり切れなさが湧いてきた。お父さんがいるのに、七威はひとりだ。この部屋で、ずっと。おばあちゃんが近くに住んでるとはいえ、七威が帰る家はここだ。
平然としてる裏で、待ってるんだろうか、父親が戻るのを。何もないこの部屋で。待ち続けてるんだろうか。想像したら、少し胸が痛んだ。七威の孤独の深さを知るのが怖くて、お父さんや一人暮らしについて本当はどう思っているのか、心の内を訊くことができなかった。
「俺、全然平気だよ。かわいそうとか思わないでね」
「思ってないよ」
「父親の義務果たさない奴なんて、むしろ帰って来なくていいし。会いたくもない」
だから荷物を捨てたのか。またきゅっと胸が痛む。かわいそうとは思わない。ただ、僕が寂しいだけだ。
「俺さ、昨日紙で指切ったんだ。ささくれもだけどさ、体の割合からして大した傷じゃないのに、めっさ痛いじゃん。なんでだろね」
「血が出ないからだって、何かの本に書いてあった。スパッと切れてるようで、実際はギザギザらしいよ。傷口を治すのは血液だけど、紙の怪我だと血が出るほどでもないから治りが遅くて痛い」
七威が指先を見つめた。目に見えない傷は、痛いんだ。
「さすが読書部。ほかにおもしろエピソードある?」
「物理の基本法則によらない複雑な系は、正確に解を導き出すのが難しいこととか」
「結都ちゃん、いきなり本気出さないでよ。それ日本語?」
七威が眉根を寄せて嘆いた。僕は笑い、柔らかい言葉を選んで説明し直す。
「雲がいい例だよ。どれも似てるけど違う。形成と消滅を正確に記述できる方程式はないんだ」
「同じ雲を作ることも、二度と見ることもできないと」
「そう。だから快晴より雲のある空が好きだな」
「だね。俺は夕景が好きかも。マジックアワーの時間帯」
つけっぱなしのスピーカーがバラードを流し始めた。七威がリモコンでシーリングの光量を絞る。
「明るいと思ったら満月だ」
東に月がのぼり、掃き出し窓に青白い光が差す。窓を開けると、夜風が入ってカーテンが揺れた。いま何時だろう。部屋に時計がなくて不便だ。でもスマホを出して確かめる気にはならなかった。
「俺、小さいころ月まで飛んでく夢見たな。三十八万キロあるんだっけ」
「宇宙船だと三日かかるね」
「マジ、そんな?」
「光なら三秒だよ。僕たちが見てるのは三秒前の月」
「近いのか遠いのかわかんなくなってきた」
宇宙のスケールは気が遠くなるねとしみじみしたところで、七威が窓を閉めた。
「結都ちゃん。トランプしよ。ポーカーできる?」
「ブラックジャックしか知らない」
「ディーラーだったのに」
「ただ配ってただけだよ」
「にしては、カードさばきプロ並みでしょ」
七威が引き戸を開けて、隣の部屋に入った。寝室だ。ベッドのほかは、やっぱり何も置いてない。
「あった。捨ててなかった」
七威がクロゼットからトランプを発掘して僕に放った。