シルヴィアーナ様の別邸は、いつもより数倍多い近衛団の方々に守られ、警護されていた。

 わたしたちの行動範囲もずいぶん狭められたが、怯える侍女たちも少なくはなかったため、彼らの姿が目に見えるのは有り難かった。

 シルヴィアーナ様のお部屋の中では、わたしたちは外の様子や怪盗バロニスについて口にすることはない。

 ただ、いつものように他愛もない話に花を咲かせる。

 それが侍女長であるメリルさんから提案されたことだったし、わたしたちも納得をして今日という日を迎えた。

 シルヴィアーナ様は相変わらず、心を閉ざしてしまっていて、まさか自分がこの騒動の真っ只中にいるなんて思っても見ないだろう。

 シルヴィアーナ様が怖がらなければ良い。

 気づいたら近衛団のみなさんや術師のみなさんが怪盗バロニスを捕まえて、何事もなかったねって明日の朝に笑えたら、それが一番いいのだ。

「でも、どうしてシルヴィアーナ様なのかしら」

「本当よね、金品ならわかるけど、わざわざリスクを犯してまで」

「別邸なら手薄だとでも思ったのかしら?」

「まさか、ランバドル王国の手のものじゃないの?」

 外では様々な憶測が飛び交っていた。

 どれが真実なのかはわからなかったけど、無事にことが過ぎ去ることが一番なのだ。

「シルヴィアーナ様、今日はとてもきれいな満月ですよ」

 うっとりと眺めた先に、いるはずもない影が移り、目を見張る。

(えっ……)

 ここは、上層部分だ。

 シルヴィアーナ様が心を閉ざされてからは外へ出ることもないため、バルコニーさえ用意されていない一室に彼女は暮らすこととなった。

 だから、だからおかしいのだ。

 こんなところに人影があるのは。

(ひっ!)

 声にならない悲鳴を漏らす。

 声に出さなかっただけ、自分を褒めたい。

 それもそのはず。

 窓枠な向こうに男がしがみつくようにして、こちらをみていたのだから。

 タキシードにシルクハットをかぶり、マントをなびかせている。

(怪盗、バロニス!!)

 考えずともわかった。

「シルヴィアーナ様っ!」

 とっさに振り返ったとき、目に写ったものは、全く持って信じがたいもので、スコーンとティーポットがそのまま残された誰もいないテーブルと椅子がそこに置かれていた。

 わたしの中で、時が止まった。

 ほんのりとカモミールの香りがして、たった今までそこにいたはずのあの方の姿を想像させた。でも……

「シ、シルヴィアーナ様っ!!」

(う、嘘でしょ!)

 彼女は忽然と姿を消していた。

(どうして!)

 ずっとそこに座っていたはずのシルヴィアーナ様がいなくなっていたのだ。

「シルヴィアーナ様っ!!」

(噓……どうして……いつの間に……)

 窓際に近寄るも、そこにはずてに人の影はない。

(う、嘘でしょ……)

 やられた。

「だ、誰か! 誰か来て!」

 シルヴィアーナ様が!と叫ぶわたしの声を聞きつけ、飛び込んでくる近衛団のたちは誰もいなくなったシルヴィアーナ様の室内を見て唖然とした。

 探せ!というけたたましい声が響く。

「う、うそ……噓でしょ……」

 一瞬の出来事だった。

 本当に一瞬で、物音一つしなかった。

「シルヴィアーナ様ぁっ!!」

 わたしは廊下を駆け出した。

「シルヴィアーナ様! シルヴィアーナ様! シルヴィアーナ様!」

『ノエル、絶対に無茶なことはしないって約束して』

 ロジオンの声が遠くに聞こえた。

 だけど、そんなの気にしてなんていられない。

(ごめんね、ロジオン……)

 心の中でそっと告げる。

 わたし、やっぱりじっとなんてしていられない。

(大切な方を、守りたいのよ!!)

 そうして、わたしは中庭を立ち、空を見上げた。

 ひんやりとしていて、吐く息が白く染まる。

(ああ……)

 今日は美しい満月の夜だ。

 そう。ずっとこの日を意識してきた。

 そして、そいつはやってきた。

「逃しはしない!」

 わたしはさっとポケットに忍ばせたレディ・カモミールの手記を広げ、ペンを握った。

 わたしはレディ・カモミール。

 ロジオンが言ってくれたのだ。

 レディ・カモミールであることが、わたしの魔術なのだと。

(だったら、お願い!)

 祈る気持ちでわたしはそこに跪き、ペンを走らせた。

 いつもと同じように。