掃除を終えた紗都は、小腹のすいたお腹を押さえた。
時計を見ると午後五時だった。おやつには遅いし夕食には早過ぎる。気温が下がってきて肌寒い。
紗都はマグカップに牛乳を注ぎ、スティックシュガーと片栗粉を入れて混ぜた。それを三十秒レンジアップしてから取り出して混ぜる。それを三回繰り返すととろとろでぷるぷるな、葛湯のようなホットミルクが完成だ。もっと片栗粉を増やせばミルク餅のようになるが、今の気分は葛湯風だった。
スプーンですくって、それを食べる。
「あま……」
幸せな気持ちでまた一口食べる。とろとろの触感が楽しい。食べるごとに温かさが広がり、お腹がほかほかしてくる。
すでに日は落ちて、カーテンの閉められた部屋は閉塞的だが守られている安心感もある。
ぽっかりと取り残されたかのような四角の空間。
同じ年頃の友達は仕事で遠方に行ったり結婚や出産したりで、なかなか会えない。
遊びに行くのは年下の黎奈くらいだ。彼女と話が合うなんて、自分の精神年生が低いのかと不安になるときがある。
不思議と結婚への焦りはない。
同い年の人が「友達の結婚話を聞くとつらい」と言っていることに共感できない。ただおめでたいなあと思って祝福できる自分は、きっとどこかずれている。そもそも恋人がほしいとも思えないのだから結婚での嫉妬は感じにくいのだろう。
取り残されている感覚はあるが、なんだかそのことにほっとしてしまう。
自分が自分であるかのような奇妙な安心感。ガラス越しに世界を見ているかのような他人感。
水槽の中にいる魚を見るような。あるいは自分こそが水槽の中なのか。
自分が恵まれているからこその感覚なのか、人としてなにかが欠けているからか。