あれから数日経った。
「望月くん! 是非! 私たちとやりませんか!」
幸詩と校門から出ようとしたところを、真っ正面を切ってやってきたのは、桜井さんとその仲間たち。
桜井さんは一歩踏み出し、その手に持った楽譜を握りしめていた。彼女は真剣な眼差しで望月を見つめている。
「無理って、言ったよね」
「そこをなんとか! 望月くんとバンド、やりたんです!」
「無理だから」
ここ毎日繰り広げられている桜井さんと、望月くんの攻防戦に、周りの人達は興味津々といった様子で視線を送る。それはそうだ、可愛いと話題になっている女子生徒に、迫られても断り続ける男子生徒なんて良い噂の的だ。特に、彼女を狙っているだろう男子生徒達からのやっかみも酷い。
「晴富、行こう」
「う、うん」
幸詩にとっては大変迷惑だろう。不機嫌そうに俺の肩を抱くと、さっさと学校から出て行く。後ろからはいつものように、「諦めませんからー!」という桜井さんの叫びが聞こえてくる。
正直、諦めて欲しい。俺も心の底から願っているし、幸詩も同じくうんざりしている。
桜井さんのせいで、いつもの掘っ立て小屋でのんびり出来なくなり、俺も内部生側からは「一体どうなってんだ」と質問攻めにされている状態だ。
あの人情が薄い高田と松下の二人にすら、面白半分とは言え同情されている状況。
昨日のお昼休みにも幸詩の事情は伏せつつ、今の状況の説明をしたのが、二人とも面倒くさそうに肩をすくめていた。
最後まで聞いた高田曰く「望月、まるでラノベ主人公みたい」らしい。そして、松下からは「それなら、白石はお節介な親友モブだな」と厳しいお言葉を頂戴した。
「もっと優しくしてよ、俺、結構困ってんだよお」
「だったら、望月の問題に首を突っ込まなきゃいい」
「まあ、がっつり踏み込んでるし、白石は身内に甘いから無理だろ」
ばっさり切られたが、話を聞いてくれるだけでも、相当優しい扱いなのは今までの三年間で理解している。
たしかにここまで関わったのもあるし、幸詩のためにも今更降りる気はない。ならば、今の状況も飲み込もうと思った。
……のだけれども。
「白石くんですよね!」
文化祭に向けてのボランティア部のミーティングの帰り、たまたま通った教室から急に声を掛けられた。鈴の鳴るような可愛らしい声、まさかと嫌な予感をしつつ振り返ると、そこにはベースを手に持った桜井さんが立っていた。
無視すれば良かったのかもしれない。しかし、俺にはどうしても出来なかった。駆け寄ってくる彼女に、俺は逃げられずに、直立で硬直するのみだ。
「え、えっと、桜井さん、何か……」
「あの! 今! お時間、よろしいでしょうか!」
「はっ、はい!」
突然のことに狼狽える俺は、畳みかけてきた桜井さんの勢いに飲まれ、気付けばつい返事をしてしまった。
「五組の桜井美咲と言います。二組の白石さんですよね、今まであんななも騒ぎ立ててたのに、挨拶ちゃんと出来ておらず、すみません」
「まぁ、だ、大丈夫です。はい、白石晴富です。いつもどうもです」
教室に入った俺と桜井さんは、適当な椅子に向かい合って座り、大変今更な挨拶を交わす。
既に出会ってから一週間ほどだが、桜井さんにとっては幸詩しか見えなかったのだろう。仕方ないと言えば、仕方ないとは思う。
そんな桜井さんが、俺を呼び出す理由もまた、一つしか無い。
「あの、単刀直入にお願いします。望月くんと、一度だけでもいいので一緒に演奏したいんです、お手伝いいただけないですか!」
頭を深々と下げる桜井さんの後頭部を見ながら、ああやはりと思う。
「それは……本当に、幸詩が決めることだから」
「でも、一度だけでも、お願いできませんか?」
「いやぁ、そう言われても……」
中々に粘り強いタイプなのだろう。必死に頭を下げ続ける姿に、俺は何もやっていないのに、罪悪感が湧いてくる。
どうやって断るろうかと、言葉をあぐねる俺に、桜井さんはすかさず言葉を繋げた。
「望月くんと演奏するのが、私の夢だったんです!」
夢。真っ直ぐな彼女の視線と言葉は、俺の心に鋭く刺さる。
「……幸詩のこと、知ってたんだよね」
「はい! ショート動画で回ってきて、何て凄いんだって思って! その一曲しか無かったけど、もう心にグサッときちゃって!」
桜井さんが見た動画は、やはり幸詩にトラウマを植え付けた動画だろう。
「……そうなんだ」
「あの曲を、あんなにも甘く切なく歌い、ギターの旋律もアレンジも巧みで……何よりも、私、幸詩さんの歌声に救われたんです」
救われた、とはどういうことだろうか。雲行きが変わる単語に引っかかりを覚えた俺は、なにがあったのかとすかさず尋ねてみた。すると、桜井さんは俯き、言い辛そうに小声で答えた。
「私、中学の頃、イジメられてたんです」
「それは……大変だったね」
かなり重い内容に、俺は言葉が上手く見つからなかった。桜井さんは、「ほんと理由は大したことないんです」と乾いた笑いを貼り付ける。
「クラスの男子に告白されてい振ったら、次の日からもう……」
ああ、よくある凄く厄介なやつだと、俺は「ああ……」と思わず同情する。
「あの時、もっと断り方をとか、付き合えばよかったのかとか……凄く後悔しました」
「それ、桜井さん何も悪くないよね」
なあなあで付き合って幸せになるパターンなんて少ないと思うが、どうしても振ったとなると良いイメージじゃなくなるのは確かだ。
「でも、私、こう見えて、猪突猛進タイプで……立ち回り下手くそすぎて……」
確かに立ち回りが上手くないのは、幸詩を説得している姿を見ているだけでも伝わる。
「だから、本当にどん底だった私に、昔は名前も知らなかったけど……望月くんの動画を見て、元気を貰ったんです」
そうやって、嬉しそうに笑う桜井さんに、俺は余計に返す言葉を無くしてしまう。
普通に聞けば、なんと良い話だと感動して終わる話なのに。
ああ、なんという皮肉だろうか。
幸詩を苦しめた無断動画で、救われた人がいるなんて。正直俺の心中は複雑でしかない。言葉を紡げず、相槌だけをうつ俺に、桜井さんは思いの丈を語り続ける。
「だから、もし叶うなら、いつか望月くんと一曲演奏して歌いたいと、ベースとボーカルを始めたんです」
桜井さんの目がキラキラと美しく輝き始める。
「まさか、運命って本当にあるんだって、思ったんです。このチャンス、逃したくないんです……!」
桜井さんの言葉が強い響きを持って、胸に刺さる。
自分の夢に真っ直ぐな姿は、あまりにも眩しい。
俺は、ふと想像してしまった。
光り輝くステージの上で、幸詩と桜井さんが並び立って演奏する姿を。
思い浮かべた俺の心臓は、ぎゅうっと力強く握り潰されたかのような痛みを発する。この湧き上がる感情は何だろう、直視してはいけない感情だと理性が叫んでいるのに、胸の奥でざわめきが止まらない。
「そこをなんとか! い、今なら、買ったクッキーもあげます!」
しかし、こんなにも懸命に、お願いし続ける桜井さんを無下にも出来ない。しかも、包装がまだしっかりとした袋に包まれたままのクッキーを、桜井さんは俺に差し出した。コンビニで売っている少し高めの大判のクッキーお菓子。袋を握る桜井さんの手が、小さく震えている。
「……一応、聞いてみるよ。ただ、期待しないでね、クッキーも大丈夫だから」
桜井さんの熱意の前に、流石に俺は折れた。
酷く歯切れの悪い俺の返答にも関わらず、桜井さんの顔が一気にパッと明るくなり、嬉しそうに笑った。その姿は、大輪の花が咲いたかのように美しかった。
こんな可愛い子が、幸詩のことを……。
桜井さんが明るくなるほどに、俺の気持ちはどんどんと暗く良くない方に歪む。
ああどうしよう、と俺は心の中で頭を抱えた。
「望月くん! 是非! 私たちとやりませんか!」
幸詩と校門から出ようとしたところを、真っ正面を切ってやってきたのは、桜井さんとその仲間たち。
桜井さんは一歩踏み出し、その手に持った楽譜を握りしめていた。彼女は真剣な眼差しで望月を見つめている。
「無理って、言ったよね」
「そこをなんとか! 望月くんとバンド、やりたんです!」
「無理だから」
ここ毎日繰り広げられている桜井さんと、望月くんの攻防戦に、周りの人達は興味津々といった様子で視線を送る。それはそうだ、可愛いと話題になっている女子生徒に、迫られても断り続ける男子生徒なんて良い噂の的だ。特に、彼女を狙っているだろう男子生徒達からのやっかみも酷い。
「晴富、行こう」
「う、うん」
幸詩にとっては大変迷惑だろう。不機嫌そうに俺の肩を抱くと、さっさと学校から出て行く。後ろからはいつものように、「諦めませんからー!」という桜井さんの叫びが聞こえてくる。
正直、諦めて欲しい。俺も心の底から願っているし、幸詩も同じくうんざりしている。
桜井さんのせいで、いつもの掘っ立て小屋でのんびり出来なくなり、俺も内部生側からは「一体どうなってんだ」と質問攻めにされている状態だ。
あの人情が薄い高田と松下の二人にすら、面白半分とは言え同情されている状況。
昨日のお昼休みにも幸詩の事情は伏せつつ、今の状況の説明をしたのが、二人とも面倒くさそうに肩をすくめていた。
最後まで聞いた高田曰く「望月、まるでラノベ主人公みたい」らしい。そして、松下からは「それなら、白石はお節介な親友モブだな」と厳しいお言葉を頂戴した。
「もっと優しくしてよ、俺、結構困ってんだよお」
「だったら、望月の問題に首を突っ込まなきゃいい」
「まあ、がっつり踏み込んでるし、白石は身内に甘いから無理だろ」
ばっさり切られたが、話を聞いてくれるだけでも、相当優しい扱いなのは今までの三年間で理解している。
たしかにここまで関わったのもあるし、幸詩のためにも今更降りる気はない。ならば、今の状況も飲み込もうと思った。
……のだけれども。
「白石くんですよね!」
文化祭に向けてのボランティア部のミーティングの帰り、たまたま通った教室から急に声を掛けられた。鈴の鳴るような可愛らしい声、まさかと嫌な予感をしつつ振り返ると、そこにはベースを手に持った桜井さんが立っていた。
無視すれば良かったのかもしれない。しかし、俺にはどうしても出来なかった。駆け寄ってくる彼女に、俺は逃げられずに、直立で硬直するのみだ。
「え、えっと、桜井さん、何か……」
「あの! 今! お時間、よろしいでしょうか!」
「はっ、はい!」
突然のことに狼狽える俺は、畳みかけてきた桜井さんの勢いに飲まれ、気付けばつい返事をしてしまった。
「五組の桜井美咲と言います。二組の白石さんですよね、今まであんななも騒ぎ立ててたのに、挨拶ちゃんと出来ておらず、すみません」
「まぁ、だ、大丈夫です。はい、白石晴富です。いつもどうもです」
教室に入った俺と桜井さんは、適当な椅子に向かい合って座り、大変今更な挨拶を交わす。
既に出会ってから一週間ほどだが、桜井さんにとっては幸詩しか見えなかったのだろう。仕方ないと言えば、仕方ないとは思う。
そんな桜井さんが、俺を呼び出す理由もまた、一つしか無い。
「あの、単刀直入にお願いします。望月くんと、一度だけでもいいので一緒に演奏したいんです、お手伝いいただけないですか!」
頭を深々と下げる桜井さんの後頭部を見ながら、ああやはりと思う。
「それは……本当に、幸詩が決めることだから」
「でも、一度だけでも、お願いできませんか?」
「いやぁ、そう言われても……」
中々に粘り強いタイプなのだろう。必死に頭を下げ続ける姿に、俺は何もやっていないのに、罪悪感が湧いてくる。
どうやって断るろうかと、言葉をあぐねる俺に、桜井さんはすかさず言葉を繋げた。
「望月くんと演奏するのが、私の夢だったんです!」
夢。真っ直ぐな彼女の視線と言葉は、俺の心に鋭く刺さる。
「……幸詩のこと、知ってたんだよね」
「はい! ショート動画で回ってきて、何て凄いんだって思って! その一曲しか無かったけど、もう心にグサッときちゃって!」
桜井さんが見た動画は、やはり幸詩にトラウマを植え付けた動画だろう。
「……そうなんだ」
「あの曲を、あんなにも甘く切なく歌い、ギターの旋律もアレンジも巧みで……何よりも、私、幸詩さんの歌声に救われたんです」
救われた、とはどういうことだろうか。雲行きが変わる単語に引っかかりを覚えた俺は、なにがあったのかとすかさず尋ねてみた。すると、桜井さんは俯き、言い辛そうに小声で答えた。
「私、中学の頃、イジメられてたんです」
「それは……大変だったね」
かなり重い内容に、俺は言葉が上手く見つからなかった。桜井さんは、「ほんと理由は大したことないんです」と乾いた笑いを貼り付ける。
「クラスの男子に告白されてい振ったら、次の日からもう……」
ああ、よくある凄く厄介なやつだと、俺は「ああ……」と思わず同情する。
「あの時、もっと断り方をとか、付き合えばよかったのかとか……凄く後悔しました」
「それ、桜井さん何も悪くないよね」
なあなあで付き合って幸せになるパターンなんて少ないと思うが、どうしても振ったとなると良いイメージじゃなくなるのは確かだ。
「でも、私、こう見えて、猪突猛進タイプで……立ち回り下手くそすぎて……」
確かに立ち回りが上手くないのは、幸詩を説得している姿を見ているだけでも伝わる。
「だから、本当にどん底だった私に、昔は名前も知らなかったけど……望月くんの動画を見て、元気を貰ったんです」
そうやって、嬉しそうに笑う桜井さんに、俺は余計に返す言葉を無くしてしまう。
普通に聞けば、なんと良い話だと感動して終わる話なのに。
ああ、なんという皮肉だろうか。
幸詩を苦しめた無断動画で、救われた人がいるなんて。正直俺の心中は複雑でしかない。言葉を紡げず、相槌だけをうつ俺に、桜井さんは思いの丈を語り続ける。
「だから、もし叶うなら、いつか望月くんと一曲演奏して歌いたいと、ベースとボーカルを始めたんです」
桜井さんの目がキラキラと美しく輝き始める。
「まさか、運命って本当にあるんだって、思ったんです。このチャンス、逃したくないんです……!」
桜井さんの言葉が強い響きを持って、胸に刺さる。
自分の夢に真っ直ぐな姿は、あまりにも眩しい。
俺は、ふと想像してしまった。
光り輝くステージの上で、幸詩と桜井さんが並び立って演奏する姿を。
思い浮かべた俺の心臓は、ぎゅうっと力強く握り潰されたかのような痛みを発する。この湧き上がる感情は何だろう、直視してはいけない感情だと理性が叫んでいるのに、胸の奥でざわめきが止まらない。
「そこをなんとか! い、今なら、買ったクッキーもあげます!」
しかし、こんなにも懸命に、お願いし続ける桜井さんを無下にも出来ない。しかも、包装がまだしっかりとした袋に包まれたままのクッキーを、桜井さんは俺に差し出した。コンビニで売っている少し高めの大判のクッキーお菓子。袋を握る桜井さんの手が、小さく震えている。
「……一応、聞いてみるよ。ただ、期待しないでね、クッキーも大丈夫だから」
桜井さんの熱意の前に、流石に俺は折れた。
酷く歯切れの悪い俺の返答にも関わらず、桜井さんの顔が一気にパッと明るくなり、嬉しそうに笑った。その姿は、大輪の花が咲いたかのように美しかった。
こんな可愛い子が、幸詩のことを……。
桜井さんが明るくなるほどに、俺の気持ちはどんどんと暗く良くない方に歪む。
ああどうしよう、と俺は心の中で頭を抱えた。