「勢いで仕事を辞めたけど、私、何をやろうかな……」
 ささらの家に引っ越して来て一週間が経った。
 収入が無いことには始まらないので、里央の紹介でアルバイトをしている。
 そんな里央は、システムエンジニアの仕事を短期や週三くらいで受けて、生活資金に充てているようだ。
 エンジニアの単価は高く、時給がかなり良い。フルタイムじゃなくても、そこそこの生活ができてしまうようだ。
 今日はオフなので、リビングでボーッと考えごとをしながら過ごしていた。
 ささらの2DKのマンションの一室を、私と里央が借りている。一つの部屋を二人で分けているので、部屋は狭いが、二段ベッドにして家族のように過ごすのが案外楽しい。
 それに、里央は基本的にパソコンの前から動かないので、生活の中でも居場所が被ったりしないので快適だった。
 すると、玄関の鍵が開く音が聞こえた。ささらが帰ってきたようだ。
「あ、おかえりー。練習どうだった?」
「ただいま。うん、なかなか新曲のフォーメーションが難しいけど……でも、アニラまでもうすぐだからな。あぁ、体が熱い……」
 夜二十三時を過ぎて、ささらが帰宅した。結成三周年のアニバーサリーライブ、略してアニラがもうすぐらしく、そのリハで忙しいらしい。
「地下アイドルって言ってたのに、ちゃんとアイドルやってるよね。私、少しいかがわしく思っちゃってた」
「いや……普通はそう感じるのかもな、地下って文言が特に。でも、みんな一生懸命やっているぞ。お客さんも応援してくれている。地下だろうが地上だろうが、私はアイドルを誇りに思ってる」
「うん。それは、ささらを見れば分かるよ。本気でやっているから、キラキラしてる。とても眩しく見えるし、可愛い」
「……ありがとう。私は先にシャワー浴びるぞ」
 照れたささらを見送る。
 洗面所に向かう後ろ姿を見て、昔は仕事後に集まり、飲み交わしたことを思い出した。
 その時は、ただ仕事のことを愚痴り合い、盛り上がり、昔話をする。
 だが、今は違う。未来の話をしている。
 私はまだ何も見えていないけど、それでもノスタルジーを追う生活では無くなった。
「私は、今を、生きるんだ」
 そう呟くも、私が何をやりたいかまだ見えない。
 本来は順番が逆なのだろう。辞める前に何かを見つけて、それを追いたくて辞める、が健全だ。
 だけど、私は違和感に耐えられなくなり、先に足を洗った。
「ささら、帰ってきたの?」
 すると、部屋から里央が出てきた。
 リラックスした部屋着を着ていて、ふわふわな雰囲気はTikTokerみたいだ。
「うん、先にシャワー浴びるって」
「そう……それで、桃はまだ悩んでるの?」
 里央はコーヒーを入れるためにだろう、キッチンへ向かった。
「悩んでるというか、どうしようかなっていうか」
 私の前進しない言葉が、カプセル型コーヒーに熱湯が注がれる音で消される。
 だが、里央は聞こえていたようで、コーヒーを手に目の前に座ると、ジッと私を見つめる。
「それは、いろいろやってない証拠かもねぇ……興味があることを興味だけで終わらせてない?」
「興味だけかぁ……」
 図星だった。
 でも、ありがたいのは「やりたいことがないなら、会社員に戻れば良い」とは誰も言わないことだ。
 きっと、分かってるんだ。戻ったところで苦しみの違和感は拭えないんだって。
「桃、何に興味があるの? 私たちはその興味から、何かをアドバイスできるかもしれないよぉ?」
「興味ねぇ……」
 うーん、と唸る。
 思い付かない。
「はぁ……じゃあ、スマホ見せてよ。写真」
「え? 写真?」
「そうそう。人の本質って単純なのよ。写真ってそもそも興味があるものしか撮らないでしょ? だからそれを見せて」
「なるほどね、里央すごいじゃん!」
「はいはい、良いから見せて」
 私の興奮がぞんざいに扱われるが、いつものことなのでスマホをテーブルに載せてロックを解除する。
 そして私はGoogleフォトを起動した。
「……」
「……」
 里央は黙ってフリックを続ける。
「……」
「……」
 何も語らずに、私のスマホを人差し指で操作している。
 すると、ボソッと呆れたような声が響いた。
「……猫ばっかり……」
「え?」
 SNSで拾った画像と、私が撮った写真が入っているけど、ほとんどが猫の画像だ。
「うん、まぁ。その、癒やされるし?」
「……」
 引き続き里央は黙ったまま、私のスマホでフリックを続ける。
 何回もフリックを続け、人差し指のスピードが加速していくと、里央は声を荒らげる。
「桃! これ、猫しかいないじゃん!」
「だって、しょうがないじゃん! 可愛いし、癒やされるんだから!」
「ってか、GoogleOneも契約してるし! iPhone使ってるくせにiCloudじゃないってところに闇を感じるわね……そして、その容量のほとんどが猫って……どんだけなの……」
「別に良いじゃん! それに、しょうがないでしょ。可愛いし、癒やされるんだから!」
「二回目、それ。同じこと二回言ってる……でも、まぁ、その気持ちは分かる。私も仕事してた時、ストレス溜まるともふもふしたくなったしねぇ……」
「でしょ!? でしょ!?」
「自重」
「……はい」
「分かった、桃。あなた、猫やりなさいよ」
「え?」
「猫をやれって言ってんの」
「はぁ……?」
 私は何を言ってるのか意味不明な里央に首を傾げて煽る。
「はぁ? じゃないんだっての。だから――」
「随分とうるさいな。何かあったのか?」
 そこへ風呂上がりのアイドルが顔を出した。
「ささら。桃のスマホの画像、猫だらけなの」
 やらやれと里央は首を振り、煽り返す。
「猫? あぁ、そういえば桃は動物好きだよな。なら、それで良いんじゃないか? 好きなんだろ?」
 ささらは髪をタオルで拭きながら、リビングに足を踏み入れる。
「猫が好きなだけで、どうやって表現するの? 何にもできないじゃん」
「あのな、良いこと教えてやるが……自分の優れた能力って、自分じゃ大したことじゃ無いって思ってるらしいぞ?」
「え? どういうこと?」
「簡単過ぎて全くたいしたことじゃない、こんなの誰でもできる、と思ってるものが実は希有な才能の証って話よ。任天堂の岩田社長が言ってたでしょ」
 里央が横から口を出す。
「へぇ」
「対した労力をかけていないのに、喜んでもらえるもの。それが自分にとって得意なものらしい」
「そうそう。そう簡単なものでもないと思うけど……でも、私もそう思うかな」
 ささらと里央がうんうん、と同意している。
 つまり、猫が大好きな私だけど、この能力? は他人にとっては優れたものであるということだろう。
 ……猫が好きなだけで?
「なんか違う気がする」
「同じだぞ。熱量はそう簡単なものじゃない」
 すると、里央が横からスマホをささらに見せ始めた。
「ほら、ささら。これ、桃が撮った写真。良い写真だよねぇ?」
「ん? どれどれ……」
 ささらが覗き込んで「おお」と声を上げる。
「ちょっと、なんか恥ずかしいじゃん」
「いやいや、すごいじゃないか。可愛いぞ。ってか、どれだけ撮ってんだ? これ全部、野良猫なのか?」
「え? うん。野良猫もいるけど、ネコカフェの写真もあるし、猫島に行ったのものあるかな」
「それに……ただ撮るだけじゃなくて、一匹の猫をいろんな角度からとったり、ピントをずらしたりしてるし、背景も凝ってるし……なんかすごのよねぇ」
 そうそう。恥ずかしいけど結構、自信作なのだ。
 今まで撮った、ン十年分がたくさん入っている。わざわざ宮城県の田代島に行って撮りまくったり、片っ端から猫カフェにも行った。それに動物愛護センターと協力して、里親募集に使った写真もある。
 そのことを説明すると、二人は驚いていた。
「そんなことまでやってたのか!?」
「完全に趣味を超えてるわね……」
「え? そ、そう? 全然、たいしたことじゃないと思うけど……ただスマホで写真撮っただけだし」
 ささらと里央は「はぁ」と思いきり深い溜め息を吐いた。
「ほら、それそれ。さっき言った通りでしょぉ?」
「でもこういうのって、誰かとコミュニケーションを取らないと、なかなか感付かないよな。私や里央みたいに、分かりやすいものじゃないし」
 二人が私をジト目で見ながら、何やら分かり合っている。
「それにしても、写真の撮り方が上手いな。加工とかもできるのか?」
「え? できるよ。本格的なのはPCでフォトショ使ってるし」
「……私はアプリの話だったのに、まさか業務用ソフトが出てくるとはな……」
「そんな、大げさな。フォトショなんて誰でも買うじゃん。逆に、アプリはそんな使わないけど」
「誰でもは言い過ぎだけどねぇ……あのね、ささら。今、桃に紹介しているバイトは動画制作とかバナー制作がメインなのよ」
「へぇ……そうなのか」
「まさか、フォトショだけじゃなく、アフターまで使いこなせるなんてね。そう簡単なスキルじゃないはずだけど。どれだけ猫に飢えていたのよ」
 そう言われても。
 写真だけじゃ物足りなくなって、動画制作まで進むのは普通だと思う。
 それに、知らず知らずにはまっていたことが、応用が効くとは思っていなかったので、私だってびっくりだ。
「まさに、好きなことがスキルになるのね。でも、いろいろ見えたかも!」
「良かった。じゃあ、恒例の”桃の人生アゲアゲ会議”を始めよう~」
「出たよ……その名前」
 そして、恒例となった私の人生アゲアゲ会議が始まった。
 同居してからというもの、私の今後をどうするかの会議を不定期に開催していた。今までは何の進捗も無かったが、今日は前に進みそうだ!
 そして、あーだ、こーだと話が進み……
「じゃあ、桃は猫の漫画と写真集を作るってことで」
 何故か、猫の漫画と、写真集を作ることになってしまった。
 だが、嫌じゃない。心の奥底から熱いエネルギーが湧いてくる。
「うん! やってみる! 私、もともと何かを作るのやってみたかったの!」
「日本人って、凝り性だからねぇ……作ったりするの好きだよねぇ。私もそうだし」
 そして、私は好きなものを創作をすることにした。