翌る日。
山科は、山科総合病院へと訪れた。母が忘れ物をしたから持ってきて欲しいと頼まれて、快諾した結果だ。総合受付で事情を話して連絡してもらっていたその時、山科は聞き覚えのある声を耳にした。なんだろうかと振り返ると、そこにはいつもの気怠げな表情ではなく、必死な形相をしている海祈がいて、そばにいる母親らしき相手を見送っていたところだった。こんな場所で遭遇するだなんて珍しいなと思いつつ、山科はそちらを見やる。
「っ」
すると海祈が山科に気がついた。黒い瞳を揺らした海祈が、ぐっと唇を引き結んでから駆け寄ってくる。
「山科……」
「これはこれは、海祈くん。どうかしたんですか?」
「白血病」
「はい?」
「白血病だった」
「え」
「俺がじゃない。水城が」
小声で矢継ぎ早に放たれた声に、山科は目を見開く。苦しそうな顔をした海祈が、肩を震わせ俯いた。
「死なない、よな?」
「海祈くん……」
「怖い」
震えているその華奢な肩を見ていたら、山科の胸が詰まった。勿論、詳細を知らない以上、なんと声をかけることも躊躇われる。ただ――この時、震えている海祈のことを、山科は確かに守りたいと思った。気づくと思わず山科は、海祈を抱き寄せていた。そして両腕に力を込める。
「俺には分からない。ですが、俺はあなたのそばにいます。あなたは、一人じゃない」
「山科……」
「そばにいます。だから、ね? そういう意味では、大丈夫ですよ」
山科は、そう言うと自分に出来る最大限の笑顔を浮かべた。元気づけたかったからだ。それを見ると、山科の腕の中で息を呑んだ海祈が、目を大きく見開いてから、小さく頷く。それから瞼をギュッと閉じると、ぽろりと涙が零れた。その背を、ぽんぽんと優しく山科が叩くように撫でる。
「なにしてるの二人とも」
そこへ声がかかった。
はっとして山科がそちらを見ると、目を据わらせている水城の姿があった。山科が腕を放そうとすると、海祈がより強く山科に抱きつく。
「別にいいだろ」
「よくはないよ。大切な弟が、万年三位に取られちゃうじゃないか」
「三位じゃない。俺にとっては一位だ」
海祈が唇を尖らせる。水城は、はぁっと溜息をついた。山科は上手く意味が掴めなかったので、とりあえず人目もあることだしと、海祈から僅かに距離を取りつつ水城を見る。
「今は、どのような状態なのですか?」
「うん? 何処まで聞いたの?」
「病名の告知を受けた、ということだと判断しております」
「そうだね。それで、海祈と僕は一卵性双生児でHLA型が一致しているから、僕は海祈から骨髄移植をしてもらえれば助かるかなっていう、そういう話になってるよ」
水城が嘆息してからそう言うと、大きく海祈が頷いた。
「するに決まってるだろ」
「ありがとう。だけどこれとそれは話が別だ。海祈の中ではいくら山科くんが一位だろうと、僕は弟を誰にも渡したくない!」
「? それこそなんのお話ですか?」
首を捻りつつ、山科は海祈の前に立ち、その後、海祈と水城を交互に見る。
「……そーいうところだよ、山科くん。君は、ちょっといっそうのこと、鈍すぎる」
水城が不憫そうに海祈を見た。腕を放した海祈は、顔を背けている。
しかしなんの話か分からない山科は、腕を組んで小さく首を揺らした。
「俺に出来ることがあれば、頼って下さいね?」
「たとえば?」
水城の問いかけに、山科が思案する。
「ノートの代筆やコピーなどが必要でしたら、それが一つ」
「授業なんか聞かなくても分かるから平気さ。他には?」
「お見舞い……は、ご入り用ですか?」
「そうだね。僕がいない間の海祈が、どんな風に過ごしているかは知りたいから、たまにきて教えてよ。ああ、そうだね、それもそうだ。山科くん、海祈のこと……うん。任せるよ」
水城はそう言ってから苦笑すると、天井を見上げた。
「僕も弟離れの時期かなぁ……」