「美味しいね~」
そう言って笑う彼女に、俺はただ黙って頷くことしかできなかった。心臓の音がうるさいくらいに鳴り響いているのが分かる。それを悟られたくなくて、平静を装うためにアイスを食べることに集中することにした――ものの。
(やっぱり、なんか入らねぇな)
四口目からがどうにも食べられない。胃の辺りでぐるぐると渦巻いているような感覚がして気持ち悪い。
「? どうしたの?」
俺が食べる手を止めたことに気付いたのか、若葉は首を傾げるようにしてこちらを見上げてきた。その仕草がまた可愛らしく見えて、つい目を逸らしてしまう。
「……いや」
そう答えながら、俺は手に持ったアイスをスプーンで掬って口に運んだ。そしてそのまま飲み込むように喉の奥へと流し込む。冷たい液体が喉を通っていくのが、やけにはっきりと感じられた――その瞬間だった。
「っ……」
胃の辺りに強い衝撃を感じ、俺は咄嗟に手で口を押さえた。喉の奥から込み上げてくるものがあり、それが逆流してきそうな感覚に襲われる。
「雪也くん?」
俺の異変に気付いたのか、若葉が心配そうに声をかけてくるがそれに返事をする余裕もなく、ただ必死に吐き気を堪えることしかできないでいた。ぐっと喉の奥に力を入れ、なんとか押し戻す。
「……っ、わり……なんか、昼食ったのが残ってて全部食えねぇかも」
俺はそう言って誤魔化しつつ、食べかけのアイスを彼女に差し出した。すると、彼女は一瞬きょとんとした表情を浮かべていたが、すぐに俺の意図を察してくれたのか、おずおずとこちらに手を伸ばした。
「あの……なんかごめんね」
「ん?」
「甘いの、苦手……なんでしょ? だからさっぱり味のメロンだったんだね。付き合わせちゃってごめん」
申し訳なさそうな表情を浮かべる彼女に、俺はなんと答えるべきか思いあぐねた。どうやら若葉は俺が無理をしていると思っているらしい。確かに昔から甘いものが苦手だし、だからこそそんな俺でも食べられそうなメロン味を注文した。けれど、それを彼女に伝えるのは気が引ける。
「……別に、そういうわけじゃねぇよ。本当に昼間のチャーハン食いすぎただけ」
俺はそれだけ言って視線を逸らした。嘘は言っていないが、真実を伝えているわけでもない。
(かっこわりー……)
俺は心の中で小さくため息を吐いた。せっかく彼女が誘ってくれたのに、それを台無しにしてしまっている自分が不甲斐ない。
「そっか……じゃあ遠慮なく。私が残り食べちゃうね!」
気を遣ってくれたのか、にこりと破顔した若葉はそう明るく言いながら、俺が渡したアイスのスプーンを口に運んでいく。その笑顔になんとなくの決まりの悪さを感じてしまう。彼女の優しさに触れるたびに、自分が彼女に対して抱く感情が大きくなっていくことを実感させられてしまうのだ。
「さんきゅ……」
俺は少し罪悪感を抱きながらも、素直に礼を言うことにした。この苦しさから逃れられるならなんでもよかったからだ。彼女の優しさに感謝しつつ、俺はベンチにもたれ掛かるようにして空を仰ぐ。胸焼けのような不快感は一向に治まらないままだったが、吐き気はどうにか収まったようだったので一安心する。
(って……ちょっと待て)
そこでふとあることに気が付いた。無意識の行動だったが、数十秒前の俺は、俺が使ったスプーンを若葉にそのまま渡してしまった。
そして――若葉は今、俺が使っていたスプーンでアイスを食べている。その事実に思い至った瞬間、一気に顔が熱くなるのを感じた。
(いや……落ち着け俺)
そう自分に言い聞かせるが、一度意識してしまうとなかなか頭から離れない。彼女に悟られないようにその横顔を盗み見るも、彼女は特に気にしている様子もなく美味しそうにアイスを食べ続けている。俺はそっと視線を逸らした。
「雪也くんって、そういえば本とかよく読むの?」
不意に、メロン味のアイスを頬張っている若葉が思い出したようにそう問いかけてくる。俺は逸る心臓を宥めつつ、小さく首を傾げて彼女の問いかけに応えた。
「まあ……人並みには」
「そうなんだ! 私ね、最近恋愛小説を読むのにハマってるんだけど……」
そこまで言ってから彼女はハッとしたように口を噤んだ。そして取り繕うように苦笑を浮かべてみせると、どこか申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ご、ごめん……急にこんな話されても困るよね」
「いや……別に」
俺が短くそう答えれば、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせる。その笑顔にまた鼓動が跳ねるのを感じながらも、俺はそれを悟られないように視線を逸らした。
(こいつって、いつも笑ってんな)
そんなことを考えているとなんだかこちらまで心が温かくなってくるような心地になるから不思議だ。若葉はそんな俺の気持ちなど知る由もなく、弾んだ声で話しかけてくる。
「雪也くんはどんな本が好き?」
「まあ、色々。ラノベも読むけど……最近は就職試験の勉強であんま読めてねぇ」
「あ、そっかぁ。来月から就職試験だっけ」
「ん。明日から面接指導だから、午後だけ登校」
それからしばらく他愛もない会話をしながらアイスを食べていると、不意に彼女が小さく欠伸をした。時計を見ると時刻は十八時前を指しており、日も沈みかけていて、あたりは薄暗くなり始めていた。
「……帰るか」
「ん……そうだね」
俺の言葉に頷いて立ち上がった彼女は、俺の方を見やってふわりと微笑む。その笑顔がいつもよりも儚く見えて、なぜだか胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
「ねえ、雪也くん」
若葉が不意に俺の名前を呼ぶので、俺は視線だけ彼女に向ける。すると、彼女は少し言いづらそうに視線を彷徨わせていたが、数秒ののちに意を決したように口を開いた。
「その……夕焼けの写真を撮りに行きたくて。一緒に出かけた、記念に」
彼女のその言葉に、どくりと心臓が跳ねるのを感じた。告げられた言葉の意味を噛み砕いて理解するまでに数秒を要してしまう。
俺と出かけた記念。その言葉の意味を頭の中で反芻するうちに、じわじわと顔に熱が集まっていくのを感じた。ふわふわとした、それでいて甘い高揚感が胸を満たしていくのが分かる。
うぬぼれてもいいのだろうか。若葉も、俺と同じ気持ちを抱いてくれているのではないかと。
「だめ……?」
不安そうに瞳を揺らした若葉は、上目遣いでこちらを見つめてくる。その視線に射抜かれ、答えに窮してしまう。
(なんだよ……その目)
そんな目で見られたら、余計に断れるわけがない。まるで、離れがたいと言外に伝えられているようで、心臓の音がうるさいくらいに高鳴っているのがわかる。
それに――俺自身もなんとなくこの時間が終わってしまうことが惜しく感じていて、もう少しだけでも一緒に居られたら、なんて淡い期待を抱いていたのも確かだった。
「……わかった」
小さなため息とともに辛うじて絞り出した声は、自分が想定していたよりも少し掠れていた。それに気づかないでくれ、と願いながら若葉の様子を窺い見ると、彼女は安堵したように口元を緩めて、また嬉しそうに微笑んだ。
「やった! ありがと、雪也くん!」
彼女の笑みはまるで太陽の光のように眩しくて、俺は目を細めてしまう。
(そんな顔すんなって……勘違いするだろ)
若葉の一挙手一投足が、俺の心をかき乱していく。やり場のない不満にも似た感情を持て余した俺は、吐きだしそうになったため息を寸でのところで呑み込んだ。
「どこ行くんだ?」
「荒川の河川敷!」
俺の問いかけに対して、若葉は即答する。キラキラとした瞳で俺を見上げてくる彼女の様子に、ゆるりと口元が緩んでしまう。
(ああ……やっぱり好きだな)
心の中でそう呟くと、なんとも言えない切なさが積み重なっていくような気がした。
この気持ちを伝える勇気は、まだない。けれど、今はただ、この時間が少しでも長く続いてほしいと思った。
そう言って笑う彼女に、俺はただ黙って頷くことしかできなかった。心臓の音がうるさいくらいに鳴り響いているのが分かる。それを悟られたくなくて、平静を装うためにアイスを食べることに集中することにした――ものの。
(やっぱり、なんか入らねぇな)
四口目からがどうにも食べられない。胃の辺りでぐるぐると渦巻いているような感覚がして気持ち悪い。
「? どうしたの?」
俺が食べる手を止めたことに気付いたのか、若葉は首を傾げるようにしてこちらを見上げてきた。その仕草がまた可愛らしく見えて、つい目を逸らしてしまう。
「……いや」
そう答えながら、俺は手に持ったアイスをスプーンで掬って口に運んだ。そしてそのまま飲み込むように喉の奥へと流し込む。冷たい液体が喉を通っていくのが、やけにはっきりと感じられた――その瞬間だった。
「っ……」
胃の辺りに強い衝撃を感じ、俺は咄嗟に手で口を押さえた。喉の奥から込み上げてくるものがあり、それが逆流してきそうな感覚に襲われる。
「雪也くん?」
俺の異変に気付いたのか、若葉が心配そうに声をかけてくるがそれに返事をする余裕もなく、ただ必死に吐き気を堪えることしかできないでいた。ぐっと喉の奥に力を入れ、なんとか押し戻す。
「……っ、わり……なんか、昼食ったのが残ってて全部食えねぇかも」
俺はそう言って誤魔化しつつ、食べかけのアイスを彼女に差し出した。すると、彼女は一瞬きょとんとした表情を浮かべていたが、すぐに俺の意図を察してくれたのか、おずおずとこちらに手を伸ばした。
「あの……なんかごめんね」
「ん?」
「甘いの、苦手……なんでしょ? だからさっぱり味のメロンだったんだね。付き合わせちゃってごめん」
申し訳なさそうな表情を浮かべる彼女に、俺はなんと答えるべきか思いあぐねた。どうやら若葉は俺が無理をしていると思っているらしい。確かに昔から甘いものが苦手だし、だからこそそんな俺でも食べられそうなメロン味を注文した。けれど、それを彼女に伝えるのは気が引ける。
「……別に、そういうわけじゃねぇよ。本当に昼間のチャーハン食いすぎただけ」
俺はそれだけ言って視線を逸らした。嘘は言っていないが、真実を伝えているわけでもない。
(かっこわりー……)
俺は心の中で小さくため息を吐いた。せっかく彼女が誘ってくれたのに、それを台無しにしてしまっている自分が不甲斐ない。
「そっか……じゃあ遠慮なく。私が残り食べちゃうね!」
気を遣ってくれたのか、にこりと破顔した若葉はそう明るく言いながら、俺が渡したアイスのスプーンを口に運んでいく。その笑顔になんとなくの決まりの悪さを感じてしまう。彼女の優しさに触れるたびに、自分が彼女に対して抱く感情が大きくなっていくことを実感させられてしまうのだ。
「さんきゅ……」
俺は少し罪悪感を抱きながらも、素直に礼を言うことにした。この苦しさから逃れられるならなんでもよかったからだ。彼女の優しさに感謝しつつ、俺はベンチにもたれ掛かるようにして空を仰ぐ。胸焼けのような不快感は一向に治まらないままだったが、吐き気はどうにか収まったようだったので一安心する。
(って……ちょっと待て)
そこでふとあることに気が付いた。無意識の行動だったが、数十秒前の俺は、俺が使ったスプーンを若葉にそのまま渡してしまった。
そして――若葉は今、俺が使っていたスプーンでアイスを食べている。その事実に思い至った瞬間、一気に顔が熱くなるのを感じた。
(いや……落ち着け俺)
そう自分に言い聞かせるが、一度意識してしまうとなかなか頭から離れない。彼女に悟られないようにその横顔を盗み見るも、彼女は特に気にしている様子もなく美味しそうにアイスを食べ続けている。俺はそっと視線を逸らした。
「雪也くんって、そういえば本とかよく読むの?」
不意に、メロン味のアイスを頬張っている若葉が思い出したようにそう問いかけてくる。俺は逸る心臓を宥めつつ、小さく首を傾げて彼女の問いかけに応えた。
「まあ……人並みには」
「そうなんだ! 私ね、最近恋愛小説を読むのにハマってるんだけど……」
そこまで言ってから彼女はハッとしたように口を噤んだ。そして取り繕うように苦笑を浮かべてみせると、どこか申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ご、ごめん……急にこんな話されても困るよね」
「いや……別に」
俺が短くそう答えれば、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせる。その笑顔にまた鼓動が跳ねるのを感じながらも、俺はそれを悟られないように視線を逸らした。
(こいつって、いつも笑ってんな)
そんなことを考えているとなんだかこちらまで心が温かくなってくるような心地になるから不思議だ。若葉はそんな俺の気持ちなど知る由もなく、弾んだ声で話しかけてくる。
「雪也くんはどんな本が好き?」
「まあ、色々。ラノベも読むけど……最近は就職試験の勉強であんま読めてねぇ」
「あ、そっかぁ。来月から就職試験だっけ」
「ん。明日から面接指導だから、午後だけ登校」
それからしばらく他愛もない会話をしながらアイスを食べていると、不意に彼女が小さく欠伸をした。時計を見ると時刻は十八時前を指しており、日も沈みかけていて、あたりは薄暗くなり始めていた。
「……帰るか」
「ん……そうだね」
俺の言葉に頷いて立ち上がった彼女は、俺の方を見やってふわりと微笑む。その笑顔がいつもよりも儚く見えて、なぜだか胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
「ねえ、雪也くん」
若葉が不意に俺の名前を呼ぶので、俺は視線だけ彼女に向ける。すると、彼女は少し言いづらそうに視線を彷徨わせていたが、数秒ののちに意を決したように口を開いた。
「その……夕焼けの写真を撮りに行きたくて。一緒に出かけた、記念に」
彼女のその言葉に、どくりと心臓が跳ねるのを感じた。告げられた言葉の意味を噛み砕いて理解するまでに数秒を要してしまう。
俺と出かけた記念。その言葉の意味を頭の中で反芻するうちに、じわじわと顔に熱が集まっていくのを感じた。ふわふわとした、それでいて甘い高揚感が胸を満たしていくのが分かる。
うぬぼれてもいいのだろうか。若葉も、俺と同じ気持ちを抱いてくれているのではないかと。
「だめ……?」
不安そうに瞳を揺らした若葉は、上目遣いでこちらを見つめてくる。その視線に射抜かれ、答えに窮してしまう。
(なんだよ……その目)
そんな目で見られたら、余計に断れるわけがない。まるで、離れがたいと言外に伝えられているようで、心臓の音がうるさいくらいに高鳴っているのがわかる。
それに――俺自身もなんとなくこの時間が終わってしまうことが惜しく感じていて、もう少しだけでも一緒に居られたら、なんて淡い期待を抱いていたのも確かだった。
「……わかった」
小さなため息とともに辛うじて絞り出した声は、自分が想定していたよりも少し掠れていた。それに気づかないでくれ、と願いながら若葉の様子を窺い見ると、彼女は安堵したように口元を緩めて、また嬉しそうに微笑んだ。
「やった! ありがと、雪也くん!」
彼女の笑みはまるで太陽の光のように眩しくて、俺は目を細めてしまう。
(そんな顔すんなって……勘違いするだろ)
若葉の一挙手一投足が、俺の心をかき乱していく。やり場のない不満にも似た感情を持て余した俺は、吐きだしそうになったため息を寸でのところで呑み込んだ。
「どこ行くんだ?」
「荒川の河川敷!」
俺の問いかけに対して、若葉は即答する。キラキラとした瞳で俺を見上げてくる彼女の様子に、ゆるりと口元が緩んでしまう。
(ああ……やっぱり好きだな)
心の中でそう呟くと、なんとも言えない切なさが積み重なっていくような気がした。
この気持ちを伝える勇気は、まだない。けれど、今はただ、この時間が少しでも長く続いてほしいと思った。