宿泊先のホテルに着いて、順に風呂の時間、夕飯の時間が過ぎていく。
 夕飯の時間は、ステージ上で有志による出し物の時間があり、ダンスが多くて盛り上がった。
 あっという間にクラスに馴染んだ瞬とよく一緒にいたおかげで、オレもこの一か月の間に徐々にクラス全体に馴染めるようになり、夕飯の時間を楽しく過ごせたのが地味にうれしかった。
 その代わり、トゲトゲしい言葉は口だけで、実際は極度のビビリということが全員にバレたけど。

 班に割り当てられた部屋に戻った後、喉が渇いたなと思って自販機コーナーに水を買いに行った。
 この自販機コーナーは、狭いスペースに自販機が3台並んでいる。
 そこに入ろうとすると先客がいて、話し声が漏れていた。
「そんなことないって!」

 瞬だった。

 スマホで誰かと電話をしている様子だったが、オレの存在を視界にとらえると、まるで恐ろしい生き物に出くわしてしまったかのような怯えた目をした。

 瞬はスマホを持っていない空いている手で口元を押さえながら、オレの横を素通りして足早に自販機コーナーを出て行った。
 ぽかんとして遠ざかる背中を見送る。

 オレ、瞬が怯えるようなことをしたっけ?

 自分で自分に問いかけたけど、思い当たることは何もなかった。
 それでも、瞬の態度で深く傷ついている自分がいた。
 あんなの、今まで見たことなかった。

 とりあえず水を買って部屋に戻る。
 窓際の椅子とテーブルのあるスペースに行き、真っ暗な海を窓越しに見つつ、椅子に座ってぼんやりしながら水を飲んだ。
「ワタルもカードゲームしない?」
 班のやつに声をかけられたが「オレはいいや」と断った。

 しばらくしてから部屋に瞬がたずねてきた。
「ワタル、今ちょっといい?」
 部屋の外に出る。
 廊下は声が響くので、さっきの自販機コーナーまで二人で歩いて向かった。

「さっきはごめんね。
 ちょっと恋人とケンカしちゃって。
 会話を誰にも聞かれたくなくて、ワタルを無視したみたいになっちゃった」
 瞬の行動の理由が分かって、ほっとする。
「気にすんな、オレは大丈夫だから。
 それより彼女と早く仲直りできるといいな」
 そう声をかけると、瞬が泣きそうな顔をした。

「どうした?」
「遠距離恋愛って難しいね……」
 瞬がぽつりとつぶやく。

「そうだろうな。
 オレはしたことないし、ってか、彼女もできたことねえけど!
 物理的な距離が開くと、不安になるんだろうな」
「俺の恋人もそうみたい」
「こればっかはさ、瞬にどうこうできるもんでもないだろ。
 ユカリ見てて思うけど、女の子って気持ちが不安定になりやすいもんな。
 何かホルモンの影響? とかもあるんだろ?
 だから瞬は考えすぎない方がいいぞ。
 まあ、恋愛すらしたことねえオレが言っても、って感じだけど」
「ううん、そんなことないよ。
 ありがとうね」
 瞬の表情が少し落ち着いたように見えたので、部屋に戻ろうとしたそのときだった。

「ワタル、あのさ」
「なんだ?」
「ちょっと……お願いがあるんだけど」
「いいよ、何?」

「ハグしてもいい?」

 瞬の瞳が揺れていた。
 もしかして瞬も不安なのかな。
 ハグすると何とかっていう幸せホルモンが出るって聞いたことがある。

「ん、いいぞ」
「ありがと……」
 ぎゅっと瞬に抱きしめられる。
 近づいてみて分かる。
 オレより瞬の方が背が高い。
 同じホテルのシャンプーとボディソープを使ってるはずなのに、オレとは違ういい匂いもする。

 違う、これ、瞬のパジャマの匂いだ。

 それに気づいた瞬間、カッと自分の顔に熱が集まったのが分かった。

「し、瞬の方がオレより身長でかいんだな」
 照れ隠しのために話しかけた。
「そうだね。
 ワタルより10センチくらい高いかな?」
 瞬がオレの頭を押さえて自分の頭の高さと比べていたが、
「ワタルの髪の毛って、これパーマ?」
 いつの間にかオレの髪の毛を真剣に両手で触りはじめる。
 柔らかい手つきでオレの髪をふんわりかき上げたりするから、なぜか鼓動も早くなってくる。
「そうだよ。朝のセットが楽でさ」
 茶髪のスパイキーショートヘアのオレは、ゆるめのパーマをかけている。
「お前のはマッシュヘアだろ?」
 お返しにと、瞬の黒髪を触る。
 サラサラの髪の毛だった。
 感触が気持ちいいのでずっと触っていたくなる。
「うん、シースルーマッシュ。
 ストレートとかはかけてない」
「これ地毛なんだな」

 瞬の顔を見上げると、思いのほか顔が近くて、今度はどくんと一回心臓が跳ねた。

「ワタルの頭の高さが俺の目線くらいだね」
 そう言いながら、さっきまでの怯えた目ではなくて、いつもの優しい目が弧を描いている。

 瞬の目に釘づけになる。
 吸い込まれそう……。

 意識が遠のきそうになったが、すんでのところでハッと正気に戻った。

「も、もう、ハグはいいか?」
「うん、ありがとう。助かったよ」
 ようやく身体を離す。
「じゃーな!おやすみ!」
 瞬の部屋とは反対方向にある自分の部屋に向かった。
 顔の熱は全然冷めない。
 心臓があんなに存在を主張してくる経験は初めてだった。
「おやすみ」
 遠くで瞬の声を聞いた。