眠れないまま、その日はやってきた。

 時間は午後4時50分。あと10分で英里の観光大使委嘱式やトークショーが始まる。会場となる農業公園には、すでに業者によってイルミネーションが設置され、点灯式用のステージも出来上がっていた。

 主人公の英里は、白を基調にしたドレスやコートを着てくることを本人から事前に聞いていたから、私は対照的に暗めではあるが、鮮やかな藍色のワンピースを身にまとった。昨日、この服を買ったのだが、今までこんなかわいい服を着たことがないから、地に足が着いていないような感覚になる。

 メイクは英里がやってくれたのはいいが、薄紅色のチークが余りにガーリーで、恥ずかしい。でも、このメイクもかわいかった。

 そして、胸元には英里からプレゼントされた月のネックレス。このネックレスをしていると、勇気が湧いてきた。私は月でいい。月は月のいいところがある。こんな風に思えるのは、すべて英里のおかげだ。

「かわいいね、月香さん!」と東松や他の職員は、私に声をかけてくれた。こんなに多くの人にかわいいと言ってもらえるのも、初めての体験だ。

 英里を一目見ようと、会場には親子連れの人たちや、カップル、近所のお年寄りなど、多くの人が来ている。
 周りの光景を見ていたら、あっという真に本番となった。

 台本どおり、ステージに上がって英里と市長を呼び込むよう東松が指示をしてくる。音響の業者からマイクを渡されて、ついにステージへ足を踏み込んだ。マイクを持つ手が震えている。

 いよいよだ。

「えー、皆さま」

 ステージで声を発した途端、多くの視線が私に集まり、緊張で声が上ずった。とっさに震える手で、ネックレスの月のチャームを手で握りしめる。すると、不思議と気持ちが落ち着いてきた。

「イルミネーション点灯式にご来場いただきまして、ありがとうございます。本日の司会を務めます、忌部市役所観光課の山元月香です。本日は点灯式に先立ち、忌部市出身の女優でモデル、Ellyさんの観光大使委嘱式と、Ellyさん、日置市長によるトークショーを行います。密にならないように、間隔を空けてください」
 また、胸元の月を握る。

 どんどん気持ちが落ち着いてきた。まるで魔法のネックレスのようだ。
 ステージの脇を見ると、スタンバイしている英里がウインクして、自分が首にかけている太陽のチャームを見せている。

 陰と陽が揃うことで生まれる導きのようなものを感じる。もう、負けていられない。
「それではご登場いただきましょう! Ellyさん、そして、日置市長です。どうぞ!」

 登壇した英里と市長は簡単に自己紹介すると、私を見る。英里は私の変貌ぶりにニヤニヤしていた。英里の胸元に輝く太陽のチャームが、私の月のチャームと共鳴している。

 多くの人に見られて、進行を私に委ねられるのが最初は嫌で嫌で仕方がなかったが、今は、どういう訳が心地良い。

「それでは、これよりEllyさんの観光大使委嘱式を行います」
 私の言葉に合わせて東松らが手早くセッティングをすると、市長が定型文を読み上げ、委嘱状を英里に手渡した。

「皆さま、大きな拍手をお願いします。Ellyさんは来年のテレビドラマの出演も決まっていて、若手注目の女優です。本人は忌部市を誰よりも愛していて、出身者として誇りに思っていただいています。これから、さまざまな大手メディアのインタビューの機会が増えますので、一緒に応援しましょう。いっぱい忌部市をピーアールしてね」

 ついに、私は台本にないことを言い出せるようになり、英里に微笑みかけた。隣にいる市長も満足そうな顔をしてくれている。

 この後のトークショーも、適度にアドリブを入れながら、卒なく終わった。

 もうプログラムは、イルミネーションの点灯式を残すのみ。

 ステージ中央に設置された点灯ボタン装置の前に英里が立ち、その隣に立つ市長かカウントダウンを行うことになっている。

 市長が会場の人たちにカウントダウン唱和の呼びかけをしているとき、ステージから声が聞こえた。
「月香もこっちにおいでよ! 一緒にボタン押そうよ」
 英里が叫んでいる。

 いや、私は市役所職員だ。英里と対等にステージで立ち、点灯ボタンを押すのは、さすがに越権行為だ。

「みなさーん、すいません。今日司会してくれた、山元月香さんと私は幼馴染なんです! 月香が応援してくれたから私はここまで来れたし、月香がいなかったら、観光大使を引き受ける勇気もなかったです。だから、二人で点灯ボタンを押すのを許してほしいです」
 英里の訴えに、会場は一瞬、静まる。

 しかし、市長が頷いて、私を手招きすると、拍手が巻き起こった。

 ホントにいいのだろうか?

 東松も行け、と指で差し示した。
 それで、やっと観念した。私は、もう卑屈にもならない。

 ステージに上がり、ボタンをかざす英里の手の上に私の手を重ねると、お互いの胸元にある太陽と月が輝きを放ち出した。
「ではいきまーす。10、9、8、7、6、5、4」
 市長の声に合わせ、会場にカウントダウンの声が響く中、英里が耳元で言った。

「ホントはね、昔から、月香にだけは負けたくなくて、ムキになって女優になったの。今も負けたくないよ」

 私も、言い返す。

「私だって、あなたには手に入らない堅実な幸せがほしくて、公務員になったんだもん。負けてたまるか」
 そして、お互い顔を見合わせて笑う。

「3、2、1……」
 合わせた手と手が、調和したスピードでボタンを押し下げた。

 すると、暗闇に包まれていた公園が一気に輝き出した。

 その煌めきは、これまで見たことのないほど、美しくてため息がでる。きっと、今、英里も私と同じことを思っているのだろう。

 やっと分かった。私は英里にはなれないけど、私だからこそできることがある。

 生まれ育ったこのまちで、自分にできることを見つけたことが、ただ嬉しい。

 涙を英里に見られるのが恥ずかしいから、私は、また月のチャームを握りしめて、空に浮かぶ月に向かって「ありがとう」と囁いた。(了)