覚醒したのは赤い外光のせいだった。雪取は今日が月曜日であることを思い出し、肝を冷やしたが、窓を開けると、それは夕焼けでなく不吉な朝焼けだった。
よかった、仕事に遅刻したかと思った。
休むと、給料が減る。そうするとアリルイにお布施できない。雪取は時間給で雇われている派遣社員である。
ちらと青い鳥SNSにログインせねばと思ったが、約束の日没まではまだ12時間以上あるため、化粧して通勤電車に体をねじ込む方が優先度が高い。リアルマネーを稼ぐことは、アリルイを推すために、呼吸の次に大切である。
会社爆発しろ、でなければ給料10倍になれ。と念じたが、会社は今日も爆発せずに雪取を迎え入れた。タイムカードを打刻してから給料明細を見ると、時間給は変わらず1050円だった。
朝焼けで懸念していた通り、その日は午後から雨になった。
仕事が終わって帰り支度をする段になっても、雨は激しく降り続いていた。
雪取のアリルイ引退を、空が代わりに泣いてくれるのだと思えば、思い残すことはなかった。
今日の日の入り時刻は18時。あと1時間ほどあるが、仕事も終わったことだし、雪取は青い鳥のSNSにログインすることにした。
アリルイを引退することに、後悔はなかった。
昨日のオンリー結婚式の熱狂と成功を思い返し、半身を割かれるような寂しさが去来したが、雪取は、逆カプ捨てアカたちとの約束を守る方を選んだ。迷わず、鞄から携帯端末を取り出し、青い鳥のアイコンをタップする。
しかし二度、三度と動作を繰り返しても、画面が立ち上がらない。
どうしたことかと携帯端末の様子をあらためて見てみれば、電波状況が圏外マークである。
回線が繋がっていない。故障か? 水に濡らした覚えはないが――
「やべ、ネットに繋がらねえ」
隣の席の正社員が自身の携帯端末を握りしめて舌打ちしていた。その後ろでは、電波を拾おうとしているのか、端末を窓際へ持って行く新人の姿が見える。
通信障害は、雪取の端末だけで起きているわけではないようだ。
雪取は自席に設置されている会社のPCを再び立ち上げてみた。こっちは業務用Wi-Fiなので、難なくニュースサイトにアクセスすることができた。
線状降水帯、記録的豪雨という単語と、大量の雨水の流入により止まった交通機関の画像が流れてくる。
帰宅難民が大量に発生したことにより、局地的にキャリア回線の通信障害が発生しているようだ。しかも雨はまだ続いている。いつ携帯端末の通信障害が復旧するかわからない。
会社のこのPCから青い鳥SNSにログインしようか、と、雪取は考えた。
しかし、会社のPCは履歴が残る。強火のアリルイ妄想を垂れ流すアカウントを見られて、上司にフフッってされるのは、まだ避けたかった。自分の端末を使って会社のWi-Fiにタダ乗りすることも考えたが、こちらも末路は同じだろう。
職場の壁にかかった時計を確かめる。日没時刻までは、あと45分。
携帯端末のキャリア回線は通信障害で使えない。どこか、会社以外のWi-Fiスポットへ行かなくては。
雪取は、パンプスから、会社に置いておいたスニーカーに履き替えると、意を決して、雨中に身を曝した。
道路は冠水し、マンホールは溢れ出した水でガタガタ跳ねていたが、雪取は足を止めなかった。
雪取は泥水をかき分けながら走った。
一番近い全国チェーンのカフェ(無料Wi-Fiあり)へ。