二人で肉まんを食べに行った翌日の昼休み。
 高校一年生になって、初めてのまともな授業を続けて受けた俺は、高田と松下と三人で過ごしていた。

「あぁ、毎日がオリエンテーション日が良いぃ」
 げっそりと高田は頭を抱え唸りながら、購買で買った焼きそばパンに齧り付く。

 俺も冷凍食品のコロッケを頬張りながら、同意するように頷いた。母親お手製の冷凍食品、ブロッコリー、焼いたウィンナー、甘い卵焼きを詰めた弁当箱。
 冷凍食品は人類と食品会社の叡知だ。クリームの中に柔らかコーンのぷちゅっとした歯触り、甘さと風味は良い。焦げ目のついたウィンナーも、ケッチャップという人類の宝との相性が抜群、トマトのもったりとした酸味は何度だって味わいたい。
 うちの卵焼きは、完全に母親の趣味。生クリームに、砂糖、隠し味のマヨネーズ。ふんわりと玉子の風味が広がる、我が家の味である。
 玉子海苔ふりかけもまた、特別である。毎日好きなふりかけを選び、気分で変えられる魔法だ。

 さて、自慢の弁当はここまでにして。
 高校一年生に進学してから、約一週間。基本的には学校の説明や、教科書の配布、各教科担任による説明などのオリエンテーションが殆どを埋め尽くしていた。
 一日全て普通の授業というのは、約一ヶ月ぶり。
 げっそりと疲れたままご飯を頬張る俺と高田の隣で、松下だけな何も変わらない。

「日頃勉強してないからだ。俺はオリエンテーション中でも欠かさずやっていた」
 自慢げな口振りで俺たち二人を鼻で笑いながら、コンビニで買った冷やし中華をずるりと啜る。中華だしと黒酢の良い匂い。
 ただ、偉そうな松下には、一言申したい。

「だからといって、世界史のオリエンテーション中に教科書の年号が正しいかって、質問するやつがいるか!」
「最近の研究で年号が変わったとニュースになっていたから、確認しただけだ」
 俺の指摘にも、松下は涼しい顔で冷やし中華の汁を飲み干す。質問された新任の先生の笑顔は、まさか自分の渾身の自己紹介を聞いていなかった事に、しっかりと引き攣っていた。
 俺はブロッコリーを一口食べる。塩コショウが良く合うお味だ。

 クラスをチラリと見渡すと、やはり内部進学組。中学の頃と光景は変わらず、それぞれが仲良い人達と連んでいる。女子の一部は最近は毎日ショート動画サイト『ミニッツ』で人気の音楽をかけ、簡単なダンスを踊っているのを撮り合っていた。今も、皆でカウントを取りながら練習している。
 対して、校庭からは貸し出しボールで遊ぶ男たちの声が聞こえた。
 元気だなあと思いつつ、紙パックのヨーグルトドリンクを飲む。

 あとご飯一口、楽しい弁当の時間も終わりだ。
 箸で掬い、口の中に放り込んだ。
 俺が名残惜しい気持ちのまま咀嚼をしていると、焼きそばパンを食べ終えた高田が、教室の後ろ側の扉を見ながら怪訝そうに顔をしかめた。

「あれ、外部生じゃね?」
「外部生?」
 なんとまあ珍しいなと、俺もその視線を辿った。
 同じ棟の校舎でも、毎年高校一年の内部生のクラスは一番上の四階で、外部生は一階と別れている。この校舎には理科室や音楽室、美術室などの教科用の部屋がある関係で、一学年七クラスから九クラスを詰められないから。
 そして、内部生は学校に慣れているからと、不便な最上階に設定されているというわけだ。

 そんな不便な四階を尋ねてきたのは、俺は視線で捉えた人を見て驚いた。

「望月くん?」
 そう、昨日肉まんを食べた望月くんだった。
 どこか居心地悪そうに身体を縮こめる望月くんは、ようやく俺と視線が合ったからか、少しばかり安心した面持ちで小さく手を振る。俺も勿論手を振り返した。

「えっ、晴富の知り合い?」
「いつの間に」
「そう! 望月くん。ちょっと行ってくる」
 高田と松下は流石に驚いたのか、俺と望月くんの交互に視線を行ったり来たりさせる。
 基本的にまだ内部生と外部生の交流は少ないため、まさか繋がりが出来ていたとは思わなかったのだろう。

 俺は弁当を軽く片付けて、教室の外で待つ望月くんの元へと駆け寄った。
「望月くん、昨日ぶり。どうしたの?」

 俺が尋ねると、望月くんは少しばかり恥ずかしそうに俯き、蚊の鳴くような声で囁いた。
「昨日ぶり。白石くんと話したいなって、思って」
「えっ! 本当に! わぁ、話そう話そう!」

 俺と話したいからと、四階まで上ってきてくれたという事実。
 嬉しさに押されるがまま大声を出してしまった俺は、あまりの音量に驚き顔を上げる望月くんに、早速話題を投げた。

「お昼食べた? 俺、今日コロッケだったんだ!」
「……ッ! い、いいね、俺はコンビニの昆布おにぎり食べたよ」
「それも最高だね! 明日昆布のふりかけにしよ~」
  はり、昼休みと言えば、ご飯なので。
 望月くんは少し吹き出すと、優しいからかちゃんと回答してくれる。おにぎりだけは少なく感じるが、体調不良だったので、まだまだ本調子ではないのだろう。

「俺も、今夜、コロッケにしようかな」
「いいじゃん、いいじゃん」
 でも、コロッケになればエネルギーも増えるし、俺は安心した気持ちで親指をぐっと立てる。俺の行動が面白かったのだろう、望月くんも同じように親指を立てた。

 その時だった。

「じゃあ、本番撮るよー」
 クラスの女子の声が、背中側から聞こえた。
 またいつもの撮影かと、俺は気にも止めなかったのだが、目の前の望月くんは違った。
 彼の視線は、まるで凶器を突きつけられたかのように女子たちのカメラに固定されていた。その瞬間、顔から血の気がさっと引き、彼の手は無意識に震えながら顔を覆い隠していた。まるで、凶器から身を守るかのように。

「も、望月くん?」
 突然の出来事に、俺は彼の名前を咄嗟に呼んだ。彼の普段とはまるで違う様子に、ただ見守ることしかできない。何がそんなに望月くんを怯えさせたのだろう。心の中で答えの出ない問いが繰り返されるばかりだった。

「ごめん、本当にごめん、放課後話そう」
 望月くんはか細い声で謝ると、足早に教室の出口へと向かった。そして、俺が声をかける間もなく、影のように消えていった。
 後ろから流れる軽快な流行のテクノポップと、あまりにも合わない展開だった。

 あまりの急な変化だったため、困惑したままの俺は何も出来ず呆然としたまま、足早に小さくなっていく望月くんの背中を見送る。

 一体、何が起きた。今、何かから逃げたよね。
 
 女子たちは、楽しげに自分たちが撮影した動画を確認している。
 俺はよく分からず、首を傾げながら、高田と松下の方を向いた。俺と望月くんのやりとりを見ていただろう二人は、思いっ切り眉間に皺を寄せている。

 高田は眉間に深い皺を刻みながら、俺に向かって肩をすくめた。
 「オマエ、振られたわけじゃないよな? それにしても、あの反応はおかしいだろ」
 
 松下も難しい顔をしながら一言「あいつ、大丈夫か?」と呟いた。

「もしかしたら、体調悪くなったのかもしれないし、放課後も話したいって言ってたし」
 高田は俺の返答に対して、「ナメられたら言えよ」とまるで不良漫画のような台詞を吐き、不満げに腕を組んだ。松下は無言で頷くだけだったが、その眉間には深い皺が刻まれていた。
 俺はどうにか宥めつつも、何があったのかと心配に思いながら、自分の席に戻った。
 授業が始まっても、俺の頭からは望月くんの青ざめた顔が離れなかった。
 教科書を開いたまま、俺はぼんやりと彼のことを考えていた。

 放課後、彼が普段の彼でいてくれたらいいのに……そんな思いが心の中を繰り返し巡っていた。