約束の放課後。
 下駄箱に向かうと、既に靴を履き替えた望月くんが、入り口の隅の方で高い身長を丸めて待っていた。目立たないようにしている彼の姿が異様だったのだろう、他の生徒たちは怪訝そうな顔でチラチラ見ながら、横をすり抜けていく。

「望月くん! 待った?」
 俺が声をかけると、望月くんは一瞬肩を揺らし、驚いたように一瞬視線を彷徨わせた。緊張からか、彼の指先は微かに震えているのが見える。彼は小さく手を振り返すものの、表情は硬いままだ。息を詰めたように静まり返る雰囲気が、二人の間に流れているのがわかる。
 とりあえず早く行かないと、自分の靴箱から取り出した通学用黒革ローファーを地面に落とす。パンと地面から乾いた音が広がるが、俺はお構いなしに乱雑に上履きを脱ぐ。
 ローファーをつま先部分を入れて、さっと上履きを拾い上げ靴箱にしまい、(かかと)部分を踏まないように浮かせながら望月くんの元へと歩く。

「ごめん、遅くなったよね。ちょっと、帰りの会、長引いちゃってさ」
「ううん、大丈夫。靴、ゆっくり履いて」
「ありがとう」
 望月くんが少し慌てた様子で微笑むのを見て、俺は靴をゆっくりと履き直す。沈黙がしばし続く中、俺は次の言葉を探しながらも、彼が緊張をほぐしてくれるのを待っていた。

「今日どこか行きたいところ、ある? 俺この辺、詳しいから」
 俺も少し気になっている昼間の件も。何かしら事情があるかもしれないので、俺から積極的に聞いてみる。

 望月くんは、数秒間黙った後、ゆっくりと口を開いた。

「……ちょっと、静かに話せるところがいいかな。あと、なんか食べたい」
「お! じゃあ、良いところある! 寄り道しよう!」
 俺はにっこりと笑って、昨日と同じように望月くんと共に正面玄関から出て行くと、駅とも昨日の道とも違う。いつもは駅に向かって坂を下るのとは反対に、上へと昇り始めた。

 学校から五分ほど歩いた場所に、俺には馴染み深い店がひっそりと佇んでいる。
『名物白い鯛焼き』と書かれたお店に、店の隣にはベンチだけが置かれた小さな広場。

「白い鯛焼き……?」
 不思議そうに呟いた望月くんに、俺は良いリアクションだと笑った。
「珍しいよねー、普通の鯛焼きもあるけど、白い鯛焼きも美味しいんだよ」
 紹介しながら近づくと、鯛焼き屋の店主のおじさんがこちらに気付いた。受付からひょこりと顔を出して、声をかけてきた。
「おう、坊主。久しぶりだな、学校帰りに来るなんて。友達かい?」
「そうです。ちょっと、食べながら公園で話そうかなって」
「いいねー青春だねぇ、あ、白い鯛焼き二つでいいか? 中身は何にする?」
 相変わらず元気な店主さんは、俺の母親曰くお世話になった部活の先輩だそうだ。二十年ほど前に脱サラをしてから、このお店でたい焼き屋を続けていると聞いている。
 一匹二百円、学生割引で百五十円。鯛焼きの中身は、定番の餡子とクリーム、季節ものの桜餡が今選べるようだ。

「俺は、クリーム。望月くんはどれ選ぶ?」
「俺もクリーム」
「クリーム二つね、あいよ」
 店主はそう言うと、既に焼かれていた鯛焼きを一つ一つ袋に包む。
 俺もなけなしの五百円玉を青色のコイントレーに乗せた。望月くんは、俺に百円玉と五十円玉を手渡した。

「そうそう、今度出すベビー白カステラも入れといてやっから、おまけおまけ」
 それぞれの袋に小さな熊の形のベビーカステラが一つずつ。店主の「まいど! 青春して来いよ!」という言葉を背に、ベンチの方へと移動した。広場には俺たち以外誰もおらず、とても静かである。

「鯛焼き、食べよっか」
「うん」
 二人で白い鯛焼きを食べはじめる。俺はいつも通り、頭から齧りついた。
 白い鯛焼きは、ただ白いだけではない。タピオカ粉を混ぜ込んだモチモチとした弾力のある生地が特徴的。外はパリッ、中はもちもち。もったりとタマゴ感が強いカスタードの甘さが凄く好きだ。望月くんも、一口食べるたびに表情が少しずつ和らいでいくのがわかった。
 無言の中で食べ終えた俺は、まだ大きい一口でゆっくりと食べている望月くんに声を掛けた。

「鯛焼き、美味しい?」
「……なんか、不思議。美味しい」
 ぎこちなく話す望月くん。最後の尻尾を口に入れて飲み込むと、申し訳なさそうに俺に向かって深々と頭を下げた。
「あの、昼、ごめん。勝手に来たのに、勝手に帰って」
 思っていたよりも、今日の昼のことを気にしていた。
「大丈夫大丈夫!」
 望月くんの肩を、子供をあやすように優しく摩る。顔を上げた望月くんは、まるで捨て猫のような強ばった表情で俺を見上げる。怖がられないように俺は「本当に大丈夫だから」と念を押せば、顔の強ばりが解けていく。

「何か顔色が悪かったから大丈夫かなって」
「心配かけて、ごめん」
「謝らなくても大丈夫だって。でも、もし話せるなら理由を聞いてもいい?」
 またしても、頭を下げる望月くんに、優しく問い掛ける。望月くんは、しばし考えた後、静かに口を開いた。

「俺、実は……スマートフォンのカメラが怖くて」
 意外な言葉だった。

「なんか、あったかんじ?」
「……俺、去年、知らないうちに撮られた動画がSNSでバズっちゃって。面白半分で色々な人にいじられて……怖くて学校にも行けなくなったんだ。」
 望月くんは遠くを見るような目をして、小さくため息をついた。彼の声には、未だ消えない傷跡の痛みが滲んでいた。
 
「そっか……」
俺は何か言葉を探したけれど、気休めの言葉なんて簡単に出てこない。こんな時、どうすれば彼の痛みを和らげられるんだろう。俺はただ頷くだけしかできなかった。
 スマートフォンによるトラブルは、身近な人達内だとしても多くなってきた。俺の中学二年までいた()()()も一人、兄弟が上げたSNSの動画が炎上したせいで、色々あって転校してしまった。
 望月くんもまた、彼と同じように巻き込まれてしまったのだろう。俺のクラスで撮影していたのを見て、トラウマを思い出して逃げ帰ってしまったのだろう。

「俺のクラス、女子たちがSNS頑張っててさ、もしかしたら昼休みは来ない方がいいかも」
「そうか……」
 ようやく出てきた返しは、彼をフォローするモノではなかった。しかし、また俺のクラスに来て、嫌な思いを望月君にしてほしくなかった。

 本来注意出来たら良いのだが、うちのクラスの女子たちでも動画撮影しているのは注意をしたところで聞いてくれるわけがない。
 なので、現状を正直に述べると、寂しそうに肩を落とす望月くん。
 まさか、落ち込むほど俺と会えるのを楽しみにしてくれているとは。

「でも、放課後は一緒に帰れる時帰ろう」
「いいの?」
「勿論!」
 望月くんは驚いたように一瞬固まった後、安堵したように小さく微笑んみ、大きく何度も頷く望月くん。
 その姿がなんだか可愛らしくて、俺も自然と顔がほころんでしまった。