なんとかタコスを口の中に押し込んで、軽音部が演奏している体育館へとやってきた。
第二体育館は、第一体育館よりも半分の大きさで、テニスコートが二面ほどの大きさ。小さな舞台も用意されており、スポットライトの下で既に軽音部の人達が演奏をしていた。
音響は反響し、シャウトし続けているせいか、少し耳が痛い。暗い観客席側にはバンドメンバーの友人たちやご家族などかなり賑わっており、学生らしい歓声が至る所から聞こえてくる。
「松下、今はウィーアーウォーリアってグループ名だけど、タイムテーブルどうなってる」
「自分で調べろよ、あー……あと五バンドくらいだな」
今だもぐもぐしている俺の代わりに、何故か高田と松下がステージ上のめくり台に書かれたグループ名と、パンフレットを照らし合わせて確認してくれる。
もっと遅いかと思っていたが、意外と巻いていたようだ。
「チーム一曲ずつか」
「って、幸詩から聞いてる」
松下の質問に答える。男三人、体育館の一番後ろで小さくなりながら、俺は辺りを見渡した。
体育館の中は、スマートフォンでの撮影を禁止されているため、誰一人撮影したりしていない。
よかった。
幸詩のトラウマはよく知っているからか、ルールはあるとはいえ、少しばかり気になっていたのだ。
そうこうしている間に、音楽が一旦終わりを迎える。静まり返った場内に、新たなバンドのメンバーが準備を整える音が響く。
その時だった。
「晴富」
辺りを見渡していると、誰かが俺の名前を呼んだ。振り返ると、そこにはギターバッグを背負った幸詩が立っていた。目が合った瞬間、幸詩の瞳が一瞬大きく開かれ、口元がわずかに引き締まる。
彼の周りには、桜井さんと前に一緒に幸詩を誘いに来ていた子たちもいた。
「幸詩」
「返信なかったから……体調、大丈夫?」
「ご、ごめん。朝、早くて」
「ああ、朝誘導してたもんね」
どうやら朝の雑用中を目撃されていたようだ。朝の受付や誘導はかなり忙しく、準備もろとも色々な事に気を配る余裕はなかったので気づけなかった。
ちらりと幸詩の目を伺う。長い前髪の合間から見えた瞳は、どこか不安そうに揺らめいている。視線を落とせば、ギターバッグを握る幸詩の手が、小さく震えていた。
今ステージの上にいる、誰かの歌声がどんどんと遠のいていく。
俺は幸詩の肩に両手を乗せる。
ぐだぐだと悩んでいた俺よりも、幸詩は今真剣に勝負に挑んでいるのだ。ならば、俺は、俺に出来ること。
「大丈夫。終わったら、美味しいもの食べに行こう」
先ほどまでくよくよしていた俺が言うことではないけれど、どうにか笑顔を咲かせて、幸詩に伝えなきゃと思ったのだ。
「……ありがとう、美味しいもの食べよう」
幸詩は肩に置いた俺の手に、軽く頭を乗せるとぎこちないが頰笑む。暗い中のスポットライトの漏れ光が、優しく幸詩の輪郭を浮かび上がらせた。
ごちゃごちゃとなっていた頭が、急にすっとクリアになっていく。
ああ、好きだ。
もう、認めるしかない。
思わず見つめ合う俺たちだったが、幸詩の背中側から桜井さんが声を掛けた。
「望月くん、スタンバイしにいかないと、先輩たちに怒られるよ」
「……わかった。晴富、また後で」
桜井さんに引っ張られるように、ステージ裏へと向かった。
俺は幸詩の背中をひたすら視線で追う。桜井さんと一緒に居るのは、どうしても心は苦しくなる。
けれど、なにがどうあれ、今は幸詩がステージを無事に終えることを願うべきなのだ。
「おーい、現実に戻れ」
「あいつ、相変わらず白石しか見えてねぇな」
隣から松下と高田の声が聞こえる。俺はただ幸詩の出番をまった。
待つ時間は長いようで、短い。
めくり台が捲られて、幸詩と桜井さんのグループである『山川桜望』の紙が出てくる。
一度暗転したステージ、薄らと浮かぶ影となった各々が自分の機材の準備を始めている。影の中には、幸詩もいた。
それぞれがチューニング音が、ばらばらと重なりあう。
音が止まり、一呼吸。真ん中に立つ小さな影が、手を上げた。
スポットライトが中央に立つメンバーを照らす。
大きな歓声と、口笛と、拍手が鳴り響く。
光の中、最初に現れたのは、中央に立って手を上げるベースボーカルの桜井さん。赤いベースが厳つさがよく似合っている。
ただ、俺の視線は上手側に立つ長細い影に注がれる。
「高校一年でバンドを組んだ山川桜望です! 今日はよろしくお願いします!」
桜井さんの可愛らしい声がマイクを通して、会場内に広がる。やはり愛らしい彼女だからだろう、色めき立つ会場。俺は静かにギターに手を添える身長の高い男――幸詩の姿を見つめていた。
たしか、選曲はこの前歌ってくれた『君に捧げる歌』だったはず。
あれを聴けば、皆、幸詩に惚れるだろう。
俺が固唾をのんで見守っていると、目配せをした桜井さんのタイトルコールが響く。
「それでは聞いてください。ザゴーズヘルで『青い鳥』」
あれ、違う。
この前の曲だと思っていたので予想を裏切られた俺は、思わず目を見開く。
しかし、そんな些細な驚きは簡単に拭い去る。
軽快なドラムのカウントと共に、柔らかなエレキのギターサウンドがなり始める。
メロディーは軽快なポップスよりのロックは、鼓動をどんどんと加速させる。
勿論弾いているのは、幸詩。いつもよりも身体に力が入っていて、動きは固いが完璧な指裁きだ。
そのギターサウンドに、サブギターのベースがドンドンと重なり、重厚感が出てくる。
そして、透明で真っ直ぐな光のような桜井さんの歌声が、青い鳥を求めて空を飛んでいく。
爽やかだけれど、青春の痛みのある歌詞。
幸せや、夢を、模索する人の歌。
観客席は静まり、皆一様に桜井さんの歌へ聴き入る。
ただ、幸詩は少しも歌うことは無く、たまにコーラスとして桜井さんの歌声を支えるだけだ。
しかし、ギターだけでもわかる。一人だけレベルは違う、ギターサウンドの一音一音に感情が宿っている。ソロパートの絶対難しそうなところも、難なく弾きこなしている。
弦を見る幸詩の視線、揺れる前髪、険しい表情が少しずつ和らいでいく。
遠いはずなのに、はっきりと見えた。
楽しそう、輝いている、かっこいい、きらきら、ああ好きだ。
幸詩への気持ちが、溢れては光や音の中に溶けていく。
素晴らしい演奏は、名残惜しいと思うほどにすぐに終わる。
終わった後の刹那の静寂。
なんで一曲だけなのだと、心の底から次を欲しがってしまう。心地よい余韻。
そして、気づけば、溢れんばかりの気持ちを伝えるように、俺は手を鳴らした。
周囲の人たちも連なって、大きな拍手と歓声が広がる。
その反応を受けて、深々とお辞儀する四人。
俺は気付けば、舞台の袖へと足早に駆けていく。高田と松下の制止の声も聞こえたが、衝動のまま彼らが退場する方へと向かった。
今日のトリを務める三年生のバンドが演奏を始める中、舞台袖の出入り口前で立っていると、ギターを背負った幸詩が出てきた。
「晴富」
幸詩の低めの声が俺を呼び、俺の全身がぼっと熱くなる。
「幸詩、凄いよかったよ!」
俺が大声で褒めれば、幸詩は照れくさそうに「良かった」と言いながら、俺の方へと近づこうとした。
しかし、その前に観客の一部が幸詩へと駆け寄った。
「望月、すげぇじゃん!」
「あのギターソロ、やばすぎ」
「こりゃ、桜井さんも追っかけ回すわ!」
「めちゃくちゃかっこよかったです!」
部活仲間かクラスメイトかはわからないが、幸詩の周りにあっという間に人集りが出来た。幸詩は驚いたのか、身体を硬直させ、視線を彷徨わせる。
俺は、戸惑う幸詩に手を伸ばし、がしっと腕を掴んだ。
「晴富……?」
あまりの急な俺の行動に驚いた幸詩が、呆気にとられた様子で俺の名前を呼ぶ。他の人達も、不思議そうに俺を見る。
「ご、ごめん」
その多くの視線に怖じ気づいた俺は、勢いのまま掴んだ腕を放し、申し訳なさと恥ずかしさで顔を赤く染めながら後退る。
「俺、クラスの出し物の当番あるから行くね……!」
そして、また逃げるように第二体育館から走り去った。
第二体育館は、第一体育館よりも半分の大きさで、テニスコートが二面ほどの大きさ。小さな舞台も用意されており、スポットライトの下で既に軽音部の人達が演奏をしていた。
音響は反響し、シャウトし続けているせいか、少し耳が痛い。暗い観客席側にはバンドメンバーの友人たちやご家族などかなり賑わっており、学生らしい歓声が至る所から聞こえてくる。
「松下、今はウィーアーウォーリアってグループ名だけど、タイムテーブルどうなってる」
「自分で調べろよ、あー……あと五バンドくらいだな」
今だもぐもぐしている俺の代わりに、何故か高田と松下がステージ上のめくり台に書かれたグループ名と、パンフレットを照らし合わせて確認してくれる。
もっと遅いかと思っていたが、意外と巻いていたようだ。
「チーム一曲ずつか」
「って、幸詩から聞いてる」
松下の質問に答える。男三人、体育館の一番後ろで小さくなりながら、俺は辺りを見渡した。
体育館の中は、スマートフォンでの撮影を禁止されているため、誰一人撮影したりしていない。
よかった。
幸詩のトラウマはよく知っているからか、ルールはあるとはいえ、少しばかり気になっていたのだ。
そうこうしている間に、音楽が一旦終わりを迎える。静まり返った場内に、新たなバンドのメンバーが準備を整える音が響く。
その時だった。
「晴富」
辺りを見渡していると、誰かが俺の名前を呼んだ。振り返ると、そこにはギターバッグを背負った幸詩が立っていた。目が合った瞬間、幸詩の瞳が一瞬大きく開かれ、口元がわずかに引き締まる。
彼の周りには、桜井さんと前に一緒に幸詩を誘いに来ていた子たちもいた。
「幸詩」
「返信なかったから……体調、大丈夫?」
「ご、ごめん。朝、早くて」
「ああ、朝誘導してたもんね」
どうやら朝の雑用中を目撃されていたようだ。朝の受付や誘導はかなり忙しく、準備もろとも色々な事に気を配る余裕はなかったので気づけなかった。
ちらりと幸詩の目を伺う。長い前髪の合間から見えた瞳は、どこか不安そうに揺らめいている。視線を落とせば、ギターバッグを握る幸詩の手が、小さく震えていた。
今ステージの上にいる、誰かの歌声がどんどんと遠のいていく。
俺は幸詩の肩に両手を乗せる。
ぐだぐだと悩んでいた俺よりも、幸詩は今真剣に勝負に挑んでいるのだ。ならば、俺は、俺に出来ること。
「大丈夫。終わったら、美味しいもの食べに行こう」
先ほどまでくよくよしていた俺が言うことではないけれど、どうにか笑顔を咲かせて、幸詩に伝えなきゃと思ったのだ。
「……ありがとう、美味しいもの食べよう」
幸詩は肩に置いた俺の手に、軽く頭を乗せるとぎこちないが頰笑む。暗い中のスポットライトの漏れ光が、優しく幸詩の輪郭を浮かび上がらせた。
ごちゃごちゃとなっていた頭が、急にすっとクリアになっていく。
ああ、好きだ。
もう、認めるしかない。
思わず見つめ合う俺たちだったが、幸詩の背中側から桜井さんが声を掛けた。
「望月くん、スタンバイしにいかないと、先輩たちに怒られるよ」
「……わかった。晴富、また後で」
桜井さんに引っ張られるように、ステージ裏へと向かった。
俺は幸詩の背中をひたすら視線で追う。桜井さんと一緒に居るのは、どうしても心は苦しくなる。
けれど、なにがどうあれ、今は幸詩がステージを無事に終えることを願うべきなのだ。
「おーい、現実に戻れ」
「あいつ、相変わらず白石しか見えてねぇな」
隣から松下と高田の声が聞こえる。俺はただ幸詩の出番をまった。
待つ時間は長いようで、短い。
めくり台が捲られて、幸詩と桜井さんのグループである『山川桜望』の紙が出てくる。
一度暗転したステージ、薄らと浮かぶ影となった各々が自分の機材の準備を始めている。影の中には、幸詩もいた。
それぞれがチューニング音が、ばらばらと重なりあう。
音が止まり、一呼吸。真ん中に立つ小さな影が、手を上げた。
スポットライトが中央に立つメンバーを照らす。
大きな歓声と、口笛と、拍手が鳴り響く。
光の中、最初に現れたのは、中央に立って手を上げるベースボーカルの桜井さん。赤いベースが厳つさがよく似合っている。
ただ、俺の視線は上手側に立つ長細い影に注がれる。
「高校一年でバンドを組んだ山川桜望です! 今日はよろしくお願いします!」
桜井さんの可愛らしい声がマイクを通して、会場内に広がる。やはり愛らしい彼女だからだろう、色めき立つ会場。俺は静かにギターに手を添える身長の高い男――幸詩の姿を見つめていた。
たしか、選曲はこの前歌ってくれた『君に捧げる歌』だったはず。
あれを聴けば、皆、幸詩に惚れるだろう。
俺が固唾をのんで見守っていると、目配せをした桜井さんのタイトルコールが響く。
「それでは聞いてください。ザゴーズヘルで『青い鳥』」
あれ、違う。
この前の曲だと思っていたので予想を裏切られた俺は、思わず目を見開く。
しかし、そんな些細な驚きは簡単に拭い去る。
軽快なドラムのカウントと共に、柔らかなエレキのギターサウンドがなり始める。
メロディーは軽快なポップスよりのロックは、鼓動をどんどんと加速させる。
勿論弾いているのは、幸詩。いつもよりも身体に力が入っていて、動きは固いが完璧な指裁きだ。
そのギターサウンドに、サブギターのベースがドンドンと重なり、重厚感が出てくる。
そして、透明で真っ直ぐな光のような桜井さんの歌声が、青い鳥を求めて空を飛んでいく。
爽やかだけれど、青春の痛みのある歌詞。
幸せや、夢を、模索する人の歌。
観客席は静まり、皆一様に桜井さんの歌へ聴き入る。
ただ、幸詩は少しも歌うことは無く、たまにコーラスとして桜井さんの歌声を支えるだけだ。
しかし、ギターだけでもわかる。一人だけレベルは違う、ギターサウンドの一音一音に感情が宿っている。ソロパートの絶対難しそうなところも、難なく弾きこなしている。
弦を見る幸詩の視線、揺れる前髪、険しい表情が少しずつ和らいでいく。
遠いはずなのに、はっきりと見えた。
楽しそう、輝いている、かっこいい、きらきら、ああ好きだ。
幸詩への気持ちが、溢れては光や音の中に溶けていく。
素晴らしい演奏は、名残惜しいと思うほどにすぐに終わる。
終わった後の刹那の静寂。
なんで一曲だけなのだと、心の底から次を欲しがってしまう。心地よい余韻。
そして、気づけば、溢れんばかりの気持ちを伝えるように、俺は手を鳴らした。
周囲の人たちも連なって、大きな拍手と歓声が広がる。
その反応を受けて、深々とお辞儀する四人。
俺は気付けば、舞台の袖へと足早に駆けていく。高田と松下の制止の声も聞こえたが、衝動のまま彼らが退場する方へと向かった。
今日のトリを務める三年生のバンドが演奏を始める中、舞台袖の出入り口前で立っていると、ギターを背負った幸詩が出てきた。
「晴富」
幸詩の低めの声が俺を呼び、俺の全身がぼっと熱くなる。
「幸詩、凄いよかったよ!」
俺が大声で褒めれば、幸詩は照れくさそうに「良かった」と言いながら、俺の方へと近づこうとした。
しかし、その前に観客の一部が幸詩へと駆け寄った。
「望月、すげぇじゃん!」
「あのギターソロ、やばすぎ」
「こりゃ、桜井さんも追っかけ回すわ!」
「めちゃくちゃかっこよかったです!」
部活仲間かクラスメイトかはわからないが、幸詩の周りにあっという間に人集りが出来た。幸詩は驚いたのか、身体を硬直させ、視線を彷徨わせる。
俺は、戸惑う幸詩に手を伸ばし、がしっと腕を掴んだ。
「晴富……?」
あまりの急な俺の行動に驚いた幸詩が、呆気にとられた様子で俺の名前を呼ぶ。他の人達も、不思議そうに俺を見る。
「ご、ごめん」
その多くの視線に怖じ気づいた俺は、勢いのまま掴んだ腕を放し、申し訳なさと恥ずかしさで顔を赤く染めながら後退る。
「俺、クラスの出し物の当番あるから行くね……!」
そして、また逃げるように第二体育館から走り去った。