翌日の放課後、望月くんに頼まれた通り、俺は一階にある五組の教室に訪れた。
 後方の扉から教室を覗くと、見慣れない同級生たちが何人か残っている。俺が教室に足を踏み入れると、視線が一瞬こちらに集まった。

 窓際の一番前に、ひときわ背の高い望月くんがぼんやりと外を見つめていた。その傍らには、いつもの黒いギターケースが寄り添うように立てかけられている。

「望月くん!」
 俺が名前を呼ぶと、望月くんが振り向く。

「白石くん、ありがとう」
 教室の中で、数人の生徒が一瞬戸惑いの表情を見せた。

「喋った」「初めて声、聞いた」「友達いたんだ」
 なんとも散々なヒソヒソ声が聞こえてくる。望月くん、クラスでどんな生活しているのか、流石に心配なるレベルだ。
 望月くんの耳にも届いているのか、クラスメイトを視界に入れないように椅子から立ち上がり、ギターケースを背負うと早歩きでこちらへ向かってきた。

「ごめん、どこか……二人で話せる場所、ある?」

 いつもより早口で、緊張で声が少し震えているようだった。
 どこか切羽詰まった勢に、押されるがまま俺は「うん」と返事をした。

 俺たちは教室を出て、静かな廊下を歩く。望月くんは俯きながら、時節階段を上るたびに荒い息を吐きながら、彼の足音が重たく響いていた。そうして、隣の校舎の六階にある教室へとやってきた。

 ここは、俺が先月まで使っていた教室だ。

 あまりにも生徒数が増えたせいで、急遽屋上に追加した掘っ立て小屋と噂されている最上階。
 今年から新しい校舎が使えるようになったため、来年取り壊される予定だ。

 机の木目には数年分の傷跡がしっかりと刻まれており、窓から差し込む柔らかな光がうっすらと積み上がったほこりを浮かび上がらせていた。

「ここ、俺の先月までの席」
 俺が腰掛けたのは、窓側の席。
 広々としたガラス窓。周辺では最上階の場所で、和らいだ光が青い空一面に広がっていた。
 望月くんは、俺の前の席に腰を掛ける。その顔は少し疲れていた。

「六階まで、登ってたの?」
「勿論、しかも二年間。中二の時はここの隣のクラスね」
 俺の言葉を聞いて、あからさまに苦々しく眉間を寄せる。ギターを背負って六階は、流石にしんどかったようだ。すぐにギターバックを下ろすと、壁の方へと立てかけていた。

 
「それで、お願いって、どうしたの?」
 俺は少しだけ笑った後、本題を尋ねる。
 すると、望月くんは思い出したのか、ハッと口を大きく開けると、急に背筋をピンッと伸ばした。
 
「あの、白石くん……」
 変な緊迫感はまるで職員室に入っていく時のようで、何故か酷く畏まっているし、頬には汗がにじみ垂れていた。
 
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
 望月くんに優しく声をかけたが、一向に望月くんの肩は上がったままだ。
 
「ま、まず、さ……あの……」
 今度は一瞬視線を床に落とした、望月君は、迷うように口をはくはくと動かす。
 
「お、落ち着いて」
 こんなにも力が入って伝えるほど、大層なお願いなのだろうか。俺も何を言われるのかと、段々と怖くなってくる。
 望月くんは、気合いを入れるように自分の太ももを強く叩く。
 なんとも小気味よい肉の張り詰めた音が響いた後、息を整えるように、一度大きく息を吸い込んだ。
 そして、やっと口を開いた。

「白石くん……その、俺たち……」
「うん」

「友達になれないかな……?」
 
「ん? もう、友達でしょ?」
 正直、今更な願いだった。拍子抜けしてしまった俺の身体から、体から自然と力が抜けていった。

「え、そう……なの……」
「そうだよ」
 不安そうに聞き返してきたので、優しく同意する。望月君の顔から呼吸と共にこわばりがなくなり、安心したのか力が入っていた肩もゆっくりと下がっていく。

「じゃ、じゃあ、晴富(せいと)って呼んでもいいかな」
「勿論、俺も幸詩(こうた)って呼ぼうかな」

 名前を呼ぶと望月くんは満面の笑顔で「うん、うん」と相づちするから、なんだか可愛いなあと微笑ましくて心が温かくなる。

「で、早速、晴富にお願いがあって」
「お、なになに~」
 また新たなお願いがあるらしいが、先ほどよりも緊張感が抜けた様子のため、俺もゆるゆると続きを促す。

「この前さ、動画、撮られるの怖いって、話したと思うんだけど」
「そうだね」
 昔SNSの動画トラブルのせいで、トラウマになっていたと聞いていた。
 一体、どんなお願いだろうか。けれど、先ほどのお願いのが緊張していたように見えるため、そんなに難しいお願いではないだろう。気楽に構えていた俺に、幸詩が頭を下げた。

「俺のトラウマ克服、手伝ってほしい」

 友達になるよりも、遙かに高いハードルのお願いだった。