1、
爽やかな朝、何の変哲もない日々。
いつものように学校への道のりを欠伸をしながら歩いていると、しゃがみ込んで泣いている男の子に遭遇した。
その男の子は小学校低学年くらいだろうか。半袖短パンに黒いランドセルを背負っている。
きっと転んでしまったんだな、膝が少し擦りむけて血が滲んでいた。
「大丈夫か?」
俺は男の子に目線を合わせながら、鞄に入っていた絆創膏を差し出した。
「これ、良かったら…」
「うっうっ…、ありがとう…」
そう言って絆創膏を受け取った男の子は、俺の顔を見て一瞬フリーズし、すぐに先程とは比にならないほどの大声で泣き始めた。
「うわああああああん!!!」
「ちょ、なんで泣く!?」
絆創膏を渡しただけだというのに、どうしてこうも泣かれなくてはいけないのか。
近くを通り掛かった通勤中らしき女性が、俺を睨み付ける。
「ちょっときみ!何したの!」
「え、いや、俺は何も…ただ絆創膏を渡しただけで…」
俺の言葉が耳に入っていないのか、女性は男の子の手を引くと、「怖かったねぇ、変なお兄ちゃんだったねぇ、もう怖くないからねぇ」と俺にガンを飛ばしまくりながらさっさとどこかに行ってしまった。
一人ぽつんと取り残された俺は、その場で盛大にため息をついた。
「はぁ……またか…」
まぁ、俺の日常、こんなんばっかだ。
「あっはっはっは!!!」
疲労困憊の中登校した俺は、教室で友人の高凪 悠馬に今朝の話をするやいなや大爆笑されていた。
「笑うな」
「いや、無理だろ!」
「こっちは少年の安否を気に掛けていたというのに、何故怒られなくてはならないんだ…」
「そりゃそうだろ、利緒の見た目じゃ」
悠馬はまだ笑いを引きずりながら、俺を指差して言った。
俺は自身の姿を再確認する。
明るい金髪に、ピアスに指輪にネックレス。
確かにぱっと見は派手ではあるが、俺、上崎 利緒は不良なんかでは決してない。ごくごく平凡な、比較的大人しい男子高校生である。
こんなにも心優しい俺が、何故こんな格好をしているのかというと、話は簡単だ。
幼少の頃から色素の薄い俺は、髪が真っ黒ではなく茶髪気味だった。
小中で茶髪となると、何故だかやたらと目につくらしく、中学生に上がった途端、その辺の柄の悪い先輩達に目を付けられるようになった。
曰く、中一のくせに茶髪にしてるとか調子乗ってんじゃねーぞ、だ。
別に調子に乗ってなんかいない。ただただ遺伝である。
最初のうちはその旨を頑張って説明してはいたのだが、まぁ当然信じてくれるわけもなかった。
そんなこんなでまったく知らない素行の悪い先輩達から声を掛けられるのが面倒になった俺は、思い切って金髪に染め、アクセサリーをじゃらじゃら付けることにした。
ついでにあまり目つきもよくなかったので、(もしかしたら先輩達が絡んできたのは目つきのせいだったのかもしれない…)金髪に染めて、THE不良感を出してみたら、いつしか素行の悪い先輩達からのお声掛けはなくなった。
しかし同時に、今朝のように泣いている子供に声を掛けると、俺がいじめて泣かせたようになるし、おばあさんの重い荷物を運んであげていると、カツアゲだとか詐欺に合っているだとか言われるようになってしまった。
当然のことだが、悪いことは一度もしていない。神に誓って。
ちょこっと困ることはあれど、概ね平穏に日常を送れるようになったので、高校卒業まではおそらくこの格好で過ごすだろうと思う。
悠馬に向かって、俺は手を広げて全身を見せながら「いい子だろ?」と言うと、「どこがだよ」とまた笑ってくれた。
こんな見た目ではあるが、悠馬のように優しい友人もいるし、俺の高校生活はまぁそれなりに穏やかで楽しいものだった。
「そうそう利緒聞いたか?」
「何を?」
「内山のやつ、彼女できたんだってよ」
「は?マジ?」
「ほら」と言って悠馬が顎で教室の前扉を指し示す。
そこにはうちのクラスの男子である内山と、どこぞのクラスの女子が話していた。
「彼女って…、あれ?」
「そう、あれ」
内山とは比較的よく話す仲ではあったのだが、どうりで最近付き合いが悪いと思っていたら、なるほどそういうわけだったのか。
内山は彼女と楽しそうに話している。彼女の方も終始笑顔だ。
「はー、俺も彼女ほしいわ!」
悠馬が頭の後ろで手を組みながら、椅子に体重を預けた。
「利緒も欲しいだろ?」
「え?」
「彼女だよ、彼女」
「まぁ、そうだな…?」
彼女など人生で一度もいたことがない俺は、その存在が自分にどれほどの影響力を及ぼすものなのか、いまいち想像できなかった。
女の子に興味がないわけではまったくないが、この見た目のせいか、女子はてんで寄り付かない。
悠馬のように明るくて面白い話ができるわけでもないし、こんな俺に彼女ができるとはまったく思えなかった。
「さ、一限は物理だ。そろそろ物理室に移動しようぜ」
「そうだな」
悠馬は乱雑に教科書やノートの突っ込まれた机の中から、これまた乱雑に物理の教科書とペンケースを取り出すと立ち上がった。
俺も慌てて移動教室の準備をして、悠馬の隣に並んで教室を出た。
ふわっと甘い香りが鼻腔を付いて、俺は不意に振り返った。
何か甘い香水のような、シャンプーのような香り。
しかし振り返ってみると、擦れ違ったのは女子ではなく男子だった。
あの男子生徒の匂いだったのか、その辺にいた女子の匂いだったのかは分からないが、その時の俺は特に気にすることもなかった。
「ねーえ、今日どこに寄っていくぅ?」
「そうだなぁ、駅前のカラオケとかどうだ?」
「いーね!行こ行こ!」
放課後、一人のんびりと帰路についていると、何故だかやたらと男女のカップルが目に付いた。
べたべたと身を寄せ合いながら、俺の横を通り過ぎていく。
そんな男女を見て、俺は今朝の悠馬との会話を思い出した。
「彼女…か…」
高校生男子ともなれば、彼氏彼女に憧れがないわけでもないが、例え彼女が出来たとしても、女子に免疫がなさ過ぎて辟易されるかもしれない。残念なことに、もちろん童貞だからだ。
まぁ、到底できる予定もないので、この件について考えるのはよそう。
そう半ば諦めながら、公園内を入る。外周二キロ程の小さな池のある公園だ。
この公園内を通り抜ければ、うちはもうすぐである。
今日も渡り鳥であったはずのカモ達が穏やかに永住しているな、としょうもないことを考えながら歩いていると、ふとベンチに座る人影が目に入った。
そのあまりの美しさに、俺の視線は釘付けになった。
綺麗な長い黒髪に赤いカチューシャを付けた、可憐な美少女。
その子はベンチに座って、ただただ暮れていく夕陽を眺めていた。
その横顔があまりに綺麗で、俺はつい見惚れてしまった。
見慣れたブレザーにプリーツスカート、俺と同じ高校の生徒のようだ。
こんな綺麗な子がうちの高校にいたのか。
一学年八クラス、一クラスに四十人もいて、それが三学年だ。見たことのない生徒がいて当たり前だろう。
しかしこんなに可愛い子がいるのなら、もっと騒がれていてもおかしくない。友人の少ない俺の耳には届かなかっただけかもしれないが…。
俺の視線に気が付いたのか、彼女が不意にこちらに顔を向けた。
不思議そうに首を傾げる彼女に、どう反応していいのか分からなかった俺は、視線を外すと彼女の前を急ぎ足で通り過ぎた。
なんでかやたらと心臓がばくばくと音を立てていて、急な不整脈に困惑した。
「なぁ、悠馬」
「ん?」
「この学校ですごい美人で騒がれてる女子っているか?」
次の日、昨日の彼女が気になった俺は、悠馬に訊いてみた。
「はぁ?なんだよ急に」と言った悠馬は、それでも「うーん、そうだなぁ」と考えてくれた。
「隣のクラスの笹原さんとか、A組の柏崎さんとか美人だと思うけど。先輩や後輩だと、俺も分からないなぁ」
「そうか」
悠馬が名前を上げた二人は、俺も顔くらいなら知っている。昨日の子とは似ても似つかない子達だ。
あんなに綺麗な女子、騒がれていそうなものだが…。
男子は何年何組の誰が可愛いとか美人だとかいう話が大好きなはずだから、友人の多い悠馬が知らないというのは少し意外だった。
俺がやんぬるかなという表情を浮かべていると、悠馬がからかうように見てきた。
「利緒どうした~?もしかして気になる女子でもいるとか?美人狙いとはこれまた大きく出たねぇ」
「別に違うが?」
薄気味悪い笑いを浮かべる悠馬を無視して、俺は次の授業の支度を始めた。
「いや、もしかしたら悠馬の言う通りかもしれない…」
彼女はここ数日いつも同じ時間にこの公園のベンチにいる。
いやでも彼女を意識させられる。
どんな子なのだろうか、ここで何をしているのだろうか、そんなことが日に日に気になっていった。
そんなある日だった。
いつものように彼女はベンチに座って夕陽を見ていて、その前を俺が通過しようとして。
しかしその日、ちらりと彼女に視線を向けると、一筋の涙が頬を伝ったような気がした。
「え…?」
俺はあまりに驚いてしまって、気が付けば彼女に声を掛けていた。
「だ、大丈夫か!?」
彼女は目を丸くして、俺を見上げた。
うわ、マジで綺麗な顔だ……。
間近で見る彼女の顔はそれはもう綺麗で、泣いている姿すら美しいと思ってしまった。
目をぱちぱちとさせながら彼女が俺を見ている。
「だ、大丈夫か?泣いていたように見えたから…」
と、普通に言葉を掛けてみたはいいものの、もしかして彼女は不良に絡まれたと恐怖しているのではないかという考えに至る。
くっそ、またやってしまったか…?
内心大慌ててでいると、彼女はやんわりと微笑んだ。
「気に掛けてくれて、ありがとう…。大丈夫だから」
どう聞いても大丈夫ではなさそうな弱々しい声に、俺の中のお節介野郎とちょっとの下心が行動を支配する。
彼女の隣にどかっと腰掛けると、彼女はまた目を丸くして俺を見た。
「何かあったんじゃないのか?見ず知らずの人間だけど、見ず知らずの方が話しやすいってこともあるし。まぁ、話くらい聞くけど…」
何だかやたらとかっこつけて話してはいるが、どう聞いても、「どしたん?話聞こか?」おじさんのそれ過ぎて、心の中で血反吐を吐いた。自分で言っておいて気持ち悪くて死にそう精神的にきつい帰ろう。
そう思い、「あ、いや今のは、」と訂正しようとすると、彼女が口を開いた。
「フラれたの」
「え?」
「好きな人に好き、って伝えたんだ。すっごく勇気を振り絞ったつもり。でも、だめだった」
「マジ…?」
こんな美人に告白されて、断る男がいることに俺は驚愕した。
「まじ」
彼女は苦笑気味に眉を下げた。
「私、気持ち悪いんだって。まぁ、仕方ないよね、私もそう思うもん」
彼女は自嘲の笑いを浮かべ、また泣きそうに顔を歪める。
「好き、だったんだけどなぁ…」
その言葉と表情を見た俺は、気付けば衝動的に彼女を抱きしめていた。
「え……?」
「気持ち悪くなんてない。すげー綺麗だと思う。こんな子を振るなんて相手が馬鹿なんだ。そんな奴、あんたには似合わない。忘れた方がいい」
「え、…」
彼女はそっと俺の背中に手を回すと、小さく「うん…」と言った。
好きな人に気持ち悪いなんて言葉を投げられて、どれだけ苦しかっただろうか。どれだけ傷付いただろうか。この小さな身体で、どれだけの悲しみを味わったのだろうか。
「…えっと、そろそろ苦しいんだけど…」
彼女にそう言われて、俺は慌てて身体を離した。
「わっ悪い!!」
何やってんだ俺!?いや初対面でこれはない。気持ち悪すぎるもうだめだ生きていけない…。
死ぬほど反省していると、彼女がくすりと笑った。
「ありがとう。ちょっと元気出た」
「そ、そうか…」
彼女は照れくさそうに俯くと、上目遣いで俺を見た。
「その制服、同じ高校だよね?」
「ああ、うん、多分」
「何年何組?」
「え、っと、二年D組」
「あ、同じ学年だ。私、二年B組。名前、もしかしたら知ってるかもしれないけど。私、椎名 まさ、…椎名 真貴。あなたは?」
しいな まきさんか。彼女の口ぶりからすると、やはり知名度が高いのだろうか。すごく綺麗な子だしな。
「上崎 利緒」
「利緒くんかぁ…。利緒くんは不良さんなの?」
俺の姿をまじまじと見た椎名さんは、可愛らしく小首を傾げる。
「あ、いや、そういうわけでは…」
弁明しようと焦っている俺に、椎名さんはふふっと笑った。
「分かってるよ。利緒くんの態度見てれば」
「そ、そうか…」
椎名さんは、からかうように俺を見たかと思うと、視線を夕陽へと移した。
「利緒くんみたいな人と、付き合えたら良かったのにな…」
「え……」
自分でも驚くくらいに胸がどきんと跳ねるのを感じた。
え、この展開はなんだ?椎名さんは俺に何を期待している?なんと返答するのが正解なんだ?
もしかして、椎名さんは……。
「えっと…、俺と、付き合う?」
「え?」
椎名さんは驚いたように、けれど嬉しそうに俺を見た。
「俺、誰かと付き合ったこととかないから、椎名さんの理想とは程遠いかもしれないけど…それでも、傷付けるようなことは絶対にしないって誓う。大切にする」
椎名さんは綺麗な顔に、満面の笑みを浮かべた。
「私、利緒くんとならきっと仲良くできると思う!だってこんなに男の子に優しくされたことってないもん」
「いや、これくらい普通だと思うけど…。嫌になったらすぐやめてもいいし、とりあえずお試し的な形で…」
「うん!よろしくね、利緒くん!」
「よろしく、…椎名さん」
ふわっと温かい風が俺達の間を通り抜けて、いつか嗅いだ、甘いシャンプーの香りがした気がした。
十七年間生きてきて、初めて恋人ができた。
翌日、普段通りに登校したはずの俺に、悠馬が訝しげに尋ねてきた。
「はよー、利緒。なんか今日、機嫌よくね?」
「え?そうか?」
寧ろ寝不足で眠くて眠くて仕方がないのだが、俺のどこを見て悠馬はそう判断したのだろうか。
昨日、気になっていた女の子、椎名 真貴さんと付き合うことになって、確かに興奮しすぎて眠れなかった。
初めての恋人があんなに可愛い子だなんて、誰だって嬉しいだろう。しかもすごくいい子そうだ。
でももちろん不安もある。彼氏として女の子をリードする、というのが俺なんかにできるかどうか…。
「まさか利緒まで彼女できた、なんて言わないだろうなぁ!?嫌だぁ!おいて行かないでくれええええ!!」
「ちょ、離せ、で、できてないからっ」
悠馬が抱き着いてくるので、咄嗟に嘘を付いてしまったが、俺に彼女が出来たと悠馬が知ったらどうなってしまうのだろうか。
彼女が出来たからといって、悠馬と一緒にいる時間を減らすことはもちろんない。と思う。
もしそんなことがあったら…、悠馬も彼女作り頑張れ。
と薄情なことを思いつつ、俺は頗る機嫌よくお昼休みを待った。
今日のお昼休みは、椎名さんと約束している。
恋人との、初めてのお昼だ。
四限目の授業終了のチャイムが鳴って、みんなが購買に駆け込んだり、お弁当を広げ始める。
「利緒、今日は購買?」
「あ、いや今日は買って来てて…」
「そうか、じゃ、俺は購買に、」といつものように一緒に食べるつもりでいる悠馬に俺が声を掛けようとしていると、教室がざわっとどよめいた。
俺と悠馬がそのどよめきの方へと顔を向けると、見たことのない美男子がD組を覗いていて、ぱちっとその男子と目が合った。
「利緒くん―!」
俺の前までぱたぱたとやって来る男子。
だ、誰だ!?!?
どこのクラスの奴かも分からない男子が、俺の名前を嬉しそうに呼んでいる。
「今日、お昼ご飯一緒に食べる約束してたでしょ?天気もいいし、屋上とかどうかなって」
「え?……え???」
目の前の美男子をまじまじと見つめる俺。
お昼ご飯を一緒に食べる約束をしていた?俺が?
そんな話、全く記憶にない。誰かと間違えているのではなかろうか。
俺が困惑していると、悠馬がゆるりと口を開く。
「なんだよ、利緒。椎名と約束があったのか」
「え?」
「え?」
ばっと勢いよく振り返った俺に、悠馬がきょとんとする。
「今なんて言った?」
「え?だから、椎名と約束あったのか、って」
「椎名?」
俺はぐるりと美少年の顔を見た。
「椎名 真貴だろ?B組の」
「椎名、まさ、たか……???」
目の前の美男子椎名は、その綺麗な顔ににこりと笑顔を浮かべる。
「利緒くん、昨日のこと、もう忘れちゃった?」
その笑顔が、昨日公園のベンチで話した椎名 真貴さんと重なった。
「え、え、ええええええ!?!?!」
椎名はにこっと俺に笑いかけた。
爽やかな朝、何の変哲もない日々。
いつものように学校への道のりを欠伸をしながら歩いていると、しゃがみ込んで泣いている男の子に遭遇した。
その男の子は小学校低学年くらいだろうか。半袖短パンに黒いランドセルを背負っている。
きっと転んでしまったんだな、膝が少し擦りむけて血が滲んでいた。
「大丈夫か?」
俺は男の子に目線を合わせながら、鞄に入っていた絆創膏を差し出した。
「これ、良かったら…」
「うっうっ…、ありがとう…」
そう言って絆創膏を受け取った男の子は、俺の顔を見て一瞬フリーズし、すぐに先程とは比にならないほどの大声で泣き始めた。
「うわああああああん!!!」
「ちょ、なんで泣く!?」
絆創膏を渡しただけだというのに、どうしてこうも泣かれなくてはいけないのか。
近くを通り掛かった通勤中らしき女性が、俺を睨み付ける。
「ちょっときみ!何したの!」
「え、いや、俺は何も…ただ絆創膏を渡しただけで…」
俺の言葉が耳に入っていないのか、女性は男の子の手を引くと、「怖かったねぇ、変なお兄ちゃんだったねぇ、もう怖くないからねぇ」と俺にガンを飛ばしまくりながらさっさとどこかに行ってしまった。
一人ぽつんと取り残された俺は、その場で盛大にため息をついた。
「はぁ……またか…」
まぁ、俺の日常、こんなんばっかだ。
「あっはっはっは!!!」
疲労困憊の中登校した俺は、教室で友人の高凪 悠馬に今朝の話をするやいなや大爆笑されていた。
「笑うな」
「いや、無理だろ!」
「こっちは少年の安否を気に掛けていたというのに、何故怒られなくてはならないんだ…」
「そりゃそうだろ、利緒の見た目じゃ」
悠馬はまだ笑いを引きずりながら、俺を指差して言った。
俺は自身の姿を再確認する。
明るい金髪に、ピアスに指輪にネックレス。
確かにぱっと見は派手ではあるが、俺、上崎 利緒は不良なんかでは決してない。ごくごく平凡な、比較的大人しい男子高校生である。
こんなにも心優しい俺が、何故こんな格好をしているのかというと、話は簡単だ。
幼少の頃から色素の薄い俺は、髪が真っ黒ではなく茶髪気味だった。
小中で茶髪となると、何故だかやたらと目につくらしく、中学生に上がった途端、その辺の柄の悪い先輩達に目を付けられるようになった。
曰く、中一のくせに茶髪にしてるとか調子乗ってんじゃねーぞ、だ。
別に調子に乗ってなんかいない。ただただ遺伝である。
最初のうちはその旨を頑張って説明してはいたのだが、まぁ当然信じてくれるわけもなかった。
そんなこんなでまったく知らない素行の悪い先輩達から声を掛けられるのが面倒になった俺は、思い切って金髪に染め、アクセサリーをじゃらじゃら付けることにした。
ついでにあまり目つきもよくなかったので、(もしかしたら先輩達が絡んできたのは目つきのせいだったのかもしれない…)金髪に染めて、THE不良感を出してみたら、いつしか素行の悪い先輩達からのお声掛けはなくなった。
しかし同時に、今朝のように泣いている子供に声を掛けると、俺がいじめて泣かせたようになるし、おばあさんの重い荷物を運んであげていると、カツアゲだとか詐欺に合っているだとか言われるようになってしまった。
当然のことだが、悪いことは一度もしていない。神に誓って。
ちょこっと困ることはあれど、概ね平穏に日常を送れるようになったので、高校卒業まではおそらくこの格好で過ごすだろうと思う。
悠馬に向かって、俺は手を広げて全身を見せながら「いい子だろ?」と言うと、「どこがだよ」とまた笑ってくれた。
こんな見た目ではあるが、悠馬のように優しい友人もいるし、俺の高校生活はまぁそれなりに穏やかで楽しいものだった。
「そうそう利緒聞いたか?」
「何を?」
「内山のやつ、彼女できたんだってよ」
「は?マジ?」
「ほら」と言って悠馬が顎で教室の前扉を指し示す。
そこにはうちのクラスの男子である内山と、どこぞのクラスの女子が話していた。
「彼女って…、あれ?」
「そう、あれ」
内山とは比較的よく話す仲ではあったのだが、どうりで最近付き合いが悪いと思っていたら、なるほどそういうわけだったのか。
内山は彼女と楽しそうに話している。彼女の方も終始笑顔だ。
「はー、俺も彼女ほしいわ!」
悠馬が頭の後ろで手を組みながら、椅子に体重を預けた。
「利緒も欲しいだろ?」
「え?」
「彼女だよ、彼女」
「まぁ、そうだな…?」
彼女など人生で一度もいたことがない俺は、その存在が自分にどれほどの影響力を及ぼすものなのか、いまいち想像できなかった。
女の子に興味がないわけではまったくないが、この見た目のせいか、女子はてんで寄り付かない。
悠馬のように明るくて面白い話ができるわけでもないし、こんな俺に彼女ができるとはまったく思えなかった。
「さ、一限は物理だ。そろそろ物理室に移動しようぜ」
「そうだな」
悠馬は乱雑に教科書やノートの突っ込まれた机の中から、これまた乱雑に物理の教科書とペンケースを取り出すと立ち上がった。
俺も慌てて移動教室の準備をして、悠馬の隣に並んで教室を出た。
ふわっと甘い香りが鼻腔を付いて、俺は不意に振り返った。
何か甘い香水のような、シャンプーのような香り。
しかし振り返ってみると、擦れ違ったのは女子ではなく男子だった。
あの男子生徒の匂いだったのか、その辺にいた女子の匂いだったのかは分からないが、その時の俺は特に気にすることもなかった。
「ねーえ、今日どこに寄っていくぅ?」
「そうだなぁ、駅前のカラオケとかどうだ?」
「いーね!行こ行こ!」
放課後、一人のんびりと帰路についていると、何故だかやたらと男女のカップルが目に付いた。
べたべたと身を寄せ合いながら、俺の横を通り過ぎていく。
そんな男女を見て、俺は今朝の悠馬との会話を思い出した。
「彼女…か…」
高校生男子ともなれば、彼氏彼女に憧れがないわけでもないが、例え彼女が出来たとしても、女子に免疫がなさ過ぎて辟易されるかもしれない。残念なことに、もちろん童貞だからだ。
まぁ、到底できる予定もないので、この件について考えるのはよそう。
そう半ば諦めながら、公園内を入る。外周二キロ程の小さな池のある公園だ。
この公園内を通り抜ければ、うちはもうすぐである。
今日も渡り鳥であったはずのカモ達が穏やかに永住しているな、としょうもないことを考えながら歩いていると、ふとベンチに座る人影が目に入った。
そのあまりの美しさに、俺の視線は釘付けになった。
綺麗な長い黒髪に赤いカチューシャを付けた、可憐な美少女。
その子はベンチに座って、ただただ暮れていく夕陽を眺めていた。
その横顔があまりに綺麗で、俺はつい見惚れてしまった。
見慣れたブレザーにプリーツスカート、俺と同じ高校の生徒のようだ。
こんな綺麗な子がうちの高校にいたのか。
一学年八クラス、一クラスに四十人もいて、それが三学年だ。見たことのない生徒がいて当たり前だろう。
しかしこんなに可愛い子がいるのなら、もっと騒がれていてもおかしくない。友人の少ない俺の耳には届かなかっただけかもしれないが…。
俺の視線に気が付いたのか、彼女が不意にこちらに顔を向けた。
不思議そうに首を傾げる彼女に、どう反応していいのか分からなかった俺は、視線を外すと彼女の前を急ぎ足で通り過ぎた。
なんでかやたらと心臓がばくばくと音を立てていて、急な不整脈に困惑した。
「なぁ、悠馬」
「ん?」
「この学校ですごい美人で騒がれてる女子っているか?」
次の日、昨日の彼女が気になった俺は、悠馬に訊いてみた。
「はぁ?なんだよ急に」と言った悠馬は、それでも「うーん、そうだなぁ」と考えてくれた。
「隣のクラスの笹原さんとか、A組の柏崎さんとか美人だと思うけど。先輩や後輩だと、俺も分からないなぁ」
「そうか」
悠馬が名前を上げた二人は、俺も顔くらいなら知っている。昨日の子とは似ても似つかない子達だ。
あんなに綺麗な女子、騒がれていそうなものだが…。
男子は何年何組の誰が可愛いとか美人だとかいう話が大好きなはずだから、友人の多い悠馬が知らないというのは少し意外だった。
俺がやんぬるかなという表情を浮かべていると、悠馬がからかうように見てきた。
「利緒どうした~?もしかして気になる女子でもいるとか?美人狙いとはこれまた大きく出たねぇ」
「別に違うが?」
薄気味悪い笑いを浮かべる悠馬を無視して、俺は次の授業の支度を始めた。
「いや、もしかしたら悠馬の言う通りかもしれない…」
彼女はここ数日いつも同じ時間にこの公園のベンチにいる。
いやでも彼女を意識させられる。
どんな子なのだろうか、ここで何をしているのだろうか、そんなことが日に日に気になっていった。
そんなある日だった。
いつものように彼女はベンチに座って夕陽を見ていて、その前を俺が通過しようとして。
しかしその日、ちらりと彼女に視線を向けると、一筋の涙が頬を伝ったような気がした。
「え…?」
俺はあまりに驚いてしまって、気が付けば彼女に声を掛けていた。
「だ、大丈夫か!?」
彼女は目を丸くして、俺を見上げた。
うわ、マジで綺麗な顔だ……。
間近で見る彼女の顔はそれはもう綺麗で、泣いている姿すら美しいと思ってしまった。
目をぱちぱちとさせながら彼女が俺を見ている。
「だ、大丈夫か?泣いていたように見えたから…」
と、普通に言葉を掛けてみたはいいものの、もしかして彼女は不良に絡まれたと恐怖しているのではないかという考えに至る。
くっそ、またやってしまったか…?
内心大慌ててでいると、彼女はやんわりと微笑んだ。
「気に掛けてくれて、ありがとう…。大丈夫だから」
どう聞いても大丈夫ではなさそうな弱々しい声に、俺の中のお節介野郎とちょっとの下心が行動を支配する。
彼女の隣にどかっと腰掛けると、彼女はまた目を丸くして俺を見た。
「何かあったんじゃないのか?見ず知らずの人間だけど、見ず知らずの方が話しやすいってこともあるし。まぁ、話くらい聞くけど…」
何だかやたらとかっこつけて話してはいるが、どう聞いても、「どしたん?話聞こか?」おじさんのそれ過ぎて、心の中で血反吐を吐いた。自分で言っておいて気持ち悪くて死にそう精神的にきつい帰ろう。
そう思い、「あ、いや今のは、」と訂正しようとすると、彼女が口を開いた。
「フラれたの」
「え?」
「好きな人に好き、って伝えたんだ。すっごく勇気を振り絞ったつもり。でも、だめだった」
「マジ…?」
こんな美人に告白されて、断る男がいることに俺は驚愕した。
「まじ」
彼女は苦笑気味に眉を下げた。
「私、気持ち悪いんだって。まぁ、仕方ないよね、私もそう思うもん」
彼女は自嘲の笑いを浮かべ、また泣きそうに顔を歪める。
「好き、だったんだけどなぁ…」
その言葉と表情を見た俺は、気付けば衝動的に彼女を抱きしめていた。
「え……?」
「気持ち悪くなんてない。すげー綺麗だと思う。こんな子を振るなんて相手が馬鹿なんだ。そんな奴、あんたには似合わない。忘れた方がいい」
「え、…」
彼女はそっと俺の背中に手を回すと、小さく「うん…」と言った。
好きな人に気持ち悪いなんて言葉を投げられて、どれだけ苦しかっただろうか。どれだけ傷付いただろうか。この小さな身体で、どれだけの悲しみを味わったのだろうか。
「…えっと、そろそろ苦しいんだけど…」
彼女にそう言われて、俺は慌てて身体を離した。
「わっ悪い!!」
何やってんだ俺!?いや初対面でこれはない。気持ち悪すぎるもうだめだ生きていけない…。
死ぬほど反省していると、彼女がくすりと笑った。
「ありがとう。ちょっと元気出た」
「そ、そうか…」
彼女は照れくさそうに俯くと、上目遣いで俺を見た。
「その制服、同じ高校だよね?」
「ああ、うん、多分」
「何年何組?」
「え、っと、二年D組」
「あ、同じ学年だ。私、二年B組。名前、もしかしたら知ってるかもしれないけど。私、椎名 まさ、…椎名 真貴。あなたは?」
しいな まきさんか。彼女の口ぶりからすると、やはり知名度が高いのだろうか。すごく綺麗な子だしな。
「上崎 利緒」
「利緒くんかぁ…。利緒くんは不良さんなの?」
俺の姿をまじまじと見た椎名さんは、可愛らしく小首を傾げる。
「あ、いや、そういうわけでは…」
弁明しようと焦っている俺に、椎名さんはふふっと笑った。
「分かってるよ。利緒くんの態度見てれば」
「そ、そうか…」
椎名さんは、からかうように俺を見たかと思うと、視線を夕陽へと移した。
「利緒くんみたいな人と、付き合えたら良かったのにな…」
「え……」
自分でも驚くくらいに胸がどきんと跳ねるのを感じた。
え、この展開はなんだ?椎名さんは俺に何を期待している?なんと返答するのが正解なんだ?
もしかして、椎名さんは……。
「えっと…、俺と、付き合う?」
「え?」
椎名さんは驚いたように、けれど嬉しそうに俺を見た。
「俺、誰かと付き合ったこととかないから、椎名さんの理想とは程遠いかもしれないけど…それでも、傷付けるようなことは絶対にしないって誓う。大切にする」
椎名さんは綺麗な顔に、満面の笑みを浮かべた。
「私、利緒くんとならきっと仲良くできると思う!だってこんなに男の子に優しくされたことってないもん」
「いや、これくらい普通だと思うけど…。嫌になったらすぐやめてもいいし、とりあえずお試し的な形で…」
「うん!よろしくね、利緒くん!」
「よろしく、…椎名さん」
ふわっと温かい風が俺達の間を通り抜けて、いつか嗅いだ、甘いシャンプーの香りがした気がした。
十七年間生きてきて、初めて恋人ができた。
翌日、普段通りに登校したはずの俺に、悠馬が訝しげに尋ねてきた。
「はよー、利緒。なんか今日、機嫌よくね?」
「え?そうか?」
寧ろ寝不足で眠くて眠くて仕方がないのだが、俺のどこを見て悠馬はそう判断したのだろうか。
昨日、気になっていた女の子、椎名 真貴さんと付き合うことになって、確かに興奮しすぎて眠れなかった。
初めての恋人があんなに可愛い子だなんて、誰だって嬉しいだろう。しかもすごくいい子そうだ。
でももちろん不安もある。彼氏として女の子をリードする、というのが俺なんかにできるかどうか…。
「まさか利緒まで彼女できた、なんて言わないだろうなぁ!?嫌だぁ!おいて行かないでくれええええ!!」
「ちょ、離せ、で、できてないからっ」
悠馬が抱き着いてくるので、咄嗟に嘘を付いてしまったが、俺に彼女が出来たと悠馬が知ったらどうなってしまうのだろうか。
彼女が出来たからといって、悠馬と一緒にいる時間を減らすことはもちろんない。と思う。
もしそんなことがあったら…、悠馬も彼女作り頑張れ。
と薄情なことを思いつつ、俺は頗る機嫌よくお昼休みを待った。
今日のお昼休みは、椎名さんと約束している。
恋人との、初めてのお昼だ。
四限目の授業終了のチャイムが鳴って、みんなが購買に駆け込んだり、お弁当を広げ始める。
「利緒、今日は購買?」
「あ、いや今日は買って来てて…」
「そうか、じゃ、俺は購買に、」といつものように一緒に食べるつもりでいる悠馬に俺が声を掛けようとしていると、教室がざわっとどよめいた。
俺と悠馬がそのどよめきの方へと顔を向けると、見たことのない美男子がD組を覗いていて、ぱちっとその男子と目が合った。
「利緒くん―!」
俺の前までぱたぱたとやって来る男子。
だ、誰だ!?!?
どこのクラスの奴かも分からない男子が、俺の名前を嬉しそうに呼んでいる。
「今日、お昼ご飯一緒に食べる約束してたでしょ?天気もいいし、屋上とかどうかなって」
「え?……え???」
目の前の美男子をまじまじと見つめる俺。
お昼ご飯を一緒に食べる約束をしていた?俺が?
そんな話、全く記憶にない。誰かと間違えているのではなかろうか。
俺が困惑していると、悠馬がゆるりと口を開く。
「なんだよ、利緒。椎名と約束があったのか」
「え?」
「え?」
ばっと勢いよく振り返った俺に、悠馬がきょとんとする。
「今なんて言った?」
「え?だから、椎名と約束あったのか、って」
「椎名?」
俺はぐるりと美少年の顔を見た。
「椎名 真貴だろ?B組の」
「椎名、まさ、たか……???」
目の前の美男子椎名は、その綺麗な顔ににこりと笑顔を浮かべる。
「利緒くん、昨日のこと、もう忘れちゃった?」
その笑顔が、昨日公園のベンチで話した椎名 真貴さんと重なった。
「え、え、ええええええ!?!?!」
椎名はにこっと俺に笑いかけた。