桜井さんからお願いされた翌日。

 今日も「お話ししたいことがあるんです」と必死な桜井さんを振り切り、俺たちは雨が降る中、隣駅の方へと向かっていた。
 黒い傘を差しながら隣を歩く幸詩は、いつも以上に暗いテンション。俺は小さい赤い折りたたみ傘でどうにか雨を凌ぎつつ、道中で昨日桜井さんから言われた内容を、ちゃんと事情も含めて話してみた。

「……というわけで、桜井さんからお願いされたので伝えておくね」
「ふーん……晴富にも迷惑かけたんだ……」
「あははは……まあまあまあ」
 幸詩は、大層機嫌悪そうに眉間を寄せ、まるで唸るように低い声で喋る。不機嫌になるかもしれないと思ったが、俺はそもそも幸詩の味方である。

「余計やりたくない……でも……」
 ()()
 雨の中で頭を抱える幸詩は本当に嫌そうなのに、予想外の接続詞ではないか。幸詩は俺の顔を見ると、酷くしんどそうにため息を吐いた。

「やらなきゃいけなくなった」

「えっ」
 思わず声が出る。何があったのか、事情が全くつかめない。昨日の今日で、何があったのだ。
 あまりの急展開に首を傾げると、幸詩は嫌そうに項垂れた。傘を持つ手に冷たい雨の滴に不快感をより一層強く感じる。

「今朝、部長から時間の関係でソロは無理になったから……一緒にだって……」
「ええええっ、話が違うよね、それ」
「そう」
 桜井さんの強い熱意に揺り動かされた誰かが、捩じ曲げたのだろう。真っ正面に向かってきている彼女が、わざわざこんな裏から手を回すとは思えなかった。

「今日はギター、持って来てないし、元々晴富と約束があったから逃げたけど……明日からは練習で一緒に帰れないと思う」
「そうだよね、九月まであっという間だしねぇ」
「やるなら、少しでも良いステージにしたいしな」
 時が経つのは早い。文化祭開催予定の九月までも、夏休みを挟めばあっという間に来てしまう。
 幸詩はソロ予定で今まで進めていたのが、一気に覆された状態だ。
 完璧に仕上げたいと思うと、今から残されている時間はあまりない。

「この前、聞かせて貰ったの、めちゃくちゃよかったのに」
「本当は『Bad feeling』で、皆をドン引きさせたいけどな。晴富の聴かせれた分、まだ良かった」
 あんなにも格好いいものが見られないなんてと、俺はがくんっと肩を落として落ち込む。そんな俺の肩を幸詩は、慰めるように優しく叩いた。何故か幸詩よりも、俺のが残念な気分になっている。

「はあ、でもまあ、()()祭り()()()我慢する」
「無理しないでね」
「善処する。あ、店、見えてきた」
「え、本当」
 視界を遮るほどの降り注ぐ雨の中、幸詩の示す指先の方に、大きな垂れ幕看板が置かれていた。そこには赤いシロップが美味しそうなかき氷の絵が描かれている。

「あ! やってるね!」
「うん、良かった」
 夜のみ営業しているオシャレな居酒屋の昼間に、期間限定のかき氷屋さんがオープンしたのだ。
 先月末、二人で一緒に帰っている時に、幸詩が教えてくれたのだ。
 一杯千円の高級なかき氷だが、俺たちは少しばかり強気にいける理由があるのだ。

 お店の中に案内され、格好いい木目のテーブルにおしゃれな椅子が置かれた二名席に通される。湿った空気に香るアルコールとフルーツの香りが、柔らかく俺たちを迎えた。

 二人でメニューを眺める。
「メロン、マンゴー、イチゴは高いね……千八百円……」
「でも、抹茶、練乳みぞれ、ティラミスなら千円だから」

 やはり目玉商品の新鮮な果物が、贅沢に使われているかき氷は良い値段だ。けれど、シロップやソースがメインのものは、俺たちでも手を出せる値段だ。

「俺、千円の抹茶ミルクにしようかな」
「いいね、俺は……イチゴ」
「まじ!? 豪華!」
 近くのカウンターにいる店員さんに注文を伝える。それにしても、幸詩の注文は随分リッチではある。メニューの写真も豪華だし、俺もお金があったら買っていただろう。
 といっても、抹茶ミルクもアズキやキノコがのっているようで、これはこれで美味しそうだ。

「思えば、幸詩はアルバイトは決めた?」
「うん、家の近くのハンバーガー屋」
「そっかあ、俺はおばあちゃんち行くから、そっちで民宿の手伝いする予定」
 もうそろそろ夏休み、うちの学校で「アルバイト」が解禁される時期になる。高校一年の一学期中はアルバイトは原則禁止で、夏休みから許可が降りるようになるのだ。
 千葉の海沿いにある母方の祖母の家は老舗の小さな旅館をしており、今年の夏休みのお盆まで母親と共に働く予定だ。

「夏休みは、なかなか会えないか」
「うん、でもまあ、お盆を過ぎたら帰ってくるからさ」
「そうか、じゃあ、その後遊びに行こう」
 幸詩はしょぼんと眉を下げる。たしかに、こんなにも一緒にいたのに、急に会えなくなるのは寂しい。

「うん、なんか、夏らしい……あ、お祭りとかどう」
「いいね、お祭りで屋台とか、晴富好きそう」

 やはり夏らしい催しと言えば、夏祭りであろう。東京だと夏の後半から九月にかけて、納涼祭というものが多い。そして、勿論、夏祭りと言えば、様々な食べ物の屋台である。

 幸詩の言葉に俺は笑顔で答えた。
「うん、大好き」

「……そうか、俺も好きだ」
 驚いたように目を見開いた幸詩は、すぐに笑いながら大きく頷く。
 その姿になんだか、ドキッとするほど、少し照れくさい。俺は不思議と熱くなった身体を冷ますように、テーブルに置かれた麦茶を飲む。
 そうすると、タイミング良く店員さんがかき氷を運んできた。

「お客様お待たせしました~」

 机に並ぶは、山のようなかき氷。それぞれ写真以上の美しく豪勢に盛り付けられている。贅沢なイチゴかき氷は、イチゴソースとイチゴの果実が赤々艶々と。抹茶ミルクのかき氷には、美味しそうなあずきと生クリームも。

「食後に温かいお茶をお出ししますが、お声掛けくだされば、すぐお持ちしますので」

「はい、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
 店員さんからの優しい案内に二人でお礼を言った後、俺は幸詩からスマートフォンを受け取る。

「撮るけど大丈夫?」
「大丈夫」
 慣れたように動画ボタンを押し、幸詩の画角に入れる。今日は初めて幸詩を真っ正面に動画を撮影するのだ。
 やはり緊張からか幸詩の肩に力が入るけれど、前ほどに慌てる様子はない。

「美味しそう」
「うん、溶けるから早く食べようか」

 二人でいただきますをし、動画を止めた後、早速食べ始める。
 スプーンが刺さることで、小気味の良い涼やかな氷の音が鳴る。一口分乗ったかき氷を口に運んだ。

 甘く冷たいかき氷を口に含む。
 氷の繊細な溶け方。すうっと、下に触れた瞬間に溶けていく。なによりも柔らかな味わいで、今まで食べてきた屋台のかき氷とは全然と違う。
 なにより、頭が全く痛くない。

 勿論味も絶品。甘すぎず苦みのある抹茶に、濃厚な練乳ミルクが口の中で混ざり合う。小豆も一口、ほくほくとした小豆、生クリーム、抹茶。このトリプルコンボは日本が生み出した最高峰の組み合わせだと思う。

「うまっ!」
「うん」
 イチゴのかき氷も本当に美味しそうで、幸詩の頷きもいつもより強く感じる。それにしても、基本的にクールな幸詩がイチゴのかき氷を食べている姿は、なかなかにギャップがあり可愛らしい。
 なんならば、口の端に赤いジャムがついているし。
 俺は溶ける抹茶を少しずつ口に運びつつも、ついつい幸詩を見ていた。

 そんな俺の視線に気付いたのだろう。幸詩とつい目が合った。

「一口、いる?」
 どうやら、俺が欲しいと思ったのだろう。微笑んだスプーンでかき氷を掬って、俺の方へと差し出した。

「え! いいの?」
「うん、ほら、早く」
「あ、ありがとう……」
 まさか、スプーンを差し出されるなんて思っていなくて、俺は戸惑いながらスプーンに乗ったかき氷に口をつけた。
 甘酸っぱく濃厚なイチゴソース。氷が溶けて、広がる練乳と香り。これは、あの値段がするのも頷ける味だ。

「これ、本当に美味しいね」
「だろ」
「俺のも食べる?」
「いる」
 今度は俺が幸詩のために、スプーンでかき氷を掬う。小豆も抹茶もミルクも一掬いに乗せて、幸詩の口元へと差し出した。その時、ふと気付いてしまった。

 ――思えば、これって、間接キスではないか。

 俺の身体の体温が一気に上がる。視線は幸詩の口元に奪われた。
 そんな俺のことはつゆ知らず、幸詩は俺のスプーンめがけて、大きく口を開いて食らう。

 心臓が、跳ねて、また痛い。

 一体、なんなのだこれ。

「晴富、美味しいね」
 幸詩が強く頷き、頰笑む。
「う、うん、美味しいね」
 その姿に、不意にドキッとさせられた。

 自分でも驚くほど、顔が熱くなっているのがわかる。
 俺は少し照れくさそうに、慌ててかき氷を口に運んだ。