あの後、望月くんとは校門前の坂を下る。すでに暗くなっており夜風が冷える中、明かりの点いたカフェやマンション、商業ビルが立ち並ぶ道を、ゆっくりと雑談をしつつ最寄り駅まで向かう。話しているうちに、あの寂しげな表情は次第に解けて、楽しそうに相づちをしてくれた。
 その後、お互い乗る電車は逆方向だったこともあり、駅構内で連絡先も交換をして、またねと別れた。

 家に帰ってからメッセージで『お大事に、ゆっくり休んでね』と送ると、翌日にギターアイコンの望月くんから『ありがとう、本当に助かった。パンも美味しかった』と、お辞儀するネコのスタンプと共に返信がきた。
 彼らしい短いメッセージに、俺の心はほんわりと温かくなり、役に立っていたのだと自然と頬が緩んだ。
 その様子を見ていた母からは、「なに? 好きな子でも出来た?」と余計な茶化しをされ、思春期の俺的に鬱陶しかったけれど。
 でも、なんで、寂しそうだったのだろう。理由を尋ねる勇気は出会ったばかりの俺には無く、少し引っかかりを覚えながら眠りについた。

 週末は特に望月くんから何も返信もなかったが、あの体調の悪さから寝込んでいるのだろうと、気にせず「早く良くなるといいな」とそっとしておくことにした。
 そして、貴重な休日はあっという間に過ぎて、週明けの月曜日になった。
 高等部一年二組の帰りの会は、四月とは思えないほどにだらけきっていた。

「まったく、()()()()()だからって、もう少し緊張感を持ちなさいよ」
 教壇にいるおかっぱ頭のおばあちゃん先生が、呆れたように俺たちを見下ろす。
 二組担任であり数学教師の松本(まつもと)千代(ちよ)先生だ。

 そして、先生が言うとおりクラス全員、中等部から進級してきた内部進学クラス。新一年生というフレッシュさや、緊張感は少しも感じられない。

「千代ちゃあん、仕方ないじゃん。俺たちこの学校、()()()だぜぇ?」
「お黙り!」
 教卓前に座るクラスのお調子者は、けらけらと楽しげに笑っている。
 本当に全く変わらない光景だなあとしみじみしつつ、手元にある一枚の紙――部活仮入部届へと視線を移した。

「仮入部届は金曜日までに部活顧問の先生か部長に必ず提出しなさいよ。分かってると思うけど、校則で部活入部は強制だからね」
 そう、この学校は文武両道が掲げられており、生徒全員1つ以上の部活に所属しなければならない。
 まあ、俺たち内部進学組は、基本的に中等部時代と同じ部活に入ることが殆どだ。

「今日の帰りの会は以上、日直号令を」
 日直による閉会の合図である号令が終わるやいなや、我先にと教室を飛び出していくクラスメイトたち。今日から仮入部期間開始なのもあり、かなりやる気に満ちあふれ、闘志むき出しで瞳を輝かせていた。
 教室の中から廊下をうるさく駆けていく彼らの背中を見ながら、俺はどうしても眩しくて、()()()()感じてしまう。
 だって、俺にはあんな風に夢中になれるものがないから――。

「おい、晴富、なあに黄昏れてんだ」
 
「わっ! びっくりした!」
 急に声をかけてきたのは、クラスメイトであり仲良い友人の一人である高田(たかだ)拓海(たくみ)だった。
 春休み中に髪を脱色していたせいで、不自然なほどに黒染めされたツーブロックはつんつんと逆立っている。将来はファッション関係の仕事をしたいらしく、ヘアや服への探究心が凄い。
 しかも、髪を染めるのは校則違反だというのに、相変わらず破天荒な人である。

「まあ、ほら、夢がある若者っていいなあ、なんて」
「なぁに、じいちゃんみたいなこと言ってんだ」
 物言いは常に辛辣だが、しっかりと小ボケにも対応してくれるところは優しい。
 高田の後ろに居るもう一人の友人なんて、つまらなさそうに何かしらの書物を読みながら我関せずな様子だ。

「それ、教科書だよね?」
「そ、生物の」
 ぶっきらぼうに答えた松下(まつした)真一(しんいち)は、暇な時間はこうやって勉強に打ち込んでいる。本人曰く、医者になるための効率を考えたら、このスタイルに行き着いたとのことだった。
 成績だけは優等生と先生達から称されるほどに、自他共に認める効率厨なのだ。

「さあ、さっさと行って、さっさと帰ろーぜー」
 やる気の無い高田についていくように、俺と松下も教室から出て行く。

「帰りにさ、隣駅に新しくできたドーナッツさ、買いにいかない。今日だけオープン記念に半額なんだって」
「カラーバターめっちゃいいの使ったから金欠~」
  宿題用のドリル、今月で終わらせたいからパス」
 少し食いしん坊なだけの普通な俺と、破天荒な高田、ガリ勉の松下。
 こんなバラバラな僕たちが仲良くなったきっかけは、それこそ三人が所属する部活だ。

 隣の棟の教室、高等部三年の教室に来た俺たち三人は来ていた。
「はーい、仮入部届受理しました」
 仮入部届を受け取って、気が抜けたように説明するのは四年間お世話になっている先輩であり、今年の『ボランティア部』の部長だ。

「いつもどおり、好きな感じで参加してくれればいいから」
 様々な部活がある中で、学校で一番緩い部活。
 何故なら、ボランティアとは主に地域の人たちとスケジュールを決めて行う活動のため、活動頻度がどうしても少ない。また、文化祭や体育祭も運営のお手伝いはするが、シフト制のため拘束時間も短い。
 さらには定員制限されているボランティア活動も多いし、一年の内に何かしらに参加すればボランティア活動として内申書に書けるという利点付き。
 部活に関心がない、内申点を上げたい、そんな生徒には格好の部活なのだ。

「じゃ、今年もよろしく~」
「よろしくお願いします」「よろしゃす~」「はい」
 いつもどおり緩い部長に、俺たちもそれぞれの挨拶を返す。
 
「白石以外まともに挨拶できないのも、いつも通りだね」
 呆れ気味に笑った部長へ別れを告げ、俺たちは下駄箱へ向かった。
 しかし、道途中で高田が松本先生に捕まった。どうやら、春休みに脱色していたのがバレたらしく、生徒指導室へと連行された。
 また、松下も「質問出来たわ」と言い放ち、さっさと職員室へと向かっていく。言葉を省略しすぎているが、先生に何か確認したい内容があるのだろう。
 意図せず一人きりになった俺は、仕方ないからドーナッツは一人で買いに行こうと、下駄箱に足を踏み入れた。 かなり広めに作られた下駄箱には、金属の靴箱から錆びたような開閉音が聞こえ、制服や運動着の生徒たちが会話しながら、ひっきりなしに行き交う。
 その中で、少し奥にギターバックを背負った見覚えのある大きな背中を見つけた。

「あ、望月くん、先週ぶり!」
 偶然会えた嬉しさによる勢いのまま呼んだせいで、思ったよりも声が響いた。
 望月くんはハッと身体を跳ねさせ、こちらを振り向いた。驚いた様子で目を見開いていたが、回の時のような今にも倒れそうな雰囲気はなく、白いマスクを着けているものの顔色は随分と良くなっていた。

「ど、どうも、白石くんも……帰るところ?」
 やはり喉の調子が悪いのだろうか、声量は小さく随分と言葉のつまりを感じた。
 まだ完全に治ってないみたいだけど、初めて会った時よりは随分マシになってた。

「うん。で、帰りがてら寄り道して、ドーナッツでも買いにこうかなぁって」
 元気になって良かった、少し安心だと思いつつ、寄り道の予定を伝える。
 すると、不意に望月くんは急に動きを止めた。俺が見上げると、彼もまた俺を見ていた。
 一瞬の沈黙が続いた後、彼の視線を通じて俺はようやく気付いた。

「一緒に、買いに行く?」
 多分一緒に買いに行きたいのかなと、合っているか少しドキドキしながら誘ってみた。望月くんは暫し俺の目を見て、嬉しそうに微笑むとゆっくり控えめに頷いた。
 俺は予期せぬドーナッツのお供の登場に、嬉しさのせいか先ほどよりも世界が明るくなり、望月くんがキラキラと輝いて見えた。