驚きのお願いに困惑する俺に気付いたのか、幸詩は焦りながら言葉を続けた。
「も、もちろん、い、いきなりで、難しいとおもうし……断っても大丈夫だから……」
かなり慌てているのか、吃音が少し出ており、彼の額から汗が滲み出ている。ちゃんと退路を主張してくれるのが、優しいなあと感じる。
「俺に出来ることがあるなら、手伝うよ」
トラウマ克服の手伝いというのはか思ったより責任重大だが、幸詩も信頼して俺にお願いしているだろう。まだまだ出会って日は浅い。しかし、だからこそ、頼って貰えるのは嬉しかった。
ちょっとばかり保険をかけたような、言葉にはなってしまったけれど。
「晴富、本当……?」
幸詩は目を大きく開けながら、本当かどうか尋ね返す。俺は少し笑いながら、「本当だよ」と繰り返し了承した。
すると、幸詩の顔から焦りが消えて、安心したように顔がまた解ける。
「……ありがとう!」
今までで一番大きな声を出すものだから、内心ドキッと心臓が跳ねた。彼の心を現すように、ペコペコと何度も頭を下げる幸詩。
「で、俺、何を手伝ったらいいの?」
まず、幸詩的に考えている手伝う方法を尋ねると、幸詩は俺の前に彼のスマートフォンを突き出した。
「俺を、晴富に撮影して欲しいんだ!」
「うーん……もう少し詳しく聞かせて欲しいかな」
これはちゃんと用件を確認しないといけない気がした。
よくよく話を深掘りしたところ、どうやらスマートフォンのカメラに慣れたいので、自分の写真を撮ってほしいという事だった。
「一応、自撮りは出来るようになったんだけど、どうしても他の人からは……」
詳細は知らないが動画トラブルでのトラウマのせいで彼にとって、他の人からカメラを向けられるのは怖いのだろう、ふるふると幸詩の身体が震えているほどだ。けれど、現代の日常生活で他人のスマートフォンの動画撮影は避けるのは難しい。
「やっぱり、生活に支障が出るから?」
「いや、生活は、大変じゃないのだけど……」
俺の質問に、幸詩は困ったように言い淀む。少し踏み込み過ぎたかと、答えなくて良いと言おうとした。
だけど、俺が口を開く前に、幸詩が意を決したように強く頷いた。そして、決意の固い眩しい眼差しが俺に突き刺さる。
「でも、俺……叶えたい夢があるんだ」
今までで一番熱風が、俺を吹き抜けたような気持ちだった。俺にはない、なにか熱くなるモノを彼は持っている。気づけば、「どんな、夢?」と尋ね返していた。
幸詩の目は、今まで見た中で最も鋭く、燃えさかる炎のように輝いている。
「バンドで、絶対成功する」
夢と言うには、あまりにも明確だ。それ以外見えていないくらいの、真っ直ぐさ。
正直、やりたいことがない俺にとって羨ましかった。
「あれ、バンドって、まだ……」
「実は一応、幼なじみがドラムやってて、ずっと一緒に組んでる」
「そうだったんだ」
部活でバンド組めずとも、どこかあまり焦っていなかったのは、他に相手がいたからなのか。
軽音部に入ったのも、今克服しようとお願いしてきたのは、大きな夢のためなのか。
「だから、どうにかしなきゃいけないんだ」
幸詩の言うとおり、バンド活動するにはカメラへの恐怖心が無くならないと大変だろう。
現代のアーティスト活動には、SNSでの活動は切手も切り離せないし、写真や動画も沢山撮ることになるだろう。
なので、まずは頼れる人にお願いして克服したいという作戦か。
ちらりと机を見る。気づけば、すっかり日の光がオレンジ色に輝き、傷だらけの木目が色濃く赤く染まっていた。
俺は今度は窓の外を眺め、良い題材があるなと両口角を上げた。
「そっか、じゃあ最初の写真なんだけど……」
俺は自分の鞄に手を入れる。 中からはストローが刺さった飲みかけの900 ml紙パックジュース。コンビニで買った120円の安い桃の水は、金欠学生にとってはマストアイテム。果汁は最低限、人類の叡智で作り上げられた桃の味を楽しむ代物だ。
椅子から立ち上がり、慣れた手つきでベランダへと出る。春の終わりの冷たい風が肌をかすめた。
六階から見える美しく広々とした空。
学校を中心とした、青空と夕日の見事なグラデーション。
何も邪魔するものはない。天気の良い日に、遅い時間まで残った人たちだけが知っている刹那の絶景。
「幸詩も飲み物出して、乾杯してるなんてどう」
今日は撮らなければ、なかなかこの先撮れない光景。
幸詩も目に焼け付くような空に、気づいたのか俺が言うがまま、自分の鞄から飲み物を取り出した。
スーパーで激安価格で売っているようなシンプルラベルの緑茶のペットボトル。スマートフォンとペットボトルを持ち、俺の後を追うようにベランダの外へと出てくる。やはり掘っ立て小屋、ベランダも他の教室とは違い、酷く簡素な作りだ。
「片手にペットボトル持って、この丁度半々で綺麗に撮ろう。俺が青空側、幸詩が夕日側な」
「え、えっと、良いけど、心の準備を」
「時間ないから、早く早く」
矢継ぎ早な指示に幸詩は戸惑う。あえて俺は幸詩を急かし、手を伸ばしてスマートフォンを催促する。
人間勢いでやってしまう方が、上手くいくことが多いと思う。逆上がりとか、自転車とか。考えて怖くなるものよりも、勢いに任せるのが正解だ。
幸詩は俺の勢いに流されるように、俺の手にスマートフォンを渡す。
俺は受け取ると、さっさとカメラアプリを起動させた。
「はい、幸詩、ポーズ!」
俺が掲げた紙パックジュース。ちゃちい桃のイラストが、青空とよくマッチしている。幸詩も言われるがまま、飲みかけのペットボトルを上に持ち上げる。
乾杯といえば、乾杯っぽい構図。
その一瞬を逃さず、レンズを向けて容赦なくシャッターを切った。
電子で作られた、シャッター音が響き渡る。
幸詩は驚いたのか、声にならない声を上げ、後ろずさり、ベランダに落ちたペットボトルが鈍い音を立てた。
「せ、晴富! 心の準備させてよ!」
いつの間にか教室の中に逃げ込んでいた幸詩は、情けない位に涙目で抗議してくる。
「そんなこと言ったら、一生準備できないだろ。ちょっとブレたけどさ、良い写真、撮れたから見てみてよ」
俺はスマートフォンを幸詩に返し、ベランダに転がったペットボトルを拾い上げた。
少し意地悪なやり方だったのが、ここは少しでも考えさせては駄目だと思ったから、急かして勢いで写真を撮ったのだ。
「……ブレてる、俺が」
「動いたからだろ。ほら、幸詩の手も、ちゃんと写ってるじゃん」
うっすらと雲が浮かぶ茜色と空色のグラデーション、ブレること無い紙パックジュースを持つ俺の手と、躍動感の溢れるブレを披露したペットボトルと、辛うじて肌色で認識できる幸詩の手。
「まずは、第一歩じゃん」
「それは、そう」
なんだかんだ納得してくれた幸詩は、じっと写真を見ている。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「晴富、ありがとう。これからも、手伝ってくれ」
「わかった、その代わり、歌、聴かせてくれよ」
ペットボトルを幸詩に渡す。そして、桃の水をストローで一口飲む。甘いだけのぬるくてまずい桃の味が、何だか少しだけ美味しく感じた。