「おい、しっかりしろ」
「だめだ、屍のようだ」
 文化祭初日の土曜日、本日は家族。
 朝のシフトを終えた俺は、クラスの展示スペースの裏でぼうっと空を仰いでいた。昨日の曇り模様はどこへやら、窓ガラスの向こうには雲一つない空が広がり、目覚めるような青色がやけに目に痛いほど憎々しく見えた。
 はあ、っとため息を吐く。外の天気とは違って、今も俺の心の中では分厚い曇がぐるぐると渦巻いていた。

 入場者の案内している時は、本当に忙しくて、作業に集中出来て良かった。
 終わって暇になった途端に、昨日のことを思い出してしまう。

 高田と松下も、俺と一緒に展示室の裏でゆっくりと休んでいる。
 一応壁の向こう側でたまに来場者の人たちが訪れるが、掲示物のみなので人数も少ないし、すぐに出て行ってしまう。今は俺らと同じく時間潰し中のクラスメイトだけが、好き勝手休んでいた。

「てか、出店、行かないのか?」
「食欲ないかも」
 高田の問い掛けに、俺はぼーっとしたまま答える。

「白石が!?」
「大丈夫か!?」
 高田と松下はまさかの回答だったのだろう、いつもの落ち着きはどこかに吹っ飛ぶほど、大声を上げて俺に詰め寄った。

「本当に……食欲ないんだよね……」
 いつもなら出店を食べ尽くす勢いなのだが、正直昨日からご飯が美味しくない。というか、幸詩への感情が定まらず、胸も頭も感情やら考えやらが入り乱れている。
 考えないようにしても、少しでも隙があれば終わり。
 すぐに引っ張られて、一人で混乱し苦しむ羽目になる。

 昨日、幸詩からメッセージが来た。

『土曜日はリハーサルとか準備とかで埋まってて、日曜日は文化祭一緒に回ろう』
 メッセージを見た瞬間、心臓が小さく跳ねた。どう返事をすればいいのか、指が震える。
 ……でも、どうしてだろう。簡単に返事をすれば良いはずなのに。

 結果、まだ、返せていない。通知で文章を確認した上で、未読無視状態。
 返信しないといけないのは、わかっている。けれど、どう返事したらいいのかわからない。

 あああああううううう。
 頭の中で唸りながら、身体も小さくうずくまる。
 いや、どうしてこんなに悩んでいるんだ。
 俺と幸詩は、友達のはずなのに、どうしてこんなにざわつくのか。桜井さんが告白しようと、俺の関係は変わらない――はずなのに。
 ……だけど、どうしても胸の奥が苦しい。

 ひたすら小さくなる俺の肩を、トンと誰かが叩いた。
 身体は飛び上がり、後ろを振り返ると神妙な顔の松下が、アルミホイルの包まれた何かを持っていた。

「お前が飯を食べないなんて、調子が狂う。食え」
 手渡されたアルミホイルを広げると、その中にはスパイシーな香りが食欲をそそるタコス。挽き肉と野菜、トマトソースがしっかりとした量が入っている。

「タコスだ」
 意外なセレクトに、高田を見上げると、彼は淡々と言葉を続けた。

「一番栄養バランスが良かったからな、食え」
「ありがとう……お金、返す……」
「後でいい、さっさと食え」
 俺を気遣ってくれたのだろう。語尾が全て「食え」になっている。
 俺はタコスを一口齧る。文化祭の模擬店ではあるが、挽き肉のゴロゴロ感と野菜が、スパイシーなソースと混ざって口の中が幸せだ。タコスの皮はスーパーの固いヤツだが、食べやすさはあって、これはこれでいい。

「美味しい。でも、ちょっとライム、欲しいかも……」
「本格的な味を求めるな」
 やはり空腹が一番のスパイス、久々に胃に収めた食べ物は満足感がある。つい心から漏れた気持ちに、松下はしっかりとツッコんでくれるので、少しばかり心が和んだ。が、その隣に居た高田は、じっくりと読んでいたファッション誌から俺たちへと視線をずらす。

「望月のと頃行くんだから早く食え」
「えっ!?」
 高田の指摘に、思わず大声を出した俺。
 まだ結構時間はあるのに急かされるのかと、疑問があるけれど、それ以上にいきなり幸詩の話題を振られて動揺が隠せなかった。
 俺のあまりの驚きように、高田は「そんなに驚くか?」と不思議そうに首を傾げる。

「ライブって場所取り命だし、白石んとこ話題になってるぞ」
「そ、そうなの」
「おう。だから多分、一番人が混む」
 話題になっているのは、多分桜井さん効果ではあるし、幸詩と桜井さんにはここ最近注目が集まっていた。確かに一番混んでもおかしくはない。
 そして、幸詩にとっては、今まで頑張ってきたことの成果が出る日。
 そろそろ行かないと良い席が無くなってしまうかも。

 ふと、脳裏に幸詩がステージにあがる光景が浮かんだ。
 かっこよくギターを掻き鳴らす幸詩。 

 しかし、その隣には桜井さんがいる。

 酷く心がざわついた。
 それに幸詩の演奏を見たら、きっと好きになる人が増える。断言できる。だって……。
 これ以上、言葉に出来ない。
 頭が重く、ゆっくりと俯いた。

「白石さ、何悩んでるの?」
 高田から尋ねられても、言葉が見つからない俺は顔を上げず黙りこむ。

「もしかして、昨日の告白か?」
「……聞いてたんだ」
「まあ、藪つついた気分だったけどな」
 高田の言葉に、俺は一瞬動きを止めた。どうやら、彼は昨日の話を聞いていたらしい。そして、それに気づいた松下も、肩をすくめる。

「……昨日からなんかずっと、頭がぐちゃぐちゃで」
 素直に今の状況を伝える。上手く言語化出来ないのが申し訳ないが、これは俺の今の状況なのだ。高田を見れば、少しばかり首を傾げる。

「自分の好きな人に、可愛い子が告白するから?」

 あまりにも直球の言葉に、俺の身体が熱くなる。

「な、なななっ、好きな人って!」
「いや、確実に白石、望月のこと好きだろ」
「高田、なんでそんな直球なんだよ!」
 そう言われると思っていた無かったから、高田の真っ直ぐな指摘が心臓に突き刺さる。松下が制止するが、既に手遅れだ。

 そうだ、言葉にしたくなかったのだ。
 認めたら、友達ではいれない。
 ただでさえ、俺には幸詩や桜井さんと違って、何もないのだから。
 だから、好きだからこそ余計に、不釣り合いだと思ってしまう自分が惨めで。
 視界が水の膜が張り、潤い霞む。
 ああ、泣いてしまう。
 と、目元に力が入った時、俺の口に何かが突っ込まれた。
 それは先程の食べたタコスだった。

「白石、今は考えるな、食え。で、もう体育館行くぞ。悩んでも仕方が無い」
 ツッコんだのは、やはり松下。あまりにも力業すぎて、俺の涙も引っ込む。そして、呆気にとられている間に、松下と高田に両腕を捕まれた。

「頭で考えても答えが出ないこともある」
「なので、いくぞ」
 初めて見た二人の見事な連係プレー。俺は引きずられるように、体育館へと向かった。