今年もやってきた。
煩わしいほどに蒸し暑い空気が首に纏わりついて、叫び狂う蝉声に思わず耳を塞ぎたくなる夏の日。
夏は嫌いだ。
世界が眩しくて、独りの私はそんな眩しさに目を細めて。青々とした若葉の匂いとか、頬を撫でていく涼しい風とか、額を伝う一筋の汗とか。
独りの私には背負いきれないほど眩しくて、綺麗で、何処までも続きそうなほど広い。

けれど、そんな季節に君は現れる。
煩わしい季節が来ると、君は現れる。
蝉声の轟く中で、小さく響く川のせせらぎに乗せて。
去年と変わらない姿で、君は顔を出す。

「やあ。元気だったかい」

和服姿に、銀色の髪がよく映える男の子。柔らかく口元が弧を描いて、目元はくしゃっとよせられて。
そして、大きくて太い尻尾が生えている。
人間ではない妖の男の子。私以外には見えなくて、毎年会っていることは私たちだけの秘密。
そんな笑顔を見ると、私はようやく夏の匂いを思い出す。
大嫌いな季節に現れる、大好きな人。
この人は、私が小さい頃、この森に迷った時に、助けてくれた。怖くて怖くて仕方がなかった時、その手に触れた。
心地よい温かさで、涙があふれたのを覚えている。

「今年は遅かったわね」

私は頬を小さく膨らませる。

「少し、道に迷ってね。それでも来たのだから、許してほしい」
「......分かったわ。許してあげる」
「ははっ! 君は相変わらずだね」

他愛もない会話を繰り返しながら、私たちは森の奥深くに腰掛ける。
誰もやって来ない、二人だけの場所。
けれど、私たちの間には決して埋まることのない隙間があって、その隙間がもどかしい。
手を伸ばせば届くのに、手を伸ばすことが出来ない。
だって、彼は妖。
私は人間。
私たちは決して触れることが出来ないから。
あの日、奇跡のように触れた温かい手に、もう一度触れたい。
何度、そう思ったことか。
けれど、君に会えるだけで私の世界は変わってゆく。煩わしい季節は、奇跡のように美しい季節へ。

そして私たちは夏の暮れまで笑い合う。

「もうすぐ、夏も終わりだね」
「......うん」

君の声が耳の近くで響く。いつもより落ち着いて、寂しそうなその声に、私は目を伏せる。

「また君に会えるのは来年だろうね」
「......そうね」

この夏が終わったら......私は君を忘れてしまう。
この焦がれるような胸の痛みも、夏の美しさも、君の声も、顔も、色も。全部。
君が私に呪いをかけるから。

......それならいっそのこと。

私は隣に座る君の横顔を見た。
靡く風に、銀色の髪が揺れて、その瞳は綺麗だった。
ああ、やっぱり好きだ。
寂しそうに笑う笑顔が。このうるさい夏に溶けていくように儚い君が。
そして、私は握った拳に力を込める。

「ねえ、私、あなたのことーー」

けれどその言葉は言えなかった。
目尻を下げた君が、私の唇に人差し指を当てる。

「僕もきっと同じことを思っている。けれど、待っててくれないかい? 必ず迎えに行くよ」

私はその言葉に胸が高鳴った。
うるさいほどに鳴り響いて、聞こえてしまわないか心配になるほど。
その言葉だけで、もう一度くらい、待てるような気がする。

「......わ、わかったわ」
「ありがとう。君ならそう言ってくれると思ったよ」

そして夏の暮れ。
君は去っていった。
夏の思い出も、この恋も、全て私から消し去って。
そうして、私は君を忘れて生きていく。凍てつくような日々を抜け、また夏が訪れると、私は君を思い出す。
泣きなくなるくらい美しかった思い出たちが心に蘇るのだ。

「やあ。待たせたね」

そして、小川のせせらぎが響く森の中、君はまた現れた。
和服姿に銀色の髪の毛。
そして、尻尾のない君が、私の目の前に現れた。

「尻尾はどうしたの?」

私は問いかける。
君は私の質問には答えなかった。ただ優しく微笑んで、私の手に触れた。

「え? どうして」

そしてそのまま手繰り寄せる。
気がつけば、涙があふれていた。
君に触れることが出来ている。その手も、腕の中も、温かかった。
触れることなんて一生出来ないと思っていたのに......。

「バカね。遅かったわよ」
「ははっ! これからはずっと一緒だ」

私はあり得ないくらいに、強く、君の背中を抱きしめ続けた。
冷え切った体を、温め溶かすように。
そんな私たちを、木漏れ日が照らしていく。
夏が綺麗だったなんて、私はこの時、ようやく気がついた。