雪取は激怒した。
必ず、かの原作無視の逆カプ勢を除かなければならぬと決意した。
雪取は、人気ソーシャルゲーム「リトライプリンセス聖女~星霊の契約~」略してリトプリの、二次創作勢である。
コラボごとの公式への課金をかかさず、推しカプ(=カップル)である女主人公・アリーチェとその女友達のルイザの、恋愛妄想を朝な夕なにSNSに流し、同好の士と界隈を盛り上げて来た。
アリーチェ×ルイザは、アリーチェが攻めとして恋愛を主導し、ルイザはその愛を一身に受けるという、公式設定にない妄想を共有する民らの名称である。そのため、逆カプのルイザ×アリーチェに対しては、人一倍に敏感であった。
ある日、雪取は、1時間に1本しかないバスと電車を乗り継ぎ、10キロ離れた老舗百貨店に赴いた。
雪取には恋人も、夏冬のボーナスも無い。預金残高もほぼ無い。2日後に開催されるアリーチェ×ルイザだけが集うオンリーイベント(小規模同人誌即売会)だけが、雪取の心を支えている。
雪取はアリ×ルイのオンリーにふさわしい自分であるために、ルソナルの新作アイカラーレーションを買いに、はるばる県境を越えて井勢丹にやって来たのだ。買い物を終えると携帯端末を開いて、つぶやき系SNSに顔を出した。
雪取にはつぶやきSNSで懇意にしているFF(=相互フォローしている人)があった。甕外である。
甕外は絵師で、彼女が5分で描いたアリ×ルイ落書きまとめは、熱心な他カプが1年かけて描いたフルカラー48ページ漫画の、千倍のいいねが即ついた。「野性の公式」の名を冠する凄腕絵師である。
甕外もまた、雪取の知る限り、アリ×ルイオンリーへの参加を欠かしたことがなかった。
明後日は、待望のオンリーの日だ。それに先立って、甕外が女女のクソデカ感情落書きをタイムラプス投稿してくれれば、オンリー参加者の士気は断然高まることだろう。甕外に時間が取れないか、訊ねてみるつもりだった。
甕外に送る依頼文の書き出しを考えながら、SNSのタイムラインを眺めているうち、雪取は界隈の様子の異変に気づいた。
リトプリの二次創作人気は、昨今の同人界の情勢を如実に反映してBLが盛況で、率直に言ってアリ×ルイはマイナーのカップリングである。
しかしマイナーカプであるがゆえ、いかんともしがたい供給不足を自らの創作で満たそうとする意欲は逆に、抜山蓋世であり、公式の集合絵でアリとルイが隣同士に配置されているだけというごくわずかな燃料投下で、薄い本を10冊は出すことができる剛の者が揃う。
ましてや、2日後の日曜はオンリーである。それなのに、今日のタイムラインときたら、当たり障りのない挨拶だけで、クソデカ感情の一片もない。強火のアリ×ルイである雪取も、ただならぬ事態が起きていることを察し始めた。
挨拶に浮上してきた同志の一人を捕まえて、事情をただしたが、相手は、逃げるようにリトプリの、新作ガチャの結果画面のスクショだけをUPして立ち去った。
あちこちで質問して回る雪取を見かねたのか、とうとうある古参の同志が、さりげなく雪取をDMに誘導した。DMは送り手と受け取り手の双方しか閲覧できないメッセージだ。
「逆カプ勢が見ているので気を付けてください」
と古参は言った。
「逆カプ? ルイ攻め×アリ受けの固定カップリングを信奉する奴輩のことか。なぜ可憐という公式設定のルイザが、魔改造されて腹黒攻めになるのか、奴輩の脳内解釈が、私は寸毫も理解できない」
「激しく同意いたします。しかし、このところ逆カプ勢は、リアルでボーナスが出た時期のせいか、金に糸目をつけずに、神絵師や神字書きにルイ×アリ創作を依頼し、完成した創作物を積極的にSNSで放流することで、他カプを文化レベルで圧倒しています。勢いに乗じて、ルイ×アリを公式解釈にせよと、公式お問い合わせフォームにメッセを投げているとか」
「おどろいた。逆カプ勢は乱心か」
「しかも、このごろかの連中は、他カプから絵うまと神字書きを引き抜いてくることにも熱心です。きょうは、六人引き抜かれました」
聞いて、雪取は激怒した。
「呆れた者どもだ。即ブロック&ワードミュートだ」
雪取は、単純な女であった。
帰りの鈍行列車に乗り込むや、つぶやき系SNSの設定画面を開いて、逆カプ表記のアカウントを片端からブロックし、さらに、逆カプたちの過激な所業について、拡散希望のタグをつけて、注意喚起していった。
たちまち雪取は、熱狂的逆カプ勢の捨てアカウントから抗議を受けた。カップリングとはある種の信仰であり、自カプ以外のカップリングを異端視する、厳格な教義を掲げる者も少なくなかった。
捨てアカたちとカップリング解釈の応酬をしているうち、雪取のつぶやきが掘られ、過去に行ったリポストの中から、生成AI由来のリトプリイラストが出て来たので、軽く炎上しだした。
「生成AI絵でリトプリを穢すなんて、ファンを名乗るのもおこがましいですね。公式に謝罪してください」
プロフィール画像すら設定されていない捨てアカが、得たりとばかりに雪取に突撃した。
「リトプリ二次創作界隈を固定カプ厨から救うのだ」
と、雪取は論点をずらした。
「生成AI絵とクリエイターが苦心して描いた絵が見分けられぬ程度の同人センスの方がですか?」
逆カプの捨てアカが発したつぶやきの語尾には、たくさん草が生えていた。
草とは一部の人々の間で通じる隠語であり、語尾に置かれるw(=草)の多さによって、相手を揶揄する度合いが違う。投げられたメッセは大草原と表現しても遜色なかった。
別の捨てアカは言った。
「あんなに誘い受けフェロモン全開のアリーチェが、なぜあんたらにかかると攻めなのか? アリ×ルイどもは揃って集団幻覚を見ているとしか思えない」
「幻覚だって?」
推しカプという信仰を幻覚扱いされ、雪取は携帯端末を床に投げそうになった。
これは雪取個人への批判ではない。アリ×ルイを吸って生きる全国百人の民のために、雪取は引き下がるわけにはいかなかった。
たとえ、アリ×ルイが――二次創作自体が、公式設定ではない、一部のこじらせたオタクたちが捏造し、奉る、蜃気楼にも似たはかない概念に過ぎなくてもだ。雪取自身、その蜃気楼に何度救われたことか。仕事でミスを押し付けられた日、あるいは、全然親しくなかった小学校時代の同級生がなぜか久しぶりに連絡をよこしてきてその末尾の記名にさりげなく、(旧姓)と添えてあった日。アリ×ルイはいつも雪取に寄り添ってくれた。
雪取はひとつ息を吸い込み、肩をいからせ、「どっちが幻覚キメてるんだ、忌まわしい原作無視の逆カプめ!」というような内容を、もっとコミュニティガイドラインに引っかかりそうな汚い言葉で繰り出した。
負けじと、逆カプの捨てアカたちも、コミュニティガイドラインスレスレの語調で反論した。
「何言ってんだ? ルイ×アリが正史に決まってんだろ! リトプリを生成AIで汚した上に、人様のカップリングを逆カプ扱いするとは非常識な。これまでのお前の暴言は全部魚拓取ってあるからな。これで情報開示請求されたくなければ、邪道カップリングのアリ×ルイ創作から引退しろ!」
「情報開示でオタ活が職場バレしたって構わない。ただ、――」
と言いかけて、雪取はわずかにフリックをためらい、
「ただ、私に情をかけたいつもりなら、三日いただきたい。二日後の日曜は、私が主催者のアリ×ルイオンリーなのです。イベントの目玉は、アリとルイの結婚式です。三日のうちに、前夜祭とイベント設営を行い、アリーチェとルイザに結婚式を挙げさせ、撤収・後夜祭を成功させて、必ず、このアカウントへ帰って来ます」
「逃がした小鳥が帰って来るというのか。このSNSの公式マークが青い鳥だけに」
逆カプ捨てアカウントたちは冷笑した。
「私は約束を守る。全国百人のアリ×ルイが、結婚式の開催を待っている。そんなに私を信じられないならば、よろしい、私のFFに甕外という絵師がいます。私に比肩する強火のアリ×ルイだ。私が三日目の日没時間までに、このアカウントに再び浮上して来なかったら、甕外に逆カプマンガを描かせて下さい」
リンクで甕外のアカウントに誘導された逆カプ勢は驚いた。
カラーは十万単位、落書きでも数千のいいねがついている。群を抜いた技量の描き手だ。このいろいろと香ばしい逆カプ女に騙された振りしておけば、この身代わりの神絵師に、あんなルイアリやこんなルイアリを描いてもらえる。なんという僥倖か。
「いいですよ。信じましょう。我々も二次を嗜む者として、オンリー主催の大変さは理解しているので、ちょっと遅れて戻っても構いません。なんだったら、今すぐそのアカウントを消して逃亡していただいても大丈夫です! 追いません! というかお願いなので二度と戻ってこないでください!」
露骨すぎる手のひら返しに雪取は唇を噛んだが、今はこれ以上、相手に喰いついている場合ではない。
必ず、かの原作無視の逆カプ勢を除かなければならぬと決意した。
雪取は、人気ソーシャルゲーム「リトライプリンセス聖女~星霊の契約~」略してリトプリの、二次創作勢である。
コラボごとの公式への課金をかかさず、推しカプ(=カップル)である女主人公・アリーチェとその女友達のルイザの、恋愛妄想を朝な夕なにSNSに流し、同好の士と界隈を盛り上げて来た。
アリーチェ×ルイザは、アリーチェが攻めとして恋愛を主導し、ルイザはその愛を一身に受けるという、公式設定にない妄想を共有する民らの名称である。そのため、逆カプのルイザ×アリーチェに対しては、人一倍に敏感であった。
ある日、雪取は、1時間に1本しかないバスと電車を乗り継ぎ、10キロ離れた老舗百貨店に赴いた。
雪取には恋人も、夏冬のボーナスも無い。預金残高もほぼ無い。2日後に開催されるアリーチェ×ルイザだけが集うオンリーイベント(小規模同人誌即売会)だけが、雪取の心を支えている。
雪取はアリ×ルイのオンリーにふさわしい自分であるために、ルソナルの新作アイカラーレーションを買いに、はるばる県境を越えて井勢丹にやって来たのだ。買い物を終えると携帯端末を開いて、つぶやき系SNSに顔を出した。
雪取にはつぶやきSNSで懇意にしているFF(=相互フォローしている人)があった。甕外である。
甕外は絵師で、彼女が5分で描いたアリ×ルイ落書きまとめは、熱心な他カプが1年かけて描いたフルカラー48ページ漫画の、千倍のいいねが即ついた。「野性の公式」の名を冠する凄腕絵師である。
甕外もまた、雪取の知る限り、アリ×ルイオンリーへの参加を欠かしたことがなかった。
明後日は、待望のオンリーの日だ。それに先立って、甕外が女女のクソデカ感情落書きをタイムラプス投稿してくれれば、オンリー参加者の士気は断然高まることだろう。甕外に時間が取れないか、訊ねてみるつもりだった。
甕外に送る依頼文の書き出しを考えながら、SNSのタイムラインを眺めているうち、雪取は界隈の様子の異変に気づいた。
リトプリの二次創作人気は、昨今の同人界の情勢を如実に反映してBLが盛況で、率直に言ってアリ×ルイはマイナーのカップリングである。
しかしマイナーカプであるがゆえ、いかんともしがたい供給不足を自らの創作で満たそうとする意欲は逆に、抜山蓋世であり、公式の集合絵でアリとルイが隣同士に配置されているだけというごくわずかな燃料投下で、薄い本を10冊は出すことができる剛の者が揃う。
ましてや、2日後の日曜はオンリーである。それなのに、今日のタイムラインときたら、当たり障りのない挨拶だけで、クソデカ感情の一片もない。強火のアリ×ルイである雪取も、ただならぬ事態が起きていることを察し始めた。
挨拶に浮上してきた同志の一人を捕まえて、事情をただしたが、相手は、逃げるようにリトプリの、新作ガチャの結果画面のスクショだけをUPして立ち去った。
あちこちで質問して回る雪取を見かねたのか、とうとうある古参の同志が、さりげなく雪取をDMに誘導した。DMは送り手と受け取り手の双方しか閲覧できないメッセージだ。
「逆カプ勢が見ているので気を付けてください」
と古参は言った。
「逆カプ? ルイ攻め×アリ受けの固定カップリングを信奉する奴輩のことか。なぜ可憐という公式設定のルイザが、魔改造されて腹黒攻めになるのか、奴輩の脳内解釈が、私は寸毫も理解できない」
「激しく同意いたします。しかし、このところ逆カプ勢は、リアルでボーナスが出た時期のせいか、金に糸目をつけずに、神絵師や神字書きにルイ×アリ創作を依頼し、完成した創作物を積極的にSNSで放流することで、他カプを文化レベルで圧倒しています。勢いに乗じて、ルイ×アリを公式解釈にせよと、公式お問い合わせフォームにメッセを投げているとか」
「おどろいた。逆カプ勢は乱心か」
「しかも、このごろかの連中は、他カプから絵うまと神字書きを引き抜いてくることにも熱心です。きょうは、六人引き抜かれました」
聞いて、雪取は激怒した。
「呆れた者どもだ。即ブロック&ワードミュートだ」
雪取は、単純な女であった。
帰りの鈍行列車に乗り込むや、つぶやき系SNSの設定画面を開いて、逆カプ表記のアカウントを片端からブロックし、さらに、逆カプたちの過激な所業について、拡散希望のタグをつけて、注意喚起していった。
たちまち雪取は、熱狂的逆カプ勢の捨てアカウントから抗議を受けた。カップリングとはある種の信仰であり、自カプ以外のカップリングを異端視する、厳格な教義を掲げる者も少なくなかった。
捨てアカたちとカップリング解釈の応酬をしているうち、雪取のつぶやきが掘られ、過去に行ったリポストの中から、生成AI由来のリトプリイラストが出て来たので、軽く炎上しだした。
「生成AI絵でリトプリを穢すなんて、ファンを名乗るのもおこがましいですね。公式に謝罪してください」
プロフィール画像すら設定されていない捨てアカが、得たりとばかりに雪取に突撃した。
「リトプリ二次創作界隈を固定カプ厨から救うのだ」
と、雪取は論点をずらした。
「生成AI絵とクリエイターが苦心して描いた絵が見分けられぬ程度の同人センスの方がですか?」
逆カプの捨てアカが発したつぶやきの語尾には、たくさん草が生えていた。
草とは一部の人々の間で通じる隠語であり、語尾に置かれるw(=草)の多さによって、相手を揶揄する度合いが違う。投げられたメッセは大草原と表現しても遜色なかった。
別の捨てアカは言った。
「あんなに誘い受けフェロモン全開のアリーチェが、なぜあんたらにかかると攻めなのか? アリ×ルイどもは揃って集団幻覚を見ているとしか思えない」
「幻覚だって?」
推しカプという信仰を幻覚扱いされ、雪取は携帯端末を床に投げそうになった。
これは雪取個人への批判ではない。アリ×ルイを吸って生きる全国百人の民のために、雪取は引き下がるわけにはいかなかった。
たとえ、アリ×ルイが――二次創作自体が、公式設定ではない、一部のこじらせたオタクたちが捏造し、奉る、蜃気楼にも似たはかない概念に過ぎなくてもだ。雪取自身、その蜃気楼に何度救われたことか。仕事でミスを押し付けられた日、あるいは、全然親しくなかった小学校時代の同級生がなぜか久しぶりに連絡をよこしてきてその末尾の記名にさりげなく、(旧姓)と添えてあった日。アリ×ルイはいつも雪取に寄り添ってくれた。
雪取はひとつ息を吸い込み、肩をいからせ、「どっちが幻覚キメてるんだ、忌まわしい原作無視の逆カプめ!」というような内容を、もっとコミュニティガイドラインに引っかかりそうな汚い言葉で繰り出した。
負けじと、逆カプの捨てアカたちも、コミュニティガイドラインスレスレの語調で反論した。
「何言ってんだ? ルイ×アリが正史に決まってんだろ! リトプリを生成AIで汚した上に、人様のカップリングを逆カプ扱いするとは非常識な。これまでのお前の暴言は全部魚拓取ってあるからな。これで情報開示請求されたくなければ、邪道カップリングのアリ×ルイ創作から引退しろ!」
「情報開示でオタ活が職場バレしたって構わない。ただ、――」
と言いかけて、雪取はわずかにフリックをためらい、
「ただ、私に情をかけたいつもりなら、三日いただきたい。二日後の日曜は、私が主催者のアリ×ルイオンリーなのです。イベントの目玉は、アリとルイの結婚式です。三日のうちに、前夜祭とイベント設営を行い、アリーチェとルイザに結婚式を挙げさせ、撤収・後夜祭を成功させて、必ず、このアカウントへ帰って来ます」
「逃がした小鳥が帰って来るというのか。このSNSの公式マークが青い鳥だけに」
逆カプ捨てアカウントたちは冷笑した。
「私は約束を守る。全国百人のアリ×ルイが、結婚式の開催を待っている。そんなに私を信じられないならば、よろしい、私のFFに甕外という絵師がいます。私に比肩する強火のアリ×ルイだ。私が三日目の日没時間までに、このアカウントに再び浮上して来なかったら、甕外に逆カプマンガを描かせて下さい」
リンクで甕外のアカウントに誘導された逆カプ勢は驚いた。
カラーは十万単位、落書きでも数千のいいねがついている。群を抜いた技量の描き手だ。このいろいろと香ばしい逆カプ女に騙された振りしておけば、この身代わりの神絵師に、あんなルイアリやこんなルイアリを描いてもらえる。なんという僥倖か。
「いいですよ。信じましょう。我々も二次を嗜む者として、オンリー主催の大変さは理解しているので、ちょっと遅れて戻っても構いません。なんだったら、今すぐそのアカウントを消して逃亡していただいても大丈夫です! 追いません! というかお願いなので二度と戻ってこないでください!」
露骨すぎる手のひら返しに雪取は唇を噛んだが、今はこれ以上、相手に喰いついている場合ではない。