下ばかり向いている気がする。
どこに続いているか分からない道をただ信じて、歩いているだけ。
そこには何も存在していなくて、暗くて、狭くて、寒い。そんなただ歩くだけの自分が嫌いだ。
辺りを見渡してみても、私みたいな人なんていないのに。みんな背中に純白の羽を生やして、地から天へと飛び立っていく。
私は、みんなが落とした純白の羽のカケラを一つずつ拾いながら、歩いているだけ。
けれど、今日、その道に一人の男の子が現れた。

「どうして、下ばっかり向いてるの?」

私を見るなり、そんな言葉を落とした。みんなと同じように、純白の羽を生やした男の子だった。私と同じくらいの背丈で、瞳の下に浮かぶ黒子が特徴的な男の子だった。

「あなたに何がわかるの? 羽が生えてるあなたに、この辛さなんて分からないくせに」

私はそう言い放った。
ただ羨ましかったのかもしれない。何かに囚われるように地から離れられない私と違って、いつでも遥か先へ飛び立てる男の子が。
私は男の子を無視して、また歩き続ける。私が向かう先は暗くて、寒くて、何も見えない。
恐怖だってある。
私だって、好んで歩いているわけではない。けれど、それ以外に行く当てもない。
それに、この先にあなたがいるかも知れない。泡沫に溶けるように、揺蕩(たゆた)う水面に消えるように、散っていったあなたに。
もう、あなたの顔なんて忘れてしまった。けれどあなたという存在を思い出すたびに、こんなにも胸が締め付けられる。
あなたにまた出会えれば、私にも大きな羽が生えるかも知れない。
そう思って、また歩き続ける。
けれど、あの男の子は私を追いかけ続けた。

「どうして? どうして、そう思うの? 僕は君に笑ってほしい。だから下ばかり向いていないでーー」
「もう! 放っておいてよ! 私に構ってないで、飛び立てばいいじゃない!」

私の気も知らないで話しかけてくる男の子に、私はだんだん腹が立った。
そして伸びてきた白くて細い腕を払いのける。
けれど男の子は、泣きそうなように眉を寄せた。悲しそうに口元を噤んで、私を見る。

「な、なによ?」

怖くなった私は、男の子から距離を取る。
けれど次の瞬間、まるで全てを包み溶かすような笑顔を浮かべた。
この恐怖感も、孤独も、全てを消し去ってしまうような笑顔で。

「大丈夫だよ、緋夏(ひな)。君の背中を見てごらん。ちゃんと美しい羽が生えてるよ」
「......え?」

私は耳を疑った。
けれど、その瞬間、暗くて寒くて何も無かった道に、光が差し込んできた。
苦しいくらいに、柔らかくて、キラキラと輝く光が。
夢心地な感覚が私を襲って、釘付けにする。
反射的に、光の道筋を辿った。そして、その先に開けた景色を見た瞬間、私の双眸から涙が溢れ落ちた。

「......っ」

綺麗だった。
ただひたすらに、綺麗だった。
青く広がった、どこまでも続く空。全てを覆ってしまいそうな、深く深く続く青があった。その中には、純白の羽みたくふわふわな雲の峰が連なっている。
いつか見た夏の日のように、思わず目が眩んでしまいそうな空があった。
その青に吸い込まれるように、私は夢中になる。そしてその美しさに、涙が一滴、一滴と溢れ出た。
冷たかった頬に、温もりが伝う。

「綺麗でしょ?」

悪戯っぽく笑みを浮かべた男の子が私の手を取る。

「う、うん。本当に、綺麗......!」

私がそう呟くと、男の子は嬉しそうに目尻をくしゃっと寄せる。少しだけ目が小さくなって、そんな笑顔が眩しかった。

「だから、下ばかり向いていないで、緋夏(ひな)。君には綺麗な羽が生えているんだから。何処までも飛んで行けるよ」

そして、気がついた時には私は飛び立っていた。
男の子の手に引っ張られるように、地から足が離れていく。
歩いていた道が下に続いていて、私は美しい空の中へ。

ーーそんな夢を見た。

「......はっ!」

無性に暑くなって、私は体に巻き付いていた布団を剥がした。
目の前に広がる景色は、最悪だった。大好きだった彼が死んでから、私はすっかり堕落した生活を送っている。床は見えなくなるほどのゴミで覆われ、空気は悪い。

けれど、ふと窓の外の景色が瞳へ映った。
四角く切り取られた、自由な空。
蝉声が鳴り響いて、その声を優しく包み込む、大きくて広くて、青くて、美しい空。
彼が大好きだった空模様。
彼が死んでから、見上げることも無かった青空。今はただその美しさに、涙があふれた。
その青い空の中に、彼の落ち着いた声が聞こえるような気がした。

緋夏(ひな)、大丈夫だよ。僕がいなくなっても、大丈夫。だって君にはーー』

ーー綺麗な羽が生えているんだから。

夢の中の、男の子の声が反芻(はんすう)した。

「......ううっ......」

私は上を向いて、空を見上げて、ただ泣きじゃくっていた。
写真立ての中で、大きな泣きぼくろをつける彼が笑った。ような気がした。