【3】
葉瑠からの突然の申し出に、俺はどうすればいいいのかわからなくなっていた。
「紹介ってどういうこと?」という疑問が頭を占め、思考回路がうまく働かない。すると葉瑠は俺の脳の中を覗き込むかのように「言葉通りの意味だよ」と笑った。
いや、言葉通りに受け取ったとして。
それはどういう感情がもとになっているのだろう。もしかして、友達とか親友とかを超越してる存在だということを言いたいのだろうか。その真意を問おうかどうしようかと迷っている隙に、葉瑠はさっさと歩き始めた。あっという間に生徒玄関に辿り着き、葉瑠は埃が立たないよう、外履きを地面にゆっくりと置く。葉瑠は靴を履きながら「でも、どんな人なんだろうな」と独り言のように告げた。
「……叔父さんの恋人?」
「うん。優しい人だといいな。ほら、叔父さんが優しいじゃん?」
葉瑠は叔父さんを「優しい人」と評しているが俺の中では、多少の認識のズレがあった。俺の中のおじさんは、優しいよりも厳しいという印象が勝っているけど。葉瑠がそう評するならおじさんは優しい人なんだろう。
「父さんがさ、なんでもできる人みたいだったんだよね」
「え、そうなんだ」
「んー。叔父さん、父さんのことは滅多に話さないけど。でも『憧れだった』って言ってて」
「そっか」
言いながら靴を履き終えた俺たちは、校門に向かってゆっくりと歩き始めた。いつものように、吹奏楽部の楽器を鳴らす音や野球部の掛け声が俺たちを追いだしていく。
「ほらおれってさ。なんでも結構、器用にできちゃうじゃん?」
「それ、自分で言わない方がいいやつだけどな」
「はは。でもそういうとこ、たぶん受け継いだのかも」
葉瑠の口から家族の話が出るのは珍しいことだったので、俺はいつもより慎重に葉瑠の声に耳を澄ませた。
「やっぱさ善は急げだよな」
「え」
「今から叔父さんに連絡してみる。恋人さんとごはん一緒に食べようって。な、洸も来るだろ?」
「え……お、おう」
「なんでそこで、ためらう感じ出ちゃうかなー。おれの家族、なってくれるんだろ」
「それはうん、そうだけど。でも、その前に言っておきたいことが────」
俺の言葉が届いていないのか、それとも聞こえないふりをしているのか。葉瑠はこちらのことはお構いなしで、スマホを取り出し通話ボタンを押した。十中八九、おじさんに電話をかけているのだろう。すぐに電話は繋がって、案の定、葉瑠は「あ、叔父さん」とこちらにも聞こえるように呼びかけた。
「今日さ仕事終わりにごはんでもどうかなって。叔父さんの恋人と一緒に。ど?」
少し早口でそう告げると、葉瑠の口元が楽しそうにたゆむ。葉瑠の相槌から察するに、おそらく叔父さん的には、自分に恋人がいることをどうして知っているんだ、と驚いているのだろう。
「そんでさ、おれも紹介したい人いるんだ」
葉瑠がそう告げると、スマホ越しでもおじさんの言葉にならない驚きが響いてきた。さぞや大きい声を出されたのだろうと思うが、葉瑠は平然としている。
「だからさ……うん、え、ほんと? やった。じゃあ……焼き鳥! ちょっとお高い感じのね……うん、はは、りょーかーい。はーい、はいはーい……」
軽さを感じ得ない会話を終えた後、葉瑠はこちらに向き直って「何着てく?」といい笑顔で言った。
クローゼットを開いても、似たような色のパーカーが数着とバンドTとデニムしかない。基本、服は着れればいいというスタンスなので都会に来ていくような服は持っていなかった。どうしようかと迷っていると、葉瑠から『どう?』とラインが来た。『ない』とだけ送ると『だろうと思った』と言わんばかりの頷きスタンプが速攻で返って来た。
『じゃあうち来る?』
続けて送られてきたメッセージにどくんと胸が跳ねる。その高鳴りを感じながらも断る理由を捻出しようとしたが、どうしてもできなかった。
「地味に超、久しぶりじゃない? 中学ぐらいまではさ、よくどっちかの家に入り浸ってたのに」
「……そう、ですね」
「え、なんで敬語?」
高校に入ってからは、もう葉瑠への気持ちを自覚していたから。密室にふたりきりでいることに対して妙な罪悪感を覚えるようになった。
いや、違うな。理由はもっと単純だ。
シンプルにすげえドキドキしてしまうからだ。気持ちが溢れてバレて友達にすら戻れなくなったら、マジで死にたくなると思ったからだ。だから、葉瑠とふたりで過ごすときは学校とかファミレスとか、極力ふたりきりにならない環境を選んでいた。
「めっちゃ今更だけど。洸、大きくなったよな」
「え」
「だって昔はさ、頭のてっぺんにこれ、くっつくぐらいだったじゃん」
そう言って葉瑠は天井に備え付けられた室内灯の紐に触れた。カチとそれを引っ張ると室内がもう一段階、明るくなった。
「それは流石に昔すぎだろ」
「確かに」
葉瑠はなぜか満足そうに笑うと、ウォークインクローゼットをがらりと開く。中にはびっしりと洋服が詰め込まれていて、俺は小さく「おお」と慄いた。
「おれ、前からコーディネートしたかったんだよね、洸の。ほらおれと違って筋肉質だしタッパもあるし。多分、何来ても様になると思う」
そう告げた葉瑠の目はイキイキとしていて、その様子を見ているだけで心が満たされる気がした。のだが。
その後、俺は葉瑠の着せ替え人形となった。ほぼ半裸のまま「これも似合う、あれも似合う」とおもちゃのようにされながらもぺたぺたと触ってくるので、ぎりりと奥歯を噛み締めながら早く終われと願っていた。
────という話を、葉瑠は端的に面白おかしく話している。おじさんの恋人は葉瑠の話に耳を傾け、時折、朗らかに笑う。もちろん俺のことをバカにしているわけではなく、俺たちの関係を微笑ましく思っているような感じ。きっといい人だ。多分。
「じゃあさ、今日着てるのは葉瑠君のコーディネートってこと?」
「そうですそうです。頭のてっぺんからつま先まで、おれのコーディネート」
「うん、すごくいい感じだと思う。ていうかカーキのテーラードジャケット着こなせるとか、普通にすごいと思う」
「は、はぁ」
会話の中に織り込まれたカタカナに困惑していると「カーキは色、テーラードっていうのは……まぁ、かっけーってこと」と、葉瑠が理解に多少苦しむ説明をしてくれた。
「ていうかさ、葉瑠君はなんでわかったの。叔父さんに恋人がいるってこと」
「いや、わかりますよ。明らかに歯磨きの時間が長くなったり入念に髭剃るようになったり。あとはまぁ……いろいろ」
「えー、そうなんだ……」
おじさんの恋人はうっとりとした表情で葉瑠の言葉を胸の奥にしまいこんでいる。
「ね、武人さん。もしかして俺の事めっちゃ好きだったりします?」
冗談と本気が絶妙に混ざったような顔をして、おじさんの恋人が問いかける。しかし、当のおじさんは「はいはい、そうですね」と軽くあしらうだけだった。これはあれだ。おじさんは大分照れている、きっと。
「それより葉瑠。お前、紹介したい人がいるって洸のことなのか」
「うん。家族として紹介したいなって思って」
にぱっと笑って告げる葉瑠を、おじさんはぎろりと睨む。そしてゆっくりと俺の方に向き直った。
「洸、葉瑠に付き合わされてるんなら────」
「それは違います」
考えるより早く口をついて出た否定に自分で驚く。今の態度でバレたかもだけど、葉瑠のことを真剣に考えてるって、しっかりと伝えるチャンスなのかもしれない。ちゃんと「好き」だから家族になりたいって、ここで言うべきなのかもしれない。
「あの、俺は……」
でも、次の言葉を続けられない。ここで本当のことを言って関係性が終わってしまうリスクの方を、どうしても強く感じてしまっていた。
「えっと……」
そのまま言葉に詰まっていると、おじさんがため息を吐く。その横顔は明らかに呆れた様子で、選択を間違ったかもしれないと後悔した。すると葉瑠の方が先に口を開いた。
「ごめん叔父さん」
「どうして謝る」
「ノリで言うことじゃなかったかなって、反省してるから。洸の気持ちも考えずに、突っ走ったから」
少し早口気味に告げると、葉瑠はこちらに向き直った。
「ごめんね」
「いや、俺は……」
「おれさ、たぶん先手を打ちたかったんだと思う。『あんたがいると幸せになれない』っとか、そんな感じのこと言われる前に」
葉瑠の言葉におじさんの目が反射的に鋭くなる。まっすぐ素早く葉瑠の方を向いたので、木製のテーブルがガタッと鋭い音を立てた。
「どうすれば信じる」
「いや、ちゃんと信じてるよ。叔父さんが人道に外れることは絶対しないって。ただ、可能性のひとつを考えてみただけだから」
「そんな可能性、考えるな。俺はちゃんと、お前のことを家族だってずっと思ってきた」
「家族だからって関係ないよ、あの人には普通に捨てられたし」
冷めた笑顔で告げる葉瑠に対し、おじさんは「お前な」と一瞬、前のめりになった。しかし「武人さん」と、恋人に静かに窘められ呼吸を落ち着けた。
「お前が俺を信じられないならそれでもいい。そうさせた責任は俺にあるからな。だがな、人の気持ちを勝手に決めつけるな。それはとても失礼なことだ」
怒りよりも悲しみが滲む声に、なぜか俺の方が泣きたくなってしまった。
「ごめん」
軽さに逃げるような謝罪をした後、葉瑠は真下を向く。そしてそのまま、葉瑠は勢いよく立ち上がって店の出口へと視線を移した。
「おい、待て」
「頭冷やしたいんだ。ほんとごめんね」
ぺたりとした笑顔を貼り付け、葉瑠はそそくさと歩いていく。俺は葉瑠を絶対に見失わないよう、心もとないその背中を追いかけた。
「クリーニングしてから返すよ」
「いや、いいって。そのままで」
「いや、臭くなってたらやだし」
「いや、何言ってんの。洸が臭いわけねえじゃん」
葉瑠の家の前で、俺たちはぐだぐだとそんな話をしていた。
結局のところ、俺は葉瑠の願いを叶えられなかったんだと思う。あの時にちゃんと「好きだから、大切だから一緒にいたいんです」って、おじさんに言っていればよかったのだろうか。でもあの時。葉瑠は「ノリで言うことじゃなかった」と反省していた。
つまりはそういうことだ。
俺の「好き」と葉瑠の「好き」は違う。それを知ってしまった状態で想いを伝えるのは流石にキモイ。「気持ちを伝えたかっただけだから」なんていうのは利己的な慰めだ。これからもせめてちゃんと友達でいたい。そのために全力を尽くしていくしかない。
「あ、じゃあさ。今日はおれんち泊まっていけばいいんじゃない?」
「……は?」
「ねっ」
一所懸命に気持ちを収めようとしているというのに。何を言いだすんだ、こいつは。
「服返してもらって洗濯機まわして、その間に風呂入ってもらう。洸が風呂入ってる時間を使っておれはフルーチェを作る。うん、一切の無駄がない」
「だからクリーニングに出すって────」
「あーもう、それはマジで本当に大丈夫! ていうかおれ、叔父さんに核心突かれて地味に傷心なの。だから一緒にいて欲しいんだって」
「…………」
「だめ?」
駄目なわけがあろうか。そんなふうに甘えられたら、突っぱねることなどできっこない。だから俺は洸が思い描くスケジュールに丸ごと乗っかることにした。
風呂上がりのフルーチェ以上にうまいスイーツはこの世にない。好きな奴が作ってくれたのなら尚更だ。一口一口を噛み締めながら食していると、葉瑠はカクテルグラスに盛られたフルーチェをふるふるさせていた。
「これ、うちのフルーチェ専用機なんだよね」
そう言った葉瑠の目は、とても誇らしげだった。
「叔父さんに引き取られてすぐの頃、だったと思うんだけど。おれフルーチェのCMガン見してたみたいで。次の日、速攻でさ。叔父さんがフルーチェとこの専用機買ってきて」
よっぽどキラキラとした目でそのCMを見ていたんだろうなと想像し、ついつい、にやけてしまいそうになった。
「その時はさ『嬉しい』って気持ちしかなかったけど。でもこの皿見つけるのとか地味に大変だったんじゃん? とか。最近、気付いて」
葉瑠はカクテルグラスの華奢な持ち手にふれ、それを慈しむように見つめた。
「叔父さんの気持ちは、ちゃんとわかってるつもりなんだ。でも、万が一に備えたいって思っちゃったんだ。『いらない』って言われた時に、ちゃんと大丈夫でいられるように」
葉瑠は小さく息を吐き、ゆっくりとこちらに向き直る。その瞳はちゃんと真剣で、一番伝わる言葉を考えているように見えた。
「ほんとに嬉しかった。洸が『家族になる』って言ってくれて。嬉しかったのはほんとの、ほんとだから……」
「好きだ」
考えるより先に出た。やってしまった、本日2回目だ。でも言ってしまったのだから、もう後には引けない。
「家族とか、そんな括り俺にとってはどうでもいい。好きだからお前と一緒にいたい」
自分の想いを伝えることなんて「利己的な慰め」だと、ほんの1時間前に認識していたのに、このザマだ。でも半端なことをしていたって、何も伝わらない。
「言っとくけど、あれな。ちゃんと色々したい方の好きだからな」
駄目押しをしている間に、葉瑠の口周りがうやうやと妙な動きをし始めた。完全に混乱させてしまっていると認識した俺は、フルーチェをがっと飲み干し、そのまま葉瑠の自宅を後にしたのだった。
葉瑠からの突然の申し出に、俺はどうすればいいいのかわからなくなっていた。
「紹介ってどういうこと?」という疑問が頭を占め、思考回路がうまく働かない。すると葉瑠は俺の脳の中を覗き込むかのように「言葉通りの意味だよ」と笑った。
いや、言葉通りに受け取ったとして。
それはどういう感情がもとになっているのだろう。もしかして、友達とか親友とかを超越してる存在だということを言いたいのだろうか。その真意を問おうかどうしようかと迷っている隙に、葉瑠はさっさと歩き始めた。あっという間に生徒玄関に辿り着き、葉瑠は埃が立たないよう、外履きを地面にゆっくりと置く。葉瑠は靴を履きながら「でも、どんな人なんだろうな」と独り言のように告げた。
「……叔父さんの恋人?」
「うん。優しい人だといいな。ほら、叔父さんが優しいじゃん?」
葉瑠は叔父さんを「優しい人」と評しているが俺の中では、多少の認識のズレがあった。俺の中のおじさんは、優しいよりも厳しいという印象が勝っているけど。葉瑠がそう評するならおじさんは優しい人なんだろう。
「父さんがさ、なんでもできる人みたいだったんだよね」
「え、そうなんだ」
「んー。叔父さん、父さんのことは滅多に話さないけど。でも『憧れだった』って言ってて」
「そっか」
言いながら靴を履き終えた俺たちは、校門に向かってゆっくりと歩き始めた。いつものように、吹奏楽部の楽器を鳴らす音や野球部の掛け声が俺たちを追いだしていく。
「ほらおれってさ。なんでも結構、器用にできちゃうじゃん?」
「それ、自分で言わない方がいいやつだけどな」
「はは。でもそういうとこ、たぶん受け継いだのかも」
葉瑠の口から家族の話が出るのは珍しいことだったので、俺はいつもより慎重に葉瑠の声に耳を澄ませた。
「やっぱさ善は急げだよな」
「え」
「今から叔父さんに連絡してみる。恋人さんとごはん一緒に食べようって。な、洸も来るだろ?」
「え……お、おう」
「なんでそこで、ためらう感じ出ちゃうかなー。おれの家族、なってくれるんだろ」
「それはうん、そうだけど。でも、その前に言っておきたいことが────」
俺の言葉が届いていないのか、それとも聞こえないふりをしているのか。葉瑠はこちらのことはお構いなしで、スマホを取り出し通話ボタンを押した。十中八九、おじさんに電話をかけているのだろう。すぐに電話は繋がって、案の定、葉瑠は「あ、叔父さん」とこちらにも聞こえるように呼びかけた。
「今日さ仕事終わりにごはんでもどうかなって。叔父さんの恋人と一緒に。ど?」
少し早口でそう告げると、葉瑠の口元が楽しそうにたゆむ。葉瑠の相槌から察するに、おそらく叔父さん的には、自分に恋人がいることをどうして知っているんだ、と驚いているのだろう。
「そんでさ、おれも紹介したい人いるんだ」
葉瑠がそう告げると、スマホ越しでもおじさんの言葉にならない驚きが響いてきた。さぞや大きい声を出されたのだろうと思うが、葉瑠は平然としている。
「だからさ……うん、え、ほんと? やった。じゃあ……焼き鳥! ちょっとお高い感じのね……うん、はは、りょーかーい。はーい、はいはーい……」
軽さを感じ得ない会話を終えた後、葉瑠はこちらに向き直って「何着てく?」といい笑顔で言った。
クローゼットを開いても、似たような色のパーカーが数着とバンドTとデニムしかない。基本、服は着れればいいというスタンスなので都会に来ていくような服は持っていなかった。どうしようかと迷っていると、葉瑠から『どう?』とラインが来た。『ない』とだけ送ると『だろうと思った』と言わんばかりの頷きスタンプが速攻で返って来た。
『じゃあうち来る?』
続けて送られてきたメッセージにどくんと胸が跳ねる。その高鳴りを感じながらも断る理由を捻出しようとしたが、どうしてもできなかった。
「地味に超、久しぶりじゃない? 中学ぐらいまではさ、よくどっちかの家に入り浸ってたのに」
「……そう、ですね」
「え、なんで敬語?」
高校に入ってからは、もう葉瑠への気持ちを自覚していたから。密室にふたりきりでいることに対して妙な罪悪感を覚えるようになった。
いや、違うな。理由はもっと単純だ。
シンプルにすげえドキドキしてしまうからだ。気持ちが溢れてバレて友達にすら戻れなくなったら、マジで死にたくなると思ったからだ。だから、葉瑠とふたりで過ごすときは学校とかファミレスとか、極力ふたりきりにならない環境を選んでいた。
「めっちゃ今更だけど。洸、大きくなったよな」
「え」
「だって昔はさ、頭のてっぺんにこれ、くっつくぐらいだったじゃん」
そう言って葉瑠は天井に備え付けられた室内灯の紐に触れた。カチとそれを引っ張ると室内がもう一段階、明るくなった。
「それは流石に昔すぎだろ」
「確かに」
葉瑠はなぜか満足そうに笑うと、ウォークインクローゼットをがらりと開く。中にはびっしりと洋服が詰め込まれていて、俺は小さく「おお」と慄いた。
「おれ、前からコーディネートしたかったんだよね、洸の。ほらおれと違って筋肉質だしタッパもあるし。多分、何来ても様になると思う」
そう告げた葉瑠の目はイキイキとしていて、その様子を見ているだけで心が満たされる気がした。のだが。
その後、俺は葉瑠の着せ替え人形となった。ほぼ半裸のまま「これも似合う、あれも似合う」とおもちゃのようにされながらもぺたぺたと触ってくるので、ぎりりと奥歯を噛み締めながら早く終われと願っていた。
────という話を、葉瑠は端的に面白おかしく話している。おじさんの恋人は葉瑠の話に耳を傾け、時折、朗らかに笑う。もちろん俺のことをバカにしているわけではなく、俺たちの関係を微笑ましく思っているような感じ。きっといい人だ。多分。
「じゃあさ、今日着てるのは葉瑠君のコーディネートってこと?」
「そうですそうです。頭のてっぺんからつま先まで、おれのコーディネート」
「うん、すごくいい感じだと思う。ていうかカーキのテーラードジャケット着こなせるとか、普通にすごいと思う」
「は、はぁ」
会話の中に織り込まれたカタカナに困惑していると「カーキは色、テーラードっていうのは……まぁ、かっけーってこと」と、葉瑠が理解に多少苦しむ説明をしてくれた。
「ていうかさ、葉瑠君はなんでわかったの。叔父さんに恋人がいるってこと」
「いや、わかりますよ。明らかに歯磨きの時間が長くなったり入念に髭剃るようになったり。あとはまぁ……いろいろ」
「えー、そうなんだ……」
おじさんの恋人はうっとりとした表情で葉瑠の言葉を胸の奥にしまいこんでいる。
「ね、武人さん。もしかして俺の事めっちゃ好きだったりします?」
冗談と本気が絶妙に混ざったような顔をして、おじさんの恋人が問いかける。しかし、当のおじさんは「はいはい、そうですね」と軽くあしらうだけだった。これはあれだ。おじさんは大分照れている、きっと。
「それより葉瑠。お前、紹介したい人がいるって洸のことなのか」
「うん。家族として紹介したいなって思って」
にぱっと笑って告げる葉瑠を、おじさんはぎろりと睨む。そしてゆっくりと俺の方に向き直った。
「洸、葉瑠に付き合わされてるんなら────」
「それは違います」
考えるより早く口をついて出た否定に自分で驚く。今の態度でバレたかもだけど、葉瑠のことを真剣に考えてるって、しっかりと伝えるチャンスなのかもしれない。ちゃんと「好き」だから家族になりたいって、ここで言うべきなのかもしれない。
「あの、俺は……」
でも、次の言葉を続けられない。ここで本当のことを言って関係性が終わってしまうリスクの方を、どうしても強く感じてしまっていた。
「えっと……」
そのまま言葉に詰まっていると、おじさんがため息を吐く。その横顔は明らかに呆れた様子で、選択を間違ったかもしれないと後悔した。すると葉瑠の方が先に口を開いた。
「ごめん叔父さん」
「どうして謝る」
「ノリで言うことじゃなかったかなって、反省してるから。洸の気持ちも考えずに、突っ走ったから」
少し早口気味に告げると、葉瑠はこちらに向き直った。
「ごめんね」
「いや、俺は……」
「おれさ、たぶん先手を打ちたかったんだと思う。『あんたがいると幸せになれない』っとか、そんな感じのこと言われる前に」
葉瑠の言葉におじさんの目が反射的に鋭くなる。まっすぐ素早く葉瑠の方を向いたので、木製のテーブルがガタッと鋭い音を立てた。
「どうすれば信じる」
「いや、ちゃんと信じてるよ。叔父さんが人道に外れることは絶対しないって。ただ、可能性のひとつを考えてみただけだから」
「そんな可能性、考えるな。俺はちゃんと、お前のことを家族だってずっと思ってきた」
「家族だからって関係ないよ、あの人には普通に捨てられたし」
冷めた笑顔で告げる葉瑠に対し、おじさんは「お前な」と一瞬、前のめりになった。しかし「武人さん」と、恋人に静かに窘められ呼吸を落ち着けた。
「お前が俺を信じられないならそれでもいい。そうさせた責任は俺にあるからな。だがな、人の気持ちを勝手に決めつけるな。それはとても失礼なことだ」
怒りよりも悲しみが滲む声に、なぜか俺の方が泣きたくなってしまった。
「ごめん」
軽さに逃げるような謝罪をした後、葉瑠は真下を向く。そしてそのまま、葉瑠は勢いよく立ち上がって店の出口へと視線を移した。
「おい、待て」
「頭冷やしたいんだ。ほんとごめんね」
ぺたりとした笑顔を貼り付け、葉瑠はそそくさと歩いていく。俺は葉瑠を絶対に見失わないよう、心もとないその背中を追いかけた。
「クリーニングしてから返すよ」
「いや、いいって。そのままで」
「いや、臭くなってたらやだし」
「いや、何言ってんの。洸が臭いわけねえじゃん」
葉瑠の家の前で、俺たちはぐだぐだとそんな話をしていた。
結局のところ、俺は葉瑠の願いを叶えられなかったんだと思う。あの時にちゃんと「好きだから、大切だから一緒にいたいんです」って、おじさんに言っていればよかったのだろうか。でもあの時。葉瑠は「ノリで言うことじゃなかった」と反省していた。
つまりはそういうことだ。
俺の「好き」と葉瑠の「好き」は違う。それを知ってしまった状態で想いを伝えるのは流石にキモイ。「気持ちを伝えたかっただけだから」なんていうのは利己的な慰めだ。これからもせめてちゃんと友達でいたい。そのために全力を尽くしていくしかない。
「あ、じゃあさ。今日はおれんち泊まっていけばいいんじゃない?」
「……は?」
「ねっ」
一所懸命に気持ちを収めようとしているというのに。何を言いだすんだ、こいつは。
「服返してもらって洗濯機まわして、その間に風呂入ってもらう。洸が風呂入ってる時間を使っておれはフルーチェを作る。うん、一切の無駄がない」
「だからクリーニングに出すって────」
「あーもう、それはマジで本当に大丈夫! ていうかおれ、叔父さんに核心突かれて地味に傷心なの。だから一緒にいて欲しいんだって」
「…………」
「だめ?」
駄目なわけがあろうか。そんなふうに甘えられたら、突っぱねることなどできっこない。だから俺は洸が思い描くスケジュールに丸ごと乗っかることにした。
風呂上がりのフルーチェ以上にうまいスイーツはこの世にない。好きな奴が作ってくれたのなら尚更だ。一口一口を噛み締めながら食していると、葉瑠はカクテルグラスに盛られたフルーチェをふるふるさせていた。
「これ、うちのフルーチェ専用機なんだよね」
そう言った葉瑠の目は、とても誇らしげだった。
「叔父さんに引き取られてすぐの頃、だったと思うんだけど。おれフルーチェのCMガン見してたみたいで。次の日、速攻でさ。叔父さんがフルーチェとこの専用機買ってきて」
よっぽどキラキラとした目でそのCMを見ていたんだろうなと想像し、ついつい、にやけてしまいそうになった。
「その時はさ『嬉しい』って気持ちしかなかったけど。でもこの皿見つけるのとか地味に大変だったんじゃん? とか。最近、気付いて」
葉瑠はカクテルグラスの華奢な持ち手にふれ、それを慈しむように見つめた。
「叔父さんの気持ちは、ちゃんとわかってるつもりなんだ。でも、万が一に備えたいって思っちゃったんだ。『いらない』って言われた時に、ちゃんと大丈夫でいられるように」
葉瑠は小さく息を吐き、ゆっくりとこちらに向き直る。その瞳はちゃんと真剣で、一番伝わる言葉を考えているように見えた。
「ほんとに嬉しかった。洸が『家族になる』って言ってくれて。嬉しかったのはほんとの、ほんとだから……」
「好きだ」
考えるより先に出た。やってしまった、本日2回目だ。でも言ってしまったのだから、もう後には引けない。
「家族とか、そんな括り俺にとってはどうでもいい。好きだからお前と一緒にいたい」
自分の想いを伝えることなんて「利己的な慰め」だと、ほんの1時間前に認識していたのに、このザマだ。でも半端なことをしていたって、何も伝わらない。
「言っとくけど、あれな。ちゃんと色々したい方の好きだからな」
駄目押しをしている間に、葉瑠の口周りがうやうやと妙な動きをし始めた。完全に混乱させてしまっていると認識した俺は、フルーチェをがっと飲み干し、そのまま葉瑠の自宅を後にしたのだった。